「鉄線よ、我君を愛す(9)-3」 





「おーい、佐怒丸ー」

厩に総悟が顔を出した。
美しい白馬に今は鞍が乗っておらず、綺麗に身体を藁で拭かれていた。

「よーしよし、オメエ他の馬いじめてねえだろうなあ、特に隣の地味なのとかよォ」
まるでこいつをいじめろとでも言わんばかりに隣にいる退峰の方へ佐怒丸の鼻先を向ける。

ばるる。

退峰は利口な馬だった。
総悟の言った事がわかるかのように、鼻息で抗議する。

「わーったわーった、ホレ、餌食え〜〜」
仲直りだと総悟が差しだした藁を食べようとした退峰の目の前で、藁をしゅっと引く。
再び目の前に突き出しては引いて。
それを数度繰り返してニヤニヤと笑っていた。

「そういやあ、あのバカ殿が言ってたなァ」

馬揃えで同じことをしていた総悟を見初めたと。

「俺がいなきゃあ、頼りねえのしかあと残ってねえんだから。また子と草太でバカ殿守り通せたのかね」

高杉のその後が気になった。
高杉家がどうなったか、領地がどうなったか、晋助本人が生きているのか死んでいるのかさえ知らないまま。

十四郎はもとより、家臣までもが、誰も総悟に情勢を教えてくれなかった。
二年の間に総悟と近しい者も距離を空けるようになっていて、こっそり誰かに聞きだすということもできないでいた。


「心配で、たまらねえ。アンタはわりかし弱虫だから」

ようやっと退峰に藁を食ませながら、ぽつりと呟いた時、総悟の背後で人の気配がした。

ゆっくり振り向くと、そこにこぢんまりとした風貌の紅い唇をした小姓が立っている。
目が強気なところが、総悟に似ているかもしれない。

『えらく高価な紅だなァ』

見れば身につけている袴や着物なども、普段着にしては異常に仕立ての良いものだった。
天候に激しく左右される実りを石高としている武士の生活は質素なものである。
それはたとえ一国の主と言えど同じこと。
十四郎とて普段は比較的質素な身なりをしている。
飯も麦飯で大抵は野菜の煮物と一汁、それに漬物という粗食であり、それがあたりまえ。
正室、側室という立場であれど、それほど煌びやかな衣装で競うことはなかった。
そういった常識から見れば、この小姓が異質な存在という事が、一目見てわかった。

しばらく目を合わせていたが、何も言わないので総悟も興味を失ってまた退峰の額から鼻筋にかけて撫でてやっていると、こほりと小さな咳が聞こえた。

「ごほ、ごほ。ここ、臭いですよね。馬って臭ぁい」
大袈裟に顔をしかめて見せる小姓。あたりに触れるのもいやがっているような仕草で、厩の入り口から一歩も入ってこない。

「ごほ、・・・・・あのお・・・、おきた、沖田さまでいらっしゃいますよね」

「はぁ、沖田さまでいらっしゃいますけど」
「えーと・・・あの、私、箕嚢小十郎と申します、あの」
「なんでぃ」
「沖田さま、二年も高杉の所へ降っておられたんですよね、大変ご苦労様でございました」
「なに、お前俺をねぎらう立場なの?そりゃありがとうごぜえやす」
「うふ、聞けば高杉は下品で血に飢えた獣のようでまともに会話もできない男なんですってね。そんな男のもとで、沖田さまの<お仕事>を全うされて来たなんて、尊敬でございます」
チロリ、と小十郎を見る総悟。
あからさまな悪意に、どう料理してやろうかという顔だった。

「私、沖田さまがあちらでお勤めの間、沖田さまの代わりに、殿にお仕えして御慰めしておりました」
「・・・・・ふうん」

「殿ってお優しいですよね、閨の中でも」

ぽいっと何かが飛んで来た。
藁をかき集めるための小さな熊手で退峰の湿った糞を掬って、総悟が小十郎に投げつけたのだ。

「きゃあああああっ!!!汚い!!」
袴の裾にべちゃりとついた汚れに半狂乱になっている小十郎の横をすいと通り過ぎながら、熊手の泥が付いた右手を更に小十郎の肩で拭う。

すたすたと本丸へ戻る総悟の背後で、小十郎の泣き叫ぶ声が聞こえた。
「ひどい、ひどいいいいいっ!!」

うるせえなと両耳を塞いで、総悟は振り向きもせずにその場を去って行った。






トコトコと総悟がやってきたのは、高杉の領地内から北上山城へ戻って来るまで付き従ってきた、足軽組頭のいる武器庫。
先の戦で磨耗した武器や防具などを調べて修理する為にここに詰めていた。

「うぉーい」

「あ、沖田様」
季節はもう春だが、蒸した武器庫で作業していた男が汗だくの顔を上げる。

「俺が旅籠まで着てた戦着あったろう。あれどうしたァ?」
「は、あの・・・・」
「えーと、あの陣羽織とか、覚えてねえかぁ?てめえ途中で調子よく褒めていたじゃねえかィ、仕立ての良いモンだって」
「は、覚えてございますが」
「が、なんでぃ」

「あの・・・・武蔵国から沖田様が持ち帰られたものはすべて処分せよとの仰せで」
「・・・・いってぇ誰の仰せだ」
解っているが、聞く。
「は、あの・・・お屋形様の・・・・」
「・・・」

「ですので、あの見事な陣羽織も、帰城のその日に燃やしてございます」
途端、そう言った男の額に鉛玉が投げつけられた。

「ぐあっ・・・・な、何を、なさいます・・・」

「・・・・・八つ当たりでィ」
小さく呟いてきびすを返す。
さく、さく、と砂利を踏みながら本丸へと歩き出した。


『あの人の・・・想い出は、この俺の胸ン中と、あの陣羽織しか無かった。なのに、あのかざぐるまの陣羽織が、無くなっちまった。あれが無くなったら、俺の心の中の晋助様もどんどんいなくなっちまうようで、おっかねえ』

しゃく、しゃく・・・と小石を踏んで。
田舎の小ぢんまりとした、だが美しい天守閣を見上げたその総悟の顔は、何の感情も読みとれないものだった。





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