「鉄線よ、我君を愛す(5)-4」 





高杉の側室の1人が、手打ちにあったと城中が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
三人いた側室のうちの1人は、既に高杉の怒りを買って斬り捨てられていた。
残る二人のうちの1人。
同盟を結んで嫁をとった後に滅ぼした家の姫。
高杉がぱったりと己の寝所を訪れなくなった事に焦り、己が生んだ嫡男をネタに殿を呼び出して総悟を悪し様に罵ったあげくの凶行らしい。

朝からばたばたとうるさい足音が城中を駆け巡っていた。
総悟はぼんやりと自室で横になりながらその音を聞いている。
己が騒ぎの場におらぬながら、その中心人物であったことを既に知っているが、焦るでも心配するでもない様子だった。

だん、だん、だん!
という音がしてすぐに息を荒げた高杉の顔が現れた。
逆光でよく見えないが、肩で息をしているのがわかった。右手には一振りの刀。
抜刀したまま。
血は、ついていない。
拭ったのか、もともとついていなかったのか。

ちろりと総悟がその刀に視線をやったのに気付いたのか、手負いの獣のようなオーラをまとった高杉が、無言で刀を鞘に納めた。
がらんと足元に鞘ごと投げ落とす。

「斬ってはおらぬ、打っただけだ」
興奮からかいまだ片方だけの目は血走り、口を真一文字に結び、鼻で息を吐いている。

「そうですかィ」

「俺の怒りを買って、生き残った者はいない。だから、皆俺があやつの息の根を止めたと思ったのだ」
「はあ」
興味がないのでそれ以上は聞く気がなかった。
だが、何かを期待している高杉の顔を見てしまっては仕方ない。

「なんで、助けてやったんですかィ」
興味は無いが聞いた。

「わからん」

総悟が問いかけたことでようやっと身体の力を抜いてどさりと隣に腰を下ろした。
「わからんが、斬るほどでもなかった」

部屋の外からまた子の息を飲む音。
どうやら、相手が誰であれ高杉が抜刀してそのまま命を落とさずにすむなどということはありえなかったらしい。

「ねえ、晋助様ァ・・・。今日命拾いしたお方様ってえのは、俺のことを悪く言ったんですって?」
「ああ、殺した方が良かったか?」
「いや、そうじゃなくて、アンタの怒りを買うことを知ってて、それでも感情を抑えられねえってことは、それだけアンタに惚れてるってことですよねイ」

じ、と総悟を見る高杉。
「俺の、権力と財力にな」
静かに唇が動く。

「そうじゃあなくて。アンタの権力だけに惚れているなら、なにも俺のことでアンタを責め立てて命縮めるこたぁねえんだ。だって黙っていたって高杉暢勝の側室だってぇ地位は保証されてんだから」

「・・・・何が言いたい」
「それだけ、アンタに情があるってことでさ」
「情?」
「アンタ、心は手に入らないなんて言っていたけど、自分で知らないだけで、本当は皆アンタを想っているんじゃねえんですかィ」

ぎろりと鋭い瞳が総悟を睨みつける。

「それがどうした、俺の力を崇拝している者はいくらでもいる。だが大半はその力でそいつらの頭を押さえつけているだけだ。しかしそれを俺は当然のことだと考えているし、それ以上のことを望むつもりもない。」

「望む望まねえの話じゃなくて・・・」
「何だテメエは、何が言いてえ。俺が望まねえものなんて必要無いんだ。それとも何か?お前も俺に惚れたとでも言うのか?この城の女子どもをすべて斬ってしまえとお前も言うのか?」
「・・・」
「言わねえだろう?言う気など無いだろう?そんなことは俺が百も承知だ。いらねえことを言っていねえで、お前は俺を喜ばせる事だけ考えていりゃあいいんだ」

また子の心臓の音がここまで聞こえてきそうなくらいだった。
それほど、高杉にしては辛抱強く怒りを抑えた会話。

「・・・アンタ、アンタ、てめえの母上を、愛していたんだろぃ・・・・。だから、だから草太の母親が目の前で死んじまって・・・それで哀れに思ってあいつを拾ってやったんでしょうが。アンタの心の臓ン中には、優しい心だってたくさんつまっているんだ。なのに、なんでそれを見せようとしねえんですかイ」
瞬間、総悟の頬が燃えた。
激しい衝撃と共に、寝所の板の間に敷かれた畳に打ち倒れる。

「やかましい!俺は!俺はお前に何も望んでなどいない!俺がきまぐれにやったことで俺の腹の中を勝手に代弁したつもりになっているんじゃねえ!」

総悟の唇の端から流れた血が、ぱたりと畳を汚す。

「母親がどうした・・・・・・俺が、一度でも母親を嫌っていると言ったか?何も隠そうとなどしていない。俺は母親を慕っていた。だがどうだ、今なぜその母親はこの世にいない。・・・俺が殺したからだ。俺を殺そうとした母親の命を、俺自身がこの手で奪ったからだ!!」

総悟の髪を掴む嵐のような手が、白い額を畳に打ち付ける。
四度、五度、六度、七度。
「ウッ・・・ううっ・・うあっ・・・」
目の前を火花が散る。何度も、何度も。

「お前も、母親も・・・俺が望んだものは手に入らない。だが、母親はもう兄を愛することはできない。俺が殺したからな!」

「と、殿!!!」
あわててまた子が寝所に入ってくる。
「お鎮まりください、殿!」
総悟の髪を掴む右手にすがりついて止めようとするも、高杉に振り払われて尻餅をついた。
くらりとする視界にもめげずに再度すがりつく。
「殿!」
「出しゃばるな!」
「いけないッス、殿!どうか・・・どうか」

二人のやりとりを遠くで聞きながら、総悟は、ふわふわと鉄線の咲き乱れる草原を歩いていた。

愛を欲しながら、愛を知らない高杉。
己が、愛に飢えているということにも気付いていない、哀れな魂。

美しい姿形も、戦の才も全て手に入れていながら、誰がこの獣に愛を教え忘れたのか。


遠のく意識の中、寝所まで香ってくる鉄線の香りと、少年の姿の高杉が、脳裏に浮かんだ。
 




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