本日の訓練も滞りなくこなし、日課となっているミルキとのお散歩も終えた。驚きの速度で成長するミルキは、近頃随分と滑らかにお話ができるようになったし、お散歩がてら本格的な暗歩練習だって始めるような年齢になった。毒物の注射に泣くミルキを母さんの代わりにあやしたのだが、それはもう可愛かった。息が苦しいと泣くミルキの背中を摩りながら「がんばれミルキ。ミルはすごいね。すぐ効かなくなってくるからね、お姉ちゃんの息を真似してみて」などと声をかけ続けていれば必死に私の言う事を聞いて頑張ってくれるのだ。どれほど苦しいと泣こうが、こればかりは甘やかすわけにはいかない。愛する弟の事を想うと、たとえ嫌われようが身を守る術はたくさん身につけさせてあげたいと思うのは姉心だろう。
良い子だったミルキの報告も兼ねて母さんにお見舞いの手紙を書き、両親の寝室の近くにいる執事に預けてから、散歩がてら走ってくることを伝えて屋敷を飛び出した。自主訓練だから誰もついて来なくていいと付け加えるのも忘れずに。
日が落ち始める中、無駄に広い山を駆け下り、そこから暫く走って門付近へと辿り着く。目的はウッドコテージのような小さな家、使用人室だ。

「おじゃましまーす」
「クルミ嬢ちゃん!」

いつものようにノックもなく扉を開ければ、そこには使用人AとB……アドリとバカラの姿があった。中からは暖かい空気が溢れ出してくる。いくら我慢できるとはいえ寒いものは寒いのだ。あったかーいと声を漏らせば、今お茶入れますと配慮してくれる。執事室は滅多に行こうとする気が起きないが、使用人室は堅苦しくなくて居心地がいい。ここにはミケやミルキのお散歩ついでに立ち寄ることが増えてから、門付近まで来た時は時間があれば遊びに来るようになったのだ。

「ねえ、お願いがあるんだけど」
「はいはいなんでしょう?」
「多分イルミ宛に荷物が届くんだけどね、それそのまま受け取ってもいい?」
「あー……荷物は執事室を通さねえと」
「誰にも見つからないように持って来いって言われたの。失敗しちゃったら硫酸の海に沈められちゃう……! こんなこと、皆にしか頼めなくて……」

使用人ふたりが顔を見合わせた。まあこれくらいの演技は許されるだろう。子供の姿で辛そうな顔をすれば大体の人間は甘くなる。この演技を見破れる家族と一部の執事を除いて、だが。硫酸の海に沈められるどころか実際は私がイルミに飲ませたのだが、円滑に話を進めるためなのだから見逃して欲しい。ごめんイルミ。

「……これきりですよ、お嬢」
「ただ旦那様にはご内密にお願いしますね、俺達の命がかかってますんで」
「うん、ありがとう! 助かるよ」

とびきりの笑顔でふたりにそう返す。子供の笑顔は困り顔と同じくらい効くらしい。じゃあ外にいるやつに連絡しときます、とアドリが電話へ向かう。使用人室には守衛室にいるひとりを除いて常に三人ほど駐在してるのだ。電話のやり取りを聞くに、この場にいないのは───

「あれ、ゼブロは?」
「ゼブロのやつなら外ですよ。迷子の対応にあたってます」
「迷子? こんなところに?」
「あー、それが何も話さねえんですわ」
「そんなに小さい迷子なの?」
「あーいや……オレたちの顔が怖いらしくて」

はは、と困ったように頬をかくバカラの顔を見る。なるほど、迷子になる程幼い子ならば、一般的に強面に分類される彼等に恐れて萎縮してしまうというのも理解ができる。

「それで一番人当たりの良さそうなゼブロが行ってるんだ」
「そういうことっす」
「わたしもちょっと見てこようかな」
「ええ!?ですが……」
「大丈夫大丈夫、ちょこっと見るだけだから」

この家の付近に来るのは賞金首ハンターなんかのむさ苦しいやつらが多い。その殆どが門に阻まれるうえ、入れたとしても執事に始末されることになるのだが。執事の負担も多いのだからもう少しどうにかならないものか、と思う。そういった人間は自分からやってきて不法侵入をしているものだから殺されようが文句は言えないのだけれど、ただの迷子がゾルディック家の前で何かあったとあっては我が家の評判に関わるのだ。暗殺家業とはいえそこら辺はきっちりとしておかなければ。お嬢、やっぱり同年代のお友達が……なんて表情のふたりは無視することにした。否定したところで信じてくれるタイプではないからだ。

「ゼブロ?」

一の扉だけ開けて辺りを見渡せば、守衛室の前に人影を見つけた。寒空の中三角座りしたまま動かない少女と、困った様子のゼブロの姿だった。

「クルミ嬢ちゃん!」
「それが迷子?」

私よりも歳下に見える少女は、さらさらの茶髪を揺らし、きょとんとした顔で首を傾げる。大きくつぶらな瞳がわたしを映す。夕焼けのせいかその瞳は赤くみえた。長時間外にいたのだろう。頬や鼻を真っ赤にしていていかにも寒そうなのに、この場から動こうとしない。ゼブロが何を話しかけても喋れないのか聞く気がないのか、一向にリアクションを返さないそうだ。

「デントラの子じゃないの?パドキアの言葉はわかる?」
「…………」

耳が聞こえないというわけではなさそうだ。返事こそないものの、私の声に反応はする。いっそのことあらゆる言語で話しかけてやろうかと思ったその時だった。

「……おねえちゃん、だあれ?」

ようやく返ってきた反応にゼブロが感嘆の声を上げる。言葉のやり取りが可能であれば大した問題ではない。迷子ならば麓の交番かどこかに預ければ良いだけだ。

「ここの家の持ち主なんだけど、ここに居られると困るんだよね。どうやってここまできたの?パパとかママは?」
「バスに乗ってたの。ママに怒られちゃって、ごめんなさいしなかったの。そしたら追い出されちゃった。明日迎えに来るからここで待ってなさいって」

なんてことしてくれるんだ。初冬の山奥に、それもゾルディック家私有地の前に女の子を置いていくなんて!ここなら守衛とはいえ人がいるから危険ではないとでも思ったのだろうか。見知らぬ母親に腹を立てつつも、この少女の図太さに感心する。置いていかれて泣くことなく平然としているなんて、大物になるに違いない。あらためて身なりを見ると、薄手だが質の良さそうなコートを身につけており、コートについている真紅のブローチには子供に不釣合いなほど大粒の宝石がついている。どこかの令嬢だった場合、変にこの家の近くで死なせてしまうと、もしかしたら商売にも影響が出るかもしれないとため息が出た。まためんどくさい迷子が来たものだ。

「言葉がわかるなら私が案内しますよ」
「この人がお家まで送ってくれるから。ほら行くよ」

踵を返して守衛室へ行こうとすると、服の裾が引っ張られる感覚。振り返れば、無言で首を振る少女がいた。

「……なに?」
「おとこのひとには、ついてっちゃだめって」
「あー……」

そうか。犯罪者が男に限るわけではないけれど、子供にはそうやって教えるよね。デントラ地区は、(我が家に挑もうとする人間が来ることを除けば)割と治安はいい方だけれど、それでも誘拐事件なんてのはないわけではない。ていうかそもそも娘を置いていくなって話なんだけど。

「女性の執事を呼んだ方がいいですかねぇ」
「うーん……」

執事をここに呼ばれては困る。何せ郵便物を執事に見つからないよう回収しなければならないのが第一に優先すべきミッションだ。かと言って麓行きのバスの最終便はもう終わってしまったし、敷地内に入れるわけにもいかない。たとえそれが守衛室でもだ。かといって翌日まで外で待たせるのも、こんな山奥では下手をすれば凍死の可能性だってある。
荷物を受け取ってから執事を呼んでもいいが、やってくる執事によってはすれ違ってしまうかもしれないし、もしかしたら私がこの場にいたこともバレてしまうかもしれない。そうすると荷物の存在だってバレかねない。特に、ツボネのような相手には。わたしが屋敷に戻ってから執事を呼ぶとなると、今度は仕事から帰ったイルミと鉢合わせする可能性が高くなる。イルミならば容赦もなく殺すだろう。となると、残された方法は一つしかない。

「私が麓まで送るよ」
「クルミ嬢ちゃんにそんなことさせられませんよ!」
「そのかわりイルミ宛の荷物が届くからそれだけ回収してもらえる?執事室に内緒にしなきゃいけなくて。お願いね」

いうや否や、ゼブロの答えを待たずに女の子を抱えて走り出した。舌噛むから喋らないでね、といえば彼女はこくりと頷く。わたしよりも背が小さく、手のかからない子で助かったと駆ける足を早める。早いところ交番まで送り届けて、夕飯までに戻らなくては。少女の瞳とブローチが、夕陽に照らされて輝いていた。



▽▼▽


寒空を切り裂くように奔り続け、黄昏から宵の口へと変わる頃、ようやく麓の町へと辿り着いたのだった。子供の体重くらい重くもなんともないが、少女が息ができるよう調整しながら走るのは気を遣わなければならず、想像よりも時間がかかってしまった。
彼女はといえば、先ほどの聞き分けの良さから一変、交番の前まで来たのに「絶対いや」と拒否し始めた。理由は変わらず、男の警官だから。なんでこんな時に限って女性の警察官がいないんだ。お姉ちゃんがいいと駄々をこねるのを無視して無理やり連れて行こうとすれば、あれだけ平然としていた少女が涙を浮かべて抵抗を始めるものだから、強制連行することも諦めた。交番の前で変に騒ぎを起こしたくないし、第一目立つことは絶対に避けたい。じゃあどうするんだと頭を抱えた頃、少女から電子音が鳴り響く。ポケットから取り出したのは、子供用の携帯電話だった。いや携帯持ってるんかいと思わず突っ込みそうになったがそれを飲み込んで、電話から漏れる母親らしき声を聞く。
どうやら反対方向のバスですぐに迎えに行くつもりだったが最終便が欠便になり、自分の携帯も娘の携帯も圏外(山奥なのだから当然だ)、電波の届くところを探し慌てて迎えの車を呼んだがその頃にはもう姿はなく、守衛に話を聞いたところ麓に下りたと聞き、守衛室の衛生電話を借りて電話をかけているそうだ。大袈裟に謝る母親の声を聞いて文句の一つでもつけてやりたい気分だったが、電話を代わって欲しいと頼まれ、あくまで淡々と事務的に話すよう努めた。

「本当に本当にありがとうございます、何とお礼を申し上げれば良いのやら……」
「いえ構いません。麓の交番の近くにテラスがあるカフェがあるのでそちらでお待ちしています。私も急いでおりますので途中退店するかもしれませんが、カフェの店員に言付けておきますので」
「ええ、急いで向かいますわ。あの、お名前だけでも───」

もう心底面倒だったので電話を切った。大人びた声を意識して執事の真似をして喋れば、子供だと勘付かれることはなかった。要らないことに首を突っ込むものじゃないと思い知る。本当は今すぐにでも帰りたかったが、なぜか妙に懐かれてしまい、少女が私の服を握り締めたまま動こうとしない。無理やりにでも解けるけれど、注文もしていないのに一人で居座らせるわけにもいかないだろう。仕方がないから店内で10分だけ待つことにした。もちろん母親が来れば会う前に逃げるし、来なくとも10分を過ぎたら容赦なく出ていくつもりだ。お礼を言われるのも面倒だし、実際に会ってこんな子供が我が子を送っていたのかと思われるのも面倒だった。
迎えに来た母親が見えるよう、外の道路や入り口が見える窓際の席を選ぶ。本当はすぐ退店できるようテラス席がよかったが、ただでさえ寒空の下走って風に吹かれていたものだから、少女の顔は真っ赤になっている。そんな状態でテラス席を選べば怪しまれてしまうかもしれない。妥協した結果、退路であるテラスへと出入りできるドアの近く、窓際席を確保した。
カフェに入ってなにも頼まないのも不自然なので、ホットチョコレートを二杯頼む。子供は大体甘いものが好きだろう。奢っているのだから文句は言わないで欲しい。前払い式のカフェだったので代金を支払ってからカップを二つ受け取りソファへと腰を下ろす。イルミの荷物が着払いだった時用のお金を持っててよかったと安堵して、我が家のものに比べると羽のような軽さのカップに口をつけた。少女は不思議そうにカップの中を液体を眺めている。

「…………」
「飲まないの?別に毒なんてないよ」
「おねえちゃん、こわいおうちの人なの?」
「そうだよ。だからもう来ちゃダメだからね」
「足が速いんだね」

何というか、私が言うのも何だけどズレてるなこの子は。返す言葉も思いつかずに甘い液体を嚥下する。冷えた身体に温かい甘さが染み渡る。それを見た少女はカップを両手で持ったまま、ふうふうと息で冷まし始めた。

「おねえちゃん、お名前教えて?」
「どうして?」
「わたしのママに話したいの」
「……」
「わたしのママ、おねえちゃんのこと知りたいって思ってるから」

ねえ、教えて。首を傾げてそう言った少女の真っ直ぐな瞳を見た。最初に見たときは夕焼けの色が反射しているのだと思っていたが、こうして室内灯の下で見ても、その瞳は赤みがかった色をしている。その目を見るとなんだか落ち着かないような、心がざわつくような気がして、でもこの視線を逸らしてはいけないと私の本能が訴えていた。ゾワゾワと違和感が、嫌な予感が増幅していく。なにか、何かがおかしい。この子に関わってはいけなかったのではないかと、今すぐに、殺すべきだと。気づいた時にはもう遅かった。


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