「鉄線よ、我君を愛す(8)-2」 |
「殿、負傷」 その報せに、城内に残る人間は皆驚いた。 戦場のただ中で刀を振るう高杉ではあったが、誰の刃を受けたこともなかった。 大将首を取ろうと我先にと高杉目掛けて馬を掛ける者共の中にあって、大きな刀傷を作ったことなどただの一度も無い。 たとえ飛ぶ鳥を落とす勢いの土方軍と言えど、高杉軍の劣勢では無かったはずだ。 国境を流れる川が両軍を隔てていて、連日隣国側の川べりで激しい攻防が繰り広げられていた。 防衛側の高杉軍が奇襲を仕掛ける形で戦が開始され、決着がつかず膠着状態となっていたが、どちらかと言えば、武蔵軍が優勢という報告を受けていたのだ。 援軍を乞う報せではなかった。 だが、早馬を使って一報が入るほどの怪我であるとすれば・・・。 「俺が行く」 総悟が立ちあがった。 「何を言うか、御主はここへ残っておれ」 「お前はこの時を待っていたのだろう!殿が負傷されたこの時を狙ってお命を取り自国へ逃げ帰るつもりなのだ!」 口々に声を荒げて総悟を責める重臣達。 老婆心どもの声を無視して、すたすたと部屋を出た。 炊事場へ行って湯漬けを出させ、さらさらとかっこんだ。干し芋があったのでそれも携帯の食料袋に入れて腰に結び付ける。 高杉の揃えてくれた戦支度。 軽い帷子に具足と胸当て。誰も手伝う者がおらず自らすべて身に付けた。 最後に自慢の一ふりを腰に帯びて鉄線の陣羽織に袖を通して背筋を伸ばした。 「沖田!殿の命令ぞ!お前は大人しくここに留まれ!色小姓ふぜいが」 ズラリと刀を抜いた。 ここへ来てから何度も何十人もの血を吸った刀だった。 「てめえら、俺の邪魔する奴ァ命が無いと思えィ」 鼻先に底光りする刃肉を突きつけられた重臣どもは、途端に口をつぐんだ。 総悟の強さは今や誰もが認めるところであった。 己達にこの少年を止める力がないことも承知しているのだ。 報せを持ってきた使者の尻を蹴り上げて案内をさせる。 厩へ行くと、佐怒丸が静かに佇んでいた。 そっと首筋を撫でる。 飛ばせば半日で国境まで行けるだろう。 「がんばって、くれるかィ」 佐怒丸の、長い睫毛の下の愛くるしい瞳が肯と返事をしたように思った。 この空の下で血で血を洗う合戦が行われているとはとても思えない澄んだ空気。 その中を風を切って走った。 総悟の長い髪が美しくなびく。 半日駆ける間に、何を想うのか。 『案外どんくせえ殿様だからな、ひょっとして落馬して骨でも折ったんじゃねえかな』 前をゆく使者の馬が遅れ始めたのに追いついて、隣の馬の腹を蹴った。 「気合い入れて鞭入れなァ!俺が行くまでに殿がおっ死んじまったりなんかしたら目もあてられねえだろーがィ」 雄々しく駆ける佐怒丸の足音を聞きながら、総悟は戦地に近付く度に、生真面目で神経質な十四郎にも一歩一歩近付いている事を、頭のどこかで理解していた。 |