「あ、起きた」
「…………?」
「おお、起きたか。クルが回復するまでイルも休んどれ」

雲ひとつない真っ青の視界の中、覗き込む黒い頭と黒い瞳。水面から突如浮上したような意識に頭が追いつかず、上体を起こせば頭がひどく痛んだ。気を飛ばし目が覚めてから現状把握するまでの時間は、何度繰り返しても慣れるものではない。今回はどれくらいこうしていたんだろう、そんな思考を読まれたのか、イルミが三分くらいかなと教えてくれる。三分か、短く済んで良かった。この間は二時間弱気絶してしまい訓練が丸々潰れてしまったのだ。ただでさえ着いていくのに必死なのに、これ以上イルミに置いていかれるわけにはいかない。

「じいちゃんごめんなさい、もう大丈夫」
「そうか?無理はしていいが無茶はするもんじゃないぞ。もうちょい座っとれ」

立ち上がり体に着いた砂埃を払うが、ゼノじいちゃんに頭を無造作にくしゃくしゃと撫でられ座るよう促される。祖父の目には無茶をしているように見えたのだろうか。私がイルミに置いていかれないよう必死な事がそもそも無謀なのだろうか。考えれば考えるほど悪い方向に転がる思考に嫌気がさす。普段はこんなこと思いもしないのに。死なない程度にイルミの陰で生きていければそれでいい。そう思っていたはずなのに、いざ置いていかれそうになると酷い焦燥感に駆られる。元々兄より秀でたところなんてあまりなかったけれど、それでも数日あれば同じようにできるようになっていたのに。前回の父との訓練から一週間経ってもなお、私の手が変化する気配は全くなかった。そんな不安からか、日を追うごとに私の調子は悪化の一途を辿っていった。今朝だって管理されているはずの実質毒と出血毒をちゃんぽんした結果酷い吐血嘔吐に始まり、座学のテストでは初めて9割以下の点数で、拷問訓練であろうことか突然涙が溢れ出し、挙げ句の果てには意識を失うという始末。気付として水を浴びせ掛けられたのですぐ目が覚めたのはいいが、拷問訓練で気を失うことは今までになかったので、担当した執事もイルミも、そして私も驚いた。父も母も今日は不在らしく、午後からの訓練はじいちゃんが監督してくれることになり、昼食後に神経毒を注射してから準備運動と肢曲の練習を行い、摂取した毒を体内に回し分解しきった頃には午後の訓練の時間だった。イルミは肉体操作での、私は体術での暗殺術を学ぶ。もちろん肉体操作ができるようになってからのためにも、形だけでも肉体操作での暗殺術も学んだ。それから反射で動けるよう、人形で徹底的に反復練習を行い、休憩後は組手。いつもなら週一で気を失うか失わないかくらいだったのが、今日はじいちゃんの蹴りを防ぎきれず、本日二度目のブラックアウトとなったのだった。こうして冷静に振り返ると、正直、限界が来ているのかもしれないと思う。遠くを眺めながら弱音ばかりの思考に染まっていると、イルミが目の前に立ち、座っているわたしを見下ろすように見る。手を目の前に翳され突然の事に心臓が跳ねるが身構える気力もなく、されるがままに頭を撫でられた。

「何考えてるの?」
「色々考えてるよ」
「調子悪いね」
「うん」
「どうしたの?」
「どうしたんだろう?」

はぐらかすような要領を得ない私の答えも予想していたのか、意に介さず表情を変えない兄。頭を撫でていたイルミの手が頬に移動したかと思えば、頬肉をやわらかく捻られる。イルミの思惑がわからない私は目を丸くするしかなかった。

「最近のクルはオレに似てるね」
「イルに?」
「うん。全然笑わないからオレが二人いるみたいで気持ち悪い」

気持ち悪いて。ていうか表情筋死んでる自覚あったんかい。色々と可笑しくて少しだけ口許が緩めば抓られた頬も離された。しかし変わらず目は私を見つめたままで、言葉にこそしないものの心配してくれているのだと分かるイルミ。嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちがごちゃまぜになり、心配をかけないような言葉を必死に探す。できるだけ突飛で、道化じみた言葉を。

「考えてたんだけどさあ」
「うん」
「拷問訓練ってなんでテンション下がるんだろうって思ってたんだけど、やっぱ雰囲気がいけないとおもうんだよね」
「は?」
「ほら、ジメジメした怖い感じの地下牢じゃなくて……なんか、もっとかわいい感じだったら多少やる気出るのになって思って。形から入るの大事だとおもう」
「世の中の主流の拷問部屋がそうなったら考えるじゃろうな」
「わぁじいちゃんど正論」

ぽろぽろと口から溢れる思ってもいない酷い出まかせに我ながら内心笑ってしまう。もちろん呆れも含んだものだ。出鱈目な言葉に怪しまれていないかとイルミを横目で見れば特に気にしているような感じはなく、なんとか話題逸らしに成功したと心の中で息を吐く。多分、いや絶対じいちゃんにはバレてそうだけど気づかないふりをしてくれたんだろう。私のちっぽけな虚勢のために。

「どういうの?」
「え?」
「だから、どういうのがいいの?」
「どういうのって……」

この先を考えてなかった。いざどういう部屋が良いのかと問われると困る。そもそも今でっち上げた話なのに。かわいい拷問部屋なんて意味のわからないこというんじゃなかったと後悔したが、自分の発言には責任を持たなくてはならない。そうだ、かわいいといえば。

「ミケ……」
「ミケ?」
「ミケかわいいから、あの、なんかミケみたいな部屋とか癒されそうじゃない……?テンション…あがる……」

自信のなさから消えそうになる言葉とともに、最近懐いてくれるようになったミケを思い出す。最初は感情が読めないと思っていた瞳も、今見ればくりくりとしていてかわいい目だと感じるし、従順だし、なによりふわふわの毛がたまらない。姿を見かければついつい甘やかしてしまうくらいには最近かわいがっているのだ。いやでもミケみたいな白くてふわふわの部屋が自らの血で赤く染まる部屋は逆に恐怖倍増だなと思う。ついでに電気系の拷問の日には静電気も凄そうだ。ついつい語尾が弱まってしまった自分の声に流石に怪しまれたかと思いイルミを見ると、何やら考え込むような表情をしていた。そんな私たちに向かい軽く咳払いをしたじいちゃんが、ニヤリと悪戯を思いついたような笑みを浮かべる。

「ワシの技見せてやろうか?」
「え?」
「テンションが云々言っとったじゃろ。まだシルバからは止められとるが……少しくらい構わん。テンションが上がるもん見せてやるわい」

首を傾げる私たち二人に、まあ見とれと人体を模した的に向かって構えを取る。その構え方は、腰を低く落とし、虎咬拳のように両手を上下に構えたものだった。祖父がその構えになった途端、祖父を取り巻く空気が一変する。森に潜む鳥たちが怯えたように一斉に羽搏く音がうるさいくらいに響く。圧倒的な存在感がそこにあった。祖父の気迫が何倍にも膨れ上がりそれを感じ取った肌がざわつき、背筋に緊張が走る。それは私に向けられているわけでもないのにも関わらず、膨大な熱量に呑まれてしまい呼吸すらままならず、発生源であるじいちゃんから目が離せなかった。暑くもないのに身体中から汗が噴き出る感覚が気持ち悪い。一体何をするつもりなのだろうか、そう思った瞬間、じいちゃんの手の中で溜め込み膨れ上がった何かが、人形めがけて一気に解き放たれる。

「ーーーー!?」

轟音を伴う烈風とともに撃ち放たれた気魄のような何か。それを一身に浴びた人形は衝撃に耐えきれず、見るも無惨な姿となる。それどころかただの人形の的だけでは衝撃を吸収しきれなかったのだろう、人形の後ろに聳え立っていた大木もベキベキと悲惨な音を立て倒れてしまう。風と共に舞う砂埃が倒木の衝撃を証明している。腹の底に響くような音が地鳴りとなり鼓膜を震わせた。

「じっ……じいちゃんかっこいい!」
「そうじゃろ?」
「もっと見せて!」
「いいぞ」
「あの岩に撃って!」
「いいぞ」
「やり方教えて!」
「ダメじゃ」
「ええええ」
「凄いね、なにこれ……」
「そのうち教わると思うぞ、これと同じことができるかは分からんがな」

「止められとるから今は教えられん」だとか、「チビどもにはまだ早いわい」だとか。そう言って興奮してやまない私を諌めるじいちゃん。目の前で繰り広げられたあまりのファンタジーにテンション爆上げしてしまうのはしょうがない。この世界に来てから言葉が違ったり存在する生物が違ったりと文化や土地の違いはあったが、まさか物理法則まで違うとは!暗殺一家に生まれた時点でなんか漫画ぽいなとは思っていたが、本当に少年漫画のような世界に生を受けたのだと改めて実感する。少女漫画より少年漫画派だった私は、現実的じゃないとわかっていても、少年漫画の主人公を真似て波動を撃とうとした過去がある。その後の虚無感と羞恥心はひどいものだった。そんな過去を持つ私の目の前で、童心に返るような憧れの光景を見せられてテンションが上がらないわけがない。はしゃいでるのは私だけじゃなく、隣のイルミも同じだった。私ほどではないにしろ、高揚しているのがよくわかる。あまり感情を表に出さないイルミでも、口だけは笑っているような形をつくることがある。しかし感情の昂りによって口角が上がるのは滅多にない。羨望や憧憬の眼差しを送る私達を見たじいちゃんは、満足そうに両手を私達の頭上に置いた。

「基礎がなっとらんとどんな技を覚えても実戦で使えはせん。わかったら今日のメニューを終わらせるんじゃな」
「はぁい……」
「……ま、成長度合いによってはシルバも予定を早めるじゃろな。ワシから進言してやってもいい」
「「!!」」

今までのどんな言葉よりも俄然やる気が出てきた。修業を積めば波動が撃てる世界って凄い。その日の修業は私もイルミも今までにないくらいの集中力で、いつのまにか現れ修業風景を見ていた母さんが私たちの成長に涙を溢れさせていた。授業の最後に「今日の事はシルバには秘密じゃぞ」なんて茶目っ気たっぷりに言ったじいちゃんだったが、その後帰宅した父さんによって一発でバレることになる。確かにあの屋外修業場の破壊光景を見れば普通にわかるよな、と思った。叱られる事はあるが怒られることのない私たちにとって、怒りを滲ませる父の姿は新鮮に映る。その怒りといっても、呆れの混じったものだったが。しかし何を言われても飄々と言い返す祖父に、父の苛立ちは更に募っていく。

「もともとオレたちにも教える予定だったんでしょ?」
「私もじいちゃんみたいな技覚えたいし、修業がんばるよ」

自分たちの教育方針を争っているだけに居心地の悪さを感じた私たちは、円滑な家族関係のために間に入ることにしたのだった。



▽▼▽

その翌日、拷問訓練を受ける私は身体中に一定間隔で流される高圧電流に耐えていた。我慢ができるようになったとはいえ、強い電気となるとやはり痛いものは痛く、我慢しようとしても身体が勝手に反応してしまう。その痛みさえ平常のものと捉えられるようにするために、日々身体中に痛みを与え続けられる。ぐったりとした視線の先、いつもの変わらないはずの岩壁に、白っぽい傷のようなものを見つけた。よく目を凝らすと何かを象っていることがわかる。岩を削り彫られたものは、犬の絵だった。子供の絵らしくデフォルメされたそれはおそらくミケを描いたものだ。思わず緩む口許を見た執事が訝しむように私を見る。これが終わったら真っ先に別室で拷問訓練を受けている兄に会いに行こう。なにそれ?オレじゃないよ、なんて照れ隠しに言うかもしれないけれど、ありったけのありがとうを伝えてやろう。壁に彫られた絵を見れば痛みですらどうでもよくなる、そんな気がした。


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