「鉄線よ、我君を愛す(11)-3」 |
「何を、言っているんでさぁ・・・十四郎、さま」 うっすらと笑みの形を作る総悟の唇。あっという間に血の気が引いて、わなわなと震えていた。 それに気付いていない十四郎が瞼を閉じて、したり顔で過去の記憶の蓋を紐解き語り続ける。 「今と変わらねえ生意気ぶりでよぉ、どこの糞餓鬼かと思ったがな、病の姉の為に花ァ摘んでやるなんて、愛らしいもんだと、」 「嘘だ!」 「あ?」 「嘘だ・・・・嘘だ・・・・・、だって、だってあの時の兄さまは、だって・・・め、目が・・・片方の目を・・・」 「ああ、あの時はちょうど弓の鍛錬をしていて、木の幹に当たった矢がはね返って俺の目を掠ったんだ。今でもこの瞼には傷が・・・ってお前覚えているんじゃあないか」 中指の爪に、寝所の畳の藺草が千切れてぐいと入り込んだ。 「嘘だ・・嘘だ・・・・アンタ・・・違う、あれは、しん・・・すけ、様だった」 「なに?」 がくがくと、畳に突いた総悟の腕が震えている。見慣れない総悟の動揺に、十四郎もようやっと異常に気が着いた。 「嘘だ!アンタのわけがねえ!違う!」 「違わねえ、俺だ。お前は何が気に入らねえんだ」 「違う、違う、あの人の好みの色の、かざぐるまとおんなじ色の着物を着ていたじゃねえか、違う、そんなわけねえんだ」 「着物の色など覚えてはいないが、当時の乳母が選んだものを着ていたんだろう、どうした総悟。間違いなく俺は、童の頃のお前が鉄線の花を摘んでいるのを覚えている。お前はどうしたって譲らなかったな。鉄線を、かざぐるまと、」 「やめろ!」 十四郎が総悟の顔を見ると、真っ白な顔色になった少年の頬は涙に濡れていた。 愕然とする十四郎。 「なぜ、泣く」 総悟が戻ってきてから、己を拒否することはあっても涙を見せる事はなかった。 昔どおりの無表情ながら、さまざまな感情を無理に押し殺したようになってしまってはいたが、それ故かまるで涙を流すことが禁忌であるかのような頑なな態度だった。 だが、一度堰を切った様々な想いは止めようにも止められず、ただ総悟の瞳から滝のように流れ落ちた。 「違う・・・・」 項垂れて手をついたままの薄い肩を、十四郎がじっと見つめる。 「やめてくだせえ、あ、あの人は・・・・俺の中にいたあの人は、もうこれっきりしかねえんだ。あの人の作ってくれた戦具も陣羽織もぜんぶアンタが燃やしちまった。なんにも残っちゃいねえ。たったこれっぽっちしかねえあの人を消さねえでくだせえ、なかったことに、しねえでくだせえ・・・」 ひくりと総悟がしゃくりあげた。 十四郎こそがいつの間にか、紙のような顔色になっているのを、総悟は気付かない。 「あ・・・あんなに寂しいお人もねえんだ。あれほど綺麗な世界にいるってのに、己は真っ暗な奈落にいるんだって思ってる。どうしたって目を開けて周りを見ることができねえお人なんだ、なのに・・なのに、」 「お前が何を言っているのかわからんが」 能面のような顔をした十四郎の唇だけがかさりと動いて言葉を発した。 「お前は、何を望んでいるんだ。俺になんと言ってほしいんだ。お前の気に入る真実は一体なんなんだ」 しゃくりあげるのを必死に耐えながらもひくひくと喉を鳴らしていた総悟がひたりと止まった。 泣き濡れた顔で十四郎を見上げる。 石の様に固く動かない十四郎の頬を見て、己がまたも十四郎を傷つけたことを知った。 しかし、北上山城に戻ってからの数々の事柄・・・十四郎の心に答えられない苦しさや小十郎との確執、ならず者どもに凌辱された夜の記憶が、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。 ただ胸が苦しかった。 「俺が、望んでいること・・・・それは」 「お前を奪い去った俺の下から武蔵へ帰ることか」 武蔵へ「帰る」、と表現した十四郎の、うっすらと寄った眉。 総悟はゆっくりと口を開いた。 「そんなことじゃねえ、俺はただ、しん・・・晋助様の命が無事かどうか、それだけが知りてえ。あの人がいまどこでなにをしているか、息をしているのか・・・もう、この世にいねえのか・・・」 「総悟」 「会いてえ。一目でいいから、あの人に会いてえんでさ。一人ぼっちだと思っているあの餓鬼みてえな殿様に会って、あともう一度でいいからその心臓を温めてやりてえんでさ」 「・・・・・」 「ねえ、あの人は、今、いってえどこにいるってんですかい?まさか、まさかもう・・」 そこまで言った総悟の肩を、十四郎の手がぐっと掴む。 「総悟」 「・・・・」 「俺は、恨みごとならいくらでも言える。あの時俺に度胸がなかったせいで、お前に死よりもつらい思いをさせたと思っている。だがな、今更だ、今更だしお前が俺の事を想っての事だってのは解っているが、俺はあの時お前を引きとめるいとまも与えられなかった」 小さく震えながら目の前の男を哀しげに見上げる総悟。 「俺は、お前を敵国へ送るその命を、みずから下さなければならなかった。いや、下したかった。お前に決めさせるくらいなら俺が、」 「十四郎様!」 「・・・そうしてようやっと再び相見えたお前は、もうとっくに高杉の物だった。お前は手前勝手に固い殻に閉じこもってしまってどうやっても出て来ようとしねえ」 肩に置かれた指に、力が籠る。 「どうしたって駄目だ。天岩戸に隠れた天照だって、腕を引いて引きずり出すことができたんだ。なのにお前はもうどうしたってその殻の中で丸くなっちまって俺の顔を見ようともしねえ。お前は、そうすることによって、俺の咎が、生涯許されることの無い苦役を背負うべきものだと、そう言っているんだ」 「・・・ことは・・ねえ」 「だがな、お前がそうやってどれだけ俺の腕の中で俺を拒絶しようと、俺にははっきりとお前が俺を嫌っているようには思えねえんだ」 「だから・・・嫌ってなんて、い、ねえ・・・。だけど、俺ァあの人と約束した。もう二度と誰とも肌を合わせねえって」 「約束?・・・・余計わからんな。約束したからか?だからお前は誰にも抱かれないというのか?高杉を慕っているからじゃあねえのか?」 「晋助さまを・・・。それは、間違いねえ。俺ァあの人にそう言った」 「だがな、俺にはお前が、俺のことを好きだと言っちゃいけねえいけねえと自分に言い聞かせているように見える」 総悟が息を呑む音がする。 一旦止まった涙が今にも溢れだしそうな、大きな蘇芳色が、潤んで細かく震える。 「高杉は生きている」 十四郎の、絞り出すような声。 「あの男は掴みどころがねえ。お前が陣営に戻ってからすぐに高杉軍に総攻撃をかけた。大将が倒れた隊を攻め落とすなんぞ赤子の手を捻るより簡単よ。高杉の陣営を猫の子一匹見逃さねえよう攫ってみたが、奴はどこにもいなかった。ふと思い立って、お前と再会したあの場所に行ってみた。そうするとまだそこに高杉がいてな。俺が来るのをまるで待っていたかのように・・・」 総悟の肩に置いていた両手を外して、一歩後ろへ下がる十四郎。 「自害もしねえで俺を待っていた。女と餓鬼が必死に高杉を守ろうとしていたがな、あいつはそれを制して、俺に己の処遇を好きなようにしろと言った」 「晋助、さまが」 「行くか、総悟」 「え」 「もう一度だけお前を手放してやる。だがこれが最後だ」 遠くで聞こえる祭り太鼓の音の方角を目を細めて見ている十四郎。 その十四郎の身体からは、静かな気迫が煙のように立ち昇っているように見えた。 やがて十四郎が、ゆっくりと噛みしめるように口を開いた。 「高杉は、大島にいる」 |