「いつまでそうしてるつもり?」
「……」
「吠え面かかないでね、だっけ」
「だから!!!ごめんって!!!!」

がばりと起き上がった勢いで、頭から覆いかぶさっていた布団が落ちる。布団越しに私を煽っていたイルミと目が合った。なんとも言えぬ気まずさが一気に押し寄せる。しかしそう思ったのもどうやら私だけのようだった。いつも読み取りづらい表情の中でも、ひときわ何ともないような顔をして。一度こうして目が合ってしまうと、再び布団に戻ることもできずに、のろのろと視線をそらすことしかできない。酸欠で気を失った私が目を覚ました場所は自室のベッドだった。ベッドの傍らで読書をしていたイルミを見つけるやいなや、先刻の調子に乗りすぎたあれやこれやを思い出し、布団に籠城を決め込んだのだった。その布団もこうして地に落ちたわけだけれど。イルミも私もなにも言わない。叫んだせいでいつもより荒い呼吸音だけが、二人の間に存在する唯一の音だった。

「はい」

そんな一言と共に、差し出されたのはグラスに注がれた一杯の水だった。飲め、ということなのだろう。お優しいお兄さまは、私の目が醒めるまでベッドサイドの椅子に腰掛け、目覚めた私に対してお水まで用意してくれる。しかし、変に張った意地が邪魔をしてそれを素直に受け取る気にはなれなかった。目覚めたばかりの身体は水分を欲していたが、気まずさから私は黙ったままグラスの水を見つめていた。

「……」
「口移しの方が良い?」
「わあいありがとういただきます」

表情一つ変えずに、反応せざるを得ない言葉の選択で追い打ちをかけてくる。流れるように感情の篭ってないお礼を言って、半ば奪い取るようにしたグラスを煽った。水が乾いた喉に潤いをもたらす。常温の、ぬるい水が全身に染み渡るようだった。おいしい、と一言漏らせば、水道水をそのまま入れただけだけどね、と笑う。いつも通りに振る舞うイルミ。私の身体はよほど水分を欲していたのか、ただの水のはずのそれがとても美味しく感じられた。半分ほどそれを飲み干してから、息を吐き出す。吐き出された息と共に、身体の余計な力だとか、変に張った意地までもがほどけて排出されたようだった。緩やかにほぐれる私の様子を見てか、兄が口を開く。

「それで、弁解があるなら一応聞いてあげるけど」
「えっ」
「クルがあれだけのことをしたんだ、この際全部吐いたら?」
「……」
「無いなら敗因から挙げてくけど」
「パパみたいなこと言わないでよ……」

はあ、と重苦しいようで軽いため息を吐く。なんだか毒気を抜き去られたような気分だ。敗者に黙秘権はないとばかりに追い打ちを掛けるイルミに、父さんの面影を見る。勝ちに固執した理由を問われるも、閉ざした口が開くことはない。体育座りの格好のまま、自分の膝ばかりを見つめていた。真新しい傷から旧い傷まで、私がこの家で生きてきた証が刻まれていた。

「どうせまた甘いとか言うんでしょ」
「なんだ、自覚があるなら世話ないね」
「私が甘いんじゃなくてイルが厳しいんだよ」
「あ、今回甘かったのは詰めだからさ」

ツメ。詰めが甘い。私が反射的に眉を顰めたのを見てイルミの瞳が愉快そうに歪む。調子に乗らせてしまったと後悔するももう遅い。嬉々として私を責め立てるイルミの性格の歪みっぷりを恨むけれど、こういうところも私と似ているから何とも言えない。

「じゃ、まず第一。ギブアップもしてない標的の拘束を解くのはこの家じゃクルミくらいだよ。血を吐いたって口の中噛み切っただけかもしれないだろ?オレみたいに」

べ、と舌を出すイルミに歯噛みしそうになる。第一から言い返す気が失せてしまった。だってその通りなのだから。吐いた血が硫酸によるものだと信じて疑わなかった。イルミの口から吐き出された鮮血に我を失ってしまったのだ。

「二つ目、どっちの毒も濃度薄すぎ。やる気ある?次やるときは一種類でいいから致死量ギリギリでやったほうがいいね」

ま、希釈してない硫酸だけだったらオレも危なかったかもね。そうしなかった一番の理由も想像つくよ。多少訓練したとはいえ、オレが戦闘不能になるレベルの腐食毒なんて飲ませようとしたらクルミだってタダじゃ済まないはずだ。誤飲の可能性だってないわけじゃない。だからヒ素を頼った。違うかい?
私が何も言わないのを良いことに、イルミは続けた。全部全部その通りだ。見透かされてしまっている。今回盛った毒を選んだ理由も、その種類も。ーーーいや待て、なんで盛られた毒の事を全部知っている?

「その三。そもそもお前の作戦は最初から破綻していたんだ」

疑問が顔に出ていたのか、私の顔を見たイルミの瞳が愉しそうに光った。

「何盛ったか気づいてないとでも思った?残念、全部知ってて飲んだんだよね。薬品庫に窓がないからって油断してたみたいだけど、廊下って外から見えるんだよ?」

まるで子供に言い聞かせるみたいに、わざとらしい口調だった。皮肉っぽい言い方をするイルミは付け加える。気づいてないみたいだから教えるけど、あの日以来、クルミは気配を消し辛くなってるよ、と。突如暴露された重大な情報に呆気にとられている間に、イルミが言葉を続けた。捲し立てられる言葉の数々に反論する隙は与えられなかった。

「ああ勿論、これが原因じゃないよ?オレが知らずに服毒していてもクルは負けてたからね。ーーーヒ素が食物に混入されない理由、一度でも考えたことある?」

大人しく首を横に振る。ただただ使用されたことのない毒薬を探すことに躍起になっていて、なぜそれが使われなかったかだなんて、それを見つけた時すら疑問に思うことなんてなかった。おかしいと思わないのかと過去の自分を殴ってやりたい衝動に駆られる。そもそもイルミがヒ素を知らずに飲んでいても、私は負けていたとはどういうことなのだろうか。

「天然のヒ素はどこから抽出されるか覚えてる?」
「どこって、地殻中の鉱物だから、火口とか、火山……とか……」
「俺たちの家がどこに建ってるか忘れたわけじゃないよね?生まれた時からこの家の地下水飲んでるんだ。なんならさっき飲んだ水にも入ってるよ」

ククルーマウンテンは、死火山である。全てに合点がいって、崩れ落ちそうになった。つらつらと並べ立てられる敗因は、どれもよく考えて調べればわかったことだったのに。実力以前の問題である。疑問を一つも抱かなかった、愚かな私の敗北なのだ。

「そういうわけで、俺の勝ちは確定していたんだ」

最初から、私の勝ち目はなかったのだ。悔しさと情けなさから食いしばった唇から、喃語のような声が漏れる。悔しくて悔しくてたまらない。それでも今回ばかりは、負けを認めざるを得ないけれど。

「で、結局賭けまでして何がしたかったの」
「……べつに」
「自分の状況が知りたかった?隠されてるのが嫌だった?オレが何してるのか知りたかった?オレと、同じことがしたかったの?アレが全部本心だってくらいわかるよ」
「よくわかったね、イルミは私のこと全然気にしてなかったみたいだけど」
「べつにオレだって、なにも考えてなかったわけじゃない」

喋ることにカチコチになった意地がどんどん積み重なっていく。こんな風にイルミを責めたいわけではないのに。八つ当たりだってわかってるのに口から勝手に言葉が漏れていく。これでは本当に子供のようではないかと、ぐるぐると腹の中で自己嫌悪が育っていく。一呼吸置いて捻り出した声は、今にも泣きそうな子供の声だった。

「……言ってくれなきゃわかんないよ」
「喋ることはできないけど、その期限を短くできないか考えてた」

予想外の言葉が返ってくる。驚愕から瞳を瞬かせていれば、私の視線から逃れるように顔を背けた。言うつもりがなかった言葉だったのだろう。こんな反応をするイルミが新鮮で、逸らした顔を見てしまわないように、私も視線を下に落とす。変に意地を張っていたわたしが馬鹿みたいに思えた。

「今はここまでしか言えない」

真っ直ぐな声だった。思わず俯いていた顔を上げて、イルミの顔を見た。声色のように、どこまでも真っ直ぐな瞳と目が合う。更に自分が恥ずかしくなった。構ってもらえないから、寂しいからと意固地になって臍を曲げるなんて、どれほど幼稚なんだと。

「ごめん」
「……ごめんじゃわからないよ」
「……ごめん」
「言わないとわからないって言ってたのは誰だったかな」

それは、きっと両方に掛かっているのだろう。ごめんだけじゃわからないし、意地を張ったまま本心から逃げ続けていても何も解決しないのだ。

「……ごめんね。困らせたかったわけじゃないのに。隠し事も、何か理由があって言えないんだろうなってのはわかってるし、皆言うべきじゃないから言わないんだろうし。寂しいけど、いつかは別々の訓練になることもわかってた」

謝罪の言葉は、驚くほど素直に出てきた。ぽつりぽつりと、言葉を漏らしていけばイルミはそれを正面から受け止めてくれる。
私たちは双子だけど、性別も違えば能力値も違う。考えてることがなんとなくわかる時もあれば、今みたいに何もわからない時だってあるのだから。イルミは後継者としてこれからどんどん成長していくのだろう。その度に離れていく。私との差は広がっていく。私はこの家の人間だけれど、次期後継者になれるわけじゃないし、私はイルミではないから。

「わかってたけど、さ。いきなり訓練も別で内容も秘密で、隔離されて。イルミはそれを受け入れてるし、私なんて全然眼中にない感じだったから、……寂しかった」

一度言ってしまえば、それはもう止まらなかった。寂しかった。嫌だよ。置いていかないでよ。訓練なら頑張るから。誰だって、何人だって殺してみせるから。時間が必要ならいくらでも待つから。だから、ひとりにしないで。
子供みたいにポロポロと涙を流していた。感情のコントロールが効かない私の手に、イルミの手が重なる。ただ何も言わずに、握ってくれていた。言葉はなに一つなかったけれど、でもそれが心地よかった。しばらくそうして落ち着くことができた私は、自嘲の笑みを浮かべながら言葉を吐く。

「本当、ダメだなあ。これから嫌でも変わっていくのにね。いまは髪型ひとつで嫌な気持ちになる。情けないよ」
「……髪型?」
「うん、髪の毛。そろそろ伸ばせってママから言われたの」
「それが嫌なの?」
「嫌だよ、イルと一緒がいいもん」

私の泣き言を聞いたイルミは、パチパチと瞳を瞬かせる。意外、といった風だった。ポカンとちいさく口を開けたあどけない表情のあと、薄く開いた唇が笑みをかたどる。

「なんだ、そんなことか」

私と揃いの黒い瞳が、やさしく輝いた。イルミの手が、さらりと私の髪の毛を梳く。髪を梳くその手つきは、幼い頃、私がよくやっていたそれにとても似ていた。

「簡単だよ、オレも伸ばせばいい」

あまりにも簡単に私の悩みを吹き飛ばすものだから、驚きながらも笑ってしまう。実際に可能かどうかはさておき、私に寄り添ってくれる気持ちが嬉しかった。こういうところは本当に優しいんだよなぁ。
ありがと、と小さく言葉を溢す。クルに何命令しようかな、なんてマイペースを貫くイルミの言葉に戦々恐々としていれば、イルミの両手が私の頬を包む。少し寝たら?と、まぶたの下を親指でやさしく擦られた。

「さっきも寝てたから大丈夫」
「もう一回酸欠にしてあげようか?」
「おやすみなさい!!!」

頬をさらに強く掴まれまた唇を近づけられそうになって、慌てておやすみを言えばパッと手を離された。相当根に持っているのか、事あるごとに持ち出すものだから気が抜けない。ま、楽しかったよ。そう言って私の髪を梳くイルミは、窓から差し込む夕陽に照らされてきらきらと輝いていた。控えめな抑揚の声を聞きながら眠りにつく。悪夢に悩まされる日々が相変わらず続いていたが、その日は夢を見ることなんてなく、今までが嘘みたいによく眠れたのだった。


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