「鉄線よ、我君を愛す(5)-7」 




「てめえの愛しい沖田様ってえのは、あれは色情狂だな」

風呂用の薪を割る垂穂の背後から、声が聞こえた。
垂穂はぴくりと動きを止めたが、振り向きもせずに再び斧を振り上げた。

「どうした、聞こえねえのか?お前は主人を馬鹿にされても何も言わねえのかよ」
「主人が女子の腐ったようなものなら臣下も臣下だな。「ふぐり無し」たぁこいつのことだ」
ぎゃははと下卑た笑い声にゆっくりと振り向く。
そこには二人の男達が立っていた。

「沖田様は、清廉な方です」
見ればその二人は高杉軍の足軽組頭として戦にも出て、普段は城内の人足仕事も担っている力自慢だった。
「故郷でもあの方の剣技に敵う者は誰もいなかった、ここでだって殿と同じ程の活躍をしておられます」
お前たちはどうだと言わんばかりの瞳。

「うるせえ!」
1人が垂穂の襟首を掴み、乱暴に井戸まで引き摺って行く。
もう1人が垂穂を膝まづかせてその背に木刀を打ち下ろした。
「ウウアッ!」
慣れた手つきでするすると井戸から釣瓶を引き上げて、そのまま垂穂の背に水を掛ける。
春とは言え、未だ井戸の水は身を切るように冷たかった。

「お前の沖田サマがナンボのモンだってんだ。殿の尻を舐めておねだりして隊をもらった色小姓がよ!」
びしりと木刀が折れんばかりの力で背に衝撃が打ち付けられる度に、雷に打たれたような痛みが走る。
だが、痛いのは背では無かった。
垂穂の総悟に対する憧れと誇りとが、薄汚れた木刀によって無残にも打ち砕かれていた。
打たれては水を浴び、また打たれては身も凍る冷水が傷口を攻撃する。

「ち、がう・・・」
土に突いた手が、がりがりと地をかきむしる。
垂穂の爪の間に細かい砂利の混じった砂が入り込んだ。

何を言われようと耐えてきた。
この長い一年の間、まるで襤褸屑のように扱われ蔑まれてきても、己よりもつらい思いをしている総悟の為を思えば何ほどの事もなかった。
ここで己が反抗すれば総悟の立場が無くなる、よもや斬り捨てなどされれば総悟は敵地でたった一人ぼっちになってしまう。
その思いがここまで垂穂を耐えさせた。

だが、その精神は、拠り所である総悟を悪し様に罵られたことによって、みしみしと音をたてて崩れそうになっていた。







痛む身体を休め休め部屋に戻ろうとしていた。
垂穂の部屋は下働きの男衆が十四人も詰め込まれた二十畳ほどの板間だった。
引き摺る足を、止める。
今戻れば、部屋の皆が「またやられたのか」という目で馬鹿にしたように己を見るだろう。

『沖田様の、声が聞きたい』
傷の痛みにわずかに心細くなったのか、あるいは熱を持った身体が愛しい者への恋情を色濃くさせたのか。

さきほど陰湿なしごきを受けた井戸へと勝手に足が向かっていた。
あそこから見上げれば、高杉の寝所に隣している廊下の手すりが見えた。
もしかしたら、もしかしたら夜空を眺めにあの方が顔を出すかもしれない。



「ん、ふ・・・・」

暗闇の中、井戸の辺りから誰かの声がきこえる。

甘い吐息。

「ふう・・ん・・あ、晋助、様・・・」

井戸の縁にこちらに背を向けてもたれかかった影が見える。
腰までかかる長い髪。
この暗闇にも、艶のある美しい亜麻色だとわかる。

その亜麻色の毛先も一緒に腰を抱きこんだ男が、激しく総悟の唇を貪っていた。
二人の足元には竹製の水鉄砲が仲良く二つ落ちていて、辺り一面水溜りだらけになっている。二人の着物もしっとりと濡れているようだった。

ひときわ強く腰を抱きこまれて、総悟が背を仰け反らせる。
逃げるように身体を捻らせるが、その白い顎を高杉が追って二人の体勢が変わった。
背中しか見えなかった総悟の横顔が、垂穂の目にさらされる。

しかし、すっかり夜の帳も下りて、井戸からは遠い篝火の明かりだけではその表情はよく見えない。

目を凝らした垂穂が、一歩近づいて二人を凝視しようとした瞬間、月を隠していた雲がゆっくりと流れた。
思いのほか明るい月明かりが、愛しい主人の横顔をくっきりと浮き上がらせる。

白い頬は、朱に染まっていた。
高杉の唇が離れると、その唇を追うように赤い舌が突き出された。
閉じていた瞳を薄らと開くと、長い睫の向こうに篝火がちろちろと燃えているのが見える。
総悟の舌をまた高杉が啄ばむ。
ちゅ・・・と音を立てて二人の顔が深く重なった。

「晋助・・・さま」
はふ、と息をしながら高杉の首に白磁の腕を絡ませて、相手に合わせようとしている。


垂穂の知らない総悟がそこにいた。

敵地で、陵辱に耐える表情では無かった。
垂穂自身が信じて拠り所としていた象徴とも言える総悟が。

貪欲に男を求めるイザナミのように、高杉に全身を預けていた。






(了)


 




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