「傾城の華」 H.26/11/28




(土沖)
「凋落の華(上)」
「凋落の華(下)」
「凋落の後始末」
「シャローム」(ちゃこ氏によるスピンオフ)
の続きです。







「傾城の華」


十五になるかならないの頃、既に俺は朝から晩まで働きづめの毎日だった。
と言っても歩けるようになった頃から何かしらやらされていたので今更どうということもない。
幼い頃は乞食の真似をやらされ、しのぎのすべてを親父にむしりとられていたが、十年経ってもやはり身を粉にして稼いだ屑金をすべて家に渡していた。

特に親父が飲んだくれだったなどということはない。
ただ家族全員ががどんな仕事にでも従事し、ぼろのようになってはじめて夕飯に芋蔓の薄い粥が食えたというだけで、それも椀の底にひと掬い。食事は一日でただそれだけだった。
まるで維新前の水飲み百姓のようだが、ここいらじゃあそれが普通だった。
少し雨が降れば川が増水して、のきなみ掘建て小屋が流される、そんな河原沿いの水はけの悪い土地に追いやられたこの集落の俺たちは、どの家も代々辛酸を嘗めて来た。
それでもこの土地を去らないのはどこへ行くあても無いからだ。
だから皆、履きものの皮を鞣し川向こうの金持ちどもの屋敷に出向いては紳士どもの靴を磨いて飯を食う。
そんななめくじ集落の中でも特に貧しい家に俺は生まれた。
貧しい生活は貧しい根性を育むらしく、こんなぬかるみのような集落の中でも貧富の差が物を言う。
教育などいくらも受けていない奴らが、学の全くない俺を差別することで鬱憤を晴らすのだ。

赤字だらけで民間に払い下げられた官営の煉瓦工場でさえ俺は雇ってもらえず、毎日煉瓦くずを引き取りに行ってはごみに出し、使えそうなものを売っていた。
俺が一日も通う事ができなかった尋常小学校を、奴らだとて行けたり行けなかったり読本も買えなかったくせにそれでも俺よりはものを知っているものだから始末が悪い。奴らは工場で最低の仕事をさせられていて、骨休めの時間にきまって俺の作業している屑捨て場にやってくる。
ああまた乞食が煉瓦を泥棒しているぞと言っては俺のリヤカーを倒し、一体お前は無学のくせに盗んだ煉瓦などを売って金勘定ができるのかだとか、文字も読めぬのに商売の真似事など生意気だと難癖をつけてきた。
いくらばかにされても、学が無いのはほんとうだからどうしようもない。
腕っぷしで負ける気はしないが、相手の胸倉を掴もうものなら、こいつは蒙昧だからなにかあるとすぐに暴力に訴えるのだと笑われた。
知らぬ振りを決め込んでもくもくと作業を続けていたが、大量のくず煉瓦の中のようやっと見つけた売れるか売れないかというものを片端からツルハシで割られた時、頭に血がのぼってどうなってもいいからこいつらを殴り倒してやると思った。

その時がんと音がして、俺のそばにいた輩が頭をおさえてその場に蹲った。
「うう、うああ」
苦しげな声を出して頭を抱えているその指の間からはどろりとした血が流れている。

「なんでえ、ごたいそうな脳みそしていやがるのかと思って中を見たかったのに、カチ割れなかったぜぃ」

ちいさな子供の声が聞こえた。
ふっと顔を上げると、一度川向こうの屋敷に馬車で乗り付けて来た異人を思わせる色の髪が目に入った。
薄茶で艶のある、見たこともないほど綺麗な絹糸。
くるりとしたその頭はしかし男たちの腿ほどの位置にあった。
丸い団栗のような蒼い目。はじめ異人の子だと思ったが、顔立ちはそうでもない。異人など一度しか見た事はなかったが、子供というものは日本人も異人も同じなのだろうか。

その子供は俺のような者が見てもわかるほど上等な洋装をしている。艶のある黒い背広に真っ赤な蝶ネクタイ。短めの脚衣から伸びた白い足と白い靴下。小さな足は黒光りした革靴にちんまりと収まっているが、俺が今まで磨いてきたどの靴よりも美しく、一点の曇りもなかった。
だが身に付けているものもさることながら、その子供のおよそ葛藤というものの無い瞳に俺は何かいっそ反発を覚えた。
何も苦労を知らず、きっと優しく美しい母親と金持ちの父親の元で育った、本人も天使のように優しい子供なのだろう。
「おまえは幸せなのだから、他人に施しをしてあげなさい」と教えられて育ったような、そんな俺とは住む世界の違う人間だということが、ひと目見てわかった。

「お、沖田のぼっちゃんじゃねえか」
「やべえ」
「ひい、いてえ、たすけてくれ」
頭から血を流した野郎がなんとか立ちあがって逃げた奴らの後をよろよろと追い、あっという間に誰も居なくなった屑煉瓦置き場に、俺と上等の子供だけが残る。
およそこの場に似つかわしくない風貌のそいつを真っ直ぐ見るのも癪に触って、俺はわざと顔を反らせて視界の端に置いた。
村のまとめ役の家にある風呂を週に一度、皆が入った後にどろどろになったのをもらい湯できれば良い方の俺と違って、恐ろしく輝く丸い頭がちらちらと動く。
あの髪をあるいは質屋に持って行けば一抱えの黄金とおなじくらいの金子がもらえるのではないかと、ふと考えた。
そうすればめしを食うのに一生困らないと思って唾を飲んだ時、がしゃんと大きな音がした。
見ると、子供が煉瓦を両手に持って、ポルトランドセメントの屑煉瓦置き場に力いっぱい叩きつけている。

「貴様、何をしやがる!」
小さな手では持ちにくいであろう状態の良い煉瓦ばかりを選んでいるのを見て、俺はかっと頭に血が上った。
「それは俺の商売道具だ」
思わず叫ぶと、キョトンとした顔でこちらを振り向く栗色。

あまりの愛らしさに言葉を失った。
まっしろでふくりとした頬、西日にきらめく前髪と睫毛。どんぐりのような大きな瞳に森の奥に湧く泉のように澄んだ蒼い瞳。髪もそうだがこちらもくりぬいて盗んでしまえば高価な宝石として売り飛ばせるのではないだろうかと思う。
すべてが俺などとは生まれが違うのだとわかった。俺の顔が手が黒いのは、きっと母親の腹から出て来た時点で炭や泥を塗りつけていたのだろう。

「それ・・・は、俺の・・・」
ものだ、と言いたかったが、言葉に詰まる。
ひょっとしたらこいつはこの工場の持ち主か何かの子息なのかもしれないからだ。
だとすればこの煉瓦を自分の物だと主張する権利などどこにもなかった。

「運びやすいように細かくしてやってんでぇ」
天使が悪魔のように嗤った。小さな餓鬼のくせに、目が笑っていない。
見間違いかと思って目を擦った時、思いのほか近くから男の声がした。

「総悟ぼっちゃま」

見るとしっとりとした黒髪の男が子供に駆け寄ってくる。
落ち着いた知的な眼差し。三十を越えた頃だろうか。
俺は思わず泥で汚れた自分の顔を、更に汚れた手で拭った。誰に恥ずかしいわけでもないが、この男は明らかに子供よりも身分が低い。その使用人でさえ俺などとははるかに違う上等の、ちりひとつ付いていない紳士用の洋服姿だった。
こんな砂塵だらけの煉瓦工場に、礼服とまではいかないが見たことも無いようなくすみの無い洋服で現れた二人に俺は反発心が芽生えた。じろりと睨み上げるが、二人は俺などいないように会話を始めた。

「なんでえ、やまざきか」
「総悟ぼっちゃま、このあたりは危険でございます。馬車を待たせておりますのでお戻りくださいませ」
「ふん」

ここでの遊びは飽きたのか、子供は素直に従者について歩いて行ってしまった。
俺などは人間とも思っていないのか、二人とももうこちらを一瞥することも無く。


俺は、あの男が発した、
「総悟ぼっちゃま」
という一言を、その後ずっと忘れずにいた。




総悟と呼ばれたあの子供の屋敷を探すのに三年かかった。
どうやって今日の飯を食うかということしか頭に無かった俺が、あの子供の記憶に憑りつかれてしまってから川向こうの金持ちどもの屋敷を訪ね歩くようになった。
いくら用聞きといっても俺のような屑の生まれはどこでも邪険にされた。
それでも食い下がっては仕事をもらい、屋敷の人間や付き合いのある他の華族どもの様子を調べた。
おまえのような奴がいくら下働きでもこの屋敷の敷居を跨げるものかと嘲られても耐えた。
ひとえにあの子供の姿をもう一度見たかったから。
何故と言われてもそこに理由は無い。強いて言えば俺のあたまの中にあの小さな身体が強烈に残ったのだ。貧乏人が生まれて初めて見た金塊の山を一生忘れられないように、明日の飯のことしか無かった俺の脳に、あいつはやすやすと入り込んではりついて離れなかった。
だから俺は命がけで奴を追った。いつからか会いたいという気持ちよりもただそれが俺の生活となってしまった。毎日子供を探し歩いた為に仕事にありつけず、たった一食の夕飯さえ食えなくとも良かった。

そしてついに俺はあいつを見付けた。
砂漠の砂の中から一枚の緑の葉を見つけ出すように。
俺が一歩も入ることの許されない世界を、硝子の扉の外側から目を凝らして見続けた結果、とうとう見つけたのだ。

いつもどおり金持ちどもの屋敷をこそこそと窺っていると、ある大きな洋館の正面玄関に馬車がついて、ぴょんと一人の少年が飛び降りた。
遠目だったが、その黄色くまるい頭の子供は何故か俺の目に月のように光って見えた。よくその姿を見ようとすると、門の中から子供を叱りつける声が聞こえた。
「総悟さま!門の外で馬車から降りてはなりません!」
あっという間に子供は敷地内から出て来た男に連れて行かれてしまったから顔など見えなかったが、俺の胸は痛いほどずくずくと音を立てている。
俺は、何故かそいつがあの煉瓦工場で見た子供だと、確信した。


俺の住むボロ家の三つとなりの次男坊が、沖田家の出入りの用聞きに、いくつか仕事をもらっていた。
俺はその用聞きを、足腰立たぬほど殴って縄張りを奪った。俺をばかにしていた次男坊もついでに軽く撫でておいたが、そいつはその時「お前などが用聞きに行っても相手をしてもらえるものか」と吐き捨てた。

果たして俺が沖田家の裏口に初めて顔を出した時、炊事場の使用人どもはごみでも見るような目で俺を見た。
「お前のような野良犬が何をしにきたのだ」
と、これは口には出さないが皆の目がそう言った。
だが俺はそんなことどうでもよかった。俺の目的はてめえらの主人だ。

「ここの屋敷の責任を持っている奴を呼んでくれ」
なにをえらそうにと場がざわついたが、俺がいつまでも同じことばかり言って帰らないものだから、炊事場のがたいの良いのが塩壺を持ってきて俺に撒こうとした時、奥から少年が一人出て来た。
身なりの良い静かな目をした奴で、ひと目で使用人の間でも身分が高いと解る。
だが、この若さはどうだ。

「どうした、山縣様はもうすぐいらっしゃるんだぞ。ホオルが準備ができているのにこちらがまだでは話にならない」
感情を隠した地味な目であたりを見渡す。あとで解ったことだが、そいつは山崎退といって、あの煉瓦工場で見た男の息子だった。あれからすぐに身体を悪くした父親に代わってこの年まで他の仕事をすべてまわって、学校へ行きながら執事としての仕事を始めたところだったらしい。
その山崎が俺を見て少しだけ言葉を止めたが、さすがに俺の恰好に眉をひそめるなど顔に出すことはしない。
俺は精一杯の上等な言葉を使って山崎に用聞きを頼んだ。

「いつものはどうした」
山崎は俺の言葉を最後まできちんと聞いてから、だが俺には応えず炊事頭らしき人物に尋ねた。
「いや、こいつが次から自分に頼めって・・そればっかりで」
ふう、と山崎がため息を吐く。

「ここはお前のようなのが来るところではない、帰りなさい」

俺よりも年下で、まだ十五かそこいらのようなハナタレが。
ただその一言で頭に血が昇って殴り倒してやろうかと思った時、奥へ繋がるドアが再び激しい勢いで開いた。

俺は、目を疑った。

三年間わけのわからない欲望に突き動かされて探し回った少年がそこにいた。
むかしより手や足が伸びて頬のふくらみも無くなったがすぐにわかった。
俺の知っている村の餓鬼や、煉瓦工場で幅をきかせている偉い奴らにだってこんな上等なのはいない。
肌も髪も瞳も着ているものもすべてが宝石のようなあの少年がそこにいた。

「テンメー腹減ったって言っただろーがィ」
少年・・・あの時の執事の呼んだ名を使うならば「総悟様」が、山崎の尻を蹴り上げる。
まさか天上にいる貴族どもがそんな言動をするのかという光景だったが、俺はそんなことどうでもよかった。
あの「総悟様」が俺の目の前にいる。この宝石を懐に入れて持ち帰って、それでも質になど入れず大事に床下に隠して置きたい衝動と必死に戦っていた。

ふいに、山崎が俺の視線に気づいてさりげなく己の身体で総悟様を隠した。俺のようなくずには主人を見せることも許せないとでも言うのだろう。
俺はこういう時、怒りよりも快感を覚える。俺を蔑んだやつにいつか仕返しをしてやろうと思うとその時のことを想像して自然に笑いが込み上げるのだ。
ただ、この山崎にはさほど恨みを持たなかった。この総悟様というのは隠したくもなるだろうというほど別嬪で品があった。それに山崎自体、こちらの戦意を喪失させるような地味な雰囲気だったからだ。

俺はだが、焦がれ続けた少年のすがたをもう一度見たくて仕方なかった。思わず三和土に手をついて身を乗り出したが、山崎が更に主人を隠すように俺の目の前に立った。
「もう用はないでしょう、帰りなさい」

「あります」
「?」
「俺はどうしてもここで仕事をもらえねえと帰れません。なんでもやります、お願いします」
俺は土間に手をついて頭を下げた。
ここに何か縁を作れるならば、土間を舐めたって良かった。

「・・・」
「いいじゃねえか、仕事でもなんでもくれてやりゃあ」

頭の上で声がした。
はっと顔を上げると山崎の苦い表情と・・・こんなに近くで見たのは初めての、総悟様。
心臓ががんがんと音を立てて苦しいくらいだった。俺に仕事をくれてやろうとする少年はやはり、苦労を知らぬ天使なのだ。

きょとんとした顔。
良い学校へ行っているはずなのに馬鹿にしか見えなかった。

「てめえ名前なんてえんだ」
「・・・土方です」
「どうしたって飯を食いてえってんならなんでもできるよなあひじかた」
「・・・」

「犬の糞食って見せろぃ」
「なんだと」
「なんでもやるって言ったじゃねえか」
少年は、俺の半分ほどの歳のくせにもう自分が身分のある人間だということを理解していた。理解して、俺を踏みつけにしようとしている。がきだからこその仕様もねえ思いつきだが。

「馬鹿馬鹿しい」
「俺ァやらせるって言ったらやらせる。おい、その辺の犬でも猫でもの糞持ってこい」
炊事場の男が、慌てたように外へ走る。こいつは冗談じゃなく本当に俺に犬の糞を食わせようとしているのだ。

「いい加減にしてください総悟様。貴方はこんな輩と同じ空気を吸ってはいけません。さあ、戻って。山縣さまがいらっしゃいますよ」
犬の糞が運ばれてくる前に、山崎がやはり俺から隠すように少年の前に身体を滑らせた。あくまで別世界の人間として扱っているらしい。
文句を言いかけた少年だったが、「山縣のジジイか、あいつはいじめがいがあらぁな」と気を変えて、俺などもう何の興味も無くなったようにさっと炊事場から出て行ってしまった。
山崎がこちらを面倒そうに振り向いてため息を吐いた。
「仕方がないのでこの人になにか仕事を与えてください、それから身元を十分に調べて。土方といいましたね」
「・・・はい」
「これからは万一総悟様をお見かけすることがあっても決してお声など掛けないように。貴方とは身分が違います」
「・・・」
いっそ清々しいほどで、俺はまた腹から笑いが込み上げてきた。


俺は俺の三年間の思い込みが見事に打ち砕かれるのを感じていた。
あの少年は天使のような外見で中身もそうだと思っていたのだがそれは俺の勝手な妄想だった。
底意地悪く、かねもちのくせに下品でそして雲の上の人間などではなかった。
だがあの顔を見て俺は、興味を失うどころかますます奴に執着した。十二分に手の届くものだということを理解して、かならずあいつを手に入れてやると、そう誓った。







next

















×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -