「お百度の愛_2」 H.26/07/08 |
「おきたくん、どこにいるの」 俺は夢の中で姿の見えない沖田くんに声を掛けた。 しっかりしているようでまだ物事の良し悪しや常識を判断できない子だから。 だから俺はあの子の手をしっかりと握っていてやらないといけないような気がしてならない。 「だんな」 ふわふわした薄いグレーの空間に俺がいて、どこからか沖田くんの声が聞こえた。 「おきたくん、どこ」 「俺はもう、旦那の側にはいやせん」 「いないってどういうこと」 「もう会えないって、言ったでしょう」 「エッ」 「もう声も届かないところにいきやす」 「ふざけんじゃないよ、ちょっとそっち行くから待ってて」 どこにいるのかわからないけれど闇雲に走り出そうとしたところで目が覚めた。 春とはいえ、閉め切られた室内で暑さの為に目覚めたのだとわかる。 汗と湿気でじっとりと布団が湿っていて気持ち悪さに身体を起こした。 そのまま何をするでもなく沖田くんがそうしていたように宿の部屋で一日を過ごして、深夜俺は石段の上の寺に向かった。 山の麓から続く石段は真っ暗で灯りもなく、これ以上ないほど不気味だった。 俺はほんとうにこういうのは苦手で、なんでこんな恐ろしい山道を俺が歩かないといけないんだと一人で悪態をついた。沖田くん覚えてろよ、俺にこんなとこ行かせて。そう言いながら恐怖を紛らわせた。 この石段を今までお百度参りをした輩が通って、それから沖田くんも通った。そのうち戻ってこなかった者はほんとうにいたのか。 そんなことを考えながらもくもくと登って境内に着いた。 住職はもうかがり火を焚くのをやめていたので拝殿も真っ暗だった。 俺は黙って手を合わせてまた山道を駆け下りた。 それから布団にくるまって今度は朝までぐっすりと眠った。 その後は毎日来る日も来る日も面倒くせえ石段を登った。春とは思えない陽気に俺の苛々は毎日募り、沖田くんへの恨み言も山ほど溜まった。 ひと月が過ぎた頃、金も底をついて往生していたのだが、土方がふらりとやってきて財布を置いて行った。立場上長期間休みを取っている隊士のことを表立って探せないのだろうが、やはり奴も心配なのだろう。 元々日射しのきつかった山道がどんどん暑くなってぶんぶんと虻や蜂が飛ぶようになり、むっとする草いきれの中を汗だくで登らなければならなくなった頃、ようやっと100日間ボロ境内に参り終えた。 その日は七夕の節句で前日の夜から七日の朝にかけてこの村でも祭りが行われた。 江戸での去年の七夕は、神楽に願いごとはこづかいだとしつこくねだられたのを思い出す。あの時沖田くんはどうしていたっけか。ああ、そういえば翌日の約束をこれまたかわいらしくとりつけに来ていたのだった。 これで絶対に最後だと、もう二度と登りたくない石段をよいしょと蹴っててっぺんに立つと、今日だけは眼下の村にまだ七夕の灯がぽつぽつと光っている。 しまうのが勿体ないとでもいうように、五色の短冊がさらさらと音を立てているのが風に乗ってここまで聞こえる。それくらい静かだった。 しばらくその美しい都会とは違う静かな夜景を眺めて我に返った。 いつもの拝殿まで歩いてゆっくりと手を合わせて目を閉じる。 さらさらさら、と短冊の音がする。 さらさら、さらさら、さらさらさら。 視界が閉ざされると、短冊の音だけが俺の世界になる。 沖田くんが江戸から去って三月、それを追って来てから三月、もう半年あの子供の顔を見ていないなと閉じた瞼の裏を見ながら考えていると、小さな声が聞こえた。 「だんな」 「だんな」 俺はゆっくりと目を開いた。 目の前に、沖田くんがいる。 久しぶりの、手のかかる生意気な子供。 いつのまにかピンクの綿あめだらけのところにいた。ここは死後の世界なのだろうか。 「おまえホント俺にこんだけ階段登らせたからには覚悟できてんでしょーね」 沖田君は、ぴくりとも笑わなかった。 俺に会えてうれしいという顔でもなかった。 「俺は、もう旦那に会いたくなかったです」 「それは、俺に会うと死ぬ決心が鈍るから?」 死ぬ、という音を聞いて、沖田くんが少し哀しそうな顔をする。 「俺はもう死んでいやす」 「死んでないよ」 「明日になったら俺ァほんとうに旦那とは会えなくなりやす。お百度を参った数だけここで祈っていれば俺の願いは叶うんです、あと一晩、あと一晩で」 「沖田くんがそうやって死にたがっているなら、俺が戻してやる。俺がもう三月ここで祈って俺のからだを冥府にやって沖田くんを引き戻してやる」 「なんで、なんでそんなことを言うんですかぃ、俺の好きなようにやらせてくだせえ」 沖田くんは、旦那と別れるのだって哀しいんだと言わんばかりに眉根を寄せた。 「好きなようにやるがいいさ、だけど俺だって好きにやる。沖田くんが逝ってしまったら、俺も同じことをするだけだ」 「やめてくだせえ。旦那はそんなことしねえでいいんです。俺と旦那は違いやす」 「何が違う」 「だんなは、誰もころしてねえ」 「命を奪った数なら、沖田くんより多いくらいだよ」 「そういう意味じゃねえです、わかってるくせに」 俺は、沖田くんの手を取ってそっと自分の頬に押し当てた。 長い事からだの触れ合いがなかったものだからつい、無意識に沖田くんに触れた。 「俺は、姉上を、殺して、生まれてきた」 「・・・バッカ・・・・・」 馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど、ほんとうにここまでとは思わなかった。 あたたかい手を頬から胸に引いて、ついでにその腕も引っ張って沖田くんごと抱きしめた。 「旦那」 「それで、沖田くんは自分の代わりにお姉さんをこの世に戻して自分は帰って来ないの」 「それしか、ねえですから」 「それは、沖田くんがお姉さんを悲しませることになるって、わからないの」 「・・・そんなことくれえ、わかってやす」 「わかってるなら、どうして」 「俺が、俺がくるしいんです。姉上の命を奪ってのうのうと生きているのが、苦しくてもう嫌なんです。俺ァもう、一秒たりとも息をしていたくないんです」 「俺の為でも?」 「旦那のためでも」 ぐい、と沖田くんの両二の腕を掴んで引き、顔を目の前まで引き上げた。沖田くんは自然、伸び上るような姿勢になる。 「沖田くんは、自分だけが楽ならいいんだね」 「・・・」 「自分さえ楽なら、お姉さんが苦しんでも、俺が苦しんでもいいんだ」 「っ・・・旦那・・お願いですから、そんなこと言わねえでくだせえ」 「大事な人がいなくなる哀しみを知っていてそれを俺にもお姉さんにも・・それからあの糞マヨラーにも近藤にも背負わせるってのか。お前ひとりがしんどければそれで済むものを、俺達・・・特にお姉さんが、どれだけ!」 「わかってます、わかってますから、それ以上言わねえで」 「腹を痛めて産んだかわいい息子を己の命と引き換えに冥府にやる母親の心持ちがどんなものかわかっていたらそんなことができるもんか。母親の顔を知らない俺でもそんなことくらいわかる、子供が親にできるたった一つの恩返しは親に楽させることじゃねえ。しあわせに生きる姿を見せてやることなんだ」 「だん、な・・・」 沖田くんの足はもう力を失って、からだごと俺に寄りかかっていた。俺はしっかりと細身の体を抱きしめて放すまいとする。 「沖田くんはそんなに自分勝手なのか!お母さんに、死ぬよりもつらい思いをさせるのがお前の望みか」 「ちがう・・・違いやす・・・。だけど・・だけど俺ァ・・・つらくて・・・つらくて」 「つらくても男だろうが!歯ァくいしばってなんでもないってツラしてろ。他の事ならできるのに、沖田くんはお姉さんのことになると冷静に判断できない。何が一番お姉さんにとって良いことなのか判断できなくなる」 「だって・・・俺のたったひとりの、大事な、姉さんだから・・・」 「沖田くんが本当にお姉さんを殺して生まれて来たって思うならそれでいい。だけどそう思うなら尚更、自分の罪を背負って血反吐はいても生き抜け!てめえのせいで姉さんが死んだと思いながら、それでも何でもない顔して毎日生き続けろ!」 「うう・・・・う、ううううう」 沖田くんは鼻を俺の胸にこすりつけて赤んぼのようにぐずった。 ぐーいと後ろ髪をつかんでひっぱってやると、大きな目にいっぱい涙が溜まっている。 少し身体を離して自分で立たせてみれば、なんとか足をふんばった。 「ごめんね、ひどいこと言って」 「ううっ」 厳しく叱ってそれから優しく背中を撫でてやると沖田くんの涙が決壊した。 さっきまで瞳を潤ませていたのが、涙で顔をぐしゃぐしゃにして俺に抱きついて来る。 「ううっ・・・ううう・・旦那・・・旦那」 「沖田くん」 「うあああああん」 ひぐひぐと、息ができているのかしらと思うくらいしゃくりあげて沖田くんは泣いた。その体温に俺は沖田くんの生をしっかりと感じて、ぎゅうと強く抱いた。 「旦那・・・だんな・・。俺ァ・・俺は・・・・俺はだれかに、お前は悪くないって、そんなこと言ってほしくなかったんです。・・・お、おまえのせいだって、おまえのせいで姉上が死んだって、そう、誰かに言ってほしかった」 だけど。 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら腕の中の子供が続けた。 「だけど、誰もそんなこと俺に言ってくれなかった。ほんとうは、ほんとうは俺なんかが姉上の命と心両方を救ってあげられるなんて思ってねえです。俺ごときのせいで姉上が死んじまったなんてことねえってことくれえ、わかっていたんです。だけど俺はそんな理屈なんてよそへ置いといて、ただ俺自身を許せなかった」 「うん」 「だんな、言ってくだせえ、俺に、俺に戻ってこいって、もう一度言ってくだせえ」 「戻ってこい。戻ってきてお姉さんのくれた命を生き抜け」 「ううっ」 「明日死んだっていいんだ。必死になって死にたくねえって思って、それでも死んじまうのはいいんだ。だけどてめえで命を投げ出してくるしみを誰かに押し付けるなんてのは、とんでもねえ弱虫だ」 「ううあああう・・・・だ・・・だんなっ・・・」 「ん?」 「おれが・・・俺が姉上を、ころした」 「うん」 ばかばかしい話だけど俺はもう否定しなかった。 これからゆっくり、何十年もかけて沖田くんがアンポンタンだからそんな結論になるんだけど、全然違いますバーカと教えてやればいい。 「でも俺ァ、ほんとうは旦那といつもこうやっていたいんです」 「うん、俺も」 「旦那」 「俺も、ね・・・・・」 ただの薄い桃色の空間だけれど、俺には日付が変わったのがわかった。 今日が、沖田くんの誕生日だ。 「俺も・・・・沖田くんが・・・・・沖田くんが生まれてくれて・・・・」 その先は不覚にも声が出なかった。 沖田くんが生まれたことが罪なんだとしても、俺はそれが嬉しくて仕方が無い。これから先、その罪を半分ずつ背負って生きて行けば良い。 「旦那・・旦那!」 「うん」 赤んぼのようにもぞもぞ動いて伸び上って、俺の唇に自分のを寄せてくる。 ちゅうと吸ってやると、閉じた瞳からまた涙がぼろぼろと零れた。 畜生。 こんなに簡単なキスをする為にどんだけ石段登らせやがったんだ。帰ったらホントおまえケツ割れるくらいヤッてやるからなと思っていると、小さな声で「へぃ」と聞こえた。 ああ声に出ていたんだなと思って、亜麻色の髪を撫でてやる。 「ねえ、沖田くん」 「へい」 「戻って来る気になった?」 「へい」 暖かい身体を寄せ合って、しみじみとした達成感を味わってみる。 ふと思い立って俺は沖田くんに聞いてみた。 「これってさ・・・ところでどうやって帰るの?知ってる?沖田くん」 沖田くんはもぞりと動いて、だけれどもいっぱい泣いてだるくなってしまったのか腫れた目を俺の方に向けて眠そうな顔をした。 それでもようやっと幸せそうに笑って、小さな唇をゆっくりと動かして 「知りやせん」 などと言い放った。 俺は、どうしようもない大きな子供を抱えて、桃色の世界で途方に暮れた。 (おしまい) |