両隣の俺 |
気がつけば俺の右隣に俺が座っていた。 昨日まで右側には誰もいなかったので、こいつはきっと今の間にそこいらの塵や埃があつまってできたのだろう。 ニヤニヤとしていやな顔をしていたから、左を見たらいつもの俺がいたのでほっとした。 いつもの俺は、「そいつは危ないぞ」という目で俺を見ていた。 右側の俺が、俺の肩に手を置いて、 「かわいそうだなあ」 と言った。 俺はなんのことだかわからなかったが、ついうっかり 「うん」 と言ってしまった。 何故そう言ったのか、わからない。 「お前あいつを好きだったのか」 ニヤニヤして右の俺が言う。 「好きだった」 自然に言葉が出たが、左の俺も同じ様に俺の肩に手を置いてゆっくりと首を振った。 「好きだったのになぜあんなことをしたんだ」 問われて俺はつい右の俺の顔を見てしまった。 左の俺が、強く俺の肩を引いて「それ以上聞くな」と始めて声を出して言った。 だが俺の耳はいきなり聞こえなくなるなんてことはなかった。 すいすいと右側の俺の言葉が入ってくる。 「命と言うものは一度消してしまうと二度と戻らないんだぜ」 ニヤニヤと意地の悪そうな顔のまま、俺に悪いことを教える友人のように擦り寄ってきた。 他人から見たら俺はこんな顔なのだろうか。 沖田くんが好きだ。 かわいくて仕方ない。 好きだ好きだっていっつもあの子には言ってたんだけど。 だけどあの子は真選組の子供で、皆にかわいがられていて、俺なんかが入る隙間どこにもなかった。 どうやったら手に入れられるんだろう。 そんなことばかり考えていた。 どうやったら、どうやったら永遠にあの子を手に入れられるんだろう。 俺のところには時たま、まっくろいじっとりとした波がやってきた。 ひとりで部屋のソファーに座っていると、表面はざらりとして、どっしりとした波のようなものが俺の周りに打ち寄せてくる。 そいつは一年に一度くらいやってきて、俺の目の前と頭の中をおなじようなどろりとしたものでいっぱいにするのだ。 ずっと長いことそいつが居座って、暗闇の中で過ごさなければならないときもあれば、数日でふと気が変わったようにその波はざざざあと去って行ったりもする。 そいつにとりつかれてしまった間は、何もしたくないし何も考えたくないし、全ての人間が敵のような気がして誰にも会いたくなかった。 万年床を敷いて、頭から布団をかぶってもともと真っ暗な視界だったのに、その布団の中に新しい闇を求める。 飯はおろか用足しにも行きたくなくなった。 そんな時はその黒い波がいつのまにか俺をどこかへ連れて行こうとするのを諦めるまで、じっと待っているしかない。 なにかのきっかけでやってくるというのでもなかった。 きのうまで腹をかかえて笑うようなことがあったのに、今日はもう知らないうちにあいつが俺の背中のところまで近づいていたりして、すっぽりと取り込まれる。 それでも天人の子供を拾ったり、助手というには頼りないがうるさく俺の世話を焼いたりするのがやってきて、その波も遠のいたような気もしていた。 だけど、あの子に会ってから、頻繁にあいつがやってくるようになった。 あいつは何の為に俺のところへやってくるんだろう。 何の為に俺をこうやって布団に押し込めて、世の中のすべてを恨ませるのだろう。 どうやったらあの子をすべて俺のものにできるんだろう。 それもずっとずっと。 どうやったら。 そんなことばかりを考えるようになって、そんな時にあの黒い波が、俺にあっちへ行こうと誘った。 おまえはゆったりと寝ているだけでいい。 心地よい波がゆっくりと運んでくれるから。 温い大海でお前が何も心配しないでいいようにぽつんと浮かばせてやるから。 右側の俺は、すこしだけ哀れそうな顔をして俺の肩に置いた手に力を込めた。 「だから、お前は自分で自分を殺したのか?」 最初、ぽつんと1人で膝を抱えて座っていた。 広い部屋の真ん中で、たった一人だった。 寂しいと思っていたら、いつのまにか左側に俺がいて、「沖田君を手にかけなくてよかった」とつぶやいた。 そいつは俺のまともなほうの心なんだとおもう。 それからいつのまにか、右側にも俺がいて、そいつがあの真っ黒い波の正体だったんだとわかった。 「ああ」 俺と一緒に来たら、沖田君はお前のものになる。 そう言って波がざざざあんと俺を連れて行った。 俺は生まれて初めてその波に身体をまかせて楽になった。 だけど、次に気がついたとき、たった一人でぽつねんと座っていて、となりに沖田くんはいなかった。 ほんとうに俺のものになったのかどうか、それもわからなかった。 「俺はこっちへ来るとき、沖田君への想いを書き綴って俺の身体の横に置いてきた。だから俺が死んだら、沖田君は悲しんで、自分のせいだって思うにきまっているんだ」 だから、沖田くんは一生俺にとらわれて。 一生俺のものになるんだ。 だけど、今となりに沖田くんがいない。 なぜだろう。 不思議に思っていたら、右側の男がさっきよりももっと哀れらしく、 「沖田くんはあの手紙を読んでいないよ。真選組の人間が、沖田君が見るよりも早くあの手紙を握りつぶして、なかったことにしてしまったんだもの」 と言った。 沖田くんに、俺のほんとうの気持ちは伝わらなかった。 俺はただ、人生に疲れて死んだろくでなしになった。 ものすごくかなしくなって、思わず俺は左側を、見た。 左側の俺は、ただの塵となって風に攫われて、影も形もなくなっていた。 (了) |