世界が揺れる。火照った身体に冷たい岩肌が気持ちいい。私と同じく倒れたままグッタリと動かない片割れが、父親に片腕で担ぎ上げられるのをブレる視界の隅で捉えた。父さんはイルミを担いだまま、足音もなく私のところまで来てイルミと同じように片腕で私を抱く。ぐらぐら揺れる視界と身体中の軋むような痛みがいっぺんに来て気持ちが悪い。血が滲み、鉄の味が広がる口から呻き声が漏れる。それに気がついた父さんに、少し寝ていろと声をかけられ、逞しいその腕に身を任せる。薄れゆく意識とともに、この部屋で行われた出来事が走馬灯のように脳裏に浮かぶ。訓練室に入ってから、私たち2人がこの有様になるまでに1時間も要らなかった。



▽▼▽

「拷問訓練の目的は喋らないことではない、という話はこの前したな」

軽い準備運動を終えた私とイルミに父さんが語りかける。父さんは必ず、訓練開始時になぜこの訓練をするか、目的を明らかにして方向性を定める作業を行う。拷問訓練を始めるときに父さんが話した内容は、拷問を受けて自分の持つ情報を喋らないことではなく、拷問を受けて死なないために訓練を受ける、というものだった。何故ならばいかに強い意志を持ち口を開かずとも、この世には情報を得る手段など掃いて捨てるほどある、という事らしい。ゾルディック家の人間たるもの、守秘義務を守ることは当然で、拷問なんてもので口を割るプロ意識に欠けるものはこの家にはいない、という含みも感じられた。

「これから行う戦闘訓練も同じだ、死なないために鍛錬を積む。……本来暗殺は戦闘を必要としない。戦闘が発生するという時点で暗殺にならないからだ。それでもこの仕事を続けていると戦闘が避けられない場面も多々ある。戦闘を前提としていない暗殺技術を磨くだけでは生き残れない。ここまではわかるか?」

流れるような解説にコクコクと頷いた。説明はわかりやすいし、ちゃんと理解しているか確認してくれる父さんは教えるのが上手いと思う。私たちが理解しているのを把握した父さんはさらに続ける。

「どれだけ戦闘技術を学んでも、全てにおいて生き残ることを優先しろ。実戦において勝ち目のない相手とは戦うな。勝てないと判断した時はすぐに逃げろ。勝算のある相手に対しても必ず逃げ道を確保すること。これが前提だ」

ただでさえ威圧感がある父さんが、ほんの少し凄みを利かせるだけで空気がひりついた。鳥肌が立ち、生唾を飲み込む音がいやに脳に響く。突如父さんの手が何かを放り投げる動作をした。それを見て反射的に投げ渡された物体をキャッチする。まだ子供の手にもフィットするそれは、カバーがついたままのコンパクトなナイフだった。おそらく子供用と思われる大きさの刃物は、私とイルミに1つずつ用意された。子供用ナイフと侮るなかれ、カバーを取ってみれば刃先が鋭く光っていて、いつも持っている重量感のある日用品と比べ断然軽いはずのそれが、やけに重たく感じる。

「訓練は基本的に素手で行う。武器の使用は本来なら素手の基礎が一通り完成してからだが……今回は導入だからな。それを使って俺を攻撃してみろ。二人掛かりで構わない、傷1つでもつけることができればお前たちの勝ちだ」
「これ、使わないとだめなの?」
「使うも使わないも自由だ。もちろん蹴り殴り関節技、何を使ってもいい。……ああそうだな、ハンデとしてだが、俺からは何も手を出さない。俺が使うのは左手だけだ。好きに打ってこい」

打ってこいといいながらも構えもせず至って自然体の父さん。なんというか、随分と舐められている。まだ幼子とはいえ、執事達に筋が良いと褒められる程度には組手だってできるのだ。才能のある兄と私の2人を、左手だけで受けるという。執事伝いに話がいってるとはいえ、そもそも父親は仕事で家を開けることが多く、私たちの実力を目にしたことはないはずだ。ちょっと悔しくなって、鼻を明かしてやりたいと思ってしまった。ちらりとイルミを見遣ればまだ思案中といった様子で動き出す気配はない。それならばと先手必勝とばかりに私は父さんに向かって一直線に駆けていった。ごちゃごちゃ考えるのは性に合わない。まずは小手調べからだ。手汗の滲む手が滑らないよう、逆手に握りしめたナイフで下から突き上げるように、刃先を胴体めがけて勢いをつけて振り上げた。

「ほう……随分足が速くなったな」

その言葉が聞こえた束の間、私の世界はとんでもないスピードで回り、全身が固いものに打ち付けられ痛みと衝撃で息が止まる。とっさながらも頭を打ちつけないように頑張った私すごい。そのせいで背中激痛だけど。父が喋ってから私がひっくり返るまでの一瞬、なにが起きたか分からなかった。驚いて目を見開けば、真上からこちらを見下ろす父の顔と、離れたところで少し呆れたようなイルミの顔。なんだそのジト目は。かわいいほっぺのくせに。これ終わったらひたすらぷにぷにしてやるからな!そんなことを考えていれば、「もう一発いくか?嫌なら迅速に距離を取れ」と言われバネのように飛び上がりバックステップで距離を取る。父さんから決して目を離してはいけない。今の一言でじゅうぶんに目は覚めた。二度もひっくり返されるのはごめんだ。
次に動いたのはイルミだった。随分と長考していたからなにを仕掛ける気かと思えば、私と同じように突っ込んでいく。少し拍子抜けした私と表情を変えない父。イルミの刃が父に到達する前、何の予備動作もなく父さんの手がイルミの腕を掴んだ。小さな動きのはずなのに兄の身体は大きく回っていく。私と同じように地面に叩きつけられるのかと思いきや、回転の反動を利用して脚を回転させ顔面めがけて容赦のない蹴りを入れる。しかしそう簡単に食らうような父ではなく、なんともないようにその脚を掴み最小限の動きでイルミを地面に叩きつけた。今だ、と私の直感が叫ぶ。獲物を仕留めた瞬間に生まれる隙を狙い、気配をできる限り薄めて父さんの背後に飛びかかり、長髪で隠されている首めがけて今度は振りかぶるのではなく差し込むように刃先を滑らせた。

「……タイミングは良い、もう少し攻め方を工夫してみろ」

鋭い光が首に届くよりも先に、刃を止められ硬直した私の腕を掴み躊躇なく壁に叩きつける。放り投げられるのではなく叩きつけられてしまい受け身が上手く取れず頭を打った。鼻につく血の香りとチカチカ点滅する視界。私が視界を落ち着かせている間も、イルミは絶え間なく蹴り殴りナイフを差し込み投げては片手であしらわれる。悔しい悔しい悔しい!イルミとタイミングを謀り挟み撃ちにしても一瞬のうちに2人とも地に伏せ、1人ずつ行っても1人ずつ丁寧に沈められ、回数を重ねるごとに悔しさと歯痒さと痛みが蓄積されていく。しかし不思議と私もイルミも圧倒的な力を前に戦意喪失するでもなく、なんとか一発食らわせないと気が済まないといわんばかりに燃え上がっていた。歯が立たなくて腹が立つけど、湧き上がる感情はきっと楽しい、だ。難しいけど面白い、そんな気分が可笑しくて思わず口角を上げてしまう。笑うと口の端の傷が広がったようで鉄の味がした。

「もう休憩か?」
「まだやるよ。ね、クル」
「もちろん」

イルミが父さんから視線を離さずに喋る。つい私より前にいる兄の後ろ姿を見てしまった。彼の片手が父さんから見えない背中の腰の位置で動く。即興の作戦を示すハンドサインのようなものだった。それを見た私はできる限り反応しないように、でも兄には通じるように、もちろんとだけ返事を返す。先に父さんへ攻撃を仕掛けようと走り始めたのはイルミだった。私はその後ろで、父から見て兄の姿で隠れるように存在感をなるべく薄めるようにする。首を狙ったイルミが飛び上がる瞬間を狙い、私は父さんの足元を狙ってナイフを投じた。簡単に蹴り伏せられるのは想定内だ。首を狙うイルミが片手で投げ飛ばされるのも織り込み済み。そして投げ飛ばされる方向も狙い通り、この部屋の中で一番近い壁側。それを確認した私は父の筋肉質で丸太のように太い左腕へと飛びつき、しがみついた。一瞬だけ、一瞬だけ止まってくれればいい。背後からイルミの刺すような殺気を感じ、視線が思わず釘付けになる。逆光の中、黒髪の間から覗く光る双眸。隠し持っていた何本ものダーツの矢を、飛び上がりながら父に向け鋭く投げるイルミは、暗殺者という言葉がこれ以上なく似合っていた。



▽▼▽

「あなた、今日はどうだったの?」
「……あいつらはお前に似ているところがある。2人して攻撃を通すために俺を誘導しようとした」
「あら、乗ってあげたんでしょう?」
「目線も殺気もまだ隠せていないからな、これから叩き込むつもりだ」
「そう。それで、2人はどう?」
「イルミはもともと才能があるうえに努力家だな、素養も地頭も申し分ない。仕事を与えれば確実に熟し、向上心もある。あの様子なら……そうだな、身体が出来れば念もすぐに教えられる。」
「まあ!流石は私たちの子ね」
「クルミは……イルミと比べると多少見劣りはするが、素質は問題ない。あいつの方が思い切りはいいな。クルミ自身がイルミの後ろに着こうとするから、積極性を磨いてやればいい」
「そうね、あの子は消極的なところがあるから……」
「ああそうだ、あまり暗殺向きな事ではないが……あいつは楽しめるタイプだ。スイッチが入るまで、少し時間がかかりそうだがな」
「そうなの!ああ、あの子達が立派な殺し屋になるのが楽しみね!明日はあなた家を空けるのよね?明日の訓練は私が見るわ!」
「ああ、頼む」


4/28

back
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -