行きずりにはしたくない H.24/09/14 |
(銀沖+神)悪い銀さんに惹かれる沖田さんです。 一週間悩んで、あの日と同じ電車に乗った。 神楽はあれから女友達と一緒に通うようになって車両を変えたらしい。 だけど俺はだからといってあの日と同じ乗り場に行くことなんてできなくて、それでも我慢もできずに隣の車両の連結ドア付近をひっそりと陣取った。 俺とドアのガラスの間に知らねえオッサンが一人。 その肩越しに向こうの車両が見えて、俺はちらちらとあの灰色の髪を探した。 あの日と同じような格好をしているかどうかわかんねえのに、無意識に紺色のセリ帽子を見つけようとしてしまって、俺は一体何をしているんだと思っていたら突然背中が熱くなった。 どきりとして、誰かが俺の背後にぴったりくっついているのだと気づく。 更に心臓が跳ね上がって、つり革を掴む掌が一気にべとついた。 密着した人物の温い息遣いが俺の後頭部つむじのあたりの髪を揺らせる。 振り向くことができずにそのまま固まっていると、突然右側の尻をぎゅうと絞る様に掴まれた。 「いっ・・・・」 なんとか声を押さえて身体中に力を入れた時、あの温い息が左耳のうしろにふう、とかかって掠れたような小さな声が俺の耳を犯した。 「おれに、あいにきてくれたの」 がたんごとんと大きな列車の音の中で、その小さな囁きはクリアな音をもって俺の記憶を刺激する。 この間は向かい合った体勢でいやらしく「感じちゃった?」などと囁かれて、恥ずかしさに顔が熱くなったあの感覚が蘇った。 うしろにいるのは、あの男だ。 そう確信して、ぎゅうと目を瞑った。 男は俺の制服のシャツを尻からずるりと引き出して、そこからあの繊細な指先を大胆に差し入れた。 やはり温い指先。 ビクンと俺の腰が動いたのに喉の奥でクックと笑って、指先が右わき腹を尺取虫のように這い上がる。 くすぐったさに身を攀じるが意にも介さず大きな手が、あの白い手が、期待に満ち溢れた俺の乳首に到達した。 脇から乳首までをしっとりと覆われる。 人差し指と中指だろうか、指先で乳首の根元を強く挟まれて、我慢が出来なかった。 「あっ・・・」 はあ、と息を吐くと、隣のオッサンが不審げに俺の方を見る。 持っているつり革を放しそうになるがぐっと耐えて握り直した。 目の前に座っているのは疲れた顔のOLのねえちゃん。半分眠っているようで俺の様子には気づいてねえみたいだけど、シャツの胸を不自然にふくらませてもぞもぞしている俺は明らかにおかしい。誰かに見られていねえかと思うと、恥ずかしさと焦りで気が遠くなる。 だけどそんなことはおかまいなしに、胸の上の指は俺の乳首を自由気ままに蹂躙した。 「んっ・・・ン・・・ッ」 ぐにぐにと乳輪ごと絞りあげられて、記憶の中のあの汚れた爪先が乳首の先端の陥没をえぐり始めた時には、もう必死に息を止めていないと喉の奥から勝手に声が漏れちまうくらい感じていた。 息が荒くなってつり革を握りしめて、その右手に全体重を掛ける。 もう俺の足は力が抜けてしまって、立っていられなかった。 男の左手がシャツの中で俺の腹をぐっと押さえて俺を支えている。 俺は、勃起しはじめたことを男に気づかれはしないかと、そればかり心配していた。 はっと正気に戻って目の前の女を見る。 女はさっきと同じようにこくりこくりと船を漕いでいた。 首筋に冷たい汗を感じて、俺は妄想から醒めた。 無駄に息が乱れているのを整えながら隣の車両をちらりと覗くと、連結部を挟んだ向こうのガラスのそのまた向こう、存外近くに頭一つ抜けた灰色の髪。 男が、俺をじっと見ていた。 男は俺に名前を教えてくれなかった。 ただ、携帯の番号だけを俺の携帯にピッピッと打ち込んでその日はそのままどこかへ行ってしまった。 メアドは入れて行かなかったし、俺の番号には興味がないのか調べもしない。 去り際に、「もうこの電車には乗らないよ」と言ったので、俺が男に電話しない限りもう接点は無くなったということになる。 完全に俺が男を「追いかける」という形を作ってから人ごみに消えて。 俺はただ、やはりこの間と同じくすんだ紺色のせり帽を思い出しながら遅刻ついでに学校をサボって、それからも一日中男の事を考えていた。 男と会う時は、ただセックスをした。 名前をしらないので、イク時は旦那と叫んだ。 初めて旦那と呼んだ時は、目を細めて「おきたくんは、めずらしい話し方をするね」と言った。 なんて呼べばいいんですかいと聞くと、お好きにと言われたので旦那と呼んだのだが、それがおかしかったらしい。 旦那のセックスは、熱く激しく荒々しく、そして飢えた狼のように野蛮だった。 男とセックスどころか、俺は神楽ともまだだったので、他にくらべようもねえけれど。 「かわいい彼女だねえ」 神楽のことを、俺に突っ込みながら平気で話す旦那。 俺は俺の違う部分で神楽を好きだし、自分でも知らなかった部分で旦那に惹かれていた。 学校で教えてもらえることはてんで覚えねえくせに、俺はセックスに関しては優等生だった。 いつでも神楽のところへ帰れる自信があったし、旦那にセックスを教えてもらって俺は神楽にこういうふうにすればいいのかっていつも頭でシミュレーションできた。 向かい合ってやるときとか、もう旦那の顔を見ている余裕なんてねえんだけど、たまに正気に返ってみると、じっと俺を観察するみてえな綺麗な半眼が見えた。 もっとも余裕がねえはずの瞬間に、こんな冷めた目ができるもんだろうかってくらい。 俺は、旦那に揺さぶられながら、いつもあの紺色の帽子のことを考えていた。 「旦那はァ、いちばの人なんですかぃ?」 「いちば?」 「市場」 「・・・・ああ、市場ね。いや、これだろ?これは人にもらったモンで関係ないよ」 「毎日かぶってんスね」 「ん?」 「いえ、なんでもねえです」 行為の後の気怠い身体でのトークは、中身の無いものが多い。 中身がないと思っているのは旦那だけだと思うけど。 俺にとっては結構重要項目になりつつあるあの帽子。 なんか、旦那の大切な人の形見だったりなんかしてと思うと、たまんなくなった。 「じゃあ、仕事とか何してンですかぃ」 「んー?ンッフフッフ、なんだろうね」 安ホテルのでかい枕に肩を預けて俺の肩を抱いて、回した右手で俺の乳をいたずらする旦那。 家も仕事も年齢も、メールも名前でさえ教えてくれない旦那。 ある日、いつもどおり旦那とホテルに行って、一緒に川沿いの国道を歩いていた。 この橋を渡ったらすぐ駅だから、旦那と別れなくちゃなんねえ。 セックス以外なんにも一緒にやったことなくて、飯でさえ一緒に食おうなんて言ってくれねえ旦那のことを考えていると、どうにもむしゃくしゃしていた。 「ねえ旦那」 「なあに」 「その帽子、いつもかぶっていやすね」 「?・・・・ああ、そうね」 「大事なんですかぃ」 「いや、別に」 「今日なんてどう考えてもそのTシャツと合ってねえのに」 「あーーーーーー、じゃあ捨てるわ」 そう言っておもむろに帽子を引っ掴んで、旦那は橋の上から広い川に向かって帽子を投げ捨てた。 「アッ」 ひらりひいらりと水面に向かって落ちてゆくセリ帽子。 旦那にとって確実に大切だったはずのものは、いとも簡単に切り捨てられて、ぷかぷかと浮いたまま下流に向かって流れて行った。 「ごめんなさい」 「なにそれ。ああ、もう駅だよ。俺はここからバスだから。じゃあね、沖田くん」 何も無かったかのように旦那が言う。 じゃあねの途中くらいでもう俺から目を逸らせてバス停の方へ歩いて行く旦那の後ろ姿を見ながら俺は、 どうして旦那はあの帽子をあんなに簡単に捨てたんだろうか。 などと考えていた。 俺のためにとかそんなんじゃねえだろうな、とは思った。 俺がしつこく聞くのが面倒だったんだろうか。 それとも、旦那も本当はもうずっと先から捨てたかったんだろうか。 バス停に着いて、ポケットの煙草をごそごそと探っている旦那。 じい、と見ていると背後から神楽の声が聞こえた。 「ソーゴ!」 振り向くと、駅前の自販機の横にあるベンチから立ち上がった神楽がいる。 ここは、学校とも離れているし神楽の家の最寄駅でもなんでもない。 なぜ神楽がいるのか。 遠目にも神楽の前髪がびっちりと額にはりついているのが見えて、もうずっと長いこと汗をかきながらベンチに座っていたのだろうかと考えた。 俺がこの駅で降りるのを見て追いかけようとしたら、旦那が現れた。 そんなシーンを頭で想像していると、今度はバス停の方から旦那の声。 「おーきたくーん、ばいばい!」 普段こんな風に別れてから声をかけるような人じゃねえのに。 俺は、旦那を振り返って、それからゆっくりとまた神楽を、見た。 セーラー服の神楽は、ことんと首をかしげてこっちを見返す。 俺は、あの帽子の話を旦那にもう一度聞きたかった。 うるさがられたって、名前も教えてくれなくったって、あれだけは聞きたかった。 おもしろそうにこっちを見ている旦那と、無邪気な中にほんの少しだけ不安そうな表情が隠れている神楽。 俺は、前と後ろを二回ずつ見比べて。 自分の足が一体どっちへ行くのだろうかと、己の腿をじっと見下ろしていた。 (了) |