「鉄線よ、我君を愛す(9)-6」 





総悟が目を覚ましたのは、湿った匂いのする薄暗い小屋。
黴臭い埃だらけの農機具が、小屋の土間に乱雑に放置してあった。

さらさらと、ほんのわずかに水音が聞こえる。
総悟が降って来た小川の草原からいくらも離れていないようだった。
その小川を動力として、小屋の外に小さな水車がある。水車は、小屋の中の突き臼に繋がっており、更にそこから歯車をかみ合わせて粉ひき臼を駆動するしくみになっている。
ただ、今は水車へと流れる川に堰をしてあるのか、そのすべてがもう動いていなかった。

総悟は、その、一番大きな歯車の天辺の歯に掛けた縄で両手首を固く一纏めにされていた。
歯車の直径は人間の身長ほど。自然円のカーブにそって身体が弓なりに反る形になっている。
地面までは足が届かず、宙に浮いている為、手首だけで己の体重を支えているようだ。
どれくらい気を失っていたのか解らないが、すでに手首の感覚がほとんどない。

「う・・・・・・」
頭がくらくらする。
意識を手放す前に吸いこんだ粉のせいだろうか。

とりあえずゆっくりと、二度瞬きをした。
なんとか視界が戻ってきたかと思った時、がたりと小屋の戸が開いた。


入って来たのは小柄な人間。
白練色の着物に落ち着いた苔色の袴。
総悟が身につけているものとよく似ていた。
が、異装。

その小柄な身体の上に乗っている頭部には、恐ろしい般若の面が付けられていた。

城で会った時は裃姿だったが、今は着物の上には何も着ていない。
が、総悟には解った。
この人物が、蓑嚢小十郎であると。


「・・・・・おかしな面なんかつけてねえで、顔みせたらどうでぃ、馬糞野郎」

くす。

くすくすくす。

面の下から声が聞こえる。

「救いようのない阿呆ですね、沖田さまは。己の立場も解らず、小者ほど良く吠えるということですよね」
幼げな足取りで総悟に近付く般若。

懐から小刀を取り出して、柄の部分を総悟の顔面目掛けて振り下ろした。


がつ。

「あああっ」

倒れたのは般若の面。
土間に手を突いて転んだ拍子に面が外れて小十郎の顔が露わになった。

その顔ははかなげで頬のふっくらとした少年というよりも、恨みつらみが何か恐ろしい魔物となってその身体に乗り移ったかのようだった。

「う、うう・・・・畜生・・・」
大袈裟に腹を押さえて身体を丸める。総悟が地に着かない不自由な足で小十郎の腹を蹴ったのだ。

「殺す・・・・殺してやる・・・・」
小さな声で呟いて、小刀の鞘をはずし土間に叩きつける。
ゆらりと立ちあがって、袴の裾を払いもせず再び総悟に歩み寄る小十郎。

「死ね!沖田総悟!」
今一度、小十郎が大きく小刀を振り上げた時、その手の中の獲物が弾き飛ばされて土間の隅にからからと転がった。

「アウッ・・・・」
右手を押さえて蹲る小十郎。



「気が早いっての、小十郎ちゃん」

間延びした声。

水車小屋の入口から昼日中の光が差し込んで来ている。
その光を背にして、長身の男が現れた。

上半身は一見すると薬売りの行商人。
下半身は身軽さを重視した裾をふくらはぎの辺りでしぼった袴。鳶職人のような黒い足袋を履いて。

ニヤニヤと笑う口元。
前髪が目にかかっていてその瞳は良く見えないが。

先程と同じ逆光に目を細めた総悟の瞳に映るその奔放な髪は。

白髪と灰を混ぜて砂金を振りかけたようなにび色をしていた。




「鉄線よ、我君を愛す(9)」
(了)






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