夫婦人形 H.23/04/09 |
(土→←←沖)山沖要素あり。沖田さんの憂鬱です。 近藤道場の玄関、下足箱の上に近藤がどこぞの土産として持ち帰った木彫りの人形がある。 二つ並んだその人形は、さながら雛人形の様に仲睦まじく、素朴ながらも温かみのある置物であった。 その片方、男性のモチーフの人形が外を向いている。女性を型どった人形に背を向けるように。 道場の奥から出てきた若い門下生が、白い手でその男性の人形を元通り前を向かせる。 赤い唇。 半開きになった口から舌がうっすらと覗き、上唇と下唇を一周して、口を閉じる。 その若い門下生は、人形から手を離すと朝稽古が終わった道場から出て、どこかへ歩き出した。 きらきらと輝く陽光。 田舎特有の日向の匂いを纏う顔はしかしどこか暗い。 暗いと言うよりは表情が無いというのか。 その顔のまま十数分歩いて一件の茶屋に入る。茶屋の二階は休憩所になっていた。 店の主人の挨拶に無言で応じ、茶屋の階段を上がる。 二階には薄暗い廊下にたった一部屋の座敷。 「入りやすぜ」 スラ、と襖を開けるとこちらに背を向けて座り、窓から外を見ている男がいた。 手元には灰皿。ここ武州にも、天人進出の証である煙草が浸食してきており、煙管は姿を消そうとしていた。 「総悟」 振り向いた男は昨日までの総髪と違い、襟足を短く刈っていた。前途洋洋の未来を暗示しているかのような清々しさだった。 「いよいよ来週だな」 「そうですねィ」 翌週には道場の師範代である近藤について、この二人も上京することになっていた。 道場で磨いてきた腕が腐りきってしまう前に、攘夷どもを叩き潰す大舞台に上るのだ。 土方十四郎は沖田総悟をすぐに組み敷いて事に及んだ。 若い性は性急で、荒々しかった。 「土方さん」 沖田は初めての出来事から未だ半年も経っておらず、すべてを土方にまかせている。 「女しか知らなかったけどよォ、男もいいモンだよな」 興奮し、上気した眦。 「男なんてまったく興味なかったってのによ、一度盛り場で野郎同士が口吸い合ってんの見ちまってからずっと気になってよぉ、ヤってみたくて仕方なくなったんだよなァ。道場じゃお前くらいだからな、勃ちそうなのは」 失礼発言はわざとなのかそれとも気付いていないのか。 沖田の汗で髪が張り付いた額を右手で顕にして口付ける。 「今はお前に夢中ってやつよ、女よりずっとお前の方がいい」 「土方さん、黙ってくだせえ」 細い腕を土方の首筋に回す。風通しの良くなった刈ったばかりの襟足を沖田の温もりが包んだ。 「なんでぇせっかく俺が愛の告白してやってるってのによォ」 チッと舌打ちしながらも顔は怒っていない。 土方は上機嫌で沖田の唇に己のそれを重ねた。 晴天の空は、彼らの行く道が果てしなく伸び、何の遮りもないとでも言うかのようにどこまでも突きぬけていた。 「てなわけで、俺はコッチに来る前に既に土方のクソヤローに食われちまってたってわけでィ」 一年後、江戸に鎮座する真選組屯所にて、押しも押されぬ一番隊隊長である沖田と、監察の山崎が枕を並べていた。 山崎は半年ほど前に江戸での隊士募集で入隊した隊士だった。 「や・・やっぱり副長と沖田さんてデキてたんですね!どうしよう俺副長に殺されます!」 チロリと山崎を見やった沖田は、冷めた目を天井に向ける。 「大丈夫だって。あのクソヤローにバレなきゃいいんでぇ。」 「いやバレるもバレないも俺ホントマジ殺されますって!クビとかそんなレベルじゃないですよ!」 真っ青になって焦る山崎。沖田はその姿を横目で見ながら顔は天井を向いたまま。 「お前気持ちイイことするだけしといてそりゃねえだろ、ま、せいぜいマヨラーに殺されろィ」 「そんなあ、沖田さん!!」 「真選組の人間がそんなことで半泣きになってんじゃねぇよ。まあとにかくさ、土方さんと違って俺は昔から男にしか興味なかったんでィ。それも、あの・・・姉上に懸想していやがったクソ土方にさ」 山崎が頭を抱えながらも沖田を見る。その横顔はいつになく真剣な顔をしていた。 「沖田さん・・・・」 「道場の下足箱に近藤さんの土産のゴミみてぇな人形があってさ。それが俺達の合図だった」 つい一年前のことをゆっくりと思い出すように目を瞑った。長い睫毛が綺麗なカーブを描いていて、意識せずともそこに目が行ってしまう。 「俺達の逢引きの場所は二か所あってさ。あの人形が外向いてりゃケチな茶屋で内を向いてりゃもっとケチな秘密のあばら家でさ。あっちじゃあ携帯電話なんてハイカラなモンあるわけねえ。皆に黙って落ち合うにゃ、その無言の合図で十分だった」 もうすぐ16歳になろうとする沖田の、その顔は誰にも真意を読み取れないような無表情。 「あの人ァあの頃・・・まぁ今でも俺のこと好きだ好きだって言っててさ、バカみてぇに」 「じゃあ沖田さんは幸せなんですよね」 それならどうして自分なんかと寝るんだ、とは聞けなかった。 「幸せ・・・・・。程遠いな」 「どうしてですか」 ふうと息を吐く音。 ずっと見つめているのが失礼のような気がして仰向けの沖田の隣でうつ伏せて部屋の床の間に視線をやっていた。 「それは土方さんのがただの一過性の愛に過ぎねえからでィ」 いや、愛にもなってねえな。 そう呟く赤い唇。さっきまで自分の名を呼んでくれていたとはとても思えなかった。 「あの人のはただ新しい遊びを覚えてそれに夢中になっているだけだ。言ってみたら俺ァ買ったばっかりの玩具でィ。本人も勘違いして俺のことが好きだって思っちまってるのが始末が悪ィってんだ」 「そんなことありませんよ。公言はしてませんけど俺にだってなんとなくわかりますもん。副長が沖田さんのこと大事にしてるって」 「あれァ根っからの女好きだ。いくら新しい玩具でもすぐに飽きらぁ。ザキ、今日土方さんがどこに行ってるか知ってるかィ?」 ぐ、と言葉につまる山崎。 渇いた笑い。 「花街だぜ。早くももう飽きてきちまってるんだ。まあね、武州にいた頃から俺に好きだ好きだっていいながらも女と寝てたりしてた。だけど段々土方さんの興味が俺から離れて行ってるってのは良く分からァ。」 沖田は山崎から表情が見えないように、ごろりと背を向けた。 「ハナっから分かっていたんでィ。あいつの心が俺にあったんじゃねぇ。身体だけだって。心を与えているのは俺の方だけだって。・・・・俺ァね、だから最初から、最初の日から土方さんに別れを告げられるのが怖くて・・・こんな関係になった事を喜んだことはなかったんだ」 肩が震えていた。 しかし意地でも鼻をすする音などはさせない。涙もこぼしていないのだろう。 「だけど今はまだ土方さんはかろうじて俺に惚れてるって思ってる。今日はまだ、今日はまだ別れようって言われたりしねえんだ」 「副長に操立てしないのは、副長から別れを告げられた時に一人でいたくないからですか?」 それには答えず、沖田は別の話をした。 「逢引きの場所を二か所にしましょうって言ったのは俺なんだ。最初あの人形が内を向いていたら茶屋で待ってるってだけのシンプルな合図だった。だけど、だけど俺はいつあの人に背中向けられるかっておっかなくて仕方なかった。だから、背中向けられるのに最初から慣れておこうって、思ったんだ」 山崎は、今は自分が沖田に向けられている白い背中を見ながら、泣いているのを知っていて尚、その肩に触れることさえできないでいた。 (了) |