「鉄線よ、我君を愛す(11)-7」






総悟が北上山城に戻った夜、十四郎の寝所にその姿は無かった。
十四郎は総悟を呼ばず、総悟もまた顔を見せない。

十四郎は五晩待った。
六日目の夜、総悟が十四郎の寝所の敷居を越えた。

深夜である。
軽く寝息を立てていた十四郎が、総悟の気配に静かに開眼した。

むくりと起き上がる十四郎。
暗闇の中、総悟の影が己の夜具に近付いて来るのをじっと見ていた。

夜具のすぐ横まで来て、静かに座する影。
月明かりだけが頼りの為、お互いの顔もはっきりとはわからない。

「十四郎様」
「えらく長い事行っていたな」
声に、とてつもない優しさを含んでいる。

「はあ、ご挨拶が遅れたもんで。実際は日帰りで実家に戻されやした」
「フ」
行燈に火を入れようとする十四郎を、総悟が手で制する。


「俺が今日、こうやって十四郎様のご寝所まで来たのは」
「うん」

きゅ、と両の掌を膝の上で握りしめる。
「俺ァ、やっぱりどうしても、もう誰とも肌を合わせる気には、なりません・・・と、お伝えする為でさあ」

意を決して言った言葉だった。
数秒の沈黙の後、十四郎が口を開く。
「・・・そうか」

十四郎の目に、長い髪を後頭部で結わえた影がゆっくりと頭を下げるのが映った。

「では、これで」
ス、と立ち上がろうとする総悟の手首を、十四郎が掴んだ。

「総悟」
「・・・・・へい」
「俺は、お前に・・お前の心がどこにあるのか聞いたんだ」
「・・・」
「高杉の所へお前を遣ったのは、こんな素っ気ない返事を聞く為じゃない。あるいはもう二度と戻らないかもしれないという恐怖に怯えながらお前の手を離したのは、こんな、顔も見せねえような、そんな再会を望んだからじゃあない」

「十四郎さま、許してくだせえ、俺にはどうしても、」
「それならそれでいい、お前の心を見せてくれ。俺は、それを、あの日からずっと願っている。どんな心で、どんな顔をしてこの城を出たんだ。向こうでどんな想いをしたんだ、今、今お前の心には、一体誰が住んでいるんだ」

十四郎に掴まれた腕が熱かった。
高杉は、総悟が心も身体も十四郎の下へ戻る事を許してくれた。
だが、そんな厚顔無恥といえる行動ができるのか。

高杉が言ったとおり、あの戦地で十四郎と再会した時の衝撃はすさまじかった。
高杉という男を知り、その中身までも知って行く程に惹かれ、愛というものを与えたいと願うようになっていった。そうしてそれが己の愛情なのだとひしひしと感じていた。
しかし十四郎の姿を見た途端、その想いが一瞬にしてままごとの様な勘違いだったことを知らされた。

たった一目その顔を見ただけで、全身が疼くような狂おしい情熱を十四郎に感じて。
だが、高杉の孤独な魂も、見捨てることはできなかった。
己がここで十四郎を選べば、愛情と言うものはやはり手に入らぬものなのだと絶望するだろう。

絶望していることにも気付かずに、ただ何もかもをあの男は失うのだ。

耐えられなかった。
高杉の、幼子のような純粋な心を、ぽいと荒野に放り出してしまうことなど出来なかった。

いっそいつものように、押さえつけて自分のものだと言ってくれた方が良かった。
あの枯れた縁側で、それでもやはり匂い立つような艶やかさを持った高杉が、そこはかとなく物哀しい。

「俺ァ、俺のこころには、誰もいない」
「総悟」
「だけど、強いて言うならば、それは晋助さまでさ」
「まさか」
「まさかじゃありやせん。俺は、あの人を寂しくねえように抱いていてやりてえんでさ」
「それが、お前の愛情だと言うのか」
「へい」
「そんなものは嘘だ」
ぐい、と手を引かれて、暗闇の中十四郎の鼻先まで己の顔が近付く。

握られている手だけでなく、身体中がどうしようもなく熱かった。
高杉に指摘されたとおり、総悟の雌の部分が、十四郎を欲していた。

「そんな、張りぼてのようなお前の心を聞かされて、俺が何とすると思った」
「張りぼてなんかじゃ・・・ねえんで・・・。もう、許して、くだせえ」
「一度だけ」
「え」
「一度だけ、お前が昔この城にいた頃に戻っていいか」
「・・・」
「今宵だけだ」
「嫌・・・」
「大丈夫だ、おまえはお前の意思ではなく、仇に無理矢理抱かれるんだ。何も心配することなどない」
「イ・・・・やっ!」
圧し掛かってくる十四郎を力いっぱい撥ね退ける。総悟とて高杉軍の馬上で刀を振るった。身体も鍛えている。全身で抵抗して退けられない訳もなかった。

はあはあと、それでも体格差の為に組み合うと肩で息をする。

「お前は、高杉には義理立てするのに俺には・・・」
「・・・」
「ああ、義理立てではないのだものな。お前はあの男に心を奪われていたのだったな」
肩でも打ったのか、黒い影が左手で反対の腕を押さえるように動いた。

元より闇の中。
十四郎の表情がまったく見えなかった。

「違う、こんなものは嘘だ。俺は、お前の意に沿わぬことなど絶対にしたくないんだ」
声だけが、ただ力を無くして寝所にひっそりと響いた。

「お前が無事にこの城に戻って来てくれただけでも、本当は感謝しなくちゃならねえんだ。俺は俺の咎の為に、生涯お前と離れ離れになったっておかしくなかった。もう一度お前の顔が見れただけでもどれだけ幸福か知れねえ。それなのに俺は・・・手前の不甲斐なさでお前を苦しめておいて、もっともっと酷い地獄の業火にお前を晒そうとしているんだ。俺の欲望のせいで、お前を、」
「許して・・・もう、許してくだせえ」




「たすけて、くれ」
黒い影の、広い肩が震えていた。

「苦しくて仕方がない、苦しくて仕方がないんだ。奴のところにお前を逃がしてやったほうがいくらましか知れねえ」
「十四郎さま」



「・・・もういい、わかった」
「十・・・」
「どこへなりと行け。高杉の所へ行けばいい」
「そんな」
「抜け殻の様なお前の身体だけここに置いていたって仕方ない。お前はいつだって自分の好きに生きて自由な魂を持っていた。なのにこっちへ戻ってからのお前はわけのわからねえものにがんじがらめにされているようで、俺の知っているお前とは全く違ってしまった」
「そんなことはねえです!俺ァ自分の意思で帰って来て、自分のやりたいようにやっていまさ!」
「お前のことを縛っているのは、俺はずっと高杉の野郎だと思っていた。人間てのは手前に都合のいいように考えるモンよ。だがな、その実ほんとうは、お前の自由を奪っているのは、俺だ」
「違うったら!アンタいつからそんな女々しいこと言うようになったんでさあ」
「フフ、そうだな。じゃあここいらでひとつ、大将らしくでけえ器見せてやるよ」

むくりと黒い影が立ち上がった。
呆然とその影を見上げる総悟。



「この城から出て行け」



 




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