!妹主/モブとのキス描写あり

 あの子になりたい。王子様が迎えに来てくれるおとぎ話のお姫様に。好きな人と結ばれる少女漫画の女の子に。自由に恋愛ができる、普通の女の子に。
 だから私は逃げ出した。物心ついた時から決まっていた不本意な婚約も、溜まっていた暗殺のお仕事からも、私を縛る家からも。お前は結婚なんてできないよ、なんて長男の言葉からも無視を決め込んで。
 幸いにも弟二人が家を出た後だったのだ。前例があるおかげで、父親にさえ話を通せば追いかけてくる者はいなかった。いずれ一緒になりたい人が見つかれば、実家に戻るとの条件付きで。
 家にいる間は特に気にしてはいなかったが、私の顔は端正な顔立ちをしているらしい。日頃の訓練で鍛えられた身体や両親譲りのスタイルの良さ。猫さえ被っていれば、私と付き合いたいという男性はごろごろいた。その中から一番好感が持てる相手の告白を受け入れて、初デートで夜景なんて見て。煌びやかな夜景を見ていれば、夜風に吹かれていた手が重ねられる。近づいてくる彼の顔に合わせるように、ゆっくりと瞳を閉じた。ああこれで、普通の女の子みたいな幸せを手に入れることができる。憧れていたファーストキスだって、今、まさに。
 柔らかな感触とともに唇が重なった。何度か触れるだけのキスをした後、熱い舌が唇の上をなぞる。おずおずと受け入れると、私の舌をも絡めとられた。リップ音が湿り気のあるものへと変わってしばらく経った頃、君とのキスは甘く痺れるね、なんてキザったらしい台詞を笑って聞いていた、その時だった。
 照れまじりの笑顔だった彼が、突如嘔吐する。突然のことに驚きつつも鞄からハンカチを取り出そうとすれば、ドサリと音を立てて崩れ落ちた。泡を吹き痙攣する彼を前に出来ることといえば、慌てながら助けを呼ぶくらいだった。人気の少ない穴場の夜景スポットでは当然ながら通りがかる人もおらず、携帯も圏外だ。人を殺める術は持っていても人を救う術など知らない私は、彼を背負って病院まで連れて行くことしかできることはない。だがそれすらも叶わなかった。彼の腕を掴んだ時には、既にもう事切れていた。

「だから言ったろ、お前は結婚なんて出来ないって」

 粟立つ背筋と共に反射的に背後を振り返れば、忌まわしい長男、イルミの姿がそこにあった。
 なんで、どうして、襲い来る疑問に呆然としていれば、瞬時に距離を縮められ、彼の手を持っていた手を叩き落とされる。声を出したくとも何から言葉にすればいいのかわからず、唇を震わせるばかりだった。
 兄の手が私の頬を鷲掴む。顔を上向きに向かされて、強制的にイル兄と顔を向かい合わせにされてしまった。

「……離してよ」
「誰でもよかったにしては時間かかったな。お前ってほんと男の趣味悪いよね」
「イル兄に言われたくないよ。監視するなんて悪趣味すぎ」
「さ、仮にも恋人を殺した気分はどう?」
「───え?」

 息が詰まる。口から漏れ出た一文字から二の句が継げなかった。私が、彼を殺した?
 そんなはずはない。彼を害することなんてするわけがない。第一嘔吐や痙攣などの症状は毒物の中毒に近いものだろう。そもそも毒物なんて、持っていなかったはず───
 思考を巡らせていれば、変わらず頬を掴んでいる指の力が強さを増した。痛みに顔を顰めたとき、私の視界が黒く染まった。完全な黒ではない。深淵のような瞳と、闇夜に溶け込む白い肌だ。唇に触れる感触がその距離を物語る。慌てて胸を叩いてもびくともせず、それどころか口内を蹂躙する舌が激しくなるばかりだった。自分の舌が切れる可能性も構わずに兄の舌を噛み切ろうとした時、ようやくイルミが離れていく。夜景に反射して光る、濡れた唇を舐めとる姿におぞましさしか感じなかった。信じられない、信じられない! 実の妹の唇を奪うなんて! ゴシゴシと唇を拭う私にイルミが言葉を漏らす。ほんとに甘いんだ、なんてよくわからない言葉を。

「オレはお前とキスしても死なないよ。なんでだと思う?」
「ほんと、何言ってるの…!? 信じられない!」
「母さんが反対するからお前はそういう使われ方しなかったけどさ」

 私の言葉が聞こえてないかのように一方的に話を続ける。話が一向に見えない私は、腹立たしいことにイルミの言葉の続きを待つことしかできない。聞いてはいけないと分かっているのに、聞かなくては何もわからないから、聞いてしまうのだ。

「こいつとオレの違い、毒に対する抗体があるかどうかだよ」

 深淵のような双眸が、愉快そうに細められた。獲物を甚振り追い詰めるときの表情だ。背筋に嫌な汗が垂れ、全身を寒気が襲う。

「お前の体液はさ、毒になってるんだ。生まれてから毎日摂ってるんだから、抗体だけじゃなく体液が毒になってても不思議じゃないよね」

 視界に涙の膜が張る。夜景の光が潰れて滲んだ。彼を殺めたことに涙したのではなく、もう普通の恋愛はできないのだという事実に。
 絶望してへたり込む私の顔を、頬を、蹲み込んだ兄が再び掴む。
 そうやって、私にとっては死刑宣告にも等しい言葉を告げるのだ。

「だから、さ。オレが貰ってあげるよ」

 私はこの家から逃れられないのではない。この、執念深い兄から逃げる事はできないのだと、そう思い知らされた。


お題「"あの子になりたい"で始まり、"そう思い知らされた"で終わる」
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