「鉄線よ、我君を愛す(5)-5」 





目覚めると、寝所の天井。
呆、としながら左手を唇にあてると、血は綺麗に拭ってあった。

かつん、と音がしたのでそちらを見ると、いつものとおり、高杉が柱にもたれて城下町を見下ろしていた。

「・・・アンタ、そうやって町を見下ろすの、好きですねイ。なんかうめえもんでも見えるんですか」
灰を落とした煙管を持ち上げて、口に咥えてゆっくりと煙を吸い込む後ろ姿。

ふー・・・と高杉の肺を回った煙が吐き出される。
「前に言わなかったか?これは俺が手に入れたモンだからな」

「自分の力で手に入れたモンだから、眺めてるのが楽しいんですかイ」
「武蔵だけには留まらん。俺は天下を取る」
「そんなものが、ほしいの」
「そんなもの?」
「そんな、つまらねえものが」

ぴいよろろろろと、鳥の鳴き声がする。
この高さまで飛んでこられるのは鳶だろうか。

「天下をとれば、誰も俺のものに手を出さなくなる。出せなくなる」
高杉の煙草盆の脇に皿がひっそりと置いてあった。
生の猪肉を乱暴につかんでおもむろに立ち上がると、廊下の手すりまで行って猪肉を投げ上げた。

あ、という間に鳶が旋回して猪肉を咥えてまた大きく空を周った。

「晋助様」
「なんだいきなり思い出したようにしおらしい呼び方しやがって」

「ねえ、本当は昔、出羽にいたことがあるんでしょう?」
「いたがどうした」
「俺に、会ったことが、ありやせんでしたかィ?」
「知らんな」

あの少年をいつも思い出した。

「正直俺ァ、あの時の兄様に感謝していたんですぜ、姉上と離れ離れになるはずだったのが、あの兄様に身の上話をした途端に奉公に出なくて良くなったんですから。子供ながらにわかりやした。いい着物を着て若殿なんて呼ばれてた。権力のあるお方だったにちげえねえんだ。兄様がきっとなんとかしてくれたんだって、俺はそう思っていやした」
「それが、俺だと言うのか」
「本当言うと顔なんて覚えちゃいやせん。こちとら数えで四つか五つだったんですぜ?だけどその兄様が隻眼だったってえのと、アンタが良く着ている着物と同じ色だけははっきりとこの目に焼きついていやす」
「・・・・・知らんな」
「なんで」

『どうして、隠すんですかイ』
猿にだってわかる。
あの時の少年が高杉だと。

「あン時の・・・・・兄様に、もしも、会えたら・・・俺ァきっと、その人を愛するんだと、思っているんですぜ」
かさりとした声が、総悟の喉から搾り出された。

「・・・・・・」
ゆっくりと、たった一つの澄んだ瞳を細める高杉。

『アンタは、愛されているということを知らない。あのまた子だって家臣どもだって、今日斬られそうになったお方様だって、きっとアンタが・・・。だけど、そんなことアンタは理解できねえんだろう』

愛を知らない子供のような高杉に、情というものを教えてやりたかった。

そんな感情があることも知らないのか。
あるいは愛とは一方通行のものなのだと思っているのか。

ここまで言えば、高杉も本当のことを言ってくれるのではないかと、総悟は考えたのだ。

「・・・俺じゃあない」
静かな瞳だった。


きゅうと胸が絞られる。


『どんな理由があるのかは知れねえ、どうしても言ってくれねえならもういい。俺は、アンタがあの時の兄様だって勝手に思うことにするぜィ』

それが、己の言葉を借りれば、「愛」につながる思考だということを、総悟はしっかりと気付いていた。

 




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