くちぐるま H.24/01/22


(銀沖←山)銀沖というような銀沖はありません。丹波さん的な感じのお話です。






とにかく山崎は変な奴だった。
地味で存在感もあんまりねえし、友達もまったくいないみたいでいつも一人だった。
勉強は中の中から中の上でそのくせ同い年の高校生をハナから馬鹿にしたような、そんな心の中を上手く隠して過ごしている様な感じ。

ほとんど話したことねえからよくわかんないけど、別に性格がいいというわけでもないし男前というわけじゃあもちろんない。

ただ、ハナにつく。

その表現がぴったりだった。

あいつは人から敬遠される要素を1つ持っていたにもかかわらず、自分以外の人間を馬鹿にしているような顔をしている。
これがスポーツ万能で学年トップの土方コノヤローとか、マイラブ坂田先輩とかみたいな人間だったら、ちーとばかし傲慢になってしまうのもわかる。
でもあいつはそうじゃない。
ただのフツーの野郎でフツーに鈍臭くてフツーの成績でフツーよりも目立たない。
それなのになんであんな偉そうな顔をしているのか。

無意味に気取って何でも我関せず。
そういうところがハッキリ言ってむかつく。

あいつが敬遠される要素ってのが無くても俺は嫌いなタイプだった。
大抵の人間はあいつのちょっと変なところが嫌いなんだろう。
いじめられてるとかそういうのではないけど、ただ敬遠されていた。

それだけ。


そして、その「要素」ってのがまた問題で。


なんと山崎は「霊が見える体質」だというのだった。











わけわかんねえ。

わけがわかんねえ。

霊なんているわけねえ。
怖がりのマイラブ坂田先輩だって口ではそんなものいないって言ってる。
それがしかも見えるなんて大ホラ吹きもいいところだ。

そう言う輩はたいてい突拍子もない事を言って、注目を自分に集めようとしているんだって土方さんも言ってた。

俺ァ嘘つきは嫌いだ。
他の人間もそうなんだろう。

そんなわけで山崎は、教室でも登下校でも一人でいた。

まあ俺には関係ないけど。




「坂田せんぱーい」

俺が先輩の名を呼んだ途端、先輩の腰がぐきっと折れて、腹を前に突き出す形でくの字になる。
俺が、そのへんに転がっていた野球ボールを背後から先輩に向って全力投球したのが腰にヒットしたからだ。

「ぐあああああああ、なにすんのなにすんの沖田くん!!!」
「先輩呼んだんですけど聞こえなかったかなァと思って」
「聞こえるわ聞こえるわい!真後ろにいたんだから大声出さなくたって聞こえるっつの!ましてや至近距離から剛速球打ち込む必要なんてまったくないんだからねっ!」
「ウフフ」

俺はゴロゴロとブリッコしながら坂田先輩の腕にしがみついて歩いた。
見上げるとマジ鬱陶しそうな顔。

「ちょっと重いから体重かけないでよ」
「俺とくっついていたくねえんですかぃ?」
「うーん、それはね、今はね」
「げ、マジでか。なんで?」
「お布団の中でだけくっついてたい。あとは自由にさせてほしい・・・・あっ、マリちゃん、マリちゃーん!!」

坂田先輩は俺を突き飛ばして!!最近イケてる(先輩談)という、先輩と同じクラスの女の方へ走って行ってしまった。

腹立つ。

でもまあ坂田先輩の一人暮らしの部屋の鍵を持っているのは俺だけ。
俺が先に帰って待ってたら、日付が変わる前には帰って来てくれて、そいで「ホントに好きなのは沖田君だけだよ」って言ってくれるんだ。

俺と坂田先輩はつき合っている。
前に俺んちでチュッチュチュッチュやってたら、なんとお袋に見つかってどえらい怒られて。
坂田先輩は俺んち出禁になって、しかもうちの両親から死ぬほど嫌われている。
だから汚くて出入りしたくなかった坂田先輩の風呂無しアパートでえっちするしかなくなってしまった。
でも住めば都というのは本当で、そこが愛の巣となってみれば、邪魔も入らないしこれほどいいところはない。

そんなわけで俺はトコトコと坂田先輩んちに向って歩いて帰って行った。

先輩は徒歩圏内なのでうちの高校を選んだ。
公園の前を通って商店街を抜けたらもうすぐ。
この角を曲がったら坂田先輩んち。

そう思った途端俺はぽーんと何かに跳ね飛ばされた。
先輩のアパートに続く四つ角で、どうやら俺は車に跳ね飛ばされたみたいだった。

ものすごい衝撃。

ぎゅっと目を瞑ったけど、ずざざと道路に激突して身体中が焼けるように熱かった。
まったく身体が動かない。
車のドアの音がして、誰かが俺を真上から覗きこんでいる。
知らない人。俺を撥ねた人だろうか。
真っ青になっていて、アンタの方が大丈夫かって顔。

あわあわと何かわけのわからねえことを口走って、そのまま車に戻っておもっきしバックすると、Uターンして走り去ってしまった。

あ。
逃げやがった!!!!

「んま・・・・・待てぇい!」
俺は必死になってがばりと起き上がった。
車が消えた方向へと走りだす。

でも所詮は車と人。スピードが全然違うもんで、あっという間に見失って、結局どっちへ逃げたのかもわかんなくなってしまった。

チッキショーひき逃げじゃねえか!

あきらめきれなくてうろうろしていたら、いつの間にか俺は学校の前まで戻って来てしまっていた。

しょうがねえ、あちこち痛ぇけど一応生きてるし歩けるし、とりあえず先輩んちに帰って休もう。
そう思って顔を上げたら、校門から出てくる一人の男子生徒とうっかり目が合った。


山崎だった。




その時の山崎はなんだか変な顔をしていた。

無くしてしまったおもちゃをやっとみつけた子供の様な顔。
だからといって満面の笑みというわけでなく、やっぱりそういう感情をぎゅっと無表情の仮面の下に押し込んでいるような表情だった。

向こうも何にも言わねえし、俺だって別に挨拶するようなつもりもねえ。
くるりと向きを変えて歩き出そうとした時、後ろから山崎の人を馬鹿にしたような声が聞こえた。


「沖田さん、一緒に帰りませんか?」









振り向くと、そこにさっきと同じ表情の山崎がいた。

黒い学生服に真っ黒い艶なしの髪。
肩のあたりまで髪が伸びていて、女子からは不潔っぽいなんて言われてる。

「・・・・俺、家帰んねえから」
別に一緒に帰っても話すこともねえし好きでもねえ奴だし一人の方が良い。
俺がそう言って断ったら、山崎はゆっくりと微笑んだ。

多分はじめてじゃないかな。
なんてゆうか、笑顔?みたいなのを見たのは。
純粋な笑顔じゃないってのはなんとなく感じたけれどとにかく口角が上がっている。
普段は完全に冷めた目でただ何に対しても普通のソツ無さで対応する山崎の、曲がりなりにも「笑顔」。

なんだか気味が悪かった。

「知ってますよ、坂田先輩の家に行くんでしょう?」

「・・・・・まあね」

俺は結構オープンに坂田先輩に対して愛を吐露していた。
んなわけで、俺たちがつき合っているのは周知の事実だったと思う。
だから、別に山崎の口からこういうセリフが出て来てもおかしいわけじゃない。
だけど、なんだかこいつにそう言われると
「坂田先輩の家でセックスしてるんでしょ」
って言われたみたいで、ヤな感じだった。

「俺の家もあっちの方向なんですよ、行きましょう」
そう言って山崎は俺を抜いてとっとと歩きだした。
このままついて行ったら山崎のペースで事が運んだみたいになるけど、俺だってあっちへ行きたいし山崎の為にちょっと間をおいてから行くのも癪だった。

追うでもなく離れるでもなくボツボツと後を歩く。
ふと見ると、前を歩く山崎が立ち止まってこっちを見ていた。

俺を待っているのだと解って、気分が悪くなった。

本意じゃないけど自然追いついてしまって仕方無く肩を並べて歩く。
思った通り、何にも話題なくてただもくもくと歩いているだけだった。

息が詰まる。

「なァ」
「なんですか」
「なんもしゃべんねえの?」
「沖田さんだって何も言わないじゃないですか」
「おめーが一緒に帰ろうって言ったんじゃねえか」

「俺は沖田さんと一緒にいられるだけで嬉しいですから」


キモイ。


それからまた何にもしゃべらなくなった山崎に、やっぱり一人で帰らァと言おうとして、わけのわからねえ無言の圧力にそれも叶わず、また言おうとして諦め・・・と俺らしくない逡巡を繰り返しているうちに、もうすぐさっきの四つ角に着くところまで来てしまった。

俺がぽーんって車に撥ねられた現場。

別に言いたくなんてなかったけど、沈黙が気分悪かったんで、俺は口を開いた。
「俺さっき、そこの角んとこで、車にはねられたんでぃ」

返事は無い。
なんだこいつと思って山崎の方を見ると、山崎もこっちを見ていた。

目が合っちまった。
ふいと視線を逸らした所で、山崎の声。
「ふ、知ってますよ」

それを聞いて、俺は気がついた。
いつの間にか、どこも身体は痛くなくなっていたけれど、制服が汚れていたり顔擦りむいたりしているんだろうか。
無意識に頬に手をやったが、どこも怪我をしている様子は無い。

「なんで知ってんの」
とは聞かなかった。
というか聞けなかった。

なんだか山崎の返事が怖かったから。

最高に居心地の悪い思いで顔を上げるとちょうど件の四つ角まで来ていた。

そこを曲がろうとしてギョッとする。

曲がりきったあたりに、おびただしい血の跡。
アスファルトに吸われたどす黒い大きな染みは、明らかに誰かの手によって掃除された後だったが、それでも痕が消えていない。

なにこれ。

なんだ。

なんだ、これ。

俺は自分の手の指先が冷たくなって行くのを感じた。
その両手の指がかたかたと震える。

なに、これ。
だれの、血だよ。

俺がその道路の血の跡にくぎ付けになっていると、山崎が急に俺の首筋に冷たい手を触れて来た。
ビクリと震える俺。

「沖田さんの、血ですよ」

俺の心を読んだかのような山崎の言葉。

わくわくと唇が大きく震えた。

意味分かんねえ。
どこからも俺の身体からは血なんて流れてねえ。

何言ってやがんだこいつは、気持ち悪い。

俺が立ち去った後にまたなんか事故が起こったんだ。そうだ、犬とか・・・可哀想だけど、そういう動物の・・・・。
てゆうか何、俺が事故ってから、どんくらい経った?
まだ2、30分くらいだと思ってたんだけど、気がつけば辺りは薄暗くなっていた。


「わからないんですか?沖田さん」

背後から山崎の声。

「沖田さん、貴方はここで車に撥ねられて、死んだんですよ」











「なんだよテメエ!気持ち悪ィんだよ!」

気がつけば俺は大きな声を出していた。

わけのわからねえことを言っておいて、山崎はじっと俺を見ているだけ。

「ホラばっか吹いてんじゃねえよ誰もテメエの言う事なんか聞いてねーんだ!」


くすり、と山崎が笑う。

「珍しいですね、沖田さんがそんな声を荒げるの」

頭の中がカッと燃えあがった。
「テメエが気色悪ィことばっか言ってっからだろーが!」

こんな奴、相手してらんねえ。
一発殴って先輩んちに行こうと思った時、山崎がまた口を開いた。

「この先すぐのところに坂田先輩の家があるんでしょう?行ってみたらわかりますよ」
「・・・何が言いてえんだ」
「いつもどおり女の子と浮気してて、どうせ帰って来るの遅いんでしょう?」
「余計なお世話だっつーんだ!お前マジ気持ちワリィ、どこまでつっこんでくんでィ!」
「ふふ、坂田先輩の帰りを待っていれば解りますよ」

「言・・・われなくてもそうすらぁ!」
ガンと山崎の脛を蹴って、俺は坂田先輩の家へと走って帰った。




はっと気がつけばもう深夜だった。
合い鍵を使って中に入り、なんだか色々でものすごい疲れてしまって先輩のベッドでうつ伏せでウトウトして、そのまま眠りこけてしまったみたいだった。

かちゃかちゃとドアの辺りで音がしている。
先輩が帰って来た!

俺は、先輩にムカつく山崎の話をしておもっきし甘えようとがばりと起き上がった。

俺がベッドから降りる前に先輩がドアを開けて入って来る。


だけど、その先輩の顔は。

まったく生気の無い、憔悴しきった表情だった。

いつも半眼のその瞳は、何かに驚いたように見開かれていて。
くっきりと頬に涙の痕。

よろよろと、まるで死刑台にでも向かう様な足取りで、ボロ臭いテーブルの脇にどさりと座り込むと、肩を震わせて嗚咽を漏らした。

「沖田くん・・・・・・・」

部屋の中にいる俺に対して声を掛けているんじゃない。
むしろ俺が見えていないみたいな態度。

「沖田くん、なんで・・・・・どうして・・・・・」
がっくりと肩を落として、首を項垂れて、表情は見えないけど、ぼたぼたと床に涙が落ちているのがわかった。

「先輩・・・・・何、泣いてんですかぃ・・・・」
俺はからからに乾いた喉からようやっと声を絞り出した。

先輩はこっちを見もしない。

「うう・・・う・・・沖田くん・・・沖田くん・・・沖田くん!!!」
あああと声を上げて泣く坂田先輩。
俺はこんな先輩を見たことなかった。
先輩はいつもチャラっと女の子を追いかけてて、拗ねる俺を宥めてキスしてそれからいっしょの布団で寝る。
口先だけだと苦々しく思う時と俺だけが特別だって感じる時とが交互にやって来て、俺はそんな不安定な立ち位置にいるからこそ、坂田先輩を捕まえておきたくて夢中になっていた。

「先輩・・・・坂田先輩!」
俺は駆け寄って先輩の肩を掴んだ。
だけど、先輩は俺が触れていることに全く気付かなくて。

半分予想してたけど、先輩はこっちを見ることもしなかった。

・・・嫌だ・・・・なんだこれ。
なんだ、これ。

先輩。こっち向いてくだせえよ、俺、ここにいまさ。

「坂田先輩!!」

俺は、俺に気付いてくれない先輩に向って、朝までただ飽きもせず名前を呼び続けるしかできなかった。








「あの人は浮気性だから、きっと沖田さんのところへ連れて行く方がいいですよ」

ケロリとした顔で、山崎が言った。

あれから俺は先輩に気付いてもらえないむなしさに、街へ出て辺りを彷徨い歩いた。
だけど、誰も俺に気付かない。
今にしてみれば、車にぽーんと撥ねられたその瞬間から、山崎以外の誰にも話しかけられなかったし気付かれなかった。



俺は死んでしまったのだ。



ぐるぐるぐるぐると街を歩いて、仕方なく家に帰ろうとした時、山崎のことを思い出した。
あいつは知っていたのだ、俺が死んでしまったことを。

あいつの言った通りだった。
車に撥ねられたのも事実だし、あんなに痛かった身体がもう今はまったく痛くない。
そうして、「霊が見える」と言っていた山崎以外には誰にも俺の姿が見えなかった。
そう、坂田先輩でさえも。


どうしようもない。
今のところ俺の姿が見えるのは山崎しかいねえ。
俺は結局、次の日山崎が登校してくるのを待つしかなかった。


そんな俺に開口一番山崎は坂田先輩を俺の所へ連れて来いと言った。

「なんでぃ、どう言う事だよ、まさか」

「ふふ、沖田さんが死んでしまったら、きっとすぐにあの人は女の子達の中から新しい彼女をみつくろうでしょうね、と言っているんです」
「テメー、あんま舐めたことぬかしてんじゃねえぞ」
俺はぎろりと山崎を睨みつけた。

そしたら山崎はくすり、と笑う。

「随分強気ですね」
「ああ?」

「俺以外に貴方の姿、見えた人なんていないでしょう?俺だって今までの人生で他に霊が見える奴なんて会った事ありません。たまに霊感人間きどってるやつがいたって、大抵見えていない」
「それが、どうしたってんでぃ」
「ふっふふ・・・だから、ね。沖田さんは俺しかいないんです。俺がすべてなんです」

両目の下瞼がぴくりと震えるのがわかった。
知らないうちに、山崎を今までよりよほどきつく睨み上げる。

「いや、沖田さんがそれでいいって言うならいいんですよ。ただ、ね。あの人の浮気性は貴方もわかっているでしょう?」
「馬鹿いってんじゃねえや、口でなんてったってあの人ァ俺のことが一番なんだからそんな簡単に他に乗り換えるわけねえんだ」
「あなたは死んだんですよ」

どきりとした。



死んだ。



死ぬってなんだ。

俺は、どうなんの、これから。
坂田先輩とは二度と話もできねえの?

「見ていなさい、明日にでもきっと坂田先輩は別の女の子を家に上げるでしょうよ、沖田さんがいなくて寂しい、なんて言って」
「黙れ!坂田先輩はそんな人じゃねえし!それに・・・それに俺はテメエがいなくなってまで、一生あの人をしばっておくつもりなんて絶対にねえ!!」
はあはあと肩で息をして一気にまくしたてた。

「そうですか」
興味なさそうに山崎が答えて、ふいときびすを返す。
下駄箱まで来ていたのに、グラウンドを横切って校門を出ようとしている。

「どこいくんでぃ」

「今日はサボろうかなと思って」
しれっとしたものだ。

山崎ってこんなやつだったのか?
腹の底では何を考えているかわかんない野郎だったけど、真面目を絵に書いたような男だと思っていた。
こんな風に簡単に授業をサボる奴だったなんて。
俺も結構サボってるし、こいつ自身が存在感ねえからわかんなかっただけで、結構前からこんなかんじなのかもしれねえ。


「おい」
「・・・・」
「おい!」

「なんですか」

「お前、霊見えてんのかよ」
「はい」
「じゃあ俺は?俺は他の霊とか見えねえんだけど」
「・・・・・」
「おい!」
「貴方は霊が見えないタチなんでしょうね」
「ふざけんな!」
「死んだからってお仲間が見えるってきまりはありませんよ。現に俺が見て来た霊どもはいつも孤独で自分のやり残したことばかり考えていましたよ」

「じゃあ世の中は幽霊だかそんなワケのわかんねえもんでいっぱいだってのかよ、俺の隣にもいんのか?そのうち世の中がおっかねえもんで溢れかえっちまわァ」
「いやあ、そんなにいませんよ。めったに。今だって沖田さんと・・・あとは数人くらいしかいません」
「じゃあ、皆どこいっちまったってんだ」

探るように視線をやると、山崎はこっちを見もしないでスタスタと歩きながら答えた。

「さあね、いつの間にかいなくなったりするのがほとんどですけど、そこから先は俺にだってわかりません。いまだかつていなくなって再び現れた霊なんていませんから」

そこでぴたりと足がとまる山崎。
くるりと振り向いた。

「だからね、沖田さん。これからあなたはどうなるかなんてわからない。意識がまったく消えてしまうかもしれないし、それこそ地獄の様な恐ろしいところへ行かなければならないかもしれないんです。そんな不安な時に、貴方は一人でいいんですか?愛する人と一緒に行きたくはないんですか?」

「うるせえよ、いい加減なこと言ってんじゃねえ、大体考えてみりゃあ俺が死んだってのだって嘘くせえんだ、俺はこの目でテメエの葬式だって見ちゃいねえんだから!」

「アハ」

生きている時にはついぞ見たことのなかった山崎の笑顔。
笑顔とは言えないかもしれない、身体ごと45度俺を振り返って口の端をゆるやかに上げただけ。
俺はなんだか、この山崎こそが、この世のものではないような、そんな気味の悪いものを見た気分になった。

「沖田さんの今の状態で、死んでないなんてよく言えたものですね。自分でもわかっているんでしょう?本当の本当に自分がもうこの世のものではないということを」

「うるせえ、うるせえ、うるせえ!!!!おま、お前こそ死んじまえ!!」
俺は山崎の顎を狙って拳を繰り出した。
「ウッ・・・」
ヨロリとよろける山崎。
衝撃を逃がそうと軽く頭を振っている。

俺は、その姿を見て、あることに気がついた。
俺は昨日、坂田先輩の肩に触れたのに、先輩は気付きもしなかった。
だけど今山崎は俺のアッパーを受けてダメージをくらっている。

どういうことだ。

俺のことが見える山崎だから俺の物理的な接触の影響を受けるんだろうか。

いや。

きっと俺がこの状態に慣れたんだ。
がんばれば、現世の人間に気付いてもらえるのかもしれない。



「どこへ行くんですか、沖田さん」

背後から山崎の声が聞こえる。
俺はフラフラと、坂田先輩のアパートに向って歩を進めていた。


先輩・・・先輩・・・・先輩・・・・・・。

俺が、一生懸命呼びかけたら、きっと・・・・気付いてくれるんですよねィ。






だらだらと先輩のアパートの階段を昇った。
身体というものが無いからなのか、疲れやだるさはまったくなかったけれど、精神の疲労からか階段を昇るのが億劫だった。

とにかく坂田先輩の顔が見たい。

道中、もしも先輩がどうしても俺に気付いてくれなかったらどうしようって考えていた。
俺は一日でも一晩中でも先輩に気付いてもらえるよう呼び掛けるつもりだけど、それでも俺の存在に気付いてくれなかったら・・・・・。

でも。

それでも俺は先輩が好きだ。
ずっとずっと、俺が消えてしまうまで、先輩を見守ってすぐ側で過ごすんだ。



階段を昇りきって、つきあたりが先輩の部屋。
足元を見ていた視線を上げてみると、先輩の部屋のドアが開いた。

そのドアの向こうから、一人の女の人が・・・・・とても綺麗な、女が出て来て。
それを見送るように坂田先輩が、一歩ドアの外まで追って来た。
先輩の表情は見えない。頭を垂れて背中を丸めて。

女が、先輩の背中に手を回して、先輩は女の肩に顔を埋めた。
密着する二人。

俺は、目の前のことが信じられなくて、抱きしめ合う二人をただ見つめるしかできなかった。


やがて、女が先輩から離れてこちらへ歩いて来る。
俺は、そこでようやっと身体を引いて女と擦れ違った。
多分避けなくても俺にぶつかって気付かれることはないんだろうけど、俺はこんな女に触れたくもなかった。

ぱたんと音がして、先輩が部屋に戻ったのが解る。
俺は、よろよろと吸い寄せられるように部屋に向った。
昨日は普通にドアを開けて入ったけど、今日は違う。
腹に力を入れて息を止め、一歩踏み出せばぞわぞわと頬に鳥肌が立つような感覚と共にドアをすり抜けることができた。

ああやっぱり俺は生身じゃあなんだなァと今更の思いで部屋を見渡すと、テーブルの前に項垂れて座る先輩の姿。
部屋は真っ暗だった。
暗いけれど、台所から暖かな湯気が立ち上り、今まさに女が作った食い物が入っているであろう鍋が見えた。

「せん・・・・・ぱい」

俺は、先輩の方へ一歩ずつ近付いて行く。
先輩は、俺が死んでしまったのが悲しいんですかぃ?
だから、昨日泣いてくれていたんでしょう?

なのにどうして今日はもう女なんか家に上げているんでぃ。
なんであんな風に女の肩に顔を埋めて、抱きあっていたんですかぃ。

「先輩・・・・・・」
座る先輩の目の前に、俺も向い合って座る。
先輩の肩を正面から掴んで揺さぶった。
揺さぶったけど、先輩はぴくりとも動かない。

「先輩・・・俺が、俺が見えねえんですかぃ?」

項垂れたままの姿。

「先輩!どうして!どうして俺のことは抱き締めてくれねえんですか!?」

先輩をずっと側で見守るつもりだった。少なくともここまで来る間は。
だけど、浮気性だって知ってるはずの坂田先輩がちょっと女と抱きあっていただけで、そんな決心はぐらぐらに揺らいでしまった。
俺は、俺は、どうしたって先輩に気付いてほしいし俺を見てほしいし俺だけをずっと愛してほしい。

俺以外の誰も見ねえで。
「先輩!!どうして・・・・先輩、先輩!!!」

俺はぎゅうと先輩の胸にしがみついた。

先輩はまだ十八。これからずっと長い人生が待っているんだから、一生独りでいることなんてないだろう。だけど、俺はこうやってアンタを見てる。見てるしかねえんだ。
ぎゅうぎゅうと先輩を抱き締めて、俺がずっと束縛できたらどんなにかいいのに!

「先輩、先輩!!」
だけど先輩はきっと別の人を好きになるだろう。
俺だけの先輩じゃなくて、誰か別の人のものになるんだろう。

「さみしい・・・さみしいでさ、先輩!!」

先輩!!!!

精一杯腕に力を入れて息を止めた時だった。

「ぐふっ」

先輩がなにか吐き出すようにむせる声が聞こえた。俺の頭の上で。

「ごほっ・・・ぐ・・ぐほっ・・・はあ・・はあ・・・ごぼっ」
先輩が肩を大きく揺らせる。
俺は何が起こったのか解らなくて、呆然と先輩を抱き締める手を離した。

先輩の顔は真っ青で、俺の好きな気だるげな瞳はいっぱいに見開かれて、そうして瞳孔がぱっと花が咲くようにちらちらと散大している。

「んっ・・・んぐっ・・・・ごほごほごほっ!!!!」
突然先輩の唇から、大量の血が吹き出て来た。

ぼとぼとと部屋の畳をどす黒い血が染め上げて行く。

「せん・・・・ぱい?」

俺は、ほんとうに、何が起こったのか、まったく理解できなかった。
ただ、今の今まで先輩を抱き締めていた両手がじんわりとあたたかく痺れたような感覚。

先輩は、長く苦しまなかった。
俺が呆然と座り込むすぐそばで、すぐにまったく動かなくなってしまった。

「なに・・・なんだこれ・・・・先輩・・・・・う、嘘でしょう、先輩、先輩!!!!」

俺は倒れている先輩の肩を揺さぶって起こそうとした。
だけど、全くなんの反応もない。

まさか。
まさか、先輩・・・・まさか!・・・し、死んで・・しまったんですかぃ。


「先輩!!!!!!!」
俺は先輩を抱き締めて泣き崩れようとした。

その時。

俺の肩をだれかがぎゅっと掴んだ。

「ひ・・・」
振り向くと、山崎。

山崎は、先輩を抱く俺の肩に手を置いたまま、穏やかでそれでも何か大きな仕事を1つ終えた充足感のようなものを潜ませた表情をしていた。

「なに・・・・・なんで・・・やま・・・ざき・・・・」

その瞬間、バッと目の前がフラッシュに包まれたみたいになって、俺はぎゅっと目を瞑った。
瞑った瞼の中で、青やら赤やらの光が咲いては消え咲いては消えした。
ごぼごぼと水の中にいるみたいな音が聞こえてびゅうびゅうと風が吹いて、それからまた肌が粟立つような感覚の後、ようやっと静かになった。

なんだ・・・・。何が起こったんだ。


肩を竦めてわけのわからない変化に耐えていた俺がゆっくりと目を開けると、そこは真っ白な病室。


ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・。
音のした方を見ると、心電図が規則的に誰かの鼓動を告げていた。

集中治療室のようなところだろうか。
ベッドに寝ている誰かの枕元に山崎が無表情で立っていて、ゆっくりとベッドを見下ろしていた。

「やま・・・・ざき・・・・」

何がなんだかわからない俺が山崎の名を呼ぶと、ゆっくりとこちらを向く。

「沖田さん、これが、誰だかわかりますか」

やっぱり感情の無い声。
俺が、なにかとてつもなく恐ろしい気持ちでようやっと首を横に振ると、山崎がベッドに寝ている人間を指差した。

ごくりと喉を鳴らしてその指の先を、見る。

そこには。




酸素マスクを付けられて、しゅうしゅうと呼吸をしている俺が眠っていた。











「なに・・・・・・な・・・・なんで、俺・・・・俺、なにこれ・・・」

俺の指は、あまりの混乱にぶるぶると震えていた。

これは、一体どういうことだ。
俺は、死んだんじゃなかったのか?
ここに寝ている俺は誰だ。今俺が自分自身だと思っている俺は一体誰だ・・・・。


「その人に対する思いが・・・・愛情であれ憎しみであれ、とにかく思いが強くないと影響を与えることができないんですよ、俺達は」

俺達。

おれたちってのは・・・・何だ?

「だから貴方が坂田先輩を殺してくれるように願っていました」
「殺す・・・・なにわけのわかんねえことを・・・」
「思った通り、貴方は坂田先輩の姉に嫉妬して、先輩を殺してくれた」
「ころす・・・・なに・・・殺す・・・そん、な。俺は殺してなんかいねえ!」
「殺したんです。貴方は無意識に、先輩が自分以外の人間を愛するのを恐れて、そうしてあの人を死の世界へ、」
「嘘だ!!!!!」

はあ、、はあと息が荒くなるのが解った。

「嘘だ、でまかせばっか言ってんじゃねえよボケが・・・・。俺がそんな身勝手な人間だってのかよ!!」
「そうです。貴方は坂田先輩を死の世界に引きずり込んでしまった」
「嘘だ・・嘘・・・嘘でぃ・・」
「本当です」
「なに・・・じゃ、じゃあ・・・・先輩も・・先輩も霊になったってのかよ!俺には何も見えなかったけど、先輩がこの世界にいるってのかよ!!!!」

くす。

山崎がゆっくりと笑った。

「いるわけないじゃないですか、霊なんて」

びくりと身体が震えた。

最早、この男が日本語を話しているのかどうかさえ分からなかった。

「なに・・・なんだよ・・・じゃあ、俺は何だってんだ!お前が、お前が言ったんじゃないか!俺は幽霊だって!!!!」

「んっ・・・ふふふ・・・・。坂田先輩はね、貴方が事故に合って意識不明だと聞いてそれはもう大きくダメージを受けた」

俺が・・・意識、不明?

「でも病院に行ったって沖田さんのご両親に嫌われているあの人が沖田さんに会えるわけない。がっかりして部屋に戻ってそれでも沖田さんが心配で心配で仕方無かった。それでお姉さんがやってきて身の回りの片付けをしてくれたんです。そこへ貴方がやってきて誤解して坂田先輩を殺した」
「やめろぃ!」
「貴方の嫉妬と言う感情が、坂田先輩を殺した」
「ううっ・・・・・」

「霊なんてね、俺には見えませんよ。住む世界が違うんですもの、まあ人間死んだら終わりでしょう。俺はそう思っている。でも沖田さんは交通事故に合って、その衝撃で偶然意識が外に放り出されてしまっただけ」

「意識が・・・外に」

「そう、霊がいるかどうかなんて俺は知らない。いたって俺達は世界が違うんだからお互い声も聞こえなきゃ姿も見えない。貴方はこれからもうずっと坂田先輩の顔なんて見れやしないんだ」

ぺたりと、俺はその場に座り込んだ。
だって、俺の足の力が、まったく無くなってしまったから。

「んで・・・・、なんで、お前は、幽霊も見えねえってのに、俺が見えるんだよ」
俺自身はもう言葉を話す気力なんてなかった。
だけど、俺の口が勝手に山崎に問いを投げかける。

「うふふ・・・・」

俺の質問には答えず、山崎は寝ている俺の方へ向き直った。
そして。


ぶつり、と。
俺の酸素マスクから伸びるチューブを引きちぎった。

「っ・・・・・!」

ベッドに寝ている俺の身体がビクンと大きく揺れて、そうして雷かなにかに打たれたかのようにがくがくと震える。

「なに・・・なにしやがるんでぃ!!!!」
俺はベッドに駆け寄って山崎が切ってしまったチューブを拾い上げた。
だけど、もう千切れたチューブはどうしたって元に戻らなくて、機械から送り出された酸素が漏れるしゅうしゅうとした音の中で、俺の身体が大きく跳ねているだけ。

どうしていいかわからなかった。
ただ呆然と苦しむ俺を見つめて、そうしてようやっと俺がナースコールを押すことを思いついた時、ベッドの上の俺の身体はもう動きを止めていて、そうして心電図がピーーーーという一定の音を発しているだけになってしまった。


俺は、ゆっくりと山崎を見上げた。

山崎は、柔らかく唇を結んで、俺を慈しむように見下ろしている。



ぱっと辺りが真っ暗になった。
しばらくは何も見えない。
何も、なんにも。

ようやっと目が慣れてきたと思ったとき、ぽっと灯りが付いて、そこに山崎が立っていた。


「山崎」

「何故、俺に貴方が見えるか教えてあげます」
ゆったりと立っている山崎が、おいでおいでをするように右手をひらひらと揺らせた。
俺が、よろよろと山崎の目の前まで歩いて行く。


山崎は、静かに静かに口を開いた。

「それは、俺が貴方と全く同じ立場だからなんです」

穏やかで、なんの感情も無い様な山崎の言葉。だけどそれを聞いた時、俺の全身にびっしりと冷たい汗が流れたような気がした。
冷たい指先にはちくちくと無数の針が差し込まれたようでびりびりとしている。

「俺も沖田さんとおんなじ。ある日、家の二階の窓に置いていた写真立てが屋根に落ちてしまって、何気なくそれを取りに出たら、うっかり足を滑らせて落ちてしまった。本来死ぬような高さでは無かったけれど、下がガタガタの裸石を葺いたアプローチだったもので、打ちどころが悪くて長く苦しみました。その衝撃で魂だけがはじかれて俺はわけもわからずに辺りを彷徨いました。そうして帰った時には俺の身体は既に息絶えていたんです」

いつ息をしているのかわからないほどなめらかに山崎が語る。
俺は、山崎の言っていることがよく理解できないけれど、それでもなんだかもうまったく後戻りのできない所まできてしまったというような、漠然とした不安を両手いっぱいに抱えていた。

「俺は身体が死んでしまう前に自分自身の身体に戻ることができなかった。死んだ人がどこへ行くかなんてしらない。だけど、これだけは分ります。死と同時にその身体の中に魂がいなければ、二度とどこへも行けないで、永遠に彷徨い続けるだけになるんです。死んだ人と同じ世界には絶対に行けない、俺は俺と同じ境遇の人間には一度たりとも会ったことがありません。今の貴方以外は。俺も沖田さんも、生と死のはざまにポトリと落ち込んで二度と這い出ることはできないんです」
「やめろ!!!!!」

聞いていられなかった。

こわくて、恐ろしくて。

俺が、ほんとうはまだ生きていたと解ったと同時に本当に死んでしまったこと、坂田先輩を俺自身が殺してしまったこと、そうしてその坂田先輩とは二度と会えないということ。

そして・・・・・・。

「貴方には、俺しかいないんです」

この真っ暗な世界に、山崎とたった二人きりになってしまったこと。


「俺しかいないんですよ」

「や・・・嫌だ・・・来んな」
ずりずりと後ずさる俺。
こんなヘナチョコ野郎に喧嘩で負けるわけないんだけど、俺とかこいつの状況を知り尽くしている相手の前では、このとてつもなく心細い空間の中で勝てる気がしなかった。

俺が後ろへ下がった分、こっちへ近付いてくる山崎。

「俺と永劫一緒に、ただ二人でここにいましょう」

なんでか俺の両手はさっきから冷たい氷水にずっと浸けていたみたいに感覚が無かった。
身体もがちがちに固まってうまく動けない。

その、俺の左手を、しっかりと掴む、ずっと地味だと思っていた少年。
その山崎が、今、俺の中でこれ以上ないくらい存在感を発揮していた。

掴まれた左手をぐっと引かれて、山崎のまるで知らない奴みてえなのっぺりとした顔が俺の目の前に来る。

息をするのも恐ろしかった。

ずっとって、いつまでだ。
いつまでお前と二人っきりになってなきゃならねえんだ。


その時、俺の目の前、鼻先にある山崎の顔が、にっこりと笑った。


「嘘です」

え?


あまりにいきなりすぎて、山崎がなにを嘘だと言っているのかわからなかった。
「な、なに・・・」

声が出たと思った瞬間、辺りはまた真っ暗になって、突然後頭部の髪が後ろに引っ張られた様な感覚で背後に倒れ込んだ。
だけど予想していた衝撃はやってこなくて、足元が崩れ落ちるみたいに俺は頭からどこかへと落ちて行った。

なんにも見えないけど落下の感覚だけははっきりと感じ取れて、あまりの恐怖にぎゅうっと目を瞑った時、俺の耳に誰かの声がしたような気がする。

「さようなら、沖田さん」


さっき初めて見た山崎の笑顔。
今までみたいにただ口の端を上げるだけの厭味な笑い方じゃなくて。
ずっとそんな顔してりゃ地味は地味なりに悪くねえのにって。

せっかくそんな笑顔だったのに、今聞こえたのはなんだかすごく寂しい声だった。











目が覚めたのは病室のベッドの上。

俺は交通事故に合って三日間意識不明だった。
ただ意識がないだけで、外傷は実は出血の割に軽いものだったから、目覚めさえすればバカみてえに検査を受けてそれで放免。

酸素の供給が止められた事はすぐにナースステーションに異常が伝えられて蘇生が行われた。
比較的簡単に俺の息は戻って、それからしばらくして目覚めたらしい。

俺は、迎えに来た両親といっしょに帰る途中、坂田先輩の事を、聞いた。

親父が溜息をついて、俺に教えてくれたこと。




それは。








今俺は、先輩の病室のベッドの脇に座っている。

あれから二週間眠り続けている先輩。
あのダルそうな目を閉じてしまえば、まるでギリシアの彫刻のように美しい顔立ちをしているんだな、とわかる。

先輩は、死んでいなかった。

俺が殺してしまったと思った時はまだ息があって、それからすぐに先輩の携帯からお姉さんに連絡があったという。
不審に思ってお姉さんが引き返して救急車を呼んだということだった。

「先輩は、ここにちゃんといるんですよねぃ」

山崎は、俺たちみたいに魂が抜けてしまうのは極まれだというような言い方をしていた。
ということは、先輩も多分この身体の中に眠っているんだろう。

殺してなかった。

俺は、先輩を、殺してしまっていなかった。


「うー」

俺はぼすんと先輩の白いシーツの胸に顔を埋めた。

「すいやせん先輩。・・・ひでえことして、すいやせん」

シーツに手を入れて、先輩の指を握る。
柔らかく意思を持たないその指は、俺がぎゅうっと握っても、握り返してくれることはない。
でも、生きている。

俺も先輩も。

山崎の言っていたことは結局全部嘘だったのだ。
山崎は、本当に俺を殺そうとしていたんだろうか。
身体が先に死んでしまったら、もうどこへも行けないって言っていた。

ただ孤独で、仲間がほしかった山崎。
でも、俺の酸素が奪われて、そんなにすぐに病院のスタッフが飛んでくるなんてことがあるだろうか。
先輩もおんなじ。
先輩自身は意識がなかったってのに、一体誰が先輩のケータイからお姉さんに連絡するんだ。

はじめから山崎は俺を自分と同じ世界に引きずり込む気なんてなかったし、先輩を殺す気もなかった。

俺は退院してすぐに学校へ戻ったけど、山崎なんてやつはいなかったし、誰も知らなかった。
ふと思い立って、うちの学校の昔の卒業アルバムを漁ってみたら、27年も前の卒業生に山崎がいた。
正確には、集合写真の右上に、だけど。


ずっと寂しかったんだろう。
そしてこれからもずっと。


先輩は身体の中に入っているだろうけど、山崎はきっとまだこの辺りのどこかにいるんだろう。

ごめんな。
俺はそっち行けねえ。

だけど、お前がいるってことだけは、ちゃんと覚えてるから。
ぜってえ忘れねえから。

山崎のことを考えていたら、喉の奥がひくりと鳴った。
「先輩」

起きてくだせえよ。

起きて。

浮気性でもなんでもいいから。


「起きねえとまた至近距離からどてっぱらに一発ボール叩きこみやすぜ」

じっと、先輩のわりとお行儀の良い鼻のてっぺんを眺めながらそう言った。


その瞬間、シーツの中で握りしめている先輩の指が、ぴくりと動いた。






(了)




















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