人形と轍









今日は近藤さんが面会に来てくれた。

思いのほかまともな俺に、近藤さんはうれしそうな顔をして、それからやっぱり悲しそうな表情になった。


今真選組がどんな仕事をしているとか、総悟がいなくて大変だとか近藤さんの話を聞いているととても楽しかった。





でも、あの人の話はまったくしなかった。


俺も、聞かなかった。

聞いたら、近藤さんがつらい思いをするのがわかっているから。




かちゃりと音がして、真っ白い病室に山崎が入って来た。

「どうですか、沖田さん」


「ん、頭いてぇ」

俺は哀れらしく息を吐いてこめかみに指を当てた。

「いけませんね」
こつこつと足音をさせて俺のベッドに近付く。山崎の案外大きな手が、俺の前髪をさらりと分けてゆっくりと額を押さえた。

「ああ、少し熱がありますか」

感情の無い声で言って、俺に横になるように指示する。
自分は持ってきた紙袋から更に黒い別珍生地でできた巾着の様なものを取り出して、そこから木彫りの人形を二体そっと引き出した。
かた、とサイドテーブルの上に置く。
昨日山崎が持ってきたフルーツバスケットの前に純和風の木彫りの夫婦人形。なんだか不釣り合いだった。

「ザキ・・・・なんだよこれ」
「なんだよって、沖田さんの部屋にあった夫婦人形です」
「なに、なんでこんなモン持ってくんだよ」

あの人を、思い出してしまうものを、なんで、お前が持って来るんだ。

「先週も熱を出したでしょう、その時沖田さんが言ったんですよ、うわ言で。人形は、人形はって」

俺は、土方さんとの逢瀬に、武州の田舎時代から粗末な木彫りの人形を合図として使っていた。
毎日毎日、今日は振られるか、今日は嫌われていないかとビクビクしながら合図を待った。
数日待って人形が合図通りに動いていればようやっと安心して。逢瀬の後はまた関係が切れる事に怯えて。
ただその繰り返しの中、夫婦人形を見るのも嫌になるほどだった。

それは上京して人形を合図に使わなくなってからもおんなじで。
とうとう土方さんに女ができて完全に捨てられてしまうまで続いた。
俺は土方さんと別れなければならないという恐怖に怯えなくて済むようになったのだ。

だけど、俺はあのクソみてえな男にどんなに嫌われても、どんなにひどくされても、それでもどうやったって嫌いになれなかった。
俺がやってしまった事は取り返しがつかない。



餓鬼みてえに俺の身体を貪って「男も悪くない」なんて言って喜んでいた土方さん。
たしかにあった。確かにあの時間はあったのに。
今はもうそんなものどこにもない。

俺が壊したんだろうか。


ちがう。


最初からわかっていた。
土方さんは元々男なんて好きじゃない。ただの興味本位だった。

でも、たとえ捨てられたとしても俺が大人しくしていれば、嫌われるなんてことはなかったはずだ。


嫌われる。

唄の文句によくあるけれど。

忘れられるよりは嫌われる方が良いって。


そんなことあるわけない。

土方さんの想い人を手に掛けようとしたその時から、土方さんは俺を憎んでいる。
言葉では言わない。
嫌いになったなんて言わない。
だけど、言葉以外のなにもかもがそれを物語っていた。

会えば仕事の話はする。
でもそれ以外はまったく何もなし。
ほんのすこし、わかるかわからないかってくらいの、女みてえにみみちい嫌がらせみてえな仕事を俺にさせたりした。
いっそ粛清してほしかった。
だけどそんなことはしねえで。

あの太夫を危険に晒さないよう、自分の目の届く所に置いておきたいと言って厭味ったらしく新居までかまえやがった。

糞野郎。
糞野郎。

てめえから別れ話もしねえで、俺のせいにしたあげく女郎などに入れ込んで。
たとえ一時でもかわいいかわいいって抱いた癖に、俺をまるで汚物みてえな目で見やがった。

糞野郎。



だけど。

だけど俺はそんな糞野郎のことが、どうしようもなく、身体が心が千切れるほどに好きだった。
嫌われたからといって嫌いになどなれなかった。

なんだあんな野郎。
側にいたから、ただそれだけの理由だ。

周りをみればいくらだっている。
いくらだって俺の相手をしてくれそうな野郎はいる。

なにもあいつだけが男じゃねえ。

でも、それでも、俺のこの単細胞の脳みそは、餓鬼の頃にくっきりと擦り込まれた、あの糞野郎への愛情を忘れることができねえんだ。

苦しい。

苦しい。

いっそ何もかもわからなくなってしまいたい。


そんな頃、山崎が持っていたこの夫婦人形を譲ってもらった。

いつ別れ話をされるかって毎日胸が潰れそうなくらいつらかったあの日々。
武州の片田舎で貧乏くせえ俺達が肌を寄せ合ったあの日々。
まだ餓鬼の俺に、遊び半分で手を出したあの糞野郎とそれでも枕を並べた遠い日。

あんなぼろ屑みてえな日々でも俺にとっては幸せだった。
いつも仏頂面の土方さんが白い歯を見せて笑っていた。
俺はニコリともしたことなかったけど。

できねえんだ。

いつこの幸せが崩れるかって思ったら。
とても笑えなかった。


昔の思い出に浸るほど歳とっちゃいねえけど、俺には未来なんてなかった。
あの糞野郎が俺の心ン中をすっかり占拠しちまって、どうにもならなかった。
俺のこの心臓の土方さんって部分をすべて抉り取って忘れられるんならそうしたい。だけど、そうすると俺の心臓は全部なくなっちまうんだ。

だからせめて、俺と土方さんの想い出の、一番幸せだった頃の夢を見ていたかった。

そのうち山崎からもらったその人形が、昔の合図どおりに動かしてあるようになって。


そんなわけないそんなわけないって思いながらも、俺はひょっとしたらという心持ちを捨てきれねえで江戸の街へ出た。
それからしばらくの記憶が無くて、気がついた時には見知らぬボロ宿で一人で座ってた。
かあかあと鴉が鳴いていて。
とぼとぼと屯所に帰って俺は人形を動かしたのが自分だって気付いた。


俺は狂うんだろうか。

そんなことを考えながら、だけど人形を捨てることはできなくてそのままにしていた。
人形はやっぱりたびたび逢瀬の合図を示していて、その度に俺はあるわけないのにウキウキと出かけては打ちひしがれて帰って来た。

ようやっと俺は狂えるんだろうか。



だけど、俺はまともなままだった。

俺の精神は、そんなにヤワじゃなかった。
俺は狂ってしまいたいという己の意思に突き動かされて人形を動かしていたのかもしれない。
だから俺はこの地獄のただ中に、これからもずっと座りこんでいなければならないのだ。

そう思ったらもう耐えられなかった。

あの女を殺す代わりに、攘夷浪士どもを斬って斬って斬りまくった。
とっくに命の灯が消えた人間に対して、何度も何度も刀を突き刺して、それでも足りなくて抵抗もしていない下種な雑魚から生け捕りが必要な幹部クラスの浪士どもまでなますの様に無残に切り刻んで回った。
その様子は他の奴からしたらよほど恐ろしかったらしい。
いくらもしないうちに俺は、「二十にも満たない年齢で連日戦闘と殺戮を繰り返し、精神に異常をきたした少年」として病院に送り込まれることになってしまった。
俺を使っていたことで近藤さんも随分マスコミに叩かれて、迷惑をかけてしまったみたいだ。

真っ白な病室で、テレビや新聞なんかも制限されて、俺は何にもすることが無い時間が長くなった。
ということは、あの人の事を一日中考えているってことだ。

俺の世話をする山崎と、俺が心を許している近藤さん以外の面接は許されていない。

近藤さんは忙しくて月に一度来れるくらいだ。

だから、自然外部の人間と話をするのは山崎だけになる。

山崎と話をしていれば、土方さんのことを考えなくてすむ。
そんなわけでいつのまにか俺にとって、山崎は神様みてえな人間になっていた。
俺の生活の外界との交わりのほとんどすべてだからそうなってしまうけど、決して心のよりどころってわけじゃない。
ただ、物理的に俺のすべてってだけだ。


俺がぼうっと夫婦人形を見ながら考え事をしていると、山崎の声がした。

「沖田さん、気分はどうですか?」

山崎はここへ来る時いつも私服だ。
さっきと着物の色が違う。
ということは日付が変わっているということだ。

おれがほんの少し考え事をしていただけのつもりだった時間、もう少なくとも一日経っているのだ。


やっぱり俺はおかしくなっているんだろうか。

それならありがたい。


「まあまあかな」
ぼそりと答えると山崎はにっこり笑った。

「さっき、あの人が来ました」
ぴくり、と俺の身体が震える。

「副長です。総悟に会わせてくれって何度も何度も頭を下げられましたけど、規則ですからと言って断りました」

「なに・・・・・なんで・・・・・」

「なんでもなにも貴方は俺と局長以外誰にも会えないんですよ」

「なんで・・・・ひじ・・・ひじかたさん・・・・土方さんが・・・・・」
「はい?」

「土方さんが、俺に・・・何を、何を・・・あ、あいに・・きて、くれたってぇのか・・?」
「・・・・そうです」
「なのに、なのになんで・・・・・なんで、追い返したり、した・・・・」

「沖田さんの精神が不安定だからです」
さらりと、山崎が答えた。
「なに、か、勝手、な、こと・・・ぬか、ぬかしやがるんでィ・・・・お前・・・お前」

「副長にされた仕打ちを忘れたんですか?沖田さん」
「な、、なに・・・。仕打ち」
「あんなに酷い事をされて、許してくれと副長が言ってきたらあっさりと受け入れるんですか?」
「土方さんが・・・許してくれって・・そう、言っているのか?」
「よく考えて下さい、貴方が今ここにいるのは誰のせいなんですか?ずっとずっとそれこそまだ田舎にいた頃から苦しんで来たのは誰のせいなんですか?俺は許しません。副長が何度ここへ来たって絶対に貴方には会わせません」
俺は絶句した。

こんな山崎なんかに言い負かされたんじゃない。
山崎が俺と土方さんを会わせてくれねえことよりも、土方さんが俺に会いに来てくれたってことの方がデカい事件で、俺にとっては嬉しい事だったからだ。

嬉しくて嬉しくて仕方ない。

だけど、その次の日から毎日同じことの繰り返しだった。
俺の部屋は鍵が掛かっていて自由に出入りできない。だけど土方さんが病院に来るようになってからは、俺の足にも拘束具が付けられるようになった。
足かせに2メートルくらいの鎖。

「今日も来ましたよ」
毎日何でもない事の様に山崎が言う。

最初俺は馬鹿みたいに怒り狂っていた。
勝手な事すんじゃねえって。

山崎は言う。
「沖田さんの精神がもう少し安定したら会わせて差し上げますからね」

何度怒鳴っても胸倉掴んでもまったく変わらないその表情に俺は終いには、山崎に泣いて懇願するようになった。

「ザキぃ・・・俺がほんとうはまともだってことくれえお前わかってるんだろィ?頼む・・頼むから・・・土方さんに、会わせてくれ・・・・会わせてくれィ・・・」

だけど決まって答えはおなじ。
「そのうちに、必ず会わせてあげますから」

そう言って優しく俺の髪を撫でて病室から出て行った。


俺は、山崎を恨んだ。


こうやって毎日会わねえと、土方さんが諦めちまうかもしれねえ。
せっかく俺に会いたいって思ってくれてるのに、もういいやって。女と幸せに暮らせばいいやってそう思っちまうかもしれねえ。

そう考えるだけで俺はなにもかもをぶち壊してしまいたくなる衝動に駆られた。
元々我慢強い質ではない俺。

とうとう俺は山崎が来ていない間に食事を運んで来たナースを人質にとって脅し、病院を逃げ出した。




土方さん、土方さん、土方さん。

アンタは俺を憎んでいた。
だけどやっと憎しみが薄れたんですかィ?
謝ろうって、思ってくれてるんですかィ?

それとも、それともひょっとして・・・・。
あるわけねえけど、ひょっとして、また俺とヨリを戻してえって・・・そう、思ってくれてるんですかィ?



心臓が破れそうなくらい走って屯所に着いた。
屋根裏に忍びこんで副長室を覗くけどもぬけの殻。

局長室と食堂を覗いてようやっと気がついた。
土方さんはもう随分前から毎週この日は非番になっていた。
決まった日に休みをとって、新居であの女と睦まじく過ごしていたんだ。


それが今でも変わっていないのだろう。

さっきまでの嬉しい気持ちはナリを潜めてどんよりとした雲が俺の胸に立ち込めた。

それでも俺は土方さんに会いたかった。

愛が戻ってくるなんてこと最初からありえねえんだ。
ただ、また普通に同士として、あの綺麗な白い歯を俺に見せてくれるんじゃないかって。
それだけを思って俺は土方さんの家に足を向けた。

もう誰に見られたってよかった。
病院の寝間着のままなので皆が振り返る。
追手が来るのも時間の問題だろう。
だけど、俺は一目土方さんに会えればそれでよかった。

恨んじゃいませんって。
アンタが許してくれと言うなら、俺だってアンタが心底惚れた女を手に掛けようとしたんだ。
俺こそ許してくだせえって言える。
そうしてまた、昔みてえに隣で笑っていられる。


ようやっと神田の堀を越えて土方さんの家が見えて来た。
前によくやっていたように、庭の裏手へ行ってこっそりと中を覗いた。
殺風景な平屋建ての一室。

女は夕餉の買い物にでも出かけているのかいなかった。

ただ、土方さんと、その向いに山崎が座っていた。


山崎は畳に手をついて、頭をしっかりと下げている。


「お願いします、副長。沖田さんに会いに行ってあげてください」

山崎の、真っ黒の髪の後頭部が見える。
山崎は土方さんの構えた新しい家の綺麗な畳にきっちりと正座して頭を低くしている。

「俺とあいつのことはお前には関係ない。もうあいつとは終わった、それだけだ」
表情を変えない土方さん。
山崎もぴくりとも動かない。
そのままの体勢で。

「・・・沖田さんは、ここのところとても不安定になっています。もう正常な判断が何にもできなくなってきているんです」
「俺には関係ない」
冷たい言葉。
それが、もう10年も同じ釜の飯を食った人間に対する言葉なのだろうか。


「個人的には沖田さんがいくら不安定になったっていい。俺で事足りるのなら俺が慰めてあげたいです。だけど俺では駄目なんです。だから・・・だから沖田さんに希望をあげたいんです」
頭を下げたままの山崎の右手が、畳の上でぎゅうと握られた。

「副長が会いに来てくれる、そう考えただけで沖田さんの瞳には力が戻って来ているんです。あの人はほんとうはこんなことで潰れる人じゃない。副長が、副長が一言沖田さんに声を掛けて下さるだけでいいんです。お願いします、お願いします!」


土方さんが何を答えたかは知らない。
俺は、やっぱり俺が土方さんに嫌われたまんまだったということがショックでもう何も聞こえないし何も考えられなくなってしまって、一人でその場を離れた。

なんだ、こんなに必死になって病院を抜け出してきたってぇのに。
すべて山崎の芝居だったのだ。

ああさすが監察だねィ。
すっかり騙された。

人参を目の前にぶら下げた馬の様に、山崎にケツを叩かれて俺はまともな世界に身を置いていたわけだ。



知らないうちに頬を涙が流れた。

流れ続けた。


そのうちに病院の人間が俺の周りを取り囲んで・・・危険人物の俺だから、武装した人間もいるねェ。
両脇を抱えられて救急車に乗せられた。

いいよ。
帰ってやらァ。

俺の部屋のサイドテーブルにね。
夫婦人形があるんでィ。こう、貧乏くせえ、田舎くせえやつだ。

あれがね。
なんてゆうか、合図が決まっててね。
その合図があれば俺ァ世界で一番愛しい男と逢瀬できるんだ。

どうせあれを今日も見に行かなくちゃならねえんだもの。
帰ってやらァ。


救急車に揺られている間も、ずっとずっと俺の頬を涙が流れ続けた。


俺の手にはなんにも、なんにも欲しい物は残らなかった。

ああそんなこと解っていた。
解っていたんだずっとずっと昔から。


なんにも残っていなくて。
ただ、山崎の惨めな優しさだけが、この手のひらの上に残っていた。



(了)





















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