ギリギリまで張り詰めていた不穏な空気が、風船が破裂するかのように一気に爆発する。反射的に退避の態勢を取ったあとだった。冷や汗が大量に噴出するような気配を感じ、全身の毛が逆立った。しかし、それは私に向けられたものではない。それがよく知る殺気であることがわかった瞬間、ガチャンと硬い音がした。カップがテーブルに落下する音だった。

「こんなところにいたんだ」

体が一度揺れたあと、目の前の少女がだらんと脱力した。俯いたときに見えた後頭部には、見慣れた針が刺さっている。彼女が両手に持っていたカップは当然のように落ち、テーブルの上でその中身が溢れてしまった。比較的大きな音がしたにも関わらず、この一連の騒ぎに気がついた人間は誰一人としていない。倒れることなくその場で絶命した少女の後ろから、足音もなく現れたのは針を待った少年だった。

「───イル」
「仕事終わりにたまたまクルの気配がしたからさー、なんでこんなところにいるのかな」

言外に「荷物受け取ってって頼んだよね?」という圧をひしひしと感じる。これは、かなり怒っている。即座に謝るべきか助けられたことにお礼を言うべきか、ここに至る経緯を説明するのが先か。一見平然としているが、内心焦りまくっている。そんな私を見ていたイルミの意識が、少女の方へ向いた。

「───?、あー……これが早い者勝ちってやつか」

訝しげに眉を顰めたあと、よくわからないひとりごとを言って、イルミは横目で少女を見た。その亡骸を隅に追いやって、空いたスペースにイルミが当然のように腰掛ける。さて、どこから説明したものか。

「この子は……」
「なに?まさか友達とか言わないよね?殺し屋に友達は」
「いらない、でしょ。わかってるよ。私も迂闊だった。ごめん」
「本当にわかってるのかな。ほんと、運が良くて命拾いしたね」

食い気味に被せてくるところにイルミの苛立ちをひしひしと感じる。助けに来てくれたことを言っているのならずいぶんと含みのある言い方に聞こえた。そもそも、こんなただの子供くらい私だってすぐに殺せる。何か真意があるのだろうけれど、今するべきことは死体の処理だろう。

「とりあえず母親が来る前になんとかしないと」
「来ないよ、きっと」

言いながら、イルミは死体のコートについていたブローチを毟りとる。ぐ、と指に力を入れれば赤い宝石にヒビが入り、次の瞬間には砕け散っていた。イルミの意図が読めず傍観していれば、かけらの中に気になる物体を見つける。バラバラに砕け散ったそれは、小型カメラのレンズのように見えた。盗撮されるくらいなら別に構わない。常に持っている通信機がカメラに写らないようステルスの役割をしてくれているはずだ。それでも不用心だったと言われればそれまでだが。

「娘ならこんな回りくどいことしなくても言いなりにする方法なんていくらでもあるし、第一実の娘を操作するメリットなんてないからね。そういう制約なら別だろうけど、それにしては子が何もできないなんて制約として弱すぎる」
「ごめん、私にもわかるように話してもらっていい?」

ぶつぶつと止めどなく溢れるイルミの声は私に向けたものではなく、状況を整理するために言葉にしているといった感じだった。私の声でこちら側に帰ってきたのか、イルミが顔を上げる。父さんに秘密にできる?と、いつもの無表情の中でも、悪戯っぽい輝きを瞳に秘めて。

「水持ってきてよ。ふたつね」

一体何の話が始まるのかと身構えていれば、普通にパシられてしまった。突然のことに一瞬呆気に取られたが、早くと催促されたので何も聞かずにグラスに入った水を二杯貰い、席へと戻る。イルミはなにやら近くにある観葉植物の葉を一枚拝借しているようだった。ますます何がしたいのかわからず眺めていれば、グラスの一つを手に取ってそのまま飲む。あれ?もしかして飲料水取りに行かされただけ?

「喉渇いててさ」
「そっか…………」

もう突っ込む気すら起きずに軽く流す。もう片方のグラスに葉っぱを浮かべる兄の奇行も黙って見ていることしかできなかった。
イルミが水に浮いているグラスに手を翳した瞬間、ざわりと肌が粟立つ感覚に襲われる。イルミが少女を殺した時にも似たようなものを感じたが、その時の逃げ出したくなるような圧はなかった。以前に比べれば感度は格段に落ちているが、この感覚は忘れるわけがない。

「あ、さすがにわかる?精孔閉じててもわかるんだね」
「これ……念でしょ」
「うん。正確には練っていう、オーラを練り上げてる状態なんだけどね」

そう言って、イルミはグラスに手を近づけた。すると先ほどまでただ浮くだけだった葉っぱがくるくると周り、浮かんだり沈んだり揺れたり、まるでイルミに操られているかのように動き始める。

「オーラでモノを動かしたりできる……ってこと?」
「オレの場合は、かな」

イルミが手を翳すのをやめてしまえば、踊るように回っていた葉っぱが、電池が切れたかのようにその動きを徐々に停止していった。

「念にも系統があるんだよ。こうやって水に何か浮かべて診断するんだけどさ。オレは葉っぱが動くから操作系、父さんの時は水の味が変わってたっけ」
「操作系……ってまさか人間も操作できるっていうの?」
「うん」

絶句した。なんだその滅茶苦茶な能力は。暗殺に、仕事になりすぎるじゃないか!人を思いのまま動かす力があるだなんてと、恐ろしさを感じるよりも、その力が欲しいと願ってしまう。この稼業の人間ならば当然のように欲する欲だろう。父さんは何系なのか気になったが、話が脱線してしまうのでまたいつか聞こうと思った。
話を聞き愕然としていた私を前に、イルミは平然と話を続ける。

「こいつを殺すときにさ、操作系の念を込めて針で刺したんだよ。でも操れなかった。どういうことだと思う?」
「イルミとの相性が悪いとか、念が足りないとか、あらかじめ防御してるとかじゃないんだよね?この子が念の使い手ってわけじゃなさそうだし。てなると……もうすでに操られてた、とか?」
「あたり。上書きが不可能なんだ」
「はー……本当ごめん、迂闊だった」

長く重苦しい溜息を吐く。先ほどのイルミの、早い者勝ちという意味を理解した。念を感知する感度が落ちていても、敵意や殺意に敏感だという自負はある。しかし操作している人間に敵意があったとしても、操作されている少女に敵意が一切なければ、それを感じ取ることは難しいだろう。この少女を介して私をも操ろうとしたのならば、それを察知することは難しいのではないか。九死に一生を得た思いだ。そしてその思考に至ったとき、ハッとして今朝貰ったばかりの手首の紐を見た。紐は切れることなく、手首に巻きついている。

「こいつ自体は傀儡だからね。能力者なわけじゃないから切れなかったんじゃないかなー。こいつを介してクルを操作したいのかと思ったけど、それにしては感知できないほど弱すぎるし。…………あ、でも強制か半強制レベルに操られてたら念が使えなくとも半覚醒状態になるか。そうなると術者のオーラも混ざるだろうし、紐が切れるくらいにはオーラが出るんだけどな。……もしかしたらわざわざ感知されないように加減してたのかもね」
「う、うん……?」
「ま、こいつから何か出てても超微弱な操作系の念くらいだと思うよ。最弱の要請型、ってレベルかな。それでもクルをここまで連れてくることに成功してるんだから大したものだよね」

イルミからのお願いや、荷物が執事に見つからないための方法などの偶然が重なりに重なった結果でもあるのだが。現に短時間とはいえ、私をカフェで拘束することに成功しているのだから、やはり侮ってはいけないだろう。
弾丸のように並び立てられる言葉の中から、汲み取れそうなものを聞き取っていく。わからないところは追々聞いていこう。

「うん、やっぱり故意的だろうね。クルの半覚醒を避けたかった線もあるし」

そう付け加えるイルミの話を分かる限り反芻する。感知できないほどに故意的に力を弱めたのかもしれない、と聞くといよいよ相手は何がしたかったのか。術者本人が来ない限り、何もできないということは。

「おそらく、あぶり出しか偵察」
「そうなるよね」

粉々に砕け散ったカメラの残骸を、イルミが針の先で弄る。思い至った先は同じ所のようだった。携帯してる無線機の性能のおかげで、隠しカメラにも私は映らないはず。カメラに映らない私を見て怪訝に思い、もしくは釣れたと確信した相手は、家の敷地付近から引き離し、その目で確かめたかったのではないか。狙いがゾルディック家の誰かなのかはたまた私自身かはわからないが、家族の誰かを狙うのならば私の操作を目的にしてもおかしくはない。ゾルディック家に侵入しターゲットの元までたどり着くより、ゾルディック家の人間を操って殺させた方が早いに決まっている。

「私を操作したいのなら直接ここに来る、よね?」
「これが死ななかったら来てただろうね。今この辺りにそれらしい気配はないし、逃げたか何処かで様子を伺ってるか知らないけど」

偵察機が破壊されたのなら警戒するのは当然だ。感知されるのを避けるところやまわりくどい手法から見るに相手はかなりの慎重派と見受けられる。それならば尚更姿は表さないだろう。やはりメインの目的が偵察。サブとしてチャンスがあれば操作しようという魂胆だったのだろうか。
電話の向こうで母親を名乗る女性が首謀者だったのかはわからない。わかることは、電話の向こう側の人物が私の名前を知りたがっていたこと。"ママ"が、私を知りたがっているということだ。

「あっそうだ。この辺りの見回りと死体処理もあるし執事呼ぶけどいいよね?適当に言っとくから話し合わせといてね」

この場の対応にあたるのは念関係を把握している執事だろうから、執事に彼女の携帯電話の存在を伝えておこう。電話番号とかから、何か手がかりを掴むきっかけになるかもしれない。気づけば切り詰めていた息を緩やかに吐き出した。
改めて今朝から随分と超常的な情報を浴びているが、すんなり受け入れ、それについていけてる自分がいる。前世の私の漫画好きだった部分が、まるで漫画の設定のような情報の数々を受け入れてるのかもしれないと思った。それでも頭痛の種なことには変わりないが。しかしこれ、いくら危険な目に遭うところだったからといってよくイルミが教えてくれたな。

「ね、私に教えてよかったの?」
「いいよ。どうせこれもオレが教えようと思ってたし。隠された方が気になって身体によくないだろ? 今日のことも取引材料に使えるからさ。ほんと、来たのがオレでよかったね」
「取引材料?」
「明日になればわかるよ」

どこか満足げなイルミの様子に、わたしも笑みが溢れてしまう。最近のイルミは益々訓練にやる気になってて凄いなと思っていたが、もしかしたらわたしに教えるために頑張ってくれてる部分もあるのかもしれない、なんて。ちょっとだけ、自惚れてしまった。


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