「我儘なカンパネルラ(10)」 H.23/03/22 |
(沖←山)銀さんかわいそうですよ。 遠くから救急車のサイレンが聞こえる。 俺は、その音をふわふわとした現実味のない世界で聞いていた。 手と足の指先がどうしようもなく冷たかった。 視界にはぴくりぴくりとしか動かなくなった膝の上の銀時と、その向こうに立っている優しい友人だけ。 そうしてその視界の中に、ちらちらと正体のわからない不安が形になったかのような光が錯綜していた。 「沖田さん、いいですか。貴方は銀時さんに農薬のパラコートを飲ませて殺そうとしたんです。農薬は、近所の農家から盗んだ。そうして銀時さんの酒にこれを混ぜた」 呆然と、山崎を見上げる。 なにか、とてつもなく恐ろしい事を言っているってことだけは分かった。 だけど、俺の頭の中は、銀時が今とても苦しんでいて死んでしまうかもしれないっていう事実だけが陣取っていて山崎が何を言っているのかなんてまったくわからなかった。 「貴方はほんの少し、ほんの少しこのキャップに一杯くらいだけ農薬を一升瓶に入れた。そうして銀時さんに酒を勧めた」 「・・・・ざ・・・・き」 わからない。わからないんだ。 お前が何を言っているのか・・・・・。 だけど、だけど今銀時はとても苦しそうで。 お願いだから、そんな難しい訳の分からない話なんかしないで、銀時を助けてよ。 ふいに。 耳をつんざくようなサイレンの音が止まり、オンボロアパートの階段を駆け上がってくる足音がした。 銀時と一緒に救急車に乗ると言って俺は暴れた。 でも、後からきた警察の人たちにそれを阻まれて。 なんだかわからないうちに警察につれていかれた。 俺はずっとずっと銀時の様子を狂ったように聞いたけど、誰も銀時のことを教えてくれなかった。 冷たい留置所で一晩を明かし、それでも俺は一睡もしないで銀時の事を案じた。 朝食を出してきた係官にも俺を取調室に連れて行く警官にも、銀時はどうなったんですかィって聞いたのに、誰もなんにも・・・・・。 何が何だか分からないままに、俺の取り調べが始まった。 未成年相手だからってそんなの全く関係なかった。殺人未遂という嫌疑をかけられた俺への追及は熾烈を極めた。 俺が学校を中退していること、両親も既に亡くなってしまった事、引き取られた先でも問題を起こして追い出されたこと、男と暮らしていた事、膨大な借金があった事、年齢を査証して風俗で働いていた事・・・・そうして毎日のように銀時に暴言や暴力を受けていたこと。 取り調べが始まった日の夕方には、どこで聞いてきたのかっていうような事まですべて刑事達は知っていて、1つ1つ馬鹿にしたように読み上げては俺に確認を取った。 その取り調べは、ハナから俺が犯人だって決めつけているやり方だった。 お前は、銀時の借金と暴力から逃れたかったんだろう?って。 最初は知らない分からないと言っていた俺。銀時の事だけが気がかりで、誰でもいいから銀時がどうなったのか、助かったのか、それを教えてほしかった。 髪を掴まれて脅されながらも、俺は「どうして誰も、銀時の事を教えてくれねェんですかィ」と、問い続けた。 絶対法律違反だろって仕打ちの長時間の取り調べが終わって留置所に放り込まれる俺。 冷たい壁に身体を預けて。 俺は山崎の事を考えていた。 山崎は俺のことを守る為に俺を警察に売ると言った。 山崎の深い闇。俺はそれに気付かなかった。 自分のことばっかり考えて、山崎がずっと長い事傷ついて、俺を心配して、言いたい事も我慢してくれてるって知らなかった。 いや、知っていたのに気付かないふりをしていた。 俺のせいだ。 事件を通報したのは山崎だ。だから、俺が犯人じゃないって言い張れば多分捜査は山崎に及ぶだろう。いや、日本の警察はそんなに馬鹿じゃあない、既に山崎の周りを調べているかもしれない。 俺のせいなのに。 山崎があんなことをしたのは、俺が馬鹿だったからなのに。 俺は、誰の事も不幸にしかできないんだ。 銀時・・・・銀時。 俺の事、助けてよ。 助けにきて。 いつもみたいにスマートになんでもないって顔して、こんなところからサッと攫ってってくれよ。 「・・・・じかた・・・・さ」 俺の頬を。 熱いものが流れ落ちた。 「ひじかたさん・・・・・土方さん、土方さん、土方さん・・・・土方さぁん・・・・」 もう二度と口にしないって決めたはずの名前を、俺は朝まで呼び続けた。 翌日、銀時の酒に毒を盛った犯人が逮捕された。 被疑者の名前は沖田総悟。 俺は、警察に促されるままに「自白」をした。 簡単なことだ。これしか、山崎に償える方法が分からなかったからだ。 俺が山崎の人生を滅茶苦茶にしていいはずがない。 俺と銀時が暮らしていた部屋のシンクの下からパラコート入りの瓶が発見された。 近所の農家(詳しくはわからなかったけど、警察が言ったそのまんま認めた)が農薬を盗まれたのは、俺が銀時の手によって知らねえ親父二人に身体を売らされた日だった。 つまり、銀時と弁当を一緒に食べた日も、俺が滅茶苦茶に殴られた日も、ずっと山崎はその凶器と共にいたってことだ。 あの日、始めて山崎の何かがおかしいって思った。だけど、いつも通りに戻った山崎に俺は安心してしまったんだ。 涙が出てきた。 俺は、山崎を犯罪者にしてしまったんだ。 その日、俺は刑事による調書が作成されるのをじっと眺めていた。 普段からヒモのような生活をしている銀時を俺は疎ましく思っていた。 風俗の売り上げを搾取されて暴力を振るわれる毎日に嫌気がさして、銀時の殺害を計画。 そうして農家から農薬を窃取。それを台所の流しの下の物入れに隠し持つ。 犯行の前日、被害者より手ひどい暴力を受け殺害を決行。 被害者がいつも飲んでいる酒瓶にキャップ一杯のパラコートを混ぜ、被害者に飲ませる。 淡々と。 俺は刑事の言うとおりに発言した。 状況証拠ばかり。俺が自白しなかったら俺は逃れられたかもしれない。だけど、確実に山崎が罪に問われただろう。 調書なんて自分の言った事が文章にされるんじゃなかった。 つらつらと刑事が文を書いて、それに対して間違いないか?って確認されるだけ。 本当にすぐに俺の犯行実態が作られていった。 すべて読み上げられた後、調書の1ページ1ページに俺の拇印が取られた。 俺の指紋がデータに残ることに恐怖を覚えたけど、これからもっと恐ろしい事になるんだってことは分かっていた。 すべてが終わってから、刑事が俺に教えてくれた。 「坂田銀時はなあ、お前の飲ませた農薬のせいで廃人同様だ」 俺の髪を掴んで、顔を取調室のデスクに押し付けたまま、ヤクザみてぇな声で言った。 銀時・・・・・。 生きてた!!!!助かったんだ!!!!!! だけど・・・・廃人って・・・・廃人ってどういうことですかィ!? 必死になって縋りつく俺に、非情な刑事はもう何も教えてくれる事はなかった。 ああ・・・・俺の命なんか銀時にあげたっていいんだ。 だから、だから元の銀時に戻って!! 不意に。 俺は、思い出した。 二人で暮らし始めてからじゃなくて。 まだ、土方さんの家にいた頃。 土方さんが風邪を引いて、俺は銀時に土方さんの看病をしてくれって頼んだ。 銀時はすごく悲しそうな顔をして、それでも土方さんの部屋へ行ってくれたんだ。 あの時俺は銀時にありがとうって、言ったっけ。 ありがとうって・・・・・・言ったんだったっけ。 たった一人の留置所で、俺は声を上げて、泣いた。 結論から言うと、俺は9ヶ月間を少年院で過ごした。 家庭裁判所で下された審判の通りだった。 審判の間の期間と少年院送致までの間は刑期から引かれるわけだから、実際には刑期よりも短かったけれど。 銀時が命をとりとめたこと、情状酌量されるべき状況であったこと、何よりも少年法が刑事罰を与える為で無く更生を目指すものであること。これを考慮されての審判だった。 裁判には、証人として山崎と土方さんの姿があった。 高杉は・・・多分証人として採用されなかったんだとおもう。俺を庇うあまりに証言に信憑性がなかったんじゃないかな。 俺は、忙しい土方さんにまたも迷惑を掛けてしまった。でも、土方さんの姿を見られたことは素直にうれしかった。 こんな・・・こんな犯罪者としての俺を見られる悲しさ以上に。 土方さんは俺をほとんど見なかった。 最初に入廷してきた時に俺をじっと真っ直ぐ見つめて。それだけ。 土方さんの表情からは何も感じ取れなかった。心の中を推測することすらできなかった。 土方さんは、俺にとって不利になるようなことを何一つ言わなかった。 家事を手伝って学校でも部活に真剣に取り組んで、こんな恐ろしい犯罪を犯すような人間では無いってはっきり言ってくれた。 俺はもうそれだけで死んでも良かった。 あの、家を出る前の日に俺を強く抱きしめてくれた土方さん。俺の不貞にもっともな怒りをぶつけられたけど、それまではとても優しくて俺は蕩けそうだった。 裁判での土方さんの証言姿と、その想い出だけで俺は一生生きていける。 出所したって土方さんに合わせる顔なんてねえ。 だけど。 俺は、この歓びだけで。 幸せで心が一杯になった俺は、自白を翻す事は無く、一貫して殺害未遂を肯定し続けた。 面会に来てくれる保護司の人や、弁護士さんにも「本当の事を言ってくれ」って散々言われたけど、俺の中でこれが真実なんだ。 ただ、俺が更生している間、銀時が一体どうなるのか。それだけが気がかりだった。 審判が下りてから、弁護士の人が教えてくれた。 その頃銀時は、数か月の入院を終えて、土方さんに引き取られたってことだった。 「引き取られる」 その言葉が俺にショックを与えた。 またも土方さんに世話をかけてしまったことじゃない。 そんな言葉で言い表さなければならないほど銀時の状態はひどいのだろうか。 俺は気分が悪くなるような感覚の中、弁護士さんや保護司さんに銀時の事を尋ねた。 「大丈夫、内臓がとても丈夫だからね、大丈夫だよ」 そんな風にしか言ってくれなかった。 早く、早くここを出て銀時に会いに行かなくちゃ。 俺の頭を刈るバリカンの音を聞きながら、膝の上で握り込む拳に決意を込めた。 少年院の中での事は思い出したくない。 思い出したくないし語りたくない。 とにかく、事件から9ヶ月後の秋、17歳になった俺は、保護司の人に迎えにきてもらって少年院を出た。 出る二月ほど前から俺は髪を刈られなくなったので、今は短髪ながら少しだけ伸びてきている。 面会に来た山崎なんか俺の坊主頭見て「色っぽい」なんて言ってやがったけど。 俺は相変わらず目がおっかねえ山崎が怖くてならなかった。 土方さんは一度も面会に来なかった。当然だ。俺は土方さんに迷惑しかかけてねえ。会社で微妙な立場の土方さんなのに、一時的にでさえ弟としてあの家にいた俺が殺人未遂で少年院に送致されたんだ。経営上どれだけ不便を強いられたか知れない。 出所の日、保護司の人の話では、土方さんが俺と話をしたいと言っていたらしかった。 あの人は、俺にこうまで迷惑を掛けられて、未だ血縁という鎖に縛られているんだ。 俺は、会いたくありやせんってつっぱねた。 一刻も早く銀時の様子を知りたかった。 だけど、俺はこのままじゃ土方さんの元へなんて行けなかった。 俺は、とりあえず保護司の人の家にお世話になって、仕事を探し始めた。 仕事と住む所が決まってから土方さんちに銀時を引き取りに行くつもりだった。 銀時はきっと治療なんかの費用もかかるだろう。できれば身入りのいい仕事が良かったけど贅沢は言えない。 俺は年齢をごまかして風俗で働いていたし、保護司の人が目を光らせているのでまたあの仕事に戻ることはできなかった。 でも、そこまでする必要は全くなかった。何故なら、土方さんが銀時の借金をきっちり清算してくれていたからだ。 俺は、それを聞いた時、喉の奥が、ずんと詰まった様になって、嬉しいのかつらいのか自分の気持ちが全然わからなくなってしまった。 そこまでしてくれた土方さんにこれ以上手をかけさせるわけにはいかない。早く仕事を見つけたかった。 やっぱり身入り優先だと思って道路工事のバイトに行ってみたけど、オッサンに鼻で笑われた。 「お譲ちゃんには無理だ」って。 どう隠したって俺が院生活をしていたことはバレるもんだ。だから中々仕事は決まらなかった。 そんなこんなで二カ月が過ぎた。俺の髪が事件前より少し短いくらいまで伸びた頃、保護司の人の紹介でようやっと工場のライン勤めの仕事が決まった。 給料は月11万。そこから色々引かれて手取りは8万あるかないか。 でも、それでも生きていける。 高杉がまたファミレスに戻って来いって言ってくれたけど、働いてはやめて戻ってはまたやめて、他のスタッフに迷惑を掛けた俺が堂々と当然の様に戻ったりしたらきっと高杉の立場だって悪くなるだろう。 丁寧にご辞退申し上げて、俺は仕事と部屋を決めた。 なるべく先延ばしにしたかった土方さんとの再会。 銀時をこれ以上放っておくことはできなかった。 俺は、震える指で土方さんの家のインターホンを押した。 休日の夜。 この時間帯ならきっと家にいると思った。 果たして土方さんの応答が、インターホンから聞こえる。 機械的な声を聞くだけで胸がぎゅうっと締め付けられる気がした。 「総悟でさ」 掠れた声で告げると、 「入れ」 と事務的な声音で土方さんの返答。俺は、息をたっぷりと吸い込んだ。 リビングの扉を開けると、土方さんがいつもの席に座ってこっちをみていた。 俺は床に手をついて詫びを入れようとしたけれど、喉の奥からは声が全然出てくれない。 自分を叱咤して、ようやっと 「銀時に、会わせてくだせぇ」 とだけ、言えた。 「銀時が、心配か」 相変わらずの冷たい顔。 「へィ、できれば連れて帰りて・・」 バン!と土方さんが机を叩く音。俺の身体はその音に反応してビクリと震えた。 「そんな簡単なモンだと思っているのか、銀時の世話をすることが」 どきんどきんと身体中が心臓になったみてえになった。 銀時・・・そんなに悪いのか。 「来い」 静かな土方さんの声。 土方さんは、書斎の方へ俺を連れて行った。 昔の銀時の部屋は二階だった。今、この奥に銀時がいるとしたら、銀時は階段の昇り降りも難しくなっているということだろう。 指先が急速に冷たくなっていくのを感じながら俺は土方さんが示した、書斎奥の部屋のドアノブを回した。 薄明かりがつけられた部屋の中。ベッドの手前に銀時は、いた。 車椅子に乗せられて。 「乗せられている」 その表現がぴったりだった。 膝には毛布がかけられて、腕はだらりと垂れ下がっている。 呼吸器こそつけていないものの、首はがくりと横に折れ曲がり、目はどこにも焦点があっていないようだった。 身体中が小刻みに揺れていて、涎が顎まで垂れてきており、もちろん俺が部屋に入っても何の反応もなかった。 ただ、「ああ」だとか「うう」だとか意味の成さない音をずっとその口から発し続けているだけだった。 俺は、ショックでその場に立っていられなかった。 がくりと膝をついて、銀時から目を逸らした。 「銀時・・・・銀時!!!」 土方さんの部屋のカーペットが俺の涙で濡れる。 俺は、力の抜けた足で車椅子まで這って行き、銀時の膝に縋った。 「ごめん・・・・ごめんなさい・・・銀時!!」 土方さんがいつのまにか横に立っていて、銀時の顎をタオルで拭いた。 「俺・・・俺・・・・・・」 ぐすぐすと涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。 「俺、銀時を引き取りてぇでさ・・・お願いだから、土方さん、銀時を俺に返してくだせぇ」 「・・・・駄目だ」 「どうしてでさ!!俺と銀時はちゃんとやっていきまさ、土方さんに迷惑なんて」 「馬鹿野郎!!!何を偉そうに!お前なんかに銀時の面倒が見られるわけねえだろうが!!治療にいくらかかっていると思っているんだ!お前が仕事に行っている間銀時を放っておくのか!?銀時は一人で用も足せないんだぞ!」 雷の様な土方さんの声。 1つ1つの言葉すべてに俺は何も言い返せなかった。 「うう・・・・・ううううううううう」 涙が止まらなかった。 俺のせいで銀時はこんなことになってしまったのに、俺は何もできない。何も出来ないんだ。 「総悟」 冷たい冷たい、土方さんの声。 土方さんは俺の事をどう思っているんだろう。土方さんを裏切って銀時と逃避行したくせに、銀時が邪魔になったからといって恐ろしい毒物で銀時を殺そうとした化物だって映っているかもしれない。 俺は、はじかれたように身体を起こした。 土方さんの罵りの言葉を受けたくなかった。 土方さんの顔を見ないまま立ち上がってダッシュで部屋を出た。 「総悟!!」 土方さんが後ろで何かを言っている。 だけど、何も聞きたくなかった。 「土方さん・・・俺、必ず銀時迎えにきまさ・・・それまで・・・それまで・・・」 銀時をお願いします! そう叫んで俺は土方さんの家を飛び出した。 俺は心臓が破れる程走り続けた。 金だ。とにかく金だ。 またソープで働けばいい。なんなら工場勤務してソープで働いて。 今はもう借金なんてねえんだから、風俗で働いた金はすべて入ってくる。 金さえあれば銀時を引き取って世話できる。俺がいない間は人だって雇えるんだ。 今は保護司の人の目が厳しいけど、半年か一年大人しくして、ほとぼりが冷めたらまたあそこで働けばいいんだ。 待ってて・・・待っててね、銀時。 もうすぐ、銀時が地獄の苦しみを背負わされた季節がやってくる。 俺は、溢れる涙をぐっと拭うと、新しいアパートに向かってまた走り続けた。 そのアパートは前と同じような線路沿いのボロい建物だった。 前と一緒で風呂はない。 だけど、銀時を引き取るってんなら、やっぱり風呂がある方が便利なはずだ。 がんばって働かねぇとな、そう思いながらドアの前まで来て俺はビクリとした。 山崎が。 ドアの前に立っていたのだ。 知らず震え始める身体。 「・・・・ザキ」 「お帰りなさい、沖田さん」 うっとりとした様な表情で、山崎は俺に向かって腕を広げた。 前と同じ様な焼けた畳にほとんど家具がない部屋。 一応ヤカンとマグカップはあるので俺はコーヒーを淹れた。 「ごめんな、テーブルとかまだ無くて」 畳に直にマグカップを置く。 「お久しぶりです、沖田さん」 心底嬉しそうに山崎が言う。さっきから視線はずっと俺。俺の顔、首、胸、腕、腹、腰、足のすべてを嘗めるように眺めている。 ぞくりと身体が震えた。 「あ・・・あの・・・・ごめんな、ザキ。俺、俺のためにザキにあんなことさせて」 銀時を廃人にしてしまった山崎。本当だったら殺しても殺し足りない相手。 だけど、そんなことになったのも、すべて俺のせい。 山崎の精神が何かおかしいと思ったのに放っておいた俺のせい。 俺に罪をなすりつけておいて平然としている山崎を作り上げてしまったのは俺。 山崎は俺のその言葉には答えず、鞄から何か紙切れを取りだした。 「見てください、沖田さん。これ、この間塾で受けた全国模試の結果です。俺この一年ですごく成績上がったんですよ」 俺は、それを見ることもせず山崎とまっすぐ目を合わせた。 「ザキ・・・お前、ひょっとしてまだ・・・まだ俺の事・・・・」 「当然ですよ、俺は沖田さんを一生守っていくって決めたんですからね。まかせてください。来年の受験では間違いなく偏差値の高い大学に合格できると思います」 ニコニコとその紙切れを俺の手に握らせる。 「だから、沖田さんは無理に働かなくたっていいんです。なんならもっともっと長い事少年院や刑務所に入ってもらって働けるところなんてどこにもなくなってくれたっていいんですよ。ずっとずっと俺が面倒みてあげますから。」 怖い。 ぞくぞくと俺の背中を冷たい何かが走りぬける。 俺が山崎の身代りとなった結果、こいつを野放しにしてしまった。自分の選択が間違っていたのかもしれない。 「ザキ・・・俺・・・ごめん・・・。俺、ザキの世話になったり、しねえ」 震える声でそう告げる。 途端、山崎の目の色が変わった。 「どういうことですか、それ。あと少し、あと少しなんですよ!来年受験が終わったら四年待ってて下さったらいいんです。そしたら俺きっといい会社に入って貴方に楽をさせてあげられるんですよ!!」 ガツと肩を掴まれ揺さぶられる。 「ヤッ・・・・いや!」 反射的に山崎を振り払おうとする。 肩を掴んだ手から身をよじって逃れた。 「何故・・・・何故なんですか・・・?沖田さんの・・汚れきった身体を・・・俺はそれでもいいって言ってるんですよ!!」 俺の双眸からはいつの間にか冷たい涙が流れ出していた。 汚れきった身体。 「やめて・・・・やめてくれィ」 がくがくと震えながら。 聞きたくない、そんな言葉聞きたくないんだ。俺を好きだって言っている人間からそんな言葉・・・・。 「うう・・・・・やめて・・・・」 「見せてください」 「え・・・?」 「俺、貴方が浮気しているかどうかちゃんと確認したいんです。またあんな風俗なんかで働いたりしていないか心配なんです。気持ちいい事だったら俺がしてあげますから」 これは、一体誰だ? 呆然と山崎を見上げるしかできない。 山崎は俺のシャツに手を延ばすとボタンを1つ1つ外し始めた。 「イ・・ヤっ!!」 ふいに事態が理解できた俺は、ばしんと右手で山崎の腕を振り払った。 山崎の、暗い瞳が燃える。 「駄目だ・・・貴方は駄目な人だ。浮気していたんですね。浮気していたから身体を俺に見せられないんだ。貴方は根っからの男好きなんだ。。。。あと5年も待っていられないんですね。」 はあはあと息が荒くなる。 「ご・・・五年間、ここに貴方を縛りつけるしかないんだ・・・・」 そう言って脇に置いたコートのポケットからロープのようなものを取りだした。 俺の脳を一瞬で恐怖が支配する。 山崎は・・・多分もう正常じゃない。 もうずっと前から・・・銀時の酒に毒を盛った時から・・・・。 その山崎を、俺は正しい処分を受けさせず放置した。その間に山崎の狂気はむくむくと成長を遂げたのだ。 「やだぁ!」 俺は近付いてきた山崎の顎をめちゃくちゃに蹴り上げた。 「ぐっ」 一瞬山崎がひるむ。 それを見逃さずに身体いっぱいで山崎に体当たりをかますと、奴が転がっているうちに靴を履いて部屋を逃げ出した。 怖い・・・怖い・・・・・。 俺にはもう、どこにも行く所なんかねえんだ・・・・・。 乱れる息も気にせず、めちゃくちゃに走りまくる。 曇天の空からぽつりぽつりと雨が降り出した。 ざあざあと雨の音だけが俺の耳に届いていた。 降り出した雨はあっという間にどしゃぶりになり、辺りが暗くなる頃には人通りもまばらになるほどになっていた。 もうすぐ、雪になりそうなほど冷たい雨。 どこへ行くあてもなかった。 高杉・・・高杉の所へでも行こうか。 だけど、あいつにだっていつも迷惑をかけっぱなしで。金だって結局すぐに銀時に取られてしまって一体いくら借りたのかでさえ定かではない。 こんな状態の俺が部屋に行って、そしてただ同じ部屋で眠るだけ?そんなの高杉をいいように利用しすぎだ。 俺の顔は雨でびしょびしょで流れ落ちる涙を隠してくれた。たまにすれ違う人達は、ずぶぬれでそれでもとぼとぼと歩いている俺を訝しげに振り返って行った。 一生懸命頑張って生きてきたつもりだった。 小さいころから貧乏で。それでもたくさん愛してもらって姉ちゃんは俺に大切なものをたくさん残してくれた。暖かい心と精いっぱいの愛。思えば何も考えないで笑っていられたあの頃が一番幸せだった。 姉ちゃんが死んで。 なにもかもすべてが壊れた。 何かが1つ壊れる度に俺は必死になって欠片を拾い集めて元通りにしようって頑張った。 だけど、どれだけ頑張っても不器用な俺には何一つ元に戻すことはできなかった。 頑張って、頑張って・・・頑張って・・・もう、疲れた。 俺はもう、楽になりたかった。 ガタガタと耳に響く電車の音。 轟音と共に通り過ぎる電車の真下、ガード下のコンクリートにそっと凭れかかった。 急激に冷えて行く身体。寒さでうまく息ができなかった。 ここで、意識を失ったら、楽になれるのかもしれなかった。 銀時・・・・・俺、銀時を迎えにいけねえかもしれねえ。 ひじかた・・・さん。 がっくりと膝を折る。ガチガチと合わない歯の根で、土方さんの名を呼ぶ。 俺はもう、疲れやした。 大好きでさ、土方さん。 だいすき・・・・・・。 ふいに、俺の朦朧とした視界の中に真っ黒い影が覆いかぶさる。 ・・・・・・だれ・・・・・? ぼやけた視界に必死に目を凝らすと、それは、俺のだいすきな大きな黒豹だった。 ひじかた、さん? しなやかな黒豹はいつも帝王のように背筋をのばして高貴な雰囲気を纏っていた。 だけど、今日の土方さんは今にも泣きそうな顔を不機嫌な表情で隠しているみたいな感じだった。 ああ、最後に土方さんに会えたんだ。 「神様って、いるんだねィ」 俺は、そう呟くと電池が切れたように意識を手放した。 「我儘なカンパネルラ(10)」 (了) |