「鉄線よ、我君を愛す(4)-3」





高杉軍はその勢力をじわじわと拡大させている。
常にどこかの国と小競り合いをしている状況で、同盟や服従を表さない隣国の武将どもは、いつ自国に攻め込まれるかと戦々恐々としていた。


高杉は、本陣の床机にどっかりと座ったままの男ではなかった。
先陣を切って敵軍のど真ん中に飛び込んで、刀を振るった。手綱を大きく引く黒毛の前足が大きく地を蹴って嘶き、目が血走る。
戦場での高杉は、ただ狩りを楽しむ為だけに戦をしているようにも見えた。
瞳孔の開いた瞳、片側は長く伸ばした前髪がふわりと浮くたびに、黒に金糸で龍が描かれた眼帯が見え隠れする。
心もち顔を上に上げた姿勢で、目に入るものすべてを斬って斬って斬りまくる。
まるで敵も味方もなかった。高杉を中心とする数間の円は、ブラックホールか何かのようにすべての生き物の命を吸い込んだ。

そして、その高杉の口元は、笑っている。
ただこの時だけは、総悟を知らないかのように。

あの円の中に踏み入れば、己も惨殺の対象となるのだろうか。

そんなことをふと考えながら、総悟も初陣とは思えぬ鬼神ぶりを発揮していた。
人を斬ったのは初めて。
だが、不思議と興奮も恐れも後悔もなかった。
ただ、長くほんとうの戦というものを知らずにいたこの身体が、思いのほか動くのには驚いた。
背後に敵がいるのがわかる。
目の前の敵がどのように動くのかがわかる。そしてそれよりもずっと早く動ける身体。

戦国の世に生まれたことが、二人にとっては幸運、相対した者にとっては不運であるとしか言い様がなかった。

これを機に、総悟は先鋒隊を与えられ、それを率いる大将として腕を振るうこととなる。
戦場で、総悟はぴたりと己の身体にはまる居場所を見つけた。
稚児として可愛がられるだけではなく、戦へ出て己の身体と腕を試したいといつも思っていた。
大切に大切に守られるのも悪い気はしなかったが、その点では高杉は総悟を失うことを恐れないのか、総悟の運と実力を信じているのか、高杉が総悟を檻に囲うことは無かった。



ふと気がつくと、戦の中心から離れていた。
例え鬼神の働きをするとはいえ、初めての戦には違いない。知らぬうちに敵を深追いして、高杉の隊から離れていたのだろう。
皆総悟を恐れて近づかない。この時は未だただの騎馬兵であったが、たまに大将首だと勘違いして刀を向ける者もいた。だがあっというまに逆に総悟の刀の錆となる。

ばるる、と鼻息も荒い佐怒丸の手綱を引く。
すでに総悟の近くには死体しかなかった。
激しい攻防の輪の中に戻ろうとした時、鋭い悲鳴が聞こえた。
女の、悲鳴。

振り向いて見ると、血まみれの戦場の片隅で、粗末な身なりの女が何かを庇うようにうずくまっていた。
目の前には、敵方の騎馬兵。
刀を振り上げて今にも女を斬り殺そうとしているところだった。
咄嗟にそちらへ駆け寄ろうとしたその時、総悟の背後から蹄の音も猛々しく、女の方へ馬を走らせる者がいた。
総悟を抜いた瞬間、ほんの少しだが血の匂いに混じって、高杉の香が香った。
あっというまに修羅場にたどり着いて、敵方の兵を切り殺す。
将が地に倒れこむと、馬がひときわ大きく嘶いて土ぼこりを上げて走り去った。
後に残るはただ小さくなって震える女と、その腕の中の童だった。

見ると、女は肩から腹にかけて大きな刀傷を負っている。
最初に悲鳴が聞こえた時に、すでに一太刀浴びていたのだろう。

『ああ、この女は死ぬな』
傷を見た時そう思った。
高杉も同様なのだろう。鋭い瞳でじいと女と童を見ている。

「お、お侍様・・・・お侍様・・・・」
涙を流しながら高杉を見上げる母親。
かぽかぽと近づくと、童がちらりと総悟を見上げた。見上げながらも母にしがみついてじっと黙っている。

高杉は、馬上から降りることはなく、冷たいのか何かを深く考えているのかわからない瞳をしていた。
総悟は、その瞳を見て、この場にいる母子よりも、高杉の隻眼の奥にある何かが気になって仕方がなかった。

やがて、母親が身体を九の字に曲げて完全に倒れ伏す。ぴくりとも動かない。
かあちゃんかあちゃんと言って母親の身体を揺さぶる童。
ふと脇を見ると、山作業にでも使うのか背負いかごが落ちていて、その中にはいくらか値が張りそうな刀やらお守りの数珠やら蒔絵の印籠から屑のような矢までが放りこまれていた。

父親がいるのかいないのか。
どちらにしろ食うに困って戦場に金目のものを探しにきたのだろう。
おそらく、時がたってからでは野盗どもがめぼしい物をすべてむしり取ってしまうだろうと考えて、未だ戦が行われている地で、物色していたのだろう。

「一緒に来るか」
高杉が童を見下ろしてぼそりと言う。

童は母親の死体にしがみついたまま首を振った。
高杉がおそろしくて仕方ないのだ。

「一緒に来た方がお前の為だ」
もう一声、存外穏やかな口調で言う。

童は、ただぶるぶると震えて、今度はもう首を横に振ることもしなかった。

数秒童を見て、もう興味が無くなったように高杉が馬の向きを変えて本陣の方へ歩き出した。
総悟は佐怒丸の背から降りて童に近づいた。
白い手を差し伸べると、おずおずと童がその手にしがみつく。
童を抱いて佐怒丸に跨ると、殿の後を追った。

小走りに走らせ隣に並ぶと、ふいに、己の前に座らせていた童が浮いた。
高杉が身体ごとぐいとこちらに手を伸ばして、童の襟をつかんで引っ張り上げたのだ。

びい、と泣き出す童を気にもせず、今度は高杉の腹の前に跨らせる。
「総悟は俺のものだから、触れることは許さん」

ひどく真面目な顔をして、泣き喚く童に話しかけているのを見て総悟は、
『ああ、この人は自分を探しに来てくれたのだな』
と思った。




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