「傾城の華_page2」






要は貧乏人がいつか大成するのを夢見ていたのと同じなわけで、俺にとって最終目標は金ではなくて総悟だったのだが、そこへ至る通り道に「金」が必要不可欠だった。
まず俺は沖田家への出入りを許されたが、簡単に総悟に会えるかどうかというとそれはまた別の話で、俺の身分はろくでもねえ使用人どもによってはっきりと示された。
用聞きに来ても良いが、賃金は煉瓦工場や靴磨き、鉄屑拾いに比べても毛の生えたようなもので、出入りは炊事場の木戸だけに限られた。それも許可がなければ土間へも入れてもらえなかった。
しかも毎日なにか言いつけられる訳でなく、乞食の寄生虫がごとく蔑まれながら、俺はしつこく床に頭を擦り付けた。
あるいは総悟が顔を出すかもしれないと、ただそれだけで使用人どもの虫けらを見るような視線に耐えた。
あの山崎が目を光らせているらしく、なかなか総悟は炊事場に姿を現すことが無かったが、駄目と言われればやりたくなる馬鹿のおかげで、俺はそのうちに極上の少年に拝謁できる機会が増えてきた。
総悟は俺をいじめることに快感を感じていたようで、俺の事をおもちゃくらいにしか思っていないようだった。だが俺はそれで良かった。虐げられるほどにこいつを俺の足元にひれ伏させてやる日のことを夢想してたまらなく興奮した。

数年が経ち、天は俺に味方した。
沖田家が破産して両親が鬼籍に入り、続けざまに総悟の最愛の姉であるミツバも亡くなってしまった。
金も身内もすべて失くして、それでも総悟は変わらなかった。姉の死にはさすがにへこたれたようだったが、それでも日が経てば表向きはただの道楽息子のままだった。
ただ金を食いつぶし、労働というものを知らない総悟を見ながら(実際は忌々しい山崎の横やりのせいでそうそう会えなかったが、俺はいろんな手を使って総悟を見付けた)心の中でもっと金を使え、もっと落ちぶれろと呪文のように繰り返していた。

俺の事をまっすぐだと評する人間もいるが、実のところのし上がる為になんでもやった。
ひとごろし以外はと言いたいところだがそれに近いこともした。村の隅に、人を騙すことを生業としていたじいさんがいて、ちゃちなチンピラ上がりだからそれほどの財は無かったがそれでもケチケチ貯めこんだ金をボロ屋の筵の下に敷いて寝ていた。そのじじいがいよいよ身体を悪くした時、俺はあの世まで金を持って行っても仕方ないだろうと言って根こそぎ奪った。じいさんは瀕死ながらも俺に呪いの言葉を浴びせてそれでもその激昂がたたって数日の内に死んだ。だが俺がやらなくても誰かがじいさんの金を盗っただろう。
俺はその金と血反吐を吐きながら溜めた金で生糸工場の潰れたのを買い取った。色々あって俺には買い付ける資格とやらがなかったので、金持ちどもに潰れかけの会社を仲介する仕事をしていた男の弱みを握って株券を買わせた。
とにかくなんでもやって金を貯めた。まともに働いて俺が泥溜めから抜けられるわけがなかった。俺にひとごろしにも勝るような非道をさせたのは総悟だ。あいつが俺を、鬼にしたのだ。


はじめ俺が力を持って帰って来たとき、山崎のマヌケ面は滑稽だった。
総悟は事態を把握していないようで、いつもの通りの顔で俺を見上げている。
「なんでえ、コッチはてめえなんぞが通れるところじゃねえぞ」
コッチ、とは正面玄関のことだ。
俺は、長年の執念と苦労が実ろうとしている悦びで、笑いを押さえられなかった。当時沖田家は、総悟の馬鹿のせいで経済的に抜き差しならぬ状態になっていたのだが、実はそれも俺が手引きしたものだった。よほどめずらしいクズ麻薬に総悟がどっぷりとハマるよう、これも同じように斜陽華族のお坊ちゃんに金を掴ませて総悟を誘わせた。おもしろいように総悟はこれに手を出して抜けられなくなり、いくらでも金を使った。とうとう首がまわらなくなったところへ俺は出かけて行って総悟をものにした。

金など持ったことがないから、使い方など俺は知らない。
俺はただ、総悟にだけ金を使う。
だから総悟にいくらかかってもかまわなかった。

山崎ははじめ、ものごとを理解できないようなツラをしていたが、すぐに状況を把握して、俺と総悟を追ってくることは無かった。主人が上海へ売られるか、俺にやられるかどちらかしか無いのならせめて目の届くところに置きたかったのだろう。
総悟はしばらく俺に悪態を吐いていたが、俺が乱暴にベッドに放り出して膝で胸を押さえてやると、苦しそうに俺を見上げた。

「てめえ、気でも狂ったのかァ」

ここまで来て手前の立場を理解していない総悟があまりに阿呆で笑えた。
俺は、今から、この、とても手の届かない存在だった天使を抱くのだ。
めちゃくちゃに狼藉して、俺と同じところまで引きずりおろしてやる。

なんども頬を打って、ぐったりとした天使の絹ブラウスを引き裂いてベッドに縫い付けた。
総悟のからだは真っ白で一点の曇りもなく、なるほど俺達貧乏人とは生まれというものが違うのだと、そう思った。
俺は馬鹿にされ蔑まれ続けた男だが、とうとうここまで登りつめた。
所詮はかわいがられ世の中の汚いものなど見たことも無く育った総悟。俺の圧倒的な力にただ小さく縮こまって凌辱されるままになっていた。
荒々しく何度も貪りつくしてようやっと満足し、客用の葉巻を満足感たっぷりに咥えながら総悟を見下ろして、俺は愕然とした。

総悟は、もう二度とこちらには戻ってこないかもしれないと思わせるほど己を失って天井を見つめている。
身体は、どこの暴漢に襲われたかと思うほど痣だらけで非道いものだ。
総悟の血が敷布を汚し、まるで俺の望んだ通り真っ白な穢れ無き総悟を泥にまみれさせたようだった。
俺は、再会した時に感じた総悟の品の無さを知っていながら、それでも心のどこかでまだどうやっても手の届かない高嶺の花だと思っていた。だけれども総悟はやはりただの小さな、俺よりもずっと弱い子供だった。


俺は、総悟にとって、ただの鬼になってしまった。


総悟はそれから俺のことを、どうやら金を引き出す為の道具だと決めたようで、俺を恐れるそぶりは見せず、それどころか前にも増して俺の事を汚い物でも見るような蔑みの視線を投げ続けた。
俺はといえば取り返しのないことをしでかして初めて、総悟に惚れていたのだということに気が付いた。総悟への執着は、ただ貴族の鼻を明かしてやりたいだけだと思っていたのだが違った。
多分、炊事場の裏口で初めて言葉を交わした時よりもずっと前、小さな身体を煉瓦工場で見た時から。

必死になって金を貯めて成り上がって、欲しかったものを手に入れたつもりになったのに、俺の指からは捕まえたはずのものが零れ落ちて行く。
俺には所詮過ぎた夢だった。
それならば、悪漢になってただ奪えば良い。奪い続けて俺も総悟も死ぬまで俺の支配下に置いてしまえば良い。
それから俺と総悟は身体だけをぴったりと合わせ、精神は内地と蝦夷ほどに離れた。
だが元々俺は愛だの誠だのといった世界に生きていない。ただ夕飯の為だけに泥にまみれて働く生活しかなかった。総悟の身体だけでも手に入れたのだ。そうして、あれほど望んだ金と地位も。
けれどそのどちらも空しかった。
俺は、金など無くても良いから、総悟をただ優しく抱いて髪を撫でてやりたかった。
けれど金が無ければ総悟は俺など相手にしないだろう。
埋められない空しさを忘れようとして、俺はさらに金儲けに精を出した。


二年ほど経って、いけすかない銀髪の男が屋敷に上がり込んで風のように去った。
その男は俺の立っていた足元の薄い氷を、鼻歌など謳いながら派手に割ってそうしてまた固めて行った。
その間俺は、ぼんくら間抜けのように総悟をまるまる掻っ攫われる恐怖にただ立ちすくんで何も出来なかった。
ただでさえ俺は総悟に近付く男すべてに嫉妬していた。執事の山崎でさえ何かあるのではないかと穿っていた。あの男はまったくの異性愛者なのだが、それでも山崎が総悟の肩の糸くずを払う度に俺の腹がざわついた。
力ずくで手に入れた総悟をまた誰かに奪われる。元々持っていなかったものなのに、総悟を失くすことがこれほど恐ろしいのだ。

ともかくもあの男が去って、山崎の態度が軟化した。
山崎は俺に頭を下げてはいたが、腹の底では唾を吐いていた。だがあの事件があってから総悟を俺に任せるような素振りを見せ始めたのだ。
総悟も何か素直な顔を見せるようになって、何かこそばゆいような俺の屑のような人生ではじめての穏やかな時が流れた。
俺も優しさなど見せなかったし総悟もこれといって変わった様子はなかったが、奴はそれまでどおり好きなものを買ってなんの遠慮もなく目玉の飛び出るような額の服を身に付けて宮様ほどの食卓を用意させた。
総悟はそれらを何のありがたみもなく当然のように要求して消費した。いつもの何を考えているのかまったくわからない無表情で、まるですべてがそこにあるのがあたりまえのように振る舞った。
だが、そうやって総悟が何でも浪費するのは、総悟が俺に甘えているからなのではないかと、そう思うようになった。


やがて、静寂を破るように戦争が始まって俺は南方へと出た。
木の根や皮、蛙や蜥蜴にありつければ上等で水さえも不自由し、幻覚を見ながらジャングルを歩き回ってようやっと日本に戻って来てみると、総悟が腹を空かせて待っていた。
それは華族のご子息様だから、ほんとうに飢えることはないけれどいよいよ山崎の資金繰りも追い詰められて、更に金があっても衣食住すべてに不自由した時代だったから今にも爵位を売らなければならないほどになっていたのだ。
そんなことをしなくてもすぐに華族制度は廃止されるのだが、とにかく俺はまた総悟に贅沢をさせなければならないから休んでいる暇はなかった。

ところがすぐに俺も、GHQの財産税法で気狂いのような税率を課せられ、すべてを失った。
所有する財産によって税率が決まる馬鹿馬鹿しい法で、当時皮肉にもこの手に誰も持てない程の財産を握っていたが故、九割もの資産を税と称して持って行かれた。
だが、俺だけでなく財閥と呼ばれるものどもはすべて解体した。俺が妬み羨み憧れた金持ちどもはすべて。

使用人どもに暇を出して屋敷も追われることになったが、俺はだがそんな事は屁でもない。
元々何も持っていなかった。今着ている外套でさえ総悟に会う以前の俺には手の届くものではなかったのだ。それが今は何もないとはいえ金を稼ぐ法も知っているしなによりこの手に総悟がいる。
俺は総悟さえいればなにもいらないが、総悟はそうはいかない。
俺はまた、こいつに贅沢をさせる為に手段を選ばぬ生活を始めた。


総悟を満足させるほどの金を手に入れようと思えば、ただ鬼になれば良いだけだ。なにをするにも資産だ。資金さえあれば何でもできる。その資金を稼ぐ為に俺は以前にも増して何でもやった。
もうその頃にはさすがの阿呆総悟も、俺がどんなことをして金を稼いでいるのかわかっているようだった。俺の汚れた手を、総悟のたとえようもなく澄んだうつくしい瞳がいつもじっとみていた。


その日は俺が、ひとの親父を自殺させて金を稼いで「ひとごろし」と罵られて帰った夜。
寂しいのか玄関にぽつんと座って総悟が待っていて、ぼうとした顔で俺を見上げる。
俺は急に自分自身がひとの血を頭からかぶった殺人鬼になったような気がした。
総悟の目には、俺はどのように映っているのだろう。

「こわいか、俺が」

俺が問うと、総悟は板の間に尻と膝をぺたんとつけ、左右に足を広げる正座をくずしたような恰好をしていたのを、ただ子供のように首をかしげた。

「おまえなんか、なにがこわいもんか」

ぽつりと聞こえた声に、ふっと息が漏れた。
「そんなところに座っていると尻が冷えるぞ、飯に出るから上っ張りを取ってこい」
そう言うと総悟は素直に奥へ消えた。


しばらくして、俺はまた幾人も使用人を使える身分になった。
どうやら金儲けの才気はほんとうにあったようで、総悟の為に目白台の洋館を買って、料理人と世話係を雇った。
総悟はよほどあの執事をおもちゃとして気に入っていたのか、「山崎を呼び戻してえ」と言い出したのだが、俺はそれだけは許さなかった。





(了)

































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