第一志望の会社に内定をもらえた。その日浮き足立っていたわたしは一刻も早く家路につこうと、自宅への近道である人通りの少ない狭い路地を通っていた。私の頭の中は残された学生生活をいかに謳歌するかでいっぱいだった。まずは早くこの肩がこるリクルートスーツを脱ぎ捨てて、内定祝いの焼肉を食べ、就活でろくに眠れなかった分の惰眠を貪る。これからの人生より目先の欲だ。空がオレンジと藍色のあいだで混ざり合う、暗くなりつつある道が最後に覚えてる風景だった。

開放感に浸っていたわたしが次に記憶した風景はドアップの乳児の顔であった。ぱちりと大きな目を開いてこちらを見つめる赤ちゃんの顔。最初は何かの間違いだろうと何度も瞬きを繰り返し手を伸ばして触れてみた。あたたかくてやわらかい、まぎれもない赤ちゃんの頬だった。おまけにミルクの匂いまでする、本物の乳児。わたしが触れたことに気がついた赤ちゃんは、黒いまつげで縁取られた、黒目がちの瞳をこちらに向けてふにゃりと柔らかく笑う。わあ可愛い。じゃない。何故私の目の前にドアップの赤ちゃんがいるのか。何故屋外にいたはずなのに室内にいるのか。何故私の手も赤ちゃんになっているのか。煩いくらいに高鳴る鼓動と嫌な汗が出てきて、焦る私とは反対に冷静になる思考。わたし、縮んでる。そう結論づけるのに時間はあまりかからなかった。

なぜ突然赤ちゃんに戻ったのかいくら頭を捻ってもわからない。当たり前だ。千年に一度だとかの美少女芸能人を見て遺伝子レベルからやり直したいと思ったことはあれど、赤ちゃんからやり直したいと思った覚えはない。夢なら早く覚めてほしい。小さくなったもみじみたいな手で頬をつねる。えっ痛い。わたしの五感すべてが夢じゃないのだと実感させてくる。静かにパニックに陥るわたしの前で、いつのまにやらすやすやと眠る赤子。そもそもこの子は誰だろう。わたしは紛れもなく一人っ子なはず。生まれた時から一緒に育ったような幼なじみもいないし、年の近い親戚もいない。わたしが養子ならこの状況も説明つくだろうが、自他共に認める母親似のためそれは考えにくい。じゃあ目の前の子が養子になったのか。ほかに何か手がかりがないかと寝返りを打ちぐるりと見渡せば、ベビーベッドの柵の間から見えたのは馬鹿でかい子供部屋だった。カラフルな壁紙にぬいぐるみやおもちゃなどが散らばっている。体が縮んで大きさの感覚が狂ったのかと思ったが、母子家庭二人暮らしで小ぢんまりしてるとはいえ、我が家のリビングよりも広いであろう部屋。わたしが生まれてから引っ越したことがないらしい我が家ではないことは明白だ。この家は一体誰の家なのか、答えをくれたのは大きなドアから入ってきた、上品なワンピースを着た女性だった。

「あらクルミちゃん、起きてたの?イルミおにいちゃんはまだ寝てるのね」

わたしに向かって微笑む女性の目を覆うサイバーゴーグルとか、あっ隣で寝てる子イルミっていうんだおにいちゃんなんだとか、絶対金持ちだよこの家部屋の規模とおもちゃの量おかしいもんとか、色々気になる点満載だけど、ひとつ聞きたいことがある。
クルミちゃんって、もしかして、わたしのことですか。

女性に向けて問いかけようとしても、歯が微妙に生えてるような生えてないような口から出てくるのはあーとかまーとか赤ちゃんらしい喃語ばかり。そんな私を見た女性が、嬉しそうに声を上げる。

「まあ、クルちゃん!今ママのこと呼んだの?!」

ママだった。確定。わたし退行したんじゃなく生まれ変わってる。輪廻転生。もともとオタク気質というか、漫画やゲームを嗜み、加えて厨二病罹患歴のある私にとっては馴染み深い言葉だった。ということは前世のわたしは死んだことになる。しかし最後に思い出せる記憶は家へと帰る途中のわたしだ。死に直面するような記憶は一つも出てこない。ぱちんと瞬きをした瞬間、夢から覚めるようにこの世界にいたのだ。もし前世で魂だけ抜けた状態で倒れてたらどうしよう。あの道は人通りの少ない道だけど見つけてもらえるかな。考えてもどうしようもないことだとわかっていても頭を抱えてしまう。思案しているうちに女性は退室していたようで、いつのまにか目を覚ましていたとなりの赤ちゃん、お兄ちゃん、イルミくんと目があった。ぱちり。大きい目がこちらを見つめる。まだ赤ちゃんだがすでに整った顔立ちをしているなとおもってちょっと見惚れてしまう。赤ちゃんなのに。そういえば、母親である女性が(目は見えなかったものの)非常に端正な顔立ちをしていたことを思い出した。つまり家族であるわたしもそれなりの顔面に育つ可能性が高い。別に前の顔が特別絶望的な顔立ちだったというわけではないが、良くも悪くもコメントしづらい普通すぎる顔だったため、顔面偏差値の高い人生を歩めるのだと思うと非常にワクワクしてきた。一人っ子だった私は初めてのお兄ちゃんという存在に早くもドキドキする。立派なイケメンになるんだぞ。父親の姿は見えないがあの母親の遺伝子を継いでるならかなり人生イージーモードな気がする。世の中ね顔かお金かなのよ。非常に的を射ている回文である。この家にはどちらもあるがな。我ながら現金だと思うが混乱した末に生まれたポジティブさなので許してほしい。そんなこんなで新しい生にとてつもなく希望が芽生えてきた。新世界に乾杯。


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