「鉄線よ、我君を愛す(8)-5」




翌日は早朝から川べりに濃い霧が立ち込めた。
その、朝もやの中から現れたるは高杉暢勝率いる武蔵軍。
威風堂々と騎馬大将の姿をした高杉。透かし彫りの美しい兜に、珍しい黒塗りのくわがた前立てが天を向いてそびえている。
左目には黒い眼帯。
対の右目は、もう既に何事も無かったかのように煌めき透き通っていながら強い光を放っていた。


「おおおおぉおおおおおおおおお!」
高杉の腹の底まで響く雄叫びを合図に、続く騎馬軍が一斉に対岸目掛けて馬を駆らせた。


上がる水飛沫。
歩兵どものぶつかり合う音。何合も打ち会う刀。
瞬く間に敵味方入り乱れて、足軽兵の血の色になる大川。

その中を、高杉の黒馬が雄々しく駆け抜けた。
自ら前線で戦う高杉を守ろうと、側近の騎馬が後に続く。

高杉は、ある一点を目指していた。
対岸のなだらかな丘稜の中腹に、一人の騎馬兵。
その身なり・・・甲冑の立派さから、大将各だとわかる。
時代錯誤とも思えるほどの大鎧。それをきっちりと着込んだ様子から、生真面目な印象が見て取れる。
高杉と同じように、数騎の共が付き従っていた。


『土方・・・十四郎兼親』
高杉の薄い唇が、十四郎の名を刻む。
昨晩北の戦地で高杉軍八千を駆逐し、そのまま馬を駆ってこちらへ駈けつけたらしい。

馬足に蹄鉄が用いられるのはこれよりも後。高杉の愛馬によって、裸蹄の土を蹴る音が激しく響き渡った。


 
びゅうびゅうと風が吹く丘。
先程までの霧はあっという間に晴れ、嘘の様な快晴の天高く、細かい雲がざあざあと流れている。
やがて二人の対峙する距離が数間となり、高杉が馬を止めた。


「我こそは、武蔵が国君主、右近衛大将 高杉晋助暢勝なり」
相手の目を真っ直ぐに見て、静かに名乗りを上げた。

「・・・・・・・高、杉」
対する十四郎。彼もまた、遠くから己を目掛けて馬を駆らせてくる人間が、憎き仇の高杉であると言うことは承知していた。

わなわなと唇が震えている。
二年間、この男だけを倒すことを考えてきた。
憎い、憎い、八つ裂きにしても足りない男だった。
十四郎の眦が鬼の様につり上がり、兜で隠れて見えない部分、こめかみにぴくりと血管が浮いた。

何の言葉も出てこなかった。
高杉の姿をその視界に捉えた瞬間、はらわたの奥の奥から、ごぼごぼと醜い憎しみの塊が浮き上がり、油断すれば胸と喉を通ってその憎しみのマグマが噴き出してしまいそうな不快感。
ただ、ただこの男を斬りたかった。

ぎゅう、と刀を握り締め馬上で抜刀する。

高杉の目から見た十四郎の腰の辺りがきらりと光った瞬間。
「ぐ・・・・ううううう、ぅう・・・・・う、おおぉおおおおおおぁあああああおおお!!!!!!」
十四郎は名乗りの代わりに腹の底からの雄叫びを上げて、高杉に向って馬を走らせた。
同時に周りの家臣達も鬨の声を上げて開戦の狼煙を上げた。

もうもうと立ちこめる土煙の中、戦の海から離れた場所で、たった二十数騎ばかりの騎馬戦が行われている。
馬の嘶く声、土煙。高杉の家臣の一人が甲冑の隙間から肩口を刀で貫かれて、どうと馬上から地面に倒れ込んだ。

やや土方勢が優勢かと思われるその局地的騎馬戦の中心、激しい乱闘で舞い上がる土埃の為にやや周りと遮断された空間があった。
その時間が止まったような不思議な空間の中で、土方十四郎兼親の刃が、高杉晋助暢勝に向って大きく振り上げられている。
既に、何十合と打ち合った。
高杉がこの瞬間を楽しんでいるかのように口元がうっすらと笑みを形どっているのに対して、十四郎の表情は修羅そのものであった。
身体ごと振り下ろされた十四郎の刃を鼻先で受け止める高杉。
ぎりぎりとお互いの力が均衡した状態で、睨み合う。

ふと、高杉の眉が上下した。
「おああっ!」
腹から絞り出したような声を上げて土方の刀を退けると手綱を引いて馬を下らせる。

高杉の変化に気付かない十四郎。
「高杉、お前の首は、俺が取る!」
憤りを隠そうともせず、叫んだ。

憎んでも憎みきれない男だった。
あっという間に総悟を奪い去った蛮族。
首を落とし腹をかっさばき、臓物を引きずり出して喰らっても収まらない。
ようやっとこの時が来た。ようやっとこの時が来た。

「兼親様!」
刀を構えたまま高杉を睨みつけていた十四郎が、家臣の声にはっと己を取り戻す。
高杉を見ていたには違いないが、怒りの為に目の前が真っ赤に燃えて焦点が合っていなかった。今はっきりと高杉を視界に入れると、憎き仇は頭と右目を抱えて馬上で突っ伏すように頭を垂れていた。

殺れる。
互角の打ち合いの後、高杉が距離をとった。
どちらも負傷はしていない。
にもかかわらず、高杉が馬上で伏している。その理由はわからないが、戦場での不調はそのまま命に関わる。
この好機を逃す手はなかった。

数騎残った高杉の家臣どもが、己の主を守るように取り囲む。
しかし元々の優勢に加えて高杉の戦線離脱。勢いづいた土方の家臣が、主を庇う兵達をあっと言う間に薙ぎ払った。

「ううっ・・・・」
最後の一人、高杉の正面を守るように立ちはだかっていた男が最後の呻きを上げて馬上からどさりと転落する。
残るは高杉ただ一人。

高杉は、伏していた顔の目だけを敵にぎろりと向けた。
片方は眼帯。
もう片方は、霞みがかかったようにぼやけた藍色。
しかし、その焦点が合っていないかのように見える藍色にも、確かに闘志が見て取れた。

まだ、死んではいない。

十四郎が己の刀をゆっくりと握りなおした時、高杉が素早く上体を起こして手綱を引いた。
黒馬が大きく嘶いて力強く地を蹴り前足を高く上げた。
大きく眉根を寄せた苦悶の表情のまま、高杉が見通しの良い高台から森の方へと馬を駆る。
「おのれ、逃げるか!」
すぐさま十四郎が後を追うが、さすがは武蔵一と唄われた名馬。主の操り無くとも風のように駆けた。
十四郎の愛馬、退峰も決して悪い足ではなかった。頭が良く十四郎の思惑をよく読んで駆ける。だが高杉の黒馬の比では無く、あっと言う間に離される。

「させるか!」
必死に後を追う十四郎。その十四郎を更に追おうと残る家臣どもが馬に鞭を入れようとした時。




「待ちなァ」

静かな声が聞こえて、目にも鮮やかな白馬に陣羽織を纏った、美貌の少年が彼らの前に躍り出た。

「お・・・・・・・・沖田」

色めき立つ家臣たち。
まさかここで、こんな場所で、国を護る為に敵に降った沖田総悟と相対することになるとは思っていなかったのだ。

城を出た時と変わらぬ姿。
だが、背中に差している高杉軍の旗だけが、異色のものとして映った。
故郷では、ただ十四郎の側付きの小姓として座っていた為、戦場で総悟の姿を見たことのある者は誰もいなかった。

初めて見た戦場での総悟の目は、己たちを敵として捉えている。


「なにを、考えている・・・・沖田」
総悟の纏う不穏な空気に、かつての同胞達は背中に冷たい汗を感じた。

「我々は・・・・同士だ」

がつん、と。
佐怒丸が土を蹴った。

大きく踊り上がる白馬に視界のすべてを奪われたのを境に、たった二年前まで同じ主に仕えたはずの目の前の小姓が、殺戮者と化した。





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