「鉄線よ、我君を愛す(8)-7」 |
「総悟」 「晋助、さま」 いつの間にか高杉の顔からは苦悶の表情が消えていた。痛みも引いたのだろう。 「行くのか」 「・・・・・・へい」 見ると、高杉の右目は穏やかに閉じられている。 開いても何も見えていないのだろう。 「アンタ、の、目・・・。なんとか、見えるようにならねえんですかね」 「なんだお前は。さっきから俺の仕様もねえ目の話ばっかりじゃあねえか。今生の別れだってえのによ。お前がいなくなるってのに、こんなモンあったって何の意味もねえ」 「馬鹿な事言わねえでくだせえ。なんですかィその投げやりな言い方は。アンタ天下とるんじゃあなかったんですかィ」 かさりと、高杉の乾いた唇が笑みの形を作る。 「おまえを、失いたくないから取ると言ったんだろうが、馬鹿め。ずっと言っていただろう、力で奪ったお前を、力で奪い返されるのは、あたりまえのことだ。ただ、それが思っていたよりちいと早かったがな」 「だから、そこに俺の意思はねえんですかって聞いてんだ」 「言っただろうが、お前の意思は、」 「アンタと一緒にいてえ!」 「・・・・」 「アンタは、餓鬼みてえに我儘で、まるで将軍様みてえにふんぞりかえっているくせに、人の愛情なんてものにまったく無頓着な野郎だ」 「随分だな」 「だけど、俺ァ、そんなアンタが好きになっちまった。十四郎様のこと嫌いになったかってえとそりゃあ嘘になる。だけど、アンタにこれだけは信じてもらいてえ。アンタを、俺は・・・・。アンタは、俺に海よりも深く愛されてんだ」 「そうご」 「アンタは言えねえだろうって言うけど、言えやす。いくらだって言えまさァ」 「何を、だ」 「あの、白鷺城にいる・・・女子どもを皆、俺の為に殺してしまってくだせえ。俺以外の情人をすべて始末して、俺だけを可愛がってくだせえ」 「そうご」 「信じてくれなくったっていいんだ。信じてなんてくれなくたっていいんだ。アンタが勝手に一人ぼっちだって思っていりゃあいいんだ。俺は行く。十四郎様のところへ戻りやす。あのお人を傷つけて出て来たそれが俺の責任でさぁ。だけど、心はここへ置いていきやす。どれだけ愛しく思っていても、俺は絶対にアンタ以外の人間のものになんてなりやせん。だから、お願いですから、しょぼくれた墓の中になんて入んねえでくだせえよ」 「誰が瀕死だ。目が見えなくなっただけだろうが」 「まあ殺しても死なねえですよねィ」 「そうご」 「・・・なんですかィ」 「お前が、俺を、恋しくて仕方ねえってのァわかった」 「はぁ」 「俺は、もうお前を攫って抱えておく力がねえ。なんにも見えなくなっちまったら剣もクソもねえからな」 「はぁ」 「だがな、」 高杉の両手が、飽きることなく総悟の頬を撫で、瞼や鼻を確かめる。 その指先が、涙で湿った唇に触れた。 「俺は、今、ただどうしようもなくお前の顔が見たい」 「しんすけ、さま」 答える言葉などなかった。 総悟の唇が、高杉のそれに重なる。 驚いたように戦慄く高杉の唇。 総悟が、自ら高杉に口付けたのは、これが初めてだった。 最後の刻を惜しむ様にお互いの舌をゆるやかに吸う。 どちらのものとも知れぬ唾液が顎を伝って落ちても、長い長い口付けは続く。 まるで、唇が離れればその瞬間に今生の別れがやってくるとでもいうように。 高杉が、その見えない瞳から涙を流すことは無かった。 何も映さないその眼の代わりに、口づけながら、ただ総悟の顔をゆっくりといつまでも撫で続けていた。 「ふぁ」 耳の端に微かな馬の足音を聞いてお互いが唇を離す。 「やべえ、鼻水まで出てきやした」 「見えなくて良かった」 「戦場で塩は必需品でさぁ、舐めやすか?」 「手がつけられんな」 高杉のこの言葉を、前にも聞いたなと頭の端で考えた時、激しく地を蹴る音と共に、また子の声が聞こえた。 「晋助様!!!晋助さまあっ!!!!!」 二人の姿を見とがめて、ガガガッと馬を止める。 見ると、また子は草太を腹の前に乗せていた。 素早く馬を降りて高杉にすがりつくまた子。 「晋助様!!お、御怪我を・・・・!」 「大事ない、騒ぐな」 「晋助様・・・晋助様!!!!」 『やっぱり女子だなァ、オメーは』 普段のまた子が聞けば怒り狂うような言葉を心の中で呟いた。 愛しい男のこんな姿を見て、とても冷静でいられないのだろう。 気は強いが愛らしいものだな、とまた呟いて、高杉はやはり果報者だと思った。 「俺ァ、もう行かねえとならねえ。晋助様を、ようようお願いしまさぁ」 その言葉を聞いて、涙に濡れた面を音がしそうなほど勢いよくこちらへ向けるまた子。 「か・・・帰ってしまうんスか!?」 「ああ、お別れでぃ」 「いや・・・嫌・・・・帰らないでほしいッス!!お願い!お願いだから・・・こんな状態の晋助様を置いて、行ってしまわないで!!!」 また子は総悟の足に縋りつくように泣き崩れた。 この女子もまた、十四郎の総悟への無償の愛と同じように、高杉に見返りを求めない愛を注いでいるのだった。 「沖田様!沖田様が帰るとおっしゃるなら、私を倒してからにするッス!」 だが、腰の刀に手をやろうとしたまた子の右手を、ついと押さえる者がいた。 それは、未だまた子の胸ほどの背丈しかない草太。 「また子姉ちゃん」 草太はゆっくりと首を横に振った。 それを見てまた子が呆然と崩れ落ちる。 「晋助様・・・・晋助様!!!」 縋りついて泣くまた子の肩を、高杉が見たことも無い優しさでそっと撫でた。 「総悟兄ちゃん」 「あァ」 「俺、絶対にお屋形様をお守りする」 「あァ」 「だから、総悟兄ちゃんは、なんにも心配しないで行って」 「草太」 「これからは、また子ねえちゃんと俺で、絶対にお屋形様に誰にも手出しさせない。約束する。だから」 「草太」 「ありがとう、総悟兄ちゃん。俺、ほんとうの恩人がおっかなくって仕方無かった。だけど総悟兄ちゃんが教えてくれた。剣術も、お屋形様の優しさも。俺は総悟兄ちゃんにきっと嘘はつかない。だから、俺を、信じてね」 「・・・・・・頼んだぜィ」 ばるると息をして、佐怒丸が総悟の側まで寄って来た。 意識して素早く佐怒丸の背に跨る総悟。 「じゃあ、な」 敢えて高杉だけに声を掛けるようなことはしなかった。 そうしてじっとその顔を見つめて。 未練を断ち切るように身を翻してその場を掛け去った。 十四郎の待つ、陣営に向けて。 高杉のすべてを捨てて北上山へ帰る。 ただ総悟の記憶には、最後の最後に「そ う ご」と動いた唇だけが残った。 「鉄線よ、我君を愛す(8)」 (了) |