「鉄線よ、我君を愛す(8)-6」




佐怒丸の足音高く、二人の主の後を追う総悟。
高杉は森へ移動したはずだ。おそらく十四郎も間違いなく後を追っただろう。
高杉は手負いだった。その上まさかまた視界が利かなくなっているかもしれない。
あれほどの手練れで更に場数も度胸も桁違いの男。
その高杉が追われる立場になるということは、もうその可能性は間違いのないものだった。

『晋助様・・・』

馬を走らせた先に、懐かしい十四郎がいるのだという事実を知らぬかのように、高杉の身を案じて風を切る総悟の陣羽織は、北上山城で共に過ごした男達の返り血で赤く染まっていた。




総悟が二人の姿を視界に捉えた時、一人は己に背を向け、一人は地に膝を突いていた。
黒馬は、いない。
高杉の黒馬の姿は無く、なんらかの原因で主人が落馬しそのまま走り去ったのか、はたまた余所で先に馬を斬られ、高杉が徒歩でここまで逃げて来たか。
こちらに背を向けている人間は、見覚えのある青馬に跨って刀を振り上げていた。
血に、まみれた刀を。

蹲る男。
右目から頬にかけて、両手でしっかりと押さえており、甲冑から覗く肩口からはおびただしい血が流れ落ちていた。

「晋助様!」
思わず総悟が声を出したその時。

こちらに背中を向けていた男が、ゆっくりと後ろを振り向いた。
その、驚いたような、顔。
今の今まで、鬼の形相をしていたのを、ただどうやって表情を変えたら良いのかわからないとでもいうように、しかしその切れ長の美しい瞳が今にもこぼれ落ちそうなほど見開かれている。

懐かしい、懐かしいその顔。
顔面を守る、総面はつけていない。
ただ、色白の細面ながら男らしい曲線を描いた頬が露出してぶるぶると震えている。
やがてその唇がわなわなと開き、総悟の名前の通りに動いた。
「そ、う、ご」

声は、出ない。

「・・しろう、様」

先に声が出たのは総悟だった。
十四郎から視線を逸らさないままに佐怒丸から降りて、よろよろと近付いた。

「十四郎様、十四郎様、十四郎…様・・・・」
主を謀って北上山城を出た夜は、二度と会えないかもしれないと思っていた。
高杉の元で幽閉されるか、仇に殺されるか、はたまた十四郎が戦死するかそれともあるいは十四郎に見捨てられるか。
再び顔を見られる可能性の方が低いと。
忘れなければならない漢だった。
そうして、白鷺城で過ごすうちに高杉に魅せられ、愛しさを感じ、忘れたと錯覚していた。

だが。

一目顔を見た時、濁流に流されるように意識は過去に戻った。
六つの頃から世界のすべてだった十四郎。
感情を面に出さない男だがしかし、総悟にとってこれほど喜怒哀楽の激しい人間もいなかった。
さながら光源氏のように己の成長を待って愛を語った十四郎。
どんな時でも己を一番に考えてくれた十四郎。

その男らしい眉が何かを我慢するかのように寄せられているのを見た時、高杉と十四郎への想いがはっきりとした違いを持っている事を、気付かされた。

あと数歩で十四郎の跨る青馬に辿り着くかと言う所で、誰かの呻き声が聞こえる。

「うう・・・う・・」

はっと身体の緊張を解いて、声がした方を見る総悟。果たしてそこには高杉がいた。
「晋助様!」
はじかれたように駆けよる総悟。
その声を聞いて、時間が止まったかのように固まっていた十四郎の身体がビクリと動いた。

「晋助、様・・・だと?」
掠れた声でようやっと絞り出す。
他の何をも犠牲にして、二年もの月日を経て辿り着いた愛は、ただこの一瞬で既に己の掌からこぼれてしまったのだと感じた。
今すぐにでも馬を降りて駆け寄って抱きしめたい。
だが、愛しい情人を気遣うように高杉の元へと走る総悟の姿を見て、己の身体は再び固まって、髪の毛一筋でさえ動かす事ができないでいた。

「晋助様!!」
総悟は地に手を突いて痛みに耐えている高杉の兜の紐を解いて脱がせた。
「晋助様、目を・・・目を見せてくだせえ」

「う・・・そ、総悟・・・・」
がくがくと震える高杉の肩。

信じられなかった。
比類なき栄華を誇った高杉が、今ぼろ屑のようにくずおれている。
この男にだけはこんな姿になってほしくなかった。
雄々しい鷲のように、天高く翼を広げて悠然と飛んでいてほしかった。

「アンタ・・・いてえんですかい?み、見えてるんですかい?ねえ、俺の・・・俺の顔・・・・見えてるんですかい?」
がしりと総悟の左手が握られる。その思いのほか強い力にほっとする。
が。
「泣いて、いる、のか」
問うた高杉の言葉に、視界がまったく利かない状態になってしまっていることを知った。

「なんで・・・・なんで・・・。あ、アンタ、の、目は・・・あと1つっきゃねえのに・・・・なんで・・・・・・」
己の目を1つやりたいなどという安い言葉は言えなかった。
溢れだす涙を拭う様に、高杉の砂まみれの指が、総悟の頬を撫でる。
その、見えぬ物をまさぐるような動きに、ずきりと胸が痛んだ。

「これ・・・これっきりなんだ・・・アンタの目は・・・これっきりなんだ・・・。なのに・・・なのになんで・・・・」
最早同じ言葉しか出てこなかった。この隻眼の男の、たった1つ残った藍色の瞳が、もう何も映さなくなってしまうのか。そんな理不尽なことはあってはならない様に思えた。


「村山にいた頃、城下町をよく散策していて、そうなった者を幾人か見た」
いきなり背後から十四郎の存外冷静な声が聞こえた。
はっと振り向くと、氷のような目をして、かつての主君が二人を見下ろしている。
「その病に詳しい医師によると、それは疫病などではなく、心因によるものだということだ。頭の芯がきりきりと痛んで、それから必ず目の奥が痺れて視界がきかなくなるのだという。俺が見たその病にそっくりだ」
「十四郎、さま」
その名を呼ぶ総悟の唇に、とめどなく流れる涙が伝い、口の中へと流れ込んだ。
「もうそいつの眼は、光を宿すことは無いかもしれん」

「晋助様!!」
「総悟!!!」
再び高杉の方へと顔を向けた総悟の背中に、十四郎の声が掛かる。

「総悟・・・・。お前は」
馬上で身動き1つしない十四郎。主君らしく跪いた民を見下ろすように。

「お前は、俺の下へ戻るつもりがないというのか」

はたりと、総悟の顎から、涙が土の上に落ちた。

ぼんやりと顔を上げて十四郎を見る。
そこには、この一瞬で、生きる為の志を何もかも捨ててしまったような顔の十四郎がいた。

この愛しい主君は。
己の預かり知らぬ所で総悟を奪い去られ、ただそれを取り返したいが為だけに一心不乱に刀を振るって来た、ただそれだけの哀れな魂だった。

十四郎の為にと主を謀って出て来た総悟よりも、もっとずっと苦しんで来たのに、何故ここで高杉の下に留まれようか。
そして、二年の月日を経て尚、再開した時に感じた心臓の高鳴り。

高杉と、十四郎。
この二人への感情の別を。
この時の総悟は、既に理解していた。

「・・・もどりやす」
ひくと、喉が震える感覚。
高杉の目の前でこの言葉を発したくはなかった。
だが、今、どちらも選ぶことのできない身であれば、選ばなければならない方は決まっていた。

「かならず、かならず俺ァアンタの陣営に降りやす。・・・・だから、お願いでさ。四半刻でいいから、このお方と二人に、してくだせえ」
ぼそりと、呟くように言う。


長い沈黙。

「俺は、愛し合う二人を引き裂く、鬼か」
十四郎の能面の様な顔。

「そうじゃありやせん。俺ァ・・・」
「半刻だ」
「・・・・」
「半刻待って戻らなければ、高杉を殺してお前を攫う」
叩きつけるように言葉を発し、十四郎は手綱を引いた。
そうして、総悟の返事を待たずに向きを変えると、あっという間に土方軍の陣営に向けて走り去ってしまった。


『十四郎様』


どこまでも総悟の意思を優先する男。その十四郎を傷つけてまで手にした最後の時間だった。






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