食事をする人間の姿を見るのが好きだ。家族や友人が、自分が作った手料理を美味しそうに食べてくれる姿なんか無限に見ていられると思う。ましてそれが恋人だったのなら、尚更。食欲をそそる匂いが立ち込める、ワンルームのダイニング。食器同士の擦れる音が時折小さく鳴る。私の目の前の人物が、まだ湯気の立つ肉の塊を綺麗に切り分けて口へ運ぶ。形の良い唇と赤い舌、綺麗に並んだ歯列がそれを食む。咀嚼し、喉を動かして嚥下する。彼のために残しておいた夕飯の残りが手早く綺麗に食べられていく。それはとても上品な手つきで、庶民の私から見ても彼の育ちの良さを痛いくらいに感じさせられた。安物のはずの食器が、彼が使うだけでまるで純銀のカトラリーに見えさえするのだ。テーブルマナーの完璧な彼の存在は、これまた庶民的な私の部屋にはそぐわず、極めて異質に思える。飽きることなく芸術品でも眺めるかのように見続けていれば、どんな色よりも深い黒の瞳がこちらを向く。磁力によって引き寄せられたかのように視線同士が繋った。冷たく、生気の感じられない端整な顔は、能面のように微動だにしない。

「何? 食べづらいんだけど」

お前が変なのはいつものことだけど、と付け加える彼、イルミ=ゾルディック。彼というのはHEという意味でもあるが、イルミの場合、私の恋人という意味でもある。私の住んでいる近くで仕事があった日には、こうして手製の晩御飯を食べにくるのが決まりになっていた。どう考えてもゾルディック家の執事が作る晩餐には敵わないだろうけれど、黙々と食べてくれるところを見ると悪くは思われてないのだろうとほのかに嬉しく思う。イルミの来訪は決まって仕事の後だから、一緒に食べることはごく少ないけれど、こうして私が作ったものを綺麗に食べてくれるのを見ることが趣味になりつつある。感情は滅多に表に出さないし、美味しそうに食べてくれるとかではないけれど、この光景は見ていて一向に飽きがこない。彼の食事風景はいっそ芸術であるとすら思うのだ。

「いつも綺麗に食べてくれるよね」
「綺麗? 普通だろ」

視線がまた食卓の上に戻る。しかし意識はこちらにまだ残ってくれていたようで、表情と同じく感情の欠落した声が続く。

「暇ならナマエも食べたら?」
「私もう食べたよ」
「オレが持ってきた方。そこの袋に入ってる」

再び動いた視線が指し示す方向には、確かにマチが広いタイプの袋が一つ、机の上に置かれていた。中には平べったい白い箱がひとつ。ケーキ屋さんでよく見かけるような箱だが、消費期限のシールなんかが貼られていないところを見ると、やはりゾルディック家の執事さんお手製の品なのだろう。促すような視線を受けて箱を開封してみれば、艶々と光を反射して輝くアップルパイだった。見た目があまりにも完璧すぎて生唾が出る。甘いものは別腹とはよく言うが、お腹いっぱいだったはずの私の身体が甘味を求めてしまっていた。私がこれを手放しで喜べないのには理由がある。何せ、イルミからお菓子を貰うことはこれが初めてではないからだ。

「……これ、お砂糖だけじゃなくてスパイスも入ってるやつだよね」
「は?」
「毒林檎のパイかってこと」
「多少痺れるくらいだろ」
「美味しいんだけど、ちょっと普通のが食べたいっていうか」
「オレが普段食べてるやつがいいの? たぶんお前死ぬよ」

普通の意味が違うんだよなあ、なんて。そんなこと言えるわけもなく、無言の圧力を感じながらパイを切り分ける。相変わらずゾルディック家の執事が作る品のクオリティーが高すぎる。毎度のことながら見た目も味も、パティシエ顔負けじゃないか。そんな料理を食べ慣れているイルミが、私の作る晩御飯に満足できているのか改めて甚だ疑問だが、美味しくないけど食べてるだとか言われたら暫く落ち込みそうなので聞かないでおく。料理の腕、つまり経験差は勿論だが、そもそも素材や調理器具から差があるのだ。執事とはいわばその道のプロなわけで、同じ土俵に立てるわけがない。そんな風に言い訳を自分に言い聞かせながら、二人分に切り分けたパイをお皿に乗せる。せっかくなのでアップルパイに合いそうな紅茶も準備する。と言っても、ティーバッグのお茶だけれども。

「ご馳走さま」
「お粗末様です」

ちょうどお茶の準備も終えた頃、イルミが晩御飯を完食したようだった。彼はマイペースで傍若無人だが、こういう挨拶を欠かさないところが好ましいと思う。礼儀正しいというわけではないと思うけれど、育ちの良さもさることながら、本人の意外に素直な性格が垣間見れる気がする。そんなところを愛おしいなとしみじみ実感するのだ。
相変わらず動かない食指に、食べないのかと言わんばかりの視線が突き刺さった。観念してフォークで切り分け、一口分のアップルパイを口へ運ぶ。私が食べたのを見たイルミは、どこか満足そうにフォークへと手を伸ばした。

「あ、おいしい」

アップルパイを一切れ口に運ぶと、林檎の芳醇な香りがまず飛び込んでくる。サクサクのパイ生地と、とろける林檎とクリームの食感が柔らかでやさしい。林檎の甘酸っぱさと、カスタードクリームの甘さのバランスがちょうど良くて、甘すぎないその味が更に食欲を増進させる。美味しい食べ物に舌鼓を打っている間は、極上の時間なのに。この後のことを思うと嘆息が溜息に変わってしまう。本当に、毒さえ入っていなければ毎日でも食べたいくらいだ。
ちょうどお皿に盛り付けた分を食べ終えた頃だろうか。適度な温度に冷めた紅茶を飲んでいれば、ぴりぴりと、舌に違和感を覚える。幾度か経験したそれは、ゾルディック家特製の美味しいおやつを食べた後に訪れる異変だった。心臓が自分のものじゃないみたいに跳ね始める。身体に起こった異変に動悸が激しくなったのか、動悸が激しくなる作用があるのかは、私には分からなかった。

「ああ、舌が痺れてきた」
「神経毒かな」
「唇とか指も痺れてきたからたぶんそう。今日は頭痛くならないといいな」

言いながらふらつく身体を叱咤して、自らの身体をソファへと運ぶ。既に足も僅かに痺れつつあった。
この前はテーブルに伏したまま全く動けずにいたら、見かねたイルミがベッドまで運んでくれたのだ。当の私はイルミの優しさに感動するどころか、俵担ぎのような運び方のせいで嘔吐感と闘うことに必死だったのだけれども。
目を閉じれば、どくどくと心臓が血液を送る音が脳に響く。どんどんと身体は痺れて麻痺していく。もしかしたら心臓まで止まってしまうかもしれないという恐怖も内在しているけれど、イルミの存在だけがそれを和らげてくれた。目を閉じたままでいると、カチャカチャと割れ物の小瓶がぶつかるような音が聞こえる。解毒剤の準備をしてくれているのが、これまでの経験から音だけでも察することができた。まだ毒物に耐性のついていない私は、こうして症状が悪化しないうちに解毒をしてもらわなければ後遺症が残ったり命に関わることだってあるらしい。

「イルミさんイルミさん」
「お前がさん付けで呼ぶときは大抵ろくなことじゃないけどさ、一応聞いてあげるよ。なに?」
「口移しで」
「却下」

喋れないほどではないけれど、頑張って痺れる口でおねだりしたというのに、悲しいことにすぐさま却下されてしまった。けち、と悪態を吐けば、私の言葉など意にも介さず、腕、とたった一言で促される。一応腕を動かそうとチャレンジはしてみたものの、痺れが酷く指先を僅かに震えさせることしかできない。動かせないことを薄く開いた目線で示すと、合点がいった様子のイルミが私の腕を掴み、注射器の液体を注入した。今日の解毒剤は注射タイプだったのかと、即却下の理由にも納得がいく。痛みは全くと言って良いほどない。針の扱いはお手の物なのだろう。そこらへんの看護師よりも上手いなと思う。イルミの手によって体内に刺された銀の針と、私の身体に負担をかけないよう、ゆっくりと注入される透明の液体を眺めていた。

「ねえ、なんでイルミの家の人たちって私に毒盛りたがるの?もしかして執事さんに嫌われてる?この泥棒猫!とか言われてる?」
「嫁いだら困るからだろ」
「突然のプロポーズやめて心臓止まるかと思った」
「正式なやつは今度してあげるよ。ま、最低でもオレと同じもの食べられるようにならないとね」

だから精々死なないように頑張るんだよ? 
そう言って私の身体から針を抜くイルミに、抱きつきたい衝動に駆られる。痺れる身体さえなければ今すぐにでも抱きつくのに。素早い手つきで注射器を片付けるイルミを見ながら、すき、とちいさく漏らすことしかできなかった。


解毒剤が身体を回る。痺れが徐々に解けていくのを実感しながら、食卓に戻って自らの皿に残ったアップルパイを食べるイルミを、ソファから眺めていた。普段食事中に席を立つことはないのに、私の解毒のために動いてくれたんだなと嬉しく思った。
やわらかなソファに身体を横たえたまま、徐々に質量を減らしていくアップルパイを眺める。私の大好きな形の良い唇、歯、舌がそれを咀嚼する。私の視線に気づかないはずがないけれど、反応する気は無いのかイルミの意識はこちらには向かない。恋人を放置して、こんなに丁寧に綺麗に食べてもらえるなんて、イルミに食べてもらえる食物は幸せだ。なんて羨ましいのだと、食物にすら嫉妬する自分に笑ってしまう。その美しい所作で全て食べ終えたイルミは、ぬるくなっているであろう紅茶を飲み干して、優雅な動作でソーサーにカップを置く。そうしてようやく、視線をこちらへと寄越して貰えたのだった。

「ね、イルミさん」
「なに」
「私さ、イルミになら食べられてもいいなって」
「オレさ」
「うん」
「脂身嫌いなんだよね」

即座に返された言葉におかしくなって、くすくすとひとりで笑っていれば、室内灯を遮る影が現れた。逆光の中、果ての見えない深淵のような両の目が、静かに光っている。イルミが私の上に覆い被さる形になると、長く艶のある髪の毛が私の頬を擽ぐった。瞬きもせず動きすらも無機質で、生きている感じなんて全然しないのにも関わらず、触れた体温だけは温かくて、なんだかミスマッチな感じがする。温かい手のひらと形の良い指先が私の首を撫でたあと、頬に触れた。まだ僅かに毒の痺れが残っていて動けなかったが、逃げるつもりは毛頭なかった。もしかしたらこのまま殺される可能性だってゼロパーセントではないのに、私は全てを受け入れる気でいるのだ。だいすきな唇が、まるで捕食するみたいに私の唇を食んだ。

「こっちの意味でなら食べてあげられるけど?」

ほのかに湿った唇を見せつけるように舐めとる赤い舌。揶揄うように細められた目の縁。伏せられた睫毛の間から覗く、肉食獣のように光る瞳に私のすべては縫い付けられてしまった。真っ暗闇の瞳の中にある瞳孔が、わずかに広がるのが見えた。負けじと私もイルミの唇に噛み付いていく。瞼を閉じて、舌を絡ませて、噛み付いた仕返しだと言わんばかりに唇を噛まれて。痛みが走ったかと思えば鉄錆のような味が口内に広がって。それを味わうようにイルミが吸うものだから、案外頼み込めば食べてもらえるんじゃないかとすら思えてくる。ふたりぶんの体重を受け止めるソファが、ぎしりと軋んで悲鳴をあげた。

イルミとするキスは好きだ。それでも、こんな風に舌を擦り合わせて、絡ませて、飲み干して、身体を合わせるだけじゃ到底足りっこないとも思う。飢えた獣みたいに、際限のない欲が湧いてくる。
食べられたい。貴方の血となり肉となることができる幸福な食物のように、残さずきれいに食べてほしい。貴方と本当の意味でひとつになりたい。愛する人と二度と離れぬよう、ひとつになりたいと思うことは極自然なことじゃないか。そんな最期の瞬間を想ってこころを震わせる。喰らいあい、貪る愛の味は、どんな御馳走にだって勝てないのだ。


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2019年9月発行イルミ夢小説アンソロジー「いつの日か ゆるしてって、みはてぬゆめ」より再録です。
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