気配が漏れやすくなっている、なんて聞き捨てならない衝撃の敗因を聞いてから数日後のこと。悪夢を見ることなく爽快に目覚めた私は、立ちはだかる執事たちを物理的に飛び越え乗り越え、短期出張から帰った父親のもとへ。理由はただ一つ。仕事に影響するような身体の変化くらい教えて欲しいと訴えるためだ。十中八九例の念関係だろうし、私に言えないことが山ほどある事はわかっている。でも気配が漏れやすくなっていたりだとかは教えてくれないと困る。そのことを訴えるために最初に母さんに聞いたが、父さんに許可を取ってからじゃないとの一点張り。ようやく明朝帰宅した父さんのいる両親の寝室へ乗り込もうとしたが、まだ母さんが寝てるらしく、父さんは帰宅してから自室にいると執事に教えられ、訓練が始まる前に行かなければと即座に父さんの自室へと向かった。
まだ母さんが寝てるだなんて珍しいなと考えながら長い廊下を走っていれば、父さんの部屋から誰かが出てくるのが見える。パッと見れば私とそっくりな兄、イルミの姿だった。

「おはよ。次私入っても大丈夫そう?」
「うん。父さん機嫌悪いから気をつけてね」
「そうなの?ありがとう」

少しだけ気が重くなるような情報だが、事前にそれを知っていれば、あとはお願いの仕方に気をつければいいだけだ。情報提供に感謝しつつ、こうしてイルミと以前のように会話ができることに喜びを感じて、口元がにやついてしまう。子供みたいな喧嘩をしたことだけじゃなく、よく考えればキスしちゃったなとか思ったりもしたけどイルミは全く気にしていない様子だった。それどころか追い討ちをかけるように「またしてあげようか?」だなんて茶化してくるものだから、とても恥ずかしい。精神的に助けられてはいるけれど。改めて、相手がイルミでよかったと心底思った。仕事のためなら唇だって使うけれど、ファーストキスが好きでもないターゲットだなんて、ちょっと嫌だもん。

「父さん?クルミだけど、入って良い?」

入室の許可を得て部屋に入れば、いつものように頬杖をつく父がいた。目つきが鋭いのはいつものことだが、特に機嫌が悪そうには見えない。もしかしたらイルミと喧嘩でもしたのかもしれない。

「おはよ、父さん。おかえりなさい」
「ああ、ただいま。もう身体はいいのか?」
「? どうして?」
「この間は随分と暴れたそうだな」

ピシリと音が鳴ったかのように私の笑顔が固まった。子供みたいに不貞腐れていたことも調子に乗ったあれこれも、もしかしなくても全部バレている。父さんには内緒にしてもらうよう、目覚めたあとその場に居合わせた執事に根回ししたはずなのに。いたたまれない気分になって思わず目を逸らしてしまった。

「う……知ってたの?」
「当然だ。お前の父親だぞ」
「ご、ごめんなさい」
「どうして謝るんだ。娘の成長を喜ばないわけがないだろう」

予想に反し随分と優しい父の声に、逸らした顔が上がる。そんな風に思ってくれていただなんて。嬉しくなって、父さん、と小さく呟けば、こちらに来いと手招きをされた。いつものように音もなく駆け寄り、クッションでふわふわのソファ……のようなところに腰を下ろす。

「どうだった?」
「どう、って?」

いまいちわかってない様子の私を見て、父は喉を鳴らして笑う。大きな手が、頭をぽんと優しく叩くように撫でた。父さんが昔から良くやってくれる仕草だった。

「楽しかったか?お前たちがまともに喧嘩するなんて初めてじゃないか」
「喧嘩はあんまりしたくないけど、でも、思いっきりやれて、……うん。ちょっと楽しかったかも」
「それでいい。己を主張するのは良いことなんだ。兄弟仲が良いのは良いことだが、我慢をする必要はない」

我慢をしていたつもりはないが、イルミの後を追いがちの私に思うところがあったのだろう。ちゃんと私自身を見てくれていることに嬉しくなった。兄弟仲といえば、と父が付け足す。

「イルミからも言われたが、体の変化について聞きにきたんだろう」
「え、うん! そうなんだけど、イルミも何か言ってたの?」
「折角の勝負が楽しめなかったと苦情がきた。お前が言い訳すらできないほど負かしたかったらしい」

なんて兄だと乾いた笑いが出る。次は万全の態勢で闘おうというやつなのだろうか。私はまあ……ちょっとだけ楽しかったけれど、次のチャンスがあったとしても、この前ほどの闘志を燃やすことはできそうにないなあ、なんて思う。寂しさとか反抗心が暴走してしまっただけで、イルミに勝って強さを証明したかったとかそういうわけではないのだ。そう考えこむ私に父さんが言葉を続けた。

「少し遮断しすぎていたな。寂しい思いをさせてすまなかった」
「父さん……」
「精孔……身体の修復が追いついてから全てを教えようと思っていたが、仕事にも影響があるだろうからな」

全ては教えられないが、と前置きをつけて父が言葉を続けた。父の話はこうだった。
身体から漏れ出る生命エネルギーのコントロールは以前と比べれば随分凡人になったようで。以前であれば気配を断つとともに漏れ出る生命エネルギー、いわゆるオーラをもほぼ完璧に制御できていたそうなのだが、例の部屋によって傷んだ精孔を修復している最中の身体ではそうもいかないらしい。
どれほど集中して気配を絶とうとしても、閉じ切ってしまった精孔ではオーラのコントロールが困難らしく、念を使えない相手には通用するものの、家族や一部の執事には気配を察知されてしまう。イルミにバレてしまっていたのもこれが原因だった。
そのうえ最近やたら家族に背後を取られがちなのも、精孔が閉じたことで、オーラを感知する力ーーーつまり、気配を察知する能力が低下してしまったことが要因らしい。さすがにそこら辺の殺し屋レベルに負ける気はしないが、家族の、ゾルディック家レベルのプロの気配は感知することが難しくなっているのだと思う。いままでは訓練のおかげで、念は使えずとも僅かなオーラをも感じ取ってやっていけていたのだと思うと少々先が思いやられる。気配を殺すこと、察知することは仕事における基礎中の基礎なのに、今までの努力が不可抗力の力によって失われてしまうだなんて。
こんな状態では仕事に支障があるのではないかと一瞬不安になったが、念能力者が存在するような仕事は主に父や祖父が担当しているため今まで通りで構わない、らしい。もとより私が担当できるような仕事には危険性の高いものは割り振られないのだと理解してはいるものの、それでもプロの殺し屋の端くれとしてのプライドがそれを許さない。精孔が閉じたままの状態でも以前と遜色ないほどに、いやそれ以上に気配をコントロールできるようにならなければ。どんな状態の身体であれ、この家の名に恥じないように生きなければならないと、改めて決意を固める。
さらに、念に関する情報が一切遮断されていたのも納得のいく理由だった。例の部屋に対する認識をできるだけ薄めることが目的だったそうだ。ただ単に精孔が傷んでいるだけならばよかったものの、傷んだ原因が呪いじみた念が原因だったため、念そのものから隔離して、少しでもあの部屋につながるような繋がりを持たないようにしなければならないと考えたらしい。もう一度あの部屋に呼ばれてしまったら次は命がないだろうと聞くと、その慎重さにも納得がいった。これを話してよかったのか、と聞けば、内緒にしている方が逆効果だろうと判断したらしい。現にわたしの不満が爆発したように。
滞りなく解消されていく疑問に一度腹に収めた不満が消えていくのを感じる。わかってはいたけれど、やはり私のことを思ってのことだったのだと改めて理解した。
一連の説明を聞いた上で、ふと目を凝らして父の体の表面を見る。以前は薄らと見えていたあのオーラが、案の定全く見えなくなっていた。

「どうした?」
「やっぱり見えなくなってるなあって」

一瞬父が目を見開き驚いたような顔をして、見えていたのか、と喉を鳴らして笑った。愉しげに笑みを浮かべた鋭い眼光が私を射抜く。

「見えないものなの?」
「普通はな。ーーーそうか。おそらく目の精孔が徐々に開きかけていたんだろう。流石はオレの子だ」

私もイルミも目を凝らして集中すれば、僅かにだが当たり前のように見えていたので驚いた。気配を察知したり絶ちきることだけじゃなく今まで見えていたものまで見えなくなるだなんて。あらためて喪失の大きさを思い知る。焦ったってどうしようもないのに、一刻も早く身体の状態を回復させなくてはと気が逸る思いだった。

「クルミにこいつを渡しておこう」
「? なあにこれ」

父さんがポケットから取り出したのは二本の細い紐だった。そのうち一本を受け取ってよく見てみれば、文字のようなものが書かれていることがわかる。ふと、空気が変わるのを感じる。反射的に顔を上げ、心がざわつく方向、父さんの右手を見た。握ったままのもう一本の紐が、いつのまにかちぎれていた。

「オーラを感知して切れるようになっている。念の使い手レベルのオーラなら即切れるはずだ。精孔が閉じていても感知くらいならできるだろうが、念を隠すことに長けた人間の念は能力者でも感知しづらい」
「さっき父さんが握っていても切れなかったのはどうして?」
「手の部分だけオーラを遮断していただけだ。念の使い手でもオーラを絶てば紐が切れることはない。そこが唯一の欠点だがーーーお前が気づけない程に気配を殺せるような人間はそういない。家族くらいだろうな。……そうだな、手首にでも結んでおくといい。オーラを絶っていない念能力者がクルミに触れるだけで切れるだろう」
「うん、ありがとう」
「外に行く時は必ず身につけろ。これが切れたら即戦闘離脱しろ。勝てない相手とは絶対に戦うな。いいな?」

そう言って、父が親指を噛み切り私に向ける。すぐさま私もそれを真似て、血の滲み出る大きな親指に押しつける。命綱である紐をしっかりと握り締めながら。

「誓うよ、父さん」

親子の誓いを交わした直後のことだった。けたたましい機械音が部屋に鳴り響く。執事室からの内線だ。二言三言やり取りした後にすぐ内線は切れたようだった。

「クルミ。今日の訓練だが……母さんの体調が悪くてな、執事だけになる」
「うん。それはいいけど、母さん大丈夫なの?」
「少し風邪気味らしい。感染ると訓練に影響が出る。会いに行くのはやめておけ」

そういえば昨日から随分と冷え込み、厳しい寒さになってきたからそのせいかもしれない。執事の中でも先週から発熱した者が増えているらしい。風邪のウイルスくらいなら感染らないのにな、と思ったけれど父さんの言うことは大人しく聞いておこう。もう行けとの言葉に、はあいとだけ返事を返して、訓練前に母さん宛に手紙でも書こうかな、なんて考えながら父さんの部屋をあとにする。
部屋を出てすぐの廊下に、先ほど入れ違いになったはずのイルミの姿があった。岩壁に背中を預けたまま、いつも持っている針を退屈そうに弄んでいる。わたしが出てきたことに気づいたイルミが手を止めて、丸く大きな目で私を見る。

「クル」
「あれ、待っててくれたの?」
「うん、頼みごとがあってね」
「なあに?」
「オレの代わりに荷物を受け取ってほしいんだ。出来れば門のところで」
「それって、私にしか頼めないこと?」
「うん」
「おっけ、任せて」

私にしか頼めないこと、それはつまり私以外の家族にバレてしまっては困るようなことである。基本的にこの家の郵便事情として、密書などでなければ門にある守衛室から荷物を受け取り、執事の入念なチェックを終えてからようやく家族のもとへ届くのだ。
個人宛の内密なやりとりの場合、鷲などの調教された猛禽類を使う方法が一番良いのだが、仕事現場から送信することは何度かあっても、外部から受信することは私たち子供には許可されていない。任務中だって常に執事が控えているのだから、誰にもバレないように郵便物を持ち込むには執事の監視の目がない個人の時間に自らの手で受け取るしかないのだ。

「17時ごろに来ると思う」
「17時ね」

それくらいなら訓練も終わってるし、母さんのお見舞いのお手紙も書いてから受け取れるくらいの時間かな、などと考えながら兄からの依頼を受ける。イルミが私に頼みごとなんて珍しいから、頼ってもらえることが少しうれしい。

「じゃ、オレ仕事行くから」
「ん、いってらっしゃい。気をつけてね」

イルミが見えなくなるまで(といっても一瞬だが)見送ってからわたしもくるりと踵を返し、出口とは逆方向の訓練室へと向かう。その足取りはとても軽いものだった。私も私ができることを頑張ろう、そう心から思える晴れやかな朝だった。


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