「鉄線よ、我君を愛す(4)-2」 |
「遅い。来年まで湯に浸かっている気か」 「はぁ、長風呂なもんで」 昨日と同じ天守閣。相も変わらず城下町を見下ろしている高杉。 「高ぇところが、好きなんですかい?」 「俺が好きなものはお前だ」 こちらを向きもしない。 本気なのかどうなのかわからないが、相変わらずセンスの無い受け答えだった。 南蛮渡来の双眼鏡をのぞきながら高杉がぼそりと言う。 「戦に連れて行ってやる」 「え」 「元服だ、総悟」 武蔵国の日差しを受けきらきらと光る天守で、風のように己を攫い上げて新しい世界を見せようとする高杉。 「たかすぎ・・・・・・・・さま」 「晋助だと言っただろう」 「晋助様」 ニヤリと笑って高杉が立ち上がる。 「来い、総悟。季節外れだが今から元服の儀を執り行う」 その後、総悟の髪を切る切らないで揉めに揉めて、高杉の意見が通り、総悟の元服はただ形だけ烏帽子を被せて終わった。 月代を剃りたいと言っていた総悟に対して「泣くぞ」と言った高杉の一声で決まったのだ。 普段の主君を知っている家臣達は、ただ口をあんぐりと開けて、総悟と駄々を言う高杉の会話を聞いていた。 この日以降、高杉軍に猛将ありと謳われ恐れられた少年剣士こそが、この沖田春柾なのであった。 「美しい馬だな」 ストイックな筋肉を浮き上がらせた黒馬に跨る高杉が、並んで進む総悟に声を掛けた。 これから命のやり取りをしに戦地へ赴くとはとても思えないのどかな田園風景を行く高杉軍の先頭。 「佐怒丸ですかィ」 「さどまるというのか。見事な白だな」 「総悟にぴったりだといって、十四郎様が連れてきてくれたんでさ」 ケロリと言うと、高杉が嫌そうな顔で舌打ちをして目を逸らせる。 「総悟にぴったりだといって、十四郎様が、」 「うるさい」 明らかに気分を害した様子で軽くスピードを上げる。 徒歩兵までもが高杉の恐ろしさを十分知っているので、周りは総悟の態度にもれなく肝が冷えていた。 総悟は初陣にふさわしい凛々しさ。髪を高く上げて結い、絹糸の束のように風に揺らせていた。 華奢な身体は具足と袖板、胸当て程度の軽装で、金地の緞子織りの前身ごろにやはり鉄線と火車があしらわれた美しい陣羽織をまとっている。高杉が誂えたものだった。 馬上でも背筋を伸ばし、きらびやかな陣羽織が日を照り返して、さながら戦神の輝きを放っている。 数間先を闊歩する高杉の後ろ姿を見つめて。 高杉も甲冑を嫌って、陣を敷くまでは兜をつけなかった。 高杉と身体を重ねたいという欲求は無かった。 初対面の日よりこっち、ほとんど毎日高杉の寝所に呼ばれるが、むしろいつも本意でない。 だが、寝込みを襲って高杉の首をとろうと言う気もまた無かった。 総悟にとって会ったことのない人間で、興味の対象には間違いない。 閨では乱暴で自分本位の態度だったが、そのくせ昼間の顔はどこかしら間が抜けていた。 そして本人が意識しているのかいないのか、総悟を喜ばせようと一生懸命になっている節があり、そこがまたこの男に抱いていたイメージとのギャップで、不思議に不快感を持たなかった。 「おい」 ぼうと前を見て馬を進めていると、ふいに声を掛けられる。 いつの間にか高杉が再び隣に馬をつけていた。 「そんなに呆としていて、戦場で大丈夫なのか」 「はぁ、気をつけまさ」 かぽかぽかぽ。 裸蹄の音が耳に心地よい。 「おい」 「へえ」 「こう周りに兵どもがいては仲良くできんか?」 「はあ」 「俺はかまわんがな」 「仲良くってなんですかィ」 「戦の前の交わりだ」 「ヤってきたじゃねえですかィ」 ぐえっほぐぇっほ、げほごほごふ。 周りを固める騎馬兵と徒歩兵どもが唐突にむせた。 |