あれからというもの父や祖父、執事にこっぴどく叱られ、あやうく懲罰室へ放り込まれる所だったがどうにかそれを回避することができた。まず使用人が執事室を通して嘆願してくれたこと。そして念の危険性が十分に伝えられていなかったことや紐を過信していたこともあり、私の不用心が招いた騒動は、今回はなんとか見逃してもらえることとなった。もちろんイルミ宛の荷物もバレることなく回収でき、結果としてはオールオッケーだ。
イルミの描いたシナリオはこうだった。

「散歩しようと思って門のところまで走ってたら声が聞こえて……使用人が女の子と話してたから気になって近づいたところまでは覚えてるんだけど、そこからイルミが来てくれるまであんまり覚えてなくて……」

思い出そうとするとなんだか頭がボーッとするの、と申し訳なさそうに呟く。都合の悪いことは全部よく覚えていない、思い出せないで貫き通せとイルミに言われたものだから、馬鹿正直にそれを実行した。さすがにこれは怪しまれるでしょと思ったけれど、念のことを理解している大人達は「操作系の記憶補正か」と口々に話し出し、納得した表情になった。操作されると記憶まで影響を受けるのか。なんて便利な。
そして少女の遺品を調べてもらったが、めぼしい情報は何も見つからなかった。盗難携帯だったのか偽名で登録された携帯だったのか、登録情報を確認しても別人が出てくるし、唯一登録されているママと名付けられた番号はもう既に使用されていないようだった。そういえば電話で会話した人物は守衛室の電話を借りたはず、と使用人に聞くが、そのような人物は来ていないらしい。ゾルディック家を狙うだけあって、一筋縄ではいかないようだ。
名も知らぬ少女は、不運にも列車事故に遭って死んだということになったそうだ。遺体が本当に線路に放置されたのか、はたまた何処かで保管されたのか、真相は定かではないけれど。

そして一番心配されていたのはわたしの身体だった。例の部屋で倒れた時治療してくれた医者に、その日のうちに診察してもらったが、特に問題がないようで安心した。微弱な操作系の念に晒されてはいるが、精孔の治療に影響はないらしい。むしろ以前診た時よりも状態は良くなってるそうだ。前回の診療時より精神状態が安定し、よく眠れていることが幸いしていると笑顔で言われたのだった。

とはいえこれではっきりした。家族を危険な目に遭わさないためにも、早いところ念を習得しなければ。そのためには一刻も早く治療を進めなければと思うけれど、時間が必要なのがなんとも歯痒い。早く治すためには念による強い刺激を与えず、月一度来る医者の診察を受け、オーラの巡りを良くするマッサージを執事にしてもらい、ストレスを溜めず良く眠り、身体を鍛え強くすることが大事らしい。普通の怪我や病気を治すときとそんなに変わらないなと思った。
「いっそのこと目覚めさせて絶状態で修復させれば?」とイルミがじいちゃんに聞いていたが、目覚める過程で不安定な精孔が耐えられるかどうかわからないらしい。ゼツ状態は修復させる力がある、ということがわかった。こういう小さな会話から情報を得られるのはありがたい。
能力者でないものが念の攻撃を受けると最悪の場合死んでしまうらしいし、そうでなくても一度ズタズタになった治療中の精孔だ。ちょっとした念の攻撃でも受けてしまうと再度傷つく可能性があり、そうなるともう修復が絶望的になるのだとか。じいちゃんに再度釘を刺され、本当に危ないところだったのだと自覚する。仕事以外で外に出ないようにしようと肝に命じた。

そんなこんなで日も暮れて、仕事に行っていた父さんが帰ってくる時間帯になる。今日も母さんの体調は優れないのか両親不在の夕食を終えた頃だった。食べ終えた私はすぐさま厨房近くの廊下へ向かった。極秘のミッションを達成するためだ。厨房の出入り口で待ち伏せをすること数分。予想通り厨房から出てきた執事達を見れば、スープやお粥など消化に良さそうな食事が入ったトレイを持っていた。これから持っていくに違いない。どうやら間に合ったようだ。

「その食事、母さんに持っていくの?」
「クルミお嬢様!」
「ええ、そうですよ」
「それ、私が持っていってもいい?」

昨日から顔を見てないから、母さんのことが心配なの。そう付け加えると、執事達は顔を見合わせる。止められているけどどうする?お嬢様の顔を見れば奥様も元気になるんじゃないかしら、と相談している中、一枚の手紙を持ち出した。

「イルミからも手紙を預かってるから、私が届けたいの。いい子にしてるから、お願い」

渾身の上目遣いを使えば、少しだけならと許可を得る。ありがとうとにっこり笑ってトレイを貰い、中身が溢れないように気をつけながら母さんがいる寝室へと向かった。

『今どこ?』
「寝室に向かってるよ。この手紙を渡せばいいんだよね?」
『うん。オレの合図か連絡が途絶えた時だけね。取引成功したら渡さなくていいから』
「了解。成功しますように」
『父さん次第だね』

耳に入れた無線機から聞こえるのはイルミの声だ。夕飯前に突然呼び出され「この前の勝負のお願い、決まったよ」と突然言われたのだった。渡されたのは一枚の白い封筒で、中身が見えないようきっちり閉じられている。イルミ宛だった荷物の中身は、この封筒のようだった。
聞けば、父さんとの取引に使いたいから合図を出した時に母さんに渡せ、ということらしい。昨日に引き続き、私にしか頼めないことなのだろう。中身の内容によっては私も母さんに渡したくないものなのかもしれないが、自分から持ちかけた勝負だったこともあり、敗者の立場としてイルミに逆らうことはできない。いっそ執事に頼んでくれたらいいのにとも思ったが、執事は基本的に主人の不利益となることはしない。よく私たちの面倒を見てくれる執事はいるが、あくまで担当の執事にすぎない。執事の主人はあくまで父や祖父だ。イルミのために動ける人間は、私しかいないのだ。私すらも迷うようなお願いを、上手く使うものだといっそ感心した。
私がよほど不安げな顔をしていたのか、イルミが大丈夫だよと何食わぬ顔で言う。多分これを渡す結果にはならないだろうし、オレだって母さんにこれを渡したいわけじゃないんだ、と。その言葉からから、中身は父を脅すようなものではないかと推測された。一体何が入っているのか本気で気になったが、取引の後でねと締め括られ逃げられてしまったのだった。そもそも何の取引をするつもりなんだろう。

『おかえり父さん』
『ーーーああ、イルミか』

息を殺して、無線の向こうの会話を聞く。どうかこれが母さんの手に渡ることなく廃棄されますように、と願うばかりだった。ちょうど寝室近くまで来た頃である。親子の取り引きが今、始まろうとしていた。

『例の件だけど、やっぱり取引に持ち込むよ』
『まだ言っているのか。懲りんな、お前も』
『あの話、飲んでもらえないとなるとこれを母さんに渡すことになるけど』
『なんだ?…………お前が作ったのか?』
『まあね。オレの合図でクルが母さんに渡すことになってるから。1分以内に決断してほしいんだけど』
『お前がクルミに連絡する前に通信機を破壊する、と言ったら?』
『オレはいいけどね。連絡が途絶えた場合の対処も伝えてあるから』
『俺も構わんぞ。少しは騒がしくなるだろうが………子供の考えた脅しだ。最終的に捏造だということを証明できればいい』
『ほんとうに?……母さん、今大事な時期なんじゃないの?』

通信機の向こうの父さんが、息を飲んだ気配がする。なにか核心に触れたのだろう。大事な時期、と言うのは体調を崩しているというそのままの意味ではないように感じた。話を聞く限り取引というよりも、もはや一方的な脅しだ。少しの沈黙ののち、長く重苦しい溜息を聞き取った。

『……全く。年々アイツに似てきてるな』
『それで?どうするの?』
『降参だ』

今度は私が息を飲む番だった。イルミが、あの父さんとの取引に勝つなんて! 一体何を渡すつもりだったのかと、トレイの中に置いた白い封筒を即座にポケットにしまった。渡すことなく回収できたのだし、このまま部屋に入って母さんに食事を渡そうと思ったが、なんとも部屋に入りづらい。保温用の蓋はついてはいるけれど、冷める前に渡したいのに。体調の悪い母さんを脅そうとした罪悪感……なのだろうか。脅そうとしたなんて知ったら母さんは喜びそうだけど。

『だが時期はこちらで決めるし、全てをお前に任すことはできない。それを望むのなら今までと比べ物にならん修行になるが、覚悟はできているんだな』
『うん。それでいいよ』
『対価はそれで構わん。だが次、取引で脅すような真似をしてみせろ』
『…………』
『ーーー息子だろうが容赦はしない』
『わかったよ、父さん』

取引成功の声を最後に、イヤホンから流れていた音が切れた。電波越しにも関わらず、凄まじいほどの父の圧に呑み込まれていた。強張る体をほぐすようにゆっくりと息を吐き出せば、それは白い霞となって空気中に消えていく。聞くことに集中していたせいで呼吸が浅くなっていたようだ。イヤホン越しに聞こえた声の数々から理解できた情報は、もはやないに等しい。封筒の中身もイルミの望みも、イルミが帰ってきてから絶対聞き出してやろうと決意した。
改めて、眼前にある大きい寝室の扉を眺める。サッと入って母さんに渡して、早く元気になってねと言えばいいだけなのに。部屋に入れないままでいれば、背後から人が来る気配を感じ取った。

「クルミ様?」

すぐさま振り向けば、背後にいたのはツボネだった。封筒を隠した後でよかったと内心安堵する。私が驚かないようわざわざ気配まで出してくれていたのだろう。私が持っていたトレイを見て、合点がいったように優しく微笑んだ。

「私がお持ちいたしますわ」
「……いいの?」
「ええ、奥様がお元気になりましたらすぐにお呼びしますことよ」
「ありがと、ツボネ」

母さんによろしくね、と伝えれば、お任せくださいとにっこり微笑み、預けたトレイとともに寝室の中へと入っていった。この分厚い壁越しでは中の音は聞こえない。今日はもう休んで、明日また母さんに会いに行こう。明日ならば上手く話せるようになっているはずだ。そうして大人しく自室へと戻ろうとしたが、このままでは眠ることなんてできないと途中で思い直し、入る部屋のドアを一つ隣へずらした。部屋の主が不在の空間は、暗く静かで冷たかった。十分もあれば帰ってくるだろう。さあ、ここで待ち伏せしてる間にストレッチでもしておこうかな。




▽▼▽


「あーよかった。オレの部屋にいたんだ」
「おかえり、イル」

勝手に部屋に居座り、待つこと十数分。私の気配に気づいていたのだろう。この部屋の主人であるイルミは、ちっとも驚くことなく部屋に入ってくる。床で行っていたストレッチをやめて椅子に座れば、イルミもまた対面の椅子に腰掛けた。
私と瓜二つの大きな瞳、その目線の行く先は二人を挟むティーテーブル。さらにテーブルの上には、ポケットに仕舞ったせいで封筒に少しシワがついた封筒があった。未開封のそれを手に取ったイルミは、端の方を破りその中身を私に突き出した。

「はい」
「これ、写真……?」

中身を見て頬が引きつる。封筒の正体はたった一枚の写真だった。父さんが、二人の女性を侍らせた写真だ。派手な女性たちに挟まれている。よく見ればそれは、どこか見覚えのあるような違和感を覚える。こんな女は知らないはずだ。だが女性たちに挟まれる父さんを見てすぐに思い出した。以前、私たち三人がアイスを食べたときの写真に似ている。異なるのはイルミと私が女性に変わっている点のみ。あの写真を、イルミは加工したのだ。

「さすがに執事に頼んでも加工してくれないだろうからさ、外部に発注するの苦労したんだよ」
「いやそれはそうでしょ……良くこんなの頼めたね」
「母さんと真反対のタイプを頼むの大変だったんだよ」

ブロンド巻き髪垂れ目のかわいい系、たしかに母さんとは真反対の女性たちだ。母さんならば即座に浮気を疑うだろう。体調が悪い時に見てしまえば悪化する可能性も大いにある。母さんの性格上、捏造を証明する前に揉めてしまうことは避けて通れない道だろう。夫婦仲に亀裂が入ること間違いなしだ。

「そういえばさ、大事な時期ってどういうこと?熱があるって意味ではないんでしょ?」
「妊娠してるって思い込ませただけ」
「妊娠してるって……は?!」
「蚊が媒介するウイルスで面白そうなの見つけたんだよね。2日くらいで治る一時的な高熱と軽い吐き気……だったかな。執事の何人かで試したから間違いないし」
「ど、どうやって妊娠してるって思い込ませたの?」

ただの熱と吐き気くらいじゃ、そう言いかけたところでイルミが言葉を被せる。わざわざ外注した写真を手で千切り破りながら。

「オレたちが熱出たらさ、うんざりするほど検査されるよね」
「うん」
「使ったウイルスが検出されるより先に執事に言わせればいい。妊娠の可能性があるって」
「え、ええ……?」
「要するにハッタリだから父さんが見破れば破綻する計画だったんだけどさ」

唖然とする私を前に、仲がいい夫婦で助かったよとご機嫌な様子のイルミ。それで、大事な時期なんじゃないかと脅すことができた。妊娠の可能性があるのに高熱だなんて、妊娠が本当だったら命に関わる問題になりかねない。兄が人質に取ったのは両親の夫婦仲などではなく、母と存在しない腹の子だったのだ。それを取引材料にするとなると、……まぁ父さんも怒るはずだ。あまりにも大胆な発想に度肝を抜かれる。我が兄ながら、恐ろしささえ感じてしまう。

「執事を脅したの?」
「さあね」
「執事は人間だからなんとかなるけどさ、蚊は脅せな……あ」
「操作系って便利だよね」

全てを理解した私は沈黙するしかなかった。蚊と、おそらく執事も操作したのだろう。己の目的のためには手段を選ばないタイプのイルミに操作系の念を使わせたら、それはもう無敵じゃないのか。かなり前から仕組まれていたであろう計画に身震いする。そこまでして取引したかったことって、一体なんなんだろう。

「はは、父さん怒ってたね」
「当たり前だよもう……!取引であんなことするなんて死にたいの?!」
「脅しでもしないと取り合ってくれなかったんだからさ、おあいこだよ」

取引で嘘ついたわけじゃないんだしね。そうあっけらかんと笑うイルミに、くらくらと眩暈がしそうになった。

後日、すっかり元気になった母さんに会いに行くと、いつもの元気さで出迎えてくれてホッとする。一連の騒動に知らずに巻き込まれたのは隠し通せたようだけれど、本当は妊娠していなかったことを残念がってるかもしれない。もしそうだったら元気づけられたらいいな、なんて思っていたが、それどころかいつにも増してご機嫌な様子で鼻歌まで歌っていたのだから驚いた。何か良いことがあったのかな。



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夜空に浮かぶ月すらも凍えそうな夜のこと。これは親子が取引を終えた後の、とある夫婦の会話である。

「キキョウ」
「おかえりなさい、あなた」
「どうだ、具合は」
「もう熱もすっかり下がったわ。でも、まさか……こんなことになるなんて…………」

ベッドの上で、キキョウと呼ばれたネグリジェ姿の女性が俯く。泣いているのか、か細い肩を小さく揺らしながら。白くか細い手で口元を覆い、さらに目元には機械によって隠されているため、その表情を伺い知ることはできない。

「おい……」
「我が子の成長ってなんて素晴らしいの…………!!!」

感涙に咽ぶ女性を見て、呆れたように長い溜息を吐く屈強な男性。その温度差はかなり開いたものだろう。男───ゾルディック家当主、シルバ=ゾルディックが呆れながらもその口を開いた。

「お前、少し甘すぎるんじゃないか」
「あら、何のことかしら?」
「最初から気づいていたんだろう」
「執事相手とはいえもう念で操れるなんて、さすが私たちの子よね」
「執事に口止めした挙句、わざわざ虫に刺されてまで、か?」
「あの子たちが立派に成長してくれるなら刃で刺されたって嬉しいに決まってるじゃない」

この家の長男らしく育ってくれて嬉しいわ、と花が綻ぶような笑顔を見せるキキョウに、シルバは呆れてものが言えなくなった。何度目かもわからないため息をついたあと、夫婦のベッドへと腰掛ける。シルバの屈強な肉体を受け止めたやわらかなマットレスが、重く沈んだ。

「万一のことがあったらどうするんだ」
「私はゾルディック家当主の妻よ。これくらいで死ぬわけがないわ」
「…………次は叩き返してやれよ。甘やかすのはあいつらのためにならん」
「ええ、そうね。次はもっと厳しくいくわ!ふふ、楽しみね?あなた」
「……ああ、そうだな」

こうしてゾルディック家の夜が更ける。親の思惑など知らぬまま、子供たちはぐっすりと眠っていたのだった。


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