「鉄線よ、我君を愛す(5)-2」 




「沖田様!!」

暇にまかせて城の裏庭に面した廊下を歩いていた時、近くから必死の声が聞こえた。
見ると、庭に手をついて背を屈めながら顔だけを上げた垂穂がいる。

その顔は泥で汚れ、結った髪はあちこちほつれて以前の清潔感は微塵も見られなかった。
土についた指は炭やら土やらで真っ黒になり、剣だこのできていたのが、鍬だこに変わっている。
時折り殴られたりもしているのだろう、頬が腫れて口の端もかさぶたになっていた。

「垂穂」
廊下から庭に降りようとすると、畏まってざざざと同じ体勢のまま後ろずさる。
まるでとんでもないとでも言うように。
「沖田様!お顔を見られることなど滅多にございませんので、つい声をお掛けしてしまいましたご無礼をお許しください!」
這い蹲って頭を下げている。

不自然なほどの態度だった。
ご尊顔やら拝謁やらといった言葉を使われるよりはマシだったが、故郷にいた頃は上下の差などなかったはずだ。
総悟の知らない間に、己と高杉の寵愛を受けている総悟との身分の違いをきつく身体に叩き込まれた垂穂。総悟への懸想心が会えない間にむくむくと育って、まるで天女の様に神々しく美しいものを見上げるような目をしていた。

「沖田様・・・・お身体は・・ご無理などなさってございませんでしょうか」
「無理など・・・」
故郷にいる時とは違い、総悟が戦場に出て垂穂は城で下働きをしている。
綺麗な着物を着せられて何不自由なく暮らし好きなことをさせてもらっているのは総悟だった。

「あの鬼のような高杉めの元で沖田様が陵辱のかぎりをつくされていると思うとこの垂穂は夜も眠れません!いつか、いつかこの私めが、己の命を賭してでもあやつと刺し違えてみせます!」
垂穂の目は、つらい処遇を受けているこの生活で荒みきっていた。だが総悟にうらみつらみをぶつけることはせず、ただ憎しみを高杉にのみ向けているようだった。

「あんまりここで滅多なことを言うもんじゃあねえぜ。俺達は敵陣にいるんだ、お前の立場だって悪く・・・」
「沖田様!今しばらく・・・今しばらく耐え忍んでください。必ず沖田様を自由の身に・・、そうして殿の下へ無事に送り届ける事が私の務めと心得ております」
「垂穂・・・。お前こそ、ここでつらい目に遭っているんだろう?俺を捨てて逃げたってかまやしねえんだ」
「沖田様・・・」
「?」
じゃり。と庭の土を握る垂穂。
キッと顔をあげて、総悟を睨むように見つめる。

「手を」
「手?」
「無礼は承知でございます。ただ、ただ一度だけ、お手を・・・」
もとよりそんな口を聞かれるような関係ではなかった。手を触れるくらい何があるというのか。

総悟は白い手首を垂穂に向かって伸ばした。
毎日剣を握っている筈なのに白磁のように美しい指先。
それを見て垂穂の喉がごくりと鳴った。

「沖田、様」
己の手を持ち上げて真っ黒であることに気付き、袴で必死に拭き取る。
未だ薄黒いが砂の落ちたその手で、総悟の手の甲を愛しげに撫でて握り込んだ。
我慢できずに、両手で。

「沖田様・・・私は、必ず貴方を・・・」
何か言いかけた時、どこからか垂穂を呼ぶ声が聞こえた。

誰かはわからないが、激しい罵りの言葉と共に何度も垂穂の名を繰り返す。

はっとしたように垂穂が総悟の手を離した。

「し、失礼いたします!」

今一度、額に土が付くほど庭の土に頭を擦り付けてがばりと立ち上がると、あっという間に声のした方へ走って行ってしまった。

その方向をじいと見つめながら、総悟は何事かを考えるかのように、首をかしげていた。


 




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