ゾルディック家は、家族というものを重んじる。必要とあらば誰であろうが殺すこの家の唯一の例外は家族だ。友達も仲間も必要ない。ただ信じられるものは、己とその血を分けた家族のみ。そんな家族同士で何かの約束事を交わす時、自らの親指の腹を噛み切り、流れた血を重ね誓う。文字通り血を交える行為は、この血に、ゾルディックに誓うということ。それはつまり、命をかけた契りと同義だと思っている。

「イルミ、クルミ、誓えるか?」

血の滲んだ両手の親指を差し出す父の言葉が、広い訓練室に響いた。今日も今日とて修業に励む私たち二人は、揃って首を縦に振る。交わす誓いは前回の訓練の時、前提として掲げられたこと。簡潔に言えばいのちだいじに。鋭い父の目が促すように、私たちの手元を見た。私とイルミは親指の腹を噛み切り、流れ出た血を父さんの血と交える。痛覚はかなり麻痺したと思っていたが、ほんの小さな傷口でも刺激されると熱を持った電気が走る感覚があった。ぼんやりと、昔見たマフィア映画を思い出す。肌を傷つけ血を交える行為は確か血の掟だとか言われていて、ファミリーの結束を強くするとかなんとかいうやつだ。グループのことをファミリーと呼ぶマフィアとは違いこちらは本当に文字通りのファミリーなのだけれど。ああそうだ、もうひとつこの家で特別な意味を持つ事として、金品や事柄のやり取りを行う取引がある。この取引においては一切の嘘偽りがあってはならず、契約成立次第命をかけて完遂する。というのがゾルディック家における取引だ。世界最高の殺し屋一家と呼ばれるらしいこの家のプロ意識は半端なものじゃなく、家族間であろうが、仕事が関わればプロの暗殺者として責任を果たさなければならない。一族経営だからこそ締めるとこは締める、そういったところもまた、この家が永きにわたって高名であり続ける所以なのだろう。そんなことを考えていると、いつのまにかまっさらな壁に無地の光が映っていた。反対側の壁を見ると執事がプロジェクターを設置し終えたようで、主人である父の指示を待っている。何か映像でも見るんだろうか。この前のボコボコにされた訓練は導入だと聞き、今回はしょっぱなから本格的な戦闘訓練が始まると思い全身に力が入っていたので少し拍子抜けする。

「まずは前回の振り返りからだ。前回の訓練を定点映像で撮ってある。イメージ通りに身体を操作できてるか確認しながら、何故失敗したか、次はどうするか、何故この動きをするか、自分だったらどうするか、常に考えながら見ろ。いいな?」

とは言ったものの、いざ流される映像を見れば、それはあまりにお粗末で。最初の数手こそはいくらか考えた攻撃だったが、時間が経つにつれ攻撃の通らない焦りと疲労とで単純なものになっていく組手を見て、居た堪れない気持ちになる。これ以上長引かせても無駄と思ったであろう映像の中の父が仕留めに掛かって、1分も経たないうちに映像は終わった。

「一番チャンスがあったのはどこだかわかるか?」
「……イルミが矢を投げたところ?」
「そうだな。あれは良いコンビネーションだった。じゃあ敗因はなんだと思う?」
「オレの気配がバレてたんでしょ」
「正確には消しきれてなかった、だな。矢を放つ前の気配の消し方は良く出来ていた。あのままの気配を保ったまま殺らないと気配を消す意味がない」

その言葉に、イルミの刺すような殺気を思い出す。確かにあの時背後から刺すような気配を感じ反射的に振り返ったのをよく覚えている。戦闘訓練とはいえゴールは相手の息の根を止めるか逃げ切るかなのだ。確実に殺せるのならば殺気を出しても構わないのだろうが、勝率を少しでもあげるならば息の根を止めるその瞬間まで、相手に気づかれないに越したことはない。

「常にリラックスした状態がベストだな。あらゆることを平常とすれば気配も感覚も制御できる。極論から言えば殺意は暗殺者には不要だ。威嚇には使えるが……今下手に覚えると消しづらくなる」

暗殺者に殺意はいらない。そういえば前にも祖父ちゃんが似たようなことを言っていたなと思い起こす。殺意の入れ物になるだけで、自分は何かの感情を持つ必要はない。自我を捨て己を殺し、凶器になるだけでいい。そう語る祖父の顔から、この職に対する矜持を感じ取ったのだった。

「今日は俺が目と耳を遮断して相手をしよう。前回と違い武器の使用はなしだ。成功条件は眼を開けさせるか一発当てるだけでいい。夕飯の時間までだが、今回は成功するまでやる」
「傷つけるんじゃなくって、パパに一発当てられればいいの?」
「そうだ。……イルミ、何か言いたげだな」
「父さんさ、ナイフでも傷つかないのにこの前よくその条件出したよね」
「えっ?」

少し面食らったような父、理解できてない私と不満げな兄。フッと口許を上げニヒルに笑った父さんは、プロジェクターとスクリーンを片付け終わり、待機していた執事に手を出して催促する。執事が即座に懐から出したものは、剥き出しのまま鈍く光るナイフだった。それを受け取った父さんはあろうことか、剥き出しの筋肉質な腕を自ら切りつけた。

「傷ついてない……」
「大体のナイフくらいなら傷はつかない」
「何でなら傷つくの?」
「そうだな……」

少し思案した父が思いついたように私たちに向けて手の甲をこちらに翳す。

「これならナイフより切れる」

言うや否や、ビキビキと鈍い音を立てながら父さんの手……というか爪が伸び、信じがたいことに一瞬にして鋭い刃物のような手になった。節くれだった太い指に走る血管が異常なまでに浮き出ている。先程ナイフの刃先を滑らせても傷一つ付かなかった腕に、変化した爪で少し力を入れて引っ掻くだけで、プツリと赤い一線が走った。

「どうやるの?オレたちにもできる?」
「そのうちできるようになる。オレの子だからな」

いやできるわけなくない?常識外れの家とは常々思っていたが、まさか人間やめてるとは思わなかった。まずこの世界自体の生態系が色々と常識外れだとは思っていたが人類は大差ないと思ってたのに。どういう原理かわからないが手の形を変えるなんて。父さんの子なら、この家の血筋ならいつか出来るようになるのだろうか。凄いなゾルディックの血。一番信用できる武器は己の肉体だ、という父の言葉が頭をよぎる。自分の手をまじまじと見つめてもそんな不思議能力が起きる気配はひとつもなかった。しかし今考えなければいけないのは、いつか出来ることよりも、これから為さなければいけないことだ。耳栓を詰める父を見ながら、なんとか一発当てる方法を考えなければと知恵を振り絞る。一発当てるより目を開けさせる方が簡単じゃないのかとも思ったが、そもそもそんな方法なんて思いつかない。訓練が終わるまで一体何時間かかるだろうか。目を閉じ気配を研ぎ澄ます父さんの「来い」の一言で、空気が重く鋭いものとなる。肺の中の息を吐き切り、静かに吸い込めば気配が空気に溶けていくような気がした。




▽▼▽


視覚と聴覚。視覚情報は人間が得られる情報のおよそ8割を占めている、という話はよく聞く。ちなみに聴覚は約1割を占めているらしい。およそ9割の情報を遮断したはずの父に、攻撃をたった一発でも当てるのは容易な事ではない。父からしてみればまだ未熟かもしれないが、気配だって消しているのに。二人がかりの攻撃もまるで見えているかのように容易くいなされてしまうし、わざと隙を見せている中に飛び込めば壁まで軽々と飛ばされた。こんな調子で一発だなんて、不可能じゃないか。一向に終わりが見えないこの訓練の終結は、予想に反し早くに訪れた。

「あ、できた」
「……」
「オレの勝ちだね、父さん」

普段見せない驚愕の感情が覗く目を見開く父と、いつも通りの飄々とした兄。父を刮目させたのは、イルミの空気を裂くような右ストレートだった。咄嗟に迫り来る手首を掴んだ父さんの手によって、イルミは片手を掴まれた状態のままぷらんと宙吊りになる。父さんが驚いた原因は、掴まれている手首の先。訓練前に父さんが見せたように血管を浮き出たせ、鋭く爪を尖らせたイルミの手であった。

「初めてやったのか?」
「うん、なんとなくやったらできた」
「反対側はどうだ?」
「……どう?」
「……よくできている」

ポカンと口を開けて…とまではいかないが、面食らった表情の私は置いてけぼりになりながら、身体を弄りまくるイルミを見つめるしかなかった。肉体操作の才能があるようだな、そう言って満足げに兄の頭を撫でる父と、初白星にどこか誇らしげな兄。そしてそれを見て焦る私。だって出来るわけがない。どれだけ力を入れても手はびくともしないのだ。そんな私に気づいてか「焦らなくていい。そのうちできるようになる」と兄と同じように頭を撫でてくれた。頭に触れる父の暖かい手に、少し落ち着きを取り戻す。頷いた私を確認した父は、予想外の言葉を続けた。

「次はクルミの番だ。イルミはサポートしてやれ」
「えっ?終わりじゃないの!?」
「2人が合格するまでに決まってるだろう」
「えええ……」
「オレのサポートじゃいやなの?」
「めっそうもない嬉しいです」

頼むから手を元どおりにしてから言ってくれイルミ。いやなの?なんて疑問形を取ってはいるが、ナイフより切れそうな爪のお陰で脅迫めいたものになっている。父さんが相手だなんてそもそも勝てるビジョンが1ミリも浮かばないが、放棄できるような訓練じゃない。女は度胸、腹をくくり岩肌の地面を力強く蹴り走り出した。
それからというもの、何度も投げ飛ばされた私の身体はひどく軋み、まるで自分のものじゃないみたいな感覚に陥っていた。頭だってふらふらしてるけど、決して倒れることのないよう脚に力を入れる。イルミがサポートしてくれているのだから、集中だけは欠かさないようにしなければ。集中力が途切れれば途端に気配が消せなくなってしまう。どんなに痛くても不意を突かれても、気配を断つことを第一に考える。

「まだ行けるな、立て」
「……っ、はい」

下顎に入った拳のせいで身体が思うように動かない。せめて声だけでも気丈に振る舞えるよう腹に力を入れ、虚勢の笑みを顔に貼り付ける。アドバイスを交えながらの訓練に少しずつ上達は感じるものの、前回の訓練の時のような楽しさを感じれず、思い通りに動かない身体に歯噛みするばかりであった。その日私が父から合格点を貰えることは一度もなく、晩御飯を食べる食欲が失せるほどには体力を使い果たしたのだった。


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