「鉄線よ、我君を愛す(8)-3」 |
ばさあ、と音を立てて陣営の幕を開いた。 今や総悟の顔を知らない者などいない。誰も総悟を止めることなどしなかった。 腹の中でなんと思っていようと、殿の覚えめでたき鬼神の剣士だった。たてついてどうなるものでもない。 「晋助様!」 最奥の床几に掛けた姿を目にしてづかづかと歩み寄った。 「総悟か」 高杉がゆっくりと総悟を見上げる。その瞳は、薄ぼんやりと曇ったような色をしていた。 頭の天辺から足の先まで素早く視線を巡らせる。 めずらしく陣営の奥に引っ込んでいながら甲冑をつけた姿。 おもむろに甲冑の結びを解こうと肩を探ったが、高杉の手がそれを阻んだ。 「なにをする」 「アンタ・・・怪我、したって」 「なんでもねえ」 「なんでもねえ怪我で早馬で報せが来るもんですかィ」 「それよりお前来るなと言っただろうが」 「退屈で死にそうでさぁ」 総悟の右手を高杉がふいに掴んだ。 「口答えするんじゃねえ、お前、」 そこまで言って高杉が小さく眉を寄せた。総悟が高杉に反抗してどんと肩を突いたのだ。 「お前、は、残っていろと言っただろうが」 それ以上の変化を見せないで高杉が言葉を続ける。 「お前は戦には出さねえ。さっさと帰れ」 どん、どん、どん。 総悟が当たりをつけた肩を三度突いた。 「てめえ・・・・いい加減にしろよ」 何故かしら目をぎゅうと絞りながら総悟を見上げる高杉。 「いてえんでしょうが!痛くねえってんなら見せてみなせえよ!」 一瞬の隙を突いて総悟が高杉の右肩袖の紐を解いた。 途端に鮮血にそまる晒が甲冑の隙間から視界に入る。 「・・・アンタ・・・・。どうしたってんですかィ」 「うるさい、俺の言う事を聞け、帰れ」 「なんだってこんなどんくせえ傷なんか作ってんですかいって聞いてんだ!」 「やかましい!殺されてえのか!!」 「沖田様!」 白熱してきた二人の会話に水を差す者がいた。 また子は前線で働いている為にここにはいない。 声の主は、草太だった。 陣営の裏から幕をくぐって入って来た草太。 右手に治療の為か酒筒と晒の束を持ち、左手に桶を抱えていた。 高杉の隣に桶を置いて、後ろに続く男から湯をもらって注いで高杉の具足を取る。 その横顔は、戦場にきてぐっと大人になったようだった。 「今俺の事を沖田様だなんて呼んだのはおめえか草太」 「呼びました」 澄ましたものだ。 「チッ、猫かぶりやがって」 嫌そうな顔で視線を高杉に戻した総悟が、何かの違和感に首をかしげる。 高杉の、視線がおかしかった。 「晋助様・・・・アンタ・・・・目・・・・見えていやすかィ」 すう、と表情のなくなった総悟の問いに、高杉がいつものように後頭部を後ろにかくりと下げて、座していながらも立っている総悟を見降ろすように尊大に笑った。 「フ、あたりまえだ」 「・・・・おれ・・・俺の今日の結い紐の色わかりやすか」 総悟の髪を高く上げている結び目の方をじいと見る高杉。やはり薄らと靄がかかったように見える。 「朱だろう」 「模様は」 「ああ?」 「この結い紐の細かい模様が見えてるってんなら俺も信用しまさぁ、何の絵が描いてありやすか」 「ああ?知らねえよ」 「見えねえんですかい?この千鳥が見えねえんですかい?」 「仕様もねえ事言ってごまかすんじゃねえ!ぐじぐじ糞みてえなこと言いやがって!千鳥だ!?そんなモンくれえ承知している!!命令が聞けね・・」 がん!と高杉の顎が総悟の右拳で大きく払われた。 不意を突かれて床几から転がり落ちる高杉。まわりの側近共が凍りついた。 「嘘つき!見えてねえんでしょうがやっぱり!この結い紐は確かに朱色だけど模様なんてねえ!アンタ・・・アンタやっぱり・・・やっぱり目が」 「やかましい!!」 すぐさま立ち上がって総悟の長い髪をぐいと下に引く高杉。総悟の白い喉首が晒される。 完全に頭が天を向きながらも高杉を睨み上げる総悟。 「アンタ・・・・見えてねえんでしょう?」 亜麻色の髪を下方に引いたまま、高杉がぎゅうと目を細めた。 「それがどうした。お前の顔くらいは見える」 「怪我・・・したっ時・・・」 更に力を込めて髪を引かれながらも総悟が続ける。 「傷を、負った時・・・負った時は・・・・ひょっとして、全く、見えなかったんですかィ」 ふ、と髪を引く力が消えた。 見ると高杉は思いの他穏やかな顔をしている。 「ここは陣営だ、士気にかかわる。奥へ来い」 どれほど目が見えているのか解らないが、何の問題もないかのようにすたすたと歩き、幕の奥へ消えた。 一瞬だけ小さく眉を寄せ、首の後ろを軽く押さえると、総悟も黙ってその後を追った。 |