「我儘なカンパネルラ(14)」 H.23/04/30



(土沖)広げた風呂敷をたたみに入ろうとして更に広げてしまいました。



何が起こっているのか、わからなかった。

何故、土方さんはそんなに呆然とした顔をしているんだろう。
今日、今日ね、俺ハンバーグ作ったんだ。昔姉ちゃんに教えてもらって上手いモンなんですぜ。
土方さんが俺に初めて作ってくれた料理とおんなじ、ハンバーグ。
食うでしょう?

「・・・・じかた・・・さん・・・」
俺は、慌ててそこいらを片づけた。
ほとんど真っ裸のどろどろの身体のまま。

「あ・・・あの・・・ごめんね、俺、ころんじゃって・・・・ちょっと、リビング汚しちゃった・・・。土方さん、どうしたの?そんなところに突っ立って。馬鹿みたいなツラしてやすぜィ」

動かない。

土方さんはまるで固まっちまったみたいにぴくりともしなかった。

「ごはん・・・ごはん、今あっためるから・・・待ってて。あの・・・あのでも・・・俺、ちょっと汚れちゃって・・・風呂・・風呂はいってく・・から・・・っ・・・・・」
こんな姿をこれ以上土方さんに見られたくなくて、土方さんに背を向けた。
一歩足を出そうとしてぐらりとよろける。

「総悟!!!」
土方さんの声がして、俺は背中からしっかりとした腕に抱きとめられた。
「や・・だ」
俺、汚れてる。。。こんなに密着したら匂いとかでバレちゃうかもしんねえ。何にも無い、何にも無かったんだ、ひじかたさん。

「や・・・・離して・・はな、して・・」
じたばたと土方さんの腕の中で暴れる。ぎゅうと更に強く抱きしめられた。

「総悟!な・・・何が・・・何があったんだ。どうしてこんな・・・こんな、誰が・・誰が、こんなひどい」
「ひじか・・・さ・・・、なに、ゆってんの」
「総悟!!!総悟!!!!」
土方さんが泣いている。
どうして泣いているんだろう。

「風呂・・・俺、風呂入りてえ」
「総悟、総悟!!」
さっきから土方さんは俺の名前しか呼ばねえ。
「風呂・・・はいる」
きれいに洗わねえと、土方さんにバレて嫌われちまう。

「そ・・・総悟、病院・・・病院だ!病院に行こう」
びょういん。
そんなところに行ったら何があったか解ってしまうかもしれない。
「やあーーーーっ!!!やだ!!」
「そう・・」
「やだっ!!やだあ!行かねえ!!!」
俺は土方さんの腕の中でめちゃくちゃに暴れた。俺の左の肘が土方さんの顎に当たって土方さんが呻く。
「風呂!お風呂!入るう!!」
まるで駄々っ子みてえに泣きわめく。
「総悟・・病院、頼むから、病院に行こう」
「嫌っ!やだ!離せ!離せ!!」
土方さんの脛やら腿やらを蹴りまくってやった。
「いて!やめろ、総悟」
土方さんの力が少し緩んだ隙を見て、俺は土方さんの腕をすり抜けた。
ダッシュで脱衣所へ行って風呂場に駆けこんで鍵をかけた。
「総悟!総悟、開けろ!!」

「土方さん!は、ハンバーグ・・ハンバーグあるから。戸棚に・・温めて食べて。あと、冷蔵庫にサラダ・・」
「何言ってるんだ!ここを開けろ!総悟!!」
ドンドンと浴室のドアが叩かれる。
俺はシャワーのお湯を勢いよく出して、申し訳程度にひっかかってるぼろぼろのシャツを脱ぎ捨てると、頭からざあざあとかぶった。

しばらくうるさく言っていた土方さんだけど、静かになった。どうやら諦めたらしい。
ぎゅっと瞑っていた目を開いて鏡を見る。
顔はあの最低男にぶたれて腫れていた。身体中あちこち痣だらけで、シャツはボロボロ。
リビングの床は血まみれで、果物もナイフもそのまま、馬鹿みたいにかき集めただけ。

鏡に映った自分の情けない姿を見て俺は、どうしたって土方さんにごまかしきれるもんじゃねえって、やっと気がついた。

身体と髪を洗って暖かいシャワーを浴びて。服を着替えてリビングに戻った。
リビングは綺麗に片づけられていて、土方さんが椅子に座って俺を待っていた。








「誰に、やられた」

静かな、声。

「・・・・・」

「総悟、誰に、やられたんだ」

「ひじかた・・・さん」

土方さんの目は真っ暗で、テーブルの上に置いた、強く組んだ自分の両手を見つめていた。
小さく震えながら。

「あの、床の血は、どういうことだ」


俺は、風呂の中で覚悟を決めていた。土方さんに全部話そう。もう土方さんに嘘をいうのはやめるんだ。

だけど。
だけど、俺は土方さんに嫌われてしまうかもしれねえ。

悲しくて仕方無かった。

しどろもどろの俺の話に、土方さんは辛抱強く耳を傾けてくれた。
3人の男にやられてしまったって話をしなくちゃならないのは物凄くつらかった。
なにより話を聞いている土方さん自身が、耳を塞ぎそうになっていたんだから。

「俺、そいつの下腹をナイフで刺してしまいやした」
ぽろ。と涙が出た。
「栗子・・さんは、表沙汰にはしねえって・・・言って・・・くれた・・けど・・・俺・・・俺、人、刺しちまった・・・・」

「総悟・・・・!」
ガタンと音がして土方さんが椅子から立ち上がった。
「すまない・・俺は、お前がそんな目にあっているのに、お前を守ってやれなかった」
ぎゅう、と抱きしめられて。
土方さんの激しい後悔の波を、密着した身体から強く感じる。
俺は、何と言っていいのかわからなかった。
土方さんという人がいるのに他の男に身体を自由にさせた事を謝らなければならないのか、それとも傷ついている土方さんを慰めてあげなければならないのか、こんな俺を嫌うどころか心配してくれている事をありがたく思えばいいのか・・・。

「俺・・・疲れやした」
そう言って、暖かい土方さんの胸の中で目を閉じることしかできなかった。
「病院、本当に行かなくていいのか?」
「・・・・眠りてえでさ」
「・・・そうか」
ふわりと俺は土方さんに抱きあげられて、自室に連れて行かれた。
俺をベッドにそっと寝かせて、部屋を出て行こうとする。
「ど、こ、行くんですかィ」
「松平の娘に連絡をとる」

「ひじかたさん」
「どうした」
「俺、土方さんに、側にいてほしい、でさ」

土方さんの下瞼がぎゅ、と絞られて口元が震える。
ああ、土方さんが泣きそうだ。

見れば土方さんはスーツのジャケットを脱いだだけの姿だった。
そのまま俺の布団に滑り込んでくる。
パンツが皺になっちまいやすぜ・・・・・。
ふわりと土方さんの腕に包まれた。

俺はようやっと安心して、眠りについた。





深夜。
誰かの気配で目が覚めた。

誰かが、泣いている。

土方さんの大きな背中が見えた。震えている。
ううう・・・うう・・・うううううう。
土方さんは、声を殺して泣いていた。

「そうご・・・・うううううう・・・・・」
息だけの、音にならない言葉を吐きながら。

傷ついている。
誰にも負けたりしない強い獣だと思っていた黒豹が、深く傷ついて泣いている。

どうやって声をかけたらいいんだろう。俺のせいで、こんなにも傷ついている孤独な魂に。
何か、土方さんを安心させてあげる言葉をかけてあげたかったけれど、どうしていいか分からなかった。
俺の頭と身体はこれ以上ないくらい疲れていて。とても大切な事を考えなければいけないはずなのに、俺はゆっくりと目を閉じると、また深い眠りに落ちて行った。






朝、目を覚ますと土方さんは既に隣にいなかった。
昨日リビングの床でいいように扱われた俺の身体は節々が痛んで悲鳴を上げていた。
そろそろとベッドを出て階下に降りる。
リビングには、土方さんがいた。

「土方さん」
朝飯も食わないでただテーブルに座っている土方さんに声を掛けた。
ビクリと大きく揺れる肩。

「あ・・・そ、総悟・・・か、か、身体は、大丈夫か」
明らかにいつもと違う態度。俺に気を使っているのか。

「大丈夫でさ、土方さん朝飯は?」
「あ、朝飯、朝飯な!俺は食った!いや、食ってない、食ってないが・・・・今日は早く行かねえとならないんだ、お前はゆっくりしろ」
そういうと俺と一度も目を合わせないで、バタバタと出て行った。

ぽつんと残される、俺。
昨日、このリビングで起こった事が思い出される。

土方さん・・・・・・。

アンタ、なんで俺の方を見ないんですかィ。いつだって俺が鬱陶しいって思うくらい俺を気にかけて俺を叱ってくれたってのに・・・・。

俺は、その場にゆっくりと蹲って。
押し寄せる大きな黒い雲みたいな不安に、身動きもできなくなってしまっていた。






土方さんはその日、夜遅く帰って来た。
「先に寝ていろ」とだけメールが入っていて。
それでも帰ってくるのを待って迎えに出た俺に、ちょっと戸惑って、
「寝ていろと言っただろう」とそっけなく言うとすぐに風呂に入ってしまった。


「土方さん、飯は?」
「いや、いい・・・・・・・」
「食わねえの?」
「ああ、腹が減ってなくてな」
そう言いかけて、思い直したように首を振る。
「いや、食おうか、今日は何だ?」
明らかに気を使っているようだった。
前は土方さんが飯を食っている間は、何があっても俺に席についているように命令していたのに、今は俺の顔を見るのもつらい様だ。

言葉少なく味わっているのかどうかもわかんねえ食い方で飯をかっこむと、疲れていると言って自分の部屋に引っ込んでしまった。

土方さんは、きっと俺のことが嫌いになったんだろう。

いいや、すっきりした。
だって、大体俺なんかが土方さんに気に入られてこの家に入り込むこと自体、夢みたいな出来事だったんだ。
銀時と一緒にこの家を出て、後足で砂をかけるような真似をして。
前科までつけて図々しく戻って来て借金を肩代わりさせて、そうして銀時があんな身体になった隙に土方さんに取り入った。
そんなことが、許されるわけがなかったんだ。

罰があたった。

罰があたったんだ。

勝手に涙が出て来た。

こんな、こんな毎日がずっと続くんだろうか。
土方さんと目もあわない、会話もない、そんな生活をずっと続けるんだろうか。
憎まれていると思っていた頃の方がまだましだった。

一度大好きな人の腕の温もりを知ってしまってから、それを奪われるなんてこと、残酷だ。
俺は、泣き声を土方さんに聞かれないように、テーブルに突っ伏して一生懸命声を殺して泣いた。



馬鹿みたいにしゃくりあげながら、涙が止まるのを待った。
思い切り泣いたら少しだけすっきりするもんだ。俺はぐしぐしと袖で涙を拭いて顔を上げた。
はっきり聞けばいいんだ、土方さんに。
もう俺の事が嫌いになったってんなら、潔くこの家を出よう。最初からそう思っていたんだから、その通りになるだけだ。ただ、一度幸せを知ってしまった、それだけだ。
くるりと振り返ると、リビングのドアのところに土方さんがいた。

泣き腫らした目で土方さんを、見る。
すごく苦しそうな顔で俺を見つめる土方さん。

「総悟・・・・俺は卑怯者だ。一番苦しいのはお前なのに、お前を一人にしてしまうなんて、俺は最低の人間だ」
立派な体格の土方さんの肩が震えていた。
正義感が強くて誰にも平等に優しいアンタらしい。顔も見たくねえような俺なんかの為に、一旦引っ込んだ部屋からわざわざ出て来てくれたんですね。

よろよろと立ちあがって土方さんの目の前まで歩いて行く。
唇をぎゅっと噛みしめて俺を見下ろす悲しい瞳。
おれはぎゅうう、と土方さんの胸にしがみついた。
「総悟」

「抱いてくだせえ、土方さん」
俺はここ数ヶ月で一番の勇気を振り絞って言った。
また汚れちまった俺の身体を、土方さんの愛で綺麗になれるんじゃないかって、虫のいいことを考えていたんだ。

土方さんは、俺の事をぎゅっと抱きしめると、「部屋に行こう」と俺の耳元で囁いた。






結論から言うと、土方さんは勃たなかった。
俺の身体を丁寧に愛撫してくれて、俺も気持ちが高まって。あとは1つになるだけなんだけど。
どうしてもエレクトまで後少しのところで萎えてしまった。

「すまない、総悟」
疲れている、と言って俺を優しく抱きしめて、頭を撫でながら寝かしつけようとしてくれた。
優しい、優しい土方さん。

今度は俺が、声を殺して泣く番だった。
嫌われた。もう、抱いてももらえないくらい嫌われた。ひっく、ひっくと土方さんに背を向けたまま泣き続ける。
声は出さないけれど、気配で土方さんが起きているのは分かっていた。だけど、俺には何の声もかけてくれねえ。
こんなに近くにいるのに、たった一日で、俺達の心は遠く離れてしまったみたいだった。

俺には、土方さんを責めることはできない。
だって、今まで何度も間違いを犯した俺を、その度に寛容な心で許してくれたんだから。
ごめんね、土方さん。いっぱい傷つけてごめんね。

今夜だけ、今夜だけ隣にいさせてくだせえ。
明日になったらちゃんと一人で生きて行くから。

俺は、近くて遠い土方さんの温もりを忘れねえように、しっかりと目を瞑って背中に感じる存在を記憶に焼きつけようとしていた。







こんな状態で、俺は土方さんの側にいることなんて、絶対に出来なかった。

朝、俺達はお互いの顔を見るのも気まずかった。
ほとんど会話も無く、土方さんが仕事に出かける。
俺は、土方さんを見送ってから、自分も靴を履いて玄関を出た。



もう数時間、当てもなく街を彷徨っている。

土方さんの家を出て、一人で生活する。
ついこの間まで少年院にいた俺にとって、簡単な事では無いということは分かっていた。
俺のこの状態で、銀時を連れて家を出る事は無理な話だった。
無理に意地をはって銀時を自分が世話しようとしたって、満足な治療を受けさせてあげることはできない。銀時にとって何が一番いいのか、答えは簡単だ。
せめて土方さんに肩代わりしてもらった借金だけでも、少しずつ働いて返していければいい。

駄目もとで、出所してすぐに就職が決まった工場に仕事を頼みに行ってみようか。
だけど、兄の家に引き取られるからと言って断った職を、何故今になってって思われるのは必至だ。一度断っておいて、引き取られた先を追い出されたからといって再び職を求めて来るような人間に、仕事なんてくれるだろうか。
そんなことをふつふつと考えていたりアルバイト情報誌を立ち読みしていら、あっという間に夜になってしまった。

帰りたくない。

家に、帰りたくなかった。

俺を拒絶する土方さんの顔なんて見たくなかった。

もうすぐ春だっていうのに、日が沈むとぶるりと震えるほどの冷気。
どこにも行く所なんかない。

ポケットの携帯がさっきからうるさく鳴っている。
土方さんだろうか。

ぐるぐると彷徨い歩いているうちに、俺はいつのまにか、土方さんと初めて出会った公園に来ていた。俺と姉ちゃんが二人で暮らしていたアパート。今はもう別の誰かが住んでいる、古いけど小奇麗なアパート。
二年前。
15の春に土方さんと出会った。
あの時から土方さんは何にも変わらない。優しくて男らしくて曲がった事が許せない。
変わったのは俺。
俺は、土方さんに到底顔向けできねえような人間になってしまった。

「ここに、高杉の車が止まってて」
ぽつりと声が出た。
車ン中に連れ込まれて必死で抵抗したけど全然かなわなくって。そしたら土方さんが車のドアを外から開けて、高杉を引っ張り出してくれたんだった

二年も前のことだけど、昨日の事みたいに思い出せる。
「高杉を殴り飛ばして、俺を連れて歩きだして・・・それから・・・・」


「それからお前にぽんぽん怒鳴られたんだっけな」
うしろから、声が聞こえた。
俺の、愛しい愛しい人の声が。


はっとして振り向く。
桜の季節にはまだ少しだけ早い季節の公園で。
土方さんは、公園の前の街頭に身体をもたれかからせて、立っていた。

びゅうと強い風が俺達の間に吹き抜ける。
俺は、その風を受けてぎゅ、と目を瞑った。
この目を開けたら土方さんは夢みたいに消えちまってるんじゃあないだろうか。

「総悟、目を開けろ」
俺の好きな、低くて落ち着いた声が聞こえる。

うっすらと目を開けると、思いのほか近くに俺の大好きな黒い肉食獣が立っていた。

「帰るぞ」
それだけ言うと土方さんは俺の右腕をつかんでさっさと歩き出した。
あの時と一緒。
こうやって歩いているうちに、二年前のあの日に戻れればいいのに。
俺は叶いもしない夢を想像しながら、振りほどかなければならない腕をじっと見つめていた。







うちのリビング。
すごく怒った顔の土方さんが俺の目の前にいる。
俺はと言えば、所在なく視線をあちらこちらに泳がせていた。

「何故、家にいなかった。どれだけ探したと思っているんだ」
真剣な顔。

「土方さん、俺ね、アンタが昨日役に立たなくて、愛想がつきたんでさ」
つるっと言葉が滑り出た。
目の前の土方さんの瞳が大きく見開かれる。

「アンタってば俺の事すっげ束縛するしうるせえし。もう、アンタと一緒にいるのうんざりなんで。この家出ようかと思ってね」
精いっぱい意地悪そうな顔をして睨み上げてやる。
だけど、土方さんはすごく悲しそうな顔をして、俺を見つめていた。

「総悟・・・・・お前、この家を出ようとしていたのか?」
「・・・・・」
「そんな、そんな嘘までついて、俺から離れようと、していた、のか」
「嘘じゃ・・・・ねえ・・でさ」
「馬鹿野郎!お前のそんな、泣きそうなツラァ見てわかんねえわけねえだろうが!」
あれ?俺、演技ヘタクソになっちまったのかな。去年は簡単に土方さんのこと騙せたのに。
多分、一度幸せを知ってしまったもんで、それを手放すのを無意識に拒んでいるんだろう。
そう思って渇いた笑いが出て来た。

「・・・・土方さん」
「なんだ」

「俺に・・・言わせようってんですか」
「何を、だ」

テーブルを見つめていた俺は、ゆっくりと顔を上げる。
「アンタ・・・アンタこそ、俺に愛想がつきたんでしょう」
「なんだと」

「俺が、俺があいつらにヤられちまって、それからアンタは俺になんか興味なくなっちまったんだ!」
「違う!それは違う!総悟!」
「何が違うんですかィ!アンタを裏切った俺を許せねえんだろ?もう、顔も見たくねえくらい嫌いになっちまったんだろ!!」
「総悟!」

ガタンと椅子の倒れる音。
大股でひじかたさんが俺のほうに歩いて来て、俺の腕を掴む。
ものすごい力で引き上げられて、土方さんの胸に抱き込まれた。
「離せ!離せよ!!馬鹿野郎!!」
めちゃくちゃに暴れるけど、土方さんはビクともしなかった。

「うう・・・・・ううう・・・・・言えよ・・・・言ってくだせぇよ・・・。お前なんかもう好きじゃねえって・・・・。汚らしい身体なんかにはもう触りたくもねえって・・・・。言えよ!!」

聞きたくない。

土方さんの口からそんな言葉聞きたくない。

銀時も、山崎もそう言ってた。他の男とヤりまくった汚え身体だって。
聞きたくねえから、出て行こうとした。聞きたくねえからアンタのせいにした。

なのに・・・・・土方さんが無理矢理言わせたんだ。嫌いだって言えって・・・・・。
俺に無理矢理言わせたんだ!!

土方さんの顔なんか見れなかった。
俺はただ、土方さんの胸に顔をうずめて、溢れる涙をこらえきれずにしゃくり上げていた。
土方さんのシャツが俺の涙を吸って行く。

土方さんの激しい動悸。
はあ・・・と震える息をつく声が聞こえた。

「違う・・・・そうじゃ、ない・・・・俺が、お前をそんな風に思うことは絶対に、ない」

俺が悪い。

俺が悪いんだ、許してくれ、総悟。

いつもの土方さんじゃない、消え入りそうな声でそう言った。
「何が、、、何が悪いってんですかい、土方さんの、何が・・・」

「お前が、お前がとんでもなく傷ついているって分かっている。分かっているのに、この俺のどうしようもない嫉妬心が、お前を苦しめるんだ」
ぐいと、潰れちまいそうなくらい強く抱きしめられる。

「3人も・・・大人の男に押さえつけられて、抵抗なんてできるわけねえ。そんなのは分かっている。だけど、だけど・・・・俺は悔しい!そいつらを殺してやりてえ!」

土方さん・・・・。

「だけどな・・・そいつらを憎むと同時に、俺の・・俺の心の中には、その下種野郎ども以上にもっと醜い感情が湧きあがってきやがるんだ」

息苦しくなった俺は、土方さんを見上げるように顔を上げた。

「・・・・何故・・・何故ドアを開けたんだ、総悟・・・・・」
衝撃が、俺の心臓を抉った。

「何故・・・・どうして、そいつらを家に上げた!・・・・・・・さ、三人も・・・三人もいた・・・のに・・・怪しいって、わからなかったのか?・・・・うう・・・に、逃げられた・・んじゃ、ねえのか?お、大声出して・・・なんとか隙をついて、外に逃げ出せなかったのか?」

大きな土方さんの身体が、目で見てわかるくらい震えていた。
すごい力で抱きこまれている俺も一緒に震える。

「あいつらに、つっこまれて・・・どう・・・どうだったんだ・・・・。か、感じたのか?なあ・・・・どうだったんだ・・・・・」

ひじかたさん!!!!!

「お前にはどこにも非がない、悪いのは糞みてえなあいつらだって、、頭では理解しているのに、そんな、そんなことばかり、浮かんでくるんだ。最低だ、最低なんだ、俺は」

ぼたぼたと大粒の涙がこぼれ落ちる。
土方さんも、俺も。

「こんな、ドロドロした感情を抱えて、その上絶対言っちゃあいけないお前に対して、それを叩きつけるような男なんだ、俺は」

土方さんの身体は熱くて、火のようだった。土方さんの心の中のマグマが噴き出しているみたいだ。

「許してくれ・・・・許してくれ、総悟・・・・・。俺は、最低の男だ。お前を守ってやるどころか、こんなに酷い目にあっているお前のことを知らなかった癖に。こ、こんなに苦しいのを・・・お、おまえのせいに、しようとしているんだ!!」

土方さんは、男泣きに泣いていた。
どんなに俺を愛してくれていたんだろう。でも、だからこそ土方さんはこれ以上ないくらいに傷ついている。

「ひじかたさん・・・俺・・・俺が悪いんだ。何も考えないで、あいつらを家に上げてしまった」
「違う!!違う!!お前は悪くない!悪くないんだ!!」

土方さんの足は、立っている力をほとんどなくしてしまったみたいで、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。
同時に俺も、その膝を跨ぐ形で座り込む。

「土方さん、俺、俺ね、俺、すごくうれしい」

「総悟?」
「土方さんが苦しんでいるのは悲しいけど、それはきっと俺の事すごく好きだからですよね。俺はそれがうれしいんでさ・・・」

「ゆ、許して、、くれるのか・・・。こんな、最低な言葉をお前に言った、俺を」
情けない、土方さんの顔。

「許してほしいのは俺の方でさ。だって、土方さんだけだって言ったすぐその後に、どこの誰とも知らねえ男にヤらせちまって、汚ねえって思うでしょう」
「汚くなんかないんだ・・・汚いのは、俺の・・俺の腹ン中だ。傷ついているお前を慰めることもしねえで、自分のことばっかり考えていた」

土方さんの綺麗な男らしい手が、俺の頬を包む。
熱い・・・・熱いよ、土方さん。
「俺を・・・許してくれ・・・。すぐには無理かも知れねえが、お前を包み込めるような、で・・でかい男になるから・・・だから・・・・」
「ひぃっ・・・ひじか・・・さ・・・・」

「泣くな、馬鹿野郎」

何言ってやがんでィ、アンタの方が涙と鼻水でグチャグチャじゃねえか。
俺は、泣きすぎて目のふちがヒリヒリとしてきた顔をごしごしと袖で拭って、へへ、と笑った。







その夜は、土方さんと一緒のベッドで眠った。
俺はコアラみたいに土方さんに両手と両足をがばりと巻きつけてくっついてやった。
あ、土方さんのチ○コ元気になってら。

わりと単純だなこの人、と思いながらも気付かないフリしておやすみなさいって言う。
「あ、ああ、おやすみ」
土方さんは多分、地獄の苦しみを味わいながら、朝を迎えたことだろうと思う。


翌日の朝、仲良く食事してコーヒーを飲んでいる時に、土方さんが「そういえば」と顔を上げた。
「松平の娘に連絡をとった」
「あ、そうなの?」
「あいつも愚かだが、こちらも怪我をさせているからな。様子を聞くと、果物ナイフだったもんで、血の量は多かったが傷はそれほどでもなかったらしい」
そうか・・・。良かった、てのもおかしいけど、俺はちょっと安心した。
「向こうも相当反省しているようだし、許してやっても、いいか?」
向こうってのは栗子のことだろう。俺はゆっくりと頷いた。
土方さんも男らしく頷く。
「松平本人からは、中々嫌がらせらしい無理難題を押しつけられたりはしているが、かわいいもんさ。娘が父親に一言意見してくれたらしい」
「本当ですかぃ?」
「ああ」

あんなにひどい目にあったけど、結果良かったのかもしれない。
そう思えるのも土方さんが俺に笑ってくれるから。

色んな障壁が俺達の間に立ちふさがったけど、つらい事がいっぱいあればあるほど絆って深まるんだなあ、なんて。
その時の俺は呑気にノロケ浸っていた。



次の日、日本を代表する大グループ、土方財閥のトップである土方さんの顔写真が、数々の週刊誌やタブロイド紙の一面を揃って飾った。
すべての記事には隣に俺の写真も載せられていて。
どの雑誌を見ても、土方さんがホモの変態みたいに書かれてあって、俺のことも、血の繋がった弟で犯歴あり、水商売で働くとんでもない不良だと中傷していた。

俺達は、またもいきなり激しい嵐の中に、二人っきりで放り出されてしまったんだ。






俺達は、住むところも何もかも失った。
何故、そんなことになったかというと。

土方さんは、あの忌まわしい中傷記事が各雑誌に載りまくった日、あわてて会社に行って、深夜まで帰ってこなかった。
一日中対応や会議に追われていたという。

ものすごく疲れた顔をして土方さんが帰って来た。
すぐに寝かせてあげたかったけど、俺は心配で心配で。
土方さんは、俺をリビングの椅子に座らせてわかりやすく説明してくれた。

誰かが、俺と土方さんのことをマスコミに売ったらしい。
重役会議で土方さんは予想通り吊るし上げを食った。
あの記事のせいでグループ内の企業の株価が大暴落したってことだ。なんでそうなんのかわかんないけどそれを聞いたら土方さんが怒った。
「おまえがなんでも教えてくれって言うから教えてるんだ!説明してもどうせわからんのだから結果だけ聞け!」
だって。
とにかくその責任をすべて土方さんが問われる形になった。
退陣。
その二文字がつきつけられて。
土方さんは、俺を守る為にもそれは辞さないつもりだったので、一も二も無く承知したらしい。
俺としてはとても悔しいけれど。こうなってしまった以上どうしようもないということだった。

だけど、それだけじゃ役員連中は承知しなくて。
土方さんは個人財産を投げ打って会社の損失を穴埋めすることにしたんだそうだ。
もちろんいくら莫大な財産があるからといって、多岐にわたる事業をてがけている土方グループ全体の損失なんて補填しきれるものじゃない。・・・・らしい。わかんないけど。
だけど、できることはすべてやるつもりで、土方さんは何もかも手放す事にした。
家も、財産も、トップの椅子も。

そうして、その財産の管理を、あのクソ野郎である伊東鴨太郎が担うことになったんだそうだ。
「なんで・・・なんでそんな・・・・」
俺はあの野郎を刺し殺しに行きそうな勢いで土方さんに詰め寄った。
「なんで、といってもあいつは顧問弁護士の代表だからな」
あいつは土方さんの父親の代から世話になっている弁護士の息子で、正当な理由も無く首を切るなんてことはできないんだそうだ。
だけど、それだけは土方さんが許さなくて。
秘書の坂井さんに半分権限を持たせるということで承知したんだそうだ。

「あの・・・あの、土方さん、お父さんはもう亡くなったんだろうけど、土方さんには、会長のジイさんがいるんでしょう?その、ジイさんは、何て言ってるの?土方さんが会社を辞めるなんて、許さねえんじゃねえの?」
引き取られたにもかかわらず、今まで会ったこともなかったんだって事実を思い出しながら聞く。
土方さんは、ちょっと考えてから言った。
「祖父はもう物事を自分で考えて発言できる状態じゃ、ないんだ」
土方さんのジイさんは、今は病院で息をしているだけみたいな状態らしい。長年仕事一筋で来て、息子である土方さんの(俺もだけど)父親に席を譲って、会長に退いたとたん倒れたんだそうだ。


「総悟、すまない。俺は何もかも失った」
土方さんの顔色は、まるで蝋のように白かった。
そんなこと言わないでくだせえ。全部俺のせいなんだから・・・・。

「それでも、俺についてきてくれるか」
あ、、あたりまえでさ!

「・・・駄目、か?」
や、あたりまえだってば・・・。あれ?声、出てなかったか・・・。

「つ、ついていってやりまさ!」
なんか・・・心ン中と出た言葉が微妙に違うけど、土方さんがうれしそうな顔してるから、いいか。

家なんかなくたっていい。金なんかなくたっていい。
今まで土方さんに嫌われてると思って暮らしていた日々のことを考えれば、そんなもんなくたって天国みたいなもんだ。世界中の誰にでも「俺は幸せだ」って自慢してまわりてえくらいだ。

貧乏には慣れてる。
俺は土方さんにぎゅっと抱きついて、がじがじと土方さんの腕を噛んだ。
「こら!痛い!」

しばらく二人でじゃれていると、前触れもなくいきなり玄関のチャイムが、鳴った。

玄関のドアを開けると、そこには秘書の坂井さんが、いた。
そうしてその隣ににっくき、伊東鴨太郎も。

俺と土方さんは、その微妙な取り合わせの二人に顔を見合わせた。






にやけた薄っぺらい気障男。
それが俺の伊東に対する印象だった。
こいつのひねくれまくった根性と下種なセックスは忘れられない。ついでにあのいやらしい薄いゴム手袋も。
こいつと同じ部屋で同じ空気を吸っているなんて、吐き気がしそうだった。
カタカタと身体が震えて冷や汗が流れ落ちる。
土方さんはそんな俺をチラリと心配そうに見たが、何も言わなかった。

「いきなりお伺いして申し訳ありません、社長・・・・いや、元、社長殿」
わかりやすい嫌味をその下品な唇から吐き出して、いけすかねえ眼鏡男がリビングのテーブルに座る。
その後ろに坂井さん・・・は立ったままだ。

「この期に及んで一体何の用だ」
土方さんが攻撃的な目で伊東を射るように睨みつける。
「フフ・・・せっかちだな」
くいと眼鏡を人差し指で上げて。

「わかりました、それでは早速本題に移らせていただきます。坂井」
「はい」
坂井さんが短く答えて手にしたファイルケースから何かパンフレットを取り出した。
その、二人の関係を訝しんで土方さんが目を眇める。

伊東の神経質そうな指が、そのパンフレットをずい、とこっちに押し出した。
見ると、なんか療養施設らしき建物の写真。

「社長の弟さんの銀時様についてなんですが、こちらの施設に入所させようかと考えておりまして」
「・・・・なんだと?」
「失礼ではありますが、社長はすでにその地位も追われ、財産もすべて手放されました。新居も決まっておりませんことですし、よしんば決まったとしても今と同じような暮しとはいかないでしょう。療養中の銀時様にとってプラスになることはありません」
「・・・そんなことはわざわざお前に言われるまでもない。我々兄弟のことには口出ししないでもらおう」
怒りを抑えた声で、土方さんが言う。
「では、どうなさるおつもりなんですか。こちらの総悟様に介護のすべてをおしつけて、狭い部屋で三人肩を寄せ合って暮らすとでも?健常者のお二人には耐えられても、銀時様の病気には悪影響しか与えません」

こいつは・・・こいつは俺達から銀時を取り上げようとしているんだ!!!

「ろくな治療も受けさせず銀時様の病気を悪化させるよりも、施設に入所させた方がずっと銀時様の為だということがわからない社長ではないでしょう」
な・・・にが、銀時様、だ!お前が・・・お前が銀時を利用して不要になったらさっさと切り捨てたんじゃねえか!!
喉まで出かかった言葉。だけど土方さんが何にも言わねえで我慢しているもんだから、俺もぐっと堪えた。

「それとも意地を張って狭い6畳間にでも動けない銀時様を押しこめて一生暮らさせるおつもりなんですか?」
ニヤリ、と口の端を上げる。
「費用の事ならご心配なく、社長の個人財産の中から一生分の入所費用を賄わせていただきます」

怒りに燃えた土方さんの瞳。
だけど、悔しいけど伊東の言っている事は的を得ていた。
金も何も持っていない俺達が、銀時をベストな状態で介護できるわけがないんだ。


「それともう1つ、ご報告があります」
その、伊東の事務的な声に、俺はもやもやと嫌な予感がした。







「グループのリゾート分野の関連企業を、向こう5年間ですべて清算することになりました」
「なん・・・・・だと・・・・?」
カッと目を見開いて土方さんが顔を上げた。
よく・・・わかんねえけど、リゾート分野といえば銀時が立て直そうとしていた会社のことじゃねえんだろうか。

「リゾート業務が、我がグループの足を引っ張っているということは明白です」
「その件は、俺の個人財産を投入するという話で落ち着いたはずだ!」
「焼け石に水だ、と申し上げているのです」
「俺が・・・俺が必ず・・・立て直すと・・・」
「社を去られる貴方には無理な話ですから」
銀時が退いてから、土方さんはひとりでリゾート分野をなんとか上向きにしてじわじわと業績を上げてきたらしい。
どうしてこんなにも土方さんがリゾートにこだわっているのか。後で聞いた話なんだけど、土方さんのジイさん・・・つまり会長が土方さんの小さい頃言っていたんだそうだ。
グループで最初に立ちあげたのがリゾート会社だって。戦後の苦しい日本で生きる人々の癒しの空間を作ってあげたいと思って会社を作ったって。
この時の俺はまだそれを知らなかったけど、そのジイさんの想いがつまったリゾート分野を清算するなんてこと、土方さんにとっては考えられなかったんだ。

「それは・・・お前ではなく・・・坂井に、一任してあったはずだ!」
とうとう土方さんが声を荒げた。

ク・・・・ククク・・・
伊東の肩が揺れる。
「えらく信用されたものだな?え?坂井」
伊東の後ろにひっそりと立つ、初老の秘書は、仮面のような無表情で頭を少し下げた。
土方さんの表情が凍りつく。

坂井さんの唇がゆっくりと動いた。
「私の権限を以て、十四郎様の個人財産を伊東先生にすべてお任せ致します」

信じられないものを見る様な目で、土方さんがかつての腹心を見つめた。
数々の人間に裏切られ続けた土方さんを支え、グループの為に尽力して来た坂井さん。
土方さんの怒りを買うことも承知で苦言を呈しに来た誠実な坂井さん。
俺だって・・・こんなに短い間しか関わりのなかった俺だって、信じられなかった。
初めて俺をアパートに迎えに来たのもこの人だった。
俺は、この人が伊東の側につくなんて・・・想像もできなかった。それは社長就任以来、苦楽を共にしてきた土方さんなら尚更だろう。

土方さんは、声も出ないみたいだった。
伊東を見ると、クソ野郎は悦楽の表情で土方さんを見ている。

無意識だった。
俺はテーブルの上のコーヒーを、この間みたいに伊東の顔に向って投げつけていた。
頭から、冷めきった黒い液体をかぶる伊東。
ぽたり、ぽたりと髪から頬、顎を伝って喉元に落ちてゆく。
伊東は余裕の表情のまま眼鏡をはずすと胸元からハンカチを出して、こめかみをゆっくりと押さえた。

「フフ・・・・総悟くん・・・いや、ミツバちゃんと呼ぼうか?」
ビクリ、と俺の身体が震えた。
「銀時様のことは君もせいせいするんじゃないのかな?彼がいなければ二人っきりの蜜月生活だ」

わかった・・・・・。
俺は、こいつが何をしにここへやってきたのか、わかった。

「ご苦労なことだな、土方。財産をいくつに分けようと、社にお前の味方はもう一人もいないんだ。せいぜいこの売女と仲良く底辺で這いつくばって暮らすがいいさ。クク・・・この淫乱の具合がいいのは私も良く知っているからな」

瞬間、土方さんがはじかれたように立ちあがった。
伊東の胸倉を掴むと、ものすごい速さで拳が繰り出される。

「やめて!」
俺は土方さんの腰にしがみついて止める。
今、今こいつを殴ったらどうなってしまうかわからない。こいつは弁護士だ。土方さんをどうにかすることなんて簡単だろう。
俺がしがみついた事によって、すんでのところで拳をかわした伊東。
「見てくれ、ビショビショだよ。この上暴力までふるわれたら敵わない。そろそろお暇しようか、坂井」
「はい」
言葉少なに坂井さんが応じる。

こいつは・・・このクソ野郎は、ただ、土方さんを小さな虫みてえに捻り潰す為だけにこの家にやってきたんだ。
傷ついて倒れそうな土方さんに、更に打撃を与える為だけに。

がくりと膝をついた土方さんは、もう伊東のことも坂井さんのことも見ていなかった。
涙も出ていない。

二人が去って、玄関の閉まる音が聞こえても、土方さんは同じ姿勢のまま長い事動かなかった。




「我儘なカンパネルラ(14)」
(了)



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