人形の家 H.23/05/29


(土←←沖)「夫婦人形」の続き。作品中、なかにし礼氏作詞による「人形の家」の歌詞引用あり。






顔もみたくない程


あなたに嫌われるなんて


とても信じられない


愛が消えたいまも






 

水の跡も残らないほど固く絞った雑巾で、己の文机の上を拭く。
ぎゅ、ぎゅ、と何度も何度も。

あれほど土方に片づけろ片づけろとうるさく言われても、文机の上どころか部屋中駄菓子の袋や出しっぱなしのゲーム、万年床などで溢れかえっていた沖田の自室。
今は殺風景な程片づけられていて、返って誰の部屋かわからないほどだ。

感情の無い瞳。
馬鹿みたいに繰り返して拭いていたことにようやっと気付いて脇に置いたバケツに雑巾を沈める。
軽く溜息をつき、バケツを持って裏の用水路へ汚水を捨てに行く。

物置きにバケツを戻して手を洗って。
朝食時の食堂を流れに逆らって自室へ戻る途中。

あの、男とすれ違った。

今でもびりびりと身体が震えるほどに愛しい、あの刃物の様な瞳の、元恋人。


一切、目も合わない。
話もしない。

ただ、息を飲むほどの凍りつくような空気だけを感じて、沖田は逃げるように自室に戻った。

「土方さん・・・・」

気がつけば、巡回の時間まで塵ひとつ落ちていない畳の上を、手箒で掃き清め続けていた。




ここのところ見廻りが土方とペアになる事は無い。
副長がシフトを組んでいるのだから当然といえば当然だ。
しかし、本来土方と言う男は、およそ仕事に公私混同、職権濫用を持ちこむような人間ではなかった。
なかったがしかし、今現在幹部会議の席で、土方の冷たい声が響く。

「週末の死番は、沖田一番隊隊長とする」

ざわりと座が波打つ。
死番とは、討ち入りの際に先頭を切って侵入する役目で、死と隣り合わせの危険を孕んでいた。
それは腕の良し悪しとはまた別物で、一歩敵地に足を踏み入れた途端に、真選組の突撃を予測していた攘夷浪士に横から頭上から同時に斬りかかられる場合もあるのだ。

「しかし副長、沖田は確か一昨日も死番を・・」
言いかけた永倉の言葉を土方が手で制す。

「なァに、沖田ほどの腕ともなれば、死番なぞものともせんだろうよ」
「しかしトシ・・・・」
見かねて近藤が横から口を出す。
近藤とてこの二人の関係の変化に感づいているのだ。

「いや、近藤さん、これは沖田の希望でもあるんだ。何しろ死番は特別な手当てがつくからな。なあ沖田?」
にやりと口の端を歪めて沖田を見る。

「へぃ、やらせてくだせえ」
やりたい、と申し出た記憶なぞついぞなかったが、視線をまっすぐ土方に向けて背筋を伸ばして答える。

フンと鼻で笑って。この話は終いだとでも言う様に幹部連中を見渡すと、土方は次の話題に移った。


死番などは怖くない。
近藤について江戸に出て来た当初から死は覚悟していた。

ただ、先ほどまで自分の方を向いて、己の名を、
「おきた」
と名字で呼んだ、土方の冷たい心を、仕打ちを、ただ反芻するばかりだった。







ほこりにまみれた人形みたい


愛されて 捨てられて


忘れられた 部屋のかたすみ


私はあなたに 命をあずけた





 



沖田の姉、ミツバが亡くなって少し経った頃、土方が花街の女郎に懸想した。

ミツバ以外に本気になる女などいないと高をくくっていた。

衆道はただの興味本位。そんなことはわかっている。
だが、まさか。

心を持って行かれるとは思っていなかった。

姉を、ミツバを愛している。
死ぬまで、一生。
土方が他の人間を愛すことはない。
たとえ、男に飽いたとしても、姉に似ている自分をそう簡単に切り捨てることはしないだろう。

それが、沖田の心の最後の砦だった。

だが、突然土方の花街通いが頻繁になる。
一人寝の夜が増え、副長がご執心の太夫がいるとの噂も耳にする。

耐えられなかった。

とうとうやってきた。
とうとうこの時がやってきたのだ。

予想もしなかった悲しい形で。

ただ、己に飽いただけではない。女の柔らかな身体がやはり良いと、ただそれだけではない。
不特定多数の女、誰でもいいと花街に通うのとは訳が違った。

私的に監察の山崎を使い調べさせると、噂は本当のようで、土方は太夫を落籍させることまでも考えているらしかった。

自室の畳をかきむしって泣いた。
喉から湧き出る咆哮を押さえる事が出来なかった。

返せ。
返せ。
俺の、土方さんを、返せ。

とめどなく涙が流れ、己の爪によって毛羽立った畳に吸い込まれて行く。


江戸に来た当初から繋がっていた山崎を自室に呼ぶ事が多くなり、己の相手をさせた。
誰かに抱かれている時だけは、己が土方に愛されている錯覚を感じられた。


そんなことを続けていて、土方に隠し通せる訳が無く。
ある日、山崎と熱く睦み合っているところを見とがめられた。

二人とも何のお咎めもなかった。
だが、これ幸いと土方から沖田の不貞を理由に別れが言い渡された。

なにを。
なにを言っているのか。
今までだって切れていたようなものではないか。
このふた月、アンタが俺の部屋に来た事があったって言うんですかい?
テメエからは引導を渡す事もできない臆病者が。

アンタが、まだ年端もいかねえ俺を手籠めにして、こんなところまで連れて来たんじゃあねえのか。
なのに、飽きたらゴミみてえに捨てるっていうのか。
しかも、己は手を汚さねえで。いかにも、俺が悪いみてえにして。

卑怯者。
卑怯者。


沖田の愛憎はそのまま土方が執心している太夫へと向けられた。








翌週、錦太夫が命を狙われたという噂が江戸の街中に広がった。
吉原一の人気女郎となれば、江戸の男衆にとっては大事件も甚だしい。
下手人は遊郭の若衆の一人で、酸を女の顔に掛けようとし、それが上手くいかなかったと見ると懐に仕込んだ短刀で錦太夫の心臓を狙った。
あやうく、玄関先に来ていた土方が駆け付け事なきを得たが錦太夫の動揺は筆舌に尽くしがたく、その晩は太夫の座敷は終いになるなどてんやわんやの騒ぎとなった。

土方は、下手人を許さなかった。
鬼の形相で誰に頼まれたのかと問い詰める。
あわや指の一つも落とされそうになって、男は口を割った。

真選組一番隊隊長 沖田総悟の命であると。




「お前もつくづく馬鹿な奴だな、総悟」
そう言って沖田の前に姿を現した土方。

「すぐに出所を辿られるような仕事のやり方しやがって」
錦太夫が襲われたその翌日。

この日が、土方が沖田を「総悟」と呼んだ最後の日となった。



土方は己を憎んでいる。
しかし、土方の態度は、それよりも非道いものだった。

それから、沖田をまるでいない者のように扱った。
沖田を罵る事もしなければ、錦太夫襲撃の主犯として捕縛することもしなかった。
仕事に関しては必要最小限の事でさえ誰かを介して伝える。
いくら沖田が巡回をサボったとしても、なんの小言も言われなくなってしまった。

ただ、そこにいないかのように。

忘れられた、あの、夫婦人形のように。

武州の田舎で仲良く寄り添っていたあの夫婦人形。
あの頃に戻れたら。あそこで時間が止まっていたら。

いくら考えても詮無い事とわかっていながら、そう思わない日は無い。




スラ、と沖田の部屋の襖が開く。
そこには、何ヶ月ぶりかでここを訪れた副長の姿があった。

分かっていても胸がざわめく。

「ひじかたさ・・・」
「いよう・・・沖田」

沖田という言葉に全身が凍りつく。

「毎週毎週死番ご苦労だな」

冷たい瞳。

異常な程の喉の渇きを覚えて、ごくりと唾を飲み込む。

「お前をクソ田舎で潜伏している浪士狩りに3年ほど長期出張させてやろうと思ったんだがよぉ、さすがに近藤さんに止められてな。一番隊隊長がいねえってのはいけねえってな。まあしっかり週末は気張ってくれや」

沖田の返事も待たずに襖を乱暴に閉めて遠ざかる足音。

「わかりやした、ありがとうごぜぇやす」
ぽつりと、誰もいない部屋で呟く。




その手は、固く絞った雑巾で再び文机をごしごしと拭き続けていた。



(了)






















×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -