壊れた人形 |
二人の関係は相も変わらずだった。 副長にとって沖田さんは、かわいい弟分でもなければ同士でもなく、ましてや恋人などでは絶対にありえなかった。 真選組に名を連ね、その実力からいみじくも一番隊隊長として実質ナンバー3の座に君臨している為に、二人はなんらかの関わり合いを持たねばならない。 だけど。 それがつらいのは副長じゃない。 沖田さんの方だった。 沖田さんが副長の想い人である錦太夫を手に掛けようとした時、副長は沖田さんを罰する事は可能だった。 それこそ私事都合で事を起こした罪で切腹なり斬首なりどうにでもできたはずだ。 それをしなかったのは沖田さんに情があったからではない。 死ぬよりもつらい思いをさせてやろうという、泥のような憎しみの感情が沖田さんを真選組に繋ぎとめて死よりも苦しい罰を与えた。 あの事件があってから、沖田さんは一切俺と身体の関係を断った。 自業自得とは言え、ついに副長に愛想をつかされて本当に独りになった。 俺と沖田さんは身体だけの関係だったが、言葉は悪いがこうなってからは沖田さんはフリーなわけで、誰と何をしようが勝手なのだが、俺だけではなく他の誰とも身体を合わせている様子はなかった。 ある時沖田さんにそれとなく尋ねたら、 「性欲が無くなった」 という返事が返って来た。 これほどまでに打ちひしがれている沖田さん。一度は愛した人間である沖田さんに対して何故こうもひどい仕打ちができるのか。 一時他の人間にもわかりやすい程に沖田さんにきつい任務を与えていた行動はナリを潜めた。 だけど、ようく注意して見ていると、誰にもわからないようにほんの少しだけ、いつもいつも他の人間よりもきつい任務や危険な仕事を与えていた。 それは一番隊隊長という責任ある立場を差し引いてもそれとわかる変化だった。 そして俺のように万一気付いたとしても副長を責めることができないくらいの。 俺には沖田さんの性格からして、それを甘んじて受けているのが信じられない。 副長にひどく扱われても誰にも気づいてもらえず、副長に報復するでもなく、大人しく耐え忍んでいるのだから。 ある日、沖田さんがしっかりと袴を着込んで屯所を出るのを見かけた。 先程勘定方から皆に給金が渡されたばかりで、死番や討ち入りでの功労が多い沖田さんはそれこそたんまりもらっていた。 だから、給料日にどこかへ目当ての物を買いにでるのはあたりまえのことなんだけれど、何とは言い難いが何かしら不自然なものを感じて、俺は後をつけた。 俺は沖田さんに熱を上げているのだから至極当然の行動だろう。 尾行だけは誰にも負けない自信がある。 局長や沖田さん、ましてや副長にだって気付かれないだろう。 トコトコと前を歩く沖田さん。 途中万事屋の旦那に会って、ニコニコと会話をしていた。 屯所ではなにかしら薄暗い表情を見せていたように思うが、気のせいだったのだろうかと思わせるほどに、見かけは衰弱しない。 神田の堀を越えたところで、ついと西に道を曲がった。 それを見て、沖田さんがどこへ行こうとしているのか見当がつく。 ふた月ほど前、ついに副長がお目当ての錦太夫を落籍させた。 金に物を言わせて女を落籍せ、屯所から出て別宅を構えると、恥も外聞も無く蝶よ花よと女を可愛がった。 その別宅が、神田にある。 よもやとは思うが、成さなかった復讐を果たそうとでもいうのか。 沖田さんに錦太夫・・・今では「ぬい」と名乗るその女を手に掛ける大義名分などない。 成功しても失敗しても今よりも沖田さんの立場が良くなることなどあるわけがなかった。 それでもか。 それでも貴方はあの女が憎いのか。 ついついと澱みなく進む沖田さんの草履。 やはりの平屋建ての前で歩を止めると、懐からそっと分厚い懐紙入れだか袱紗ばさみのようなものを取り出して玄関の前にそっと置いた。 何の躊躇も見せずきびすを返してまた堀の方へ帰って行くのを確認して、俺は副長の別宅の庭に潜んだ。 沖田さんが置いて行ったものの行く末を見届ける為に。 かあかあと鴉が鳴いて空が夕焼けに包まれる頃、がさりと音がして副長が別宅に戻って来た。 がらりと戸を開けて、中から女の声がする。 「お帰りなさいまし」 「忙しくてな、飯を食ったらまた戻る」 そう言葉少なに告げて座敷に上がるのを、俺はこっそりと格子窓から覗いた。 仕事の途中で夕餉を食べに帰ってくるなど副長の性格からは考えられない事だった。 それほどこの女に入れ上げているということだろう。 錦太夫と唄われたその美貌は、女郎化粧を落として町着に着替えるとすっかり影も形も無くなっていた。だがしかし楚々とした風情と控えめな品の良さがありありと感じ取れて、副長の邪魔にならずしかし疲れた心を癒す非のうちどころのない女に見えた。 「なんですの、それは」 「なんでもない」 さらりと答えて袱紗ばさみを事務的に開いた。 予想通り金子の束。 今月の沖田さんの給金のほとんどだろう。 錦太夫改めぬいは、年季を終えるまでに大門を出たがしかし、病がその身体を蝕んでいた。 今日明日どうということではないが、だからこそ治療に時間も金もかかる。 今をときめく真選組副長だ。どうということはないが、それでも金というのは無いよりはあった方が良い。 いつ命を落とすかわからない旦那だからこそ、女に金を残しておきたいと願うものだろう。 副長はその袱紗の中身をちらりと見ただけで、夕餉の支度をしている女のいる土間へ向かった。 「あれ殿方がこんなところに」 「かまわん、お前は大根でも切っていなさい」 釜の火を見てやると言って、二つ並んだかまどの前にしゃがんで。 薪を直すふりをして、惜しげも無く袱紗ばさみを火に投げ入れた。 ぱちぱちと火が若草色の袱紗ばさみを飲みこんで行くのをじっと見て。 「腹が減ったな、夕餉はなんだ」 そう言ってなんでもなかったように座敷に戻った。 その能面のような顔を見ながら俺は殺意にも似た感情を覚えた。 覚えて己の手をぎゅ、と握ったところではっとする。 後ろを振り向くと、やはり能面のような表情の沖田さんが、いた。 人差し指を口元に持って行って、こっちだと言う風に手招きする。 そうっと足音を忍ばせて沖田さんと副長の家の門を出た。 無言で神田の堀を越えて、肩を並べて歩く。 もうすぐ屯所に着くという頃になって、急に沖田さんが口を開いて。 「ザキィ・・・・お前、なんかさあ、捜査でダミー部屋作った時にさあ、家具やら全部そろえてその中に仕様もねえ木彫りの人形あったろィ、夫婦型のさ」 と言った。 急に何を言い出すのかと思ったが、あるにはあったのではいと答えると、沖田さんは、 「あれ俺にくれねえか」 とぽつりと続けた。 もちろん否も何もなかったので、それからその人形は沖田さんの部屋に飾られることになった。 俺は沖田さんのことが心配で、いつもいつも何か理由をつけては彼の部屋を見に行った。 そして人形の一方がもう一方に背中を向けるように飾ってあるのを見て、ああ、江戸に来たばかりの頃、沖田さんが閨の中でこんな話をしていたな、と思いだした。 うとうとと自室で寝ていた沖田さんがぱたりと目を覚まして夫婦人形に目を走らせる。 きらきらと目を輝かせて、俺がいるのも気付かずに、あわてて支度をして部屋を出て行く。 そうして一刻ほど経って帰って来て人形を見て、 「ああ違ったんだった」 と言って、その人形を元に戻してまた眠りにつく。 それからまた次の日に、無意識のうちに自分で人形を動かして、後でそれに気づいて花の様に喜んでどこへやらへ出かけて行っては戻って来て、自分が人形を動かしたことに気付いて元に戻す。 今では毎日がその繰り返しで。 沖田さんは、まともな心と、そうではない心のはざまをゆっくりと行き来するようになっていた。 いっそまともでない心の方へずっと行きっぱなしになった方がいくらもマシだろう。 いつのまにやら俺は、それを強く願うようになっていた。 もしもそうなったら、俺が人形を動かしてやって、そうして外で沖田さんと落ち合って逢引きしよう。 そして誰よりも沖田さんに優しくしてやって、幸せという暖かい布団ですっぽりとくるんであげようと思っている。 (了) |