「毒娘」を知っているだろうか。生まれた時から暗殺者として育てられる娘の伝承である。赤子の頃から死なない程度の毒を与え続けられた娘は、成長とともに体質が変化し体液が毒となる。猛毒と化した娘の体液は、体液に触れた人間や、摂取した人間に死をもたらす、というなんともファンタジーな話だ。もしかしたらゾルディック家の遺伝子をもってすれば不可能ではないのかもしれないけど、実際そんな風に育てられた私の身体は毒物に耐性が出来ただけだった。体液が毒になるどころか、全ての毒に対して完全な耐性を持つことすら出来なかったけれど、それでもこの身体で出来ることはある。例えば日時指定で暗殺の依頼があったとしよう。指定された日時ピッタリに標的に接触できる確証はない。数日前に少しでも接触できる機会があれば、遅効性の毒を摂取させるだけで良い。その方法は数多くあるが、注射器を持ち歩き相手に刺すよりも、毒だけを持ち歩き経口摂取させる方がより確実に、より楽に決まっている。それに暗殺の標的は圧倒的に男性が多い。完全ではないにしろ、おおよその毒に抗体を持つ女の身体。両親譲りの、端正な顔。ゾルディックの娘に生まれるということは、そういうことなのだと思っている。

「でもねクルミちゃん、貴方が本当に嫌なら別の方法だってあるし、無理して成功率を下げるようならするべきではないわ」

締め切ったカーテンの隙間から西日が漏れる。女性ばかりの部屋で学ぶのは、女を武器とした暗殺方法。キュインと、聞き慣れた機械音が耳孔を擽る。強く首を横に振る。瞳につよく意思を込めて母を見た。この家で生きるためならなんだってするし、使える手があるならなんだって使うと決めた。いまはまだ未熟な身体だって武器になるというのなら躊躇いなく使う。というかいずれ使わざるを得ない状況になるだろう。
けれど私は暗殺者だ。それもゾルディックの名を背負っている。ゾルディック家の娘として相応しいやり方というのもある。品性に欠ける二流、三流のやり方ーーーいわゆる貞操を蔑ろにするような事はきっと母も許さない。性を武器にするのは、あくまで仕事の幅を広げるために、ということを忘れてはいけない。だから、線引きをした。唇くらいならくれてやる。身体を触られるくらいなら構わない。ただし貞操だけは譲らない。この家に生まれた私が、家族としてみんなと一緒に居られる最適解なんて、これくらいしか思いつかないもの。


「そろそろ髪の毛も伸ばしましょうね」

子供に言い聞かせるような、優しく絡みつく声だった。思考の海を漂っていた意識が母の声に呼び戻される。白魚のような綺麗な指が、兄とよく似た私の髪を梳く。私がずっと口を噤んでいるのを見かねた母が落ち着いた調子で言葉を続けた。

「クルミちゃん、お仕事なの。わかるわよね?」
「……うん」

とびきり優しくて、でも有無を言わさないその声は、耳からじわじわと染み込むように浸透して私の思考回路を搦めとっていく。髪の毛を兄とお揃いにすることに拘るよりも、武器として、商売道具としての女性らしさを優先させる方が大事に決まっている。何でもすると決めた。そこに一切の迷いはないはずだ。それでも、少しだけ寂しく思う気持ちがあることもまた事実だった。



▽▼▽

なんてカッコいい決意は固めたけど。私は機嫌が悪い。なんでかって、理由は簡単。ベッドから軟禁状態が解けてから半年以上もの間、私とイルミが訓練で一緒になることはなかった。復帰してすぐの鈍った身体で同じ訓練が出来るとは思ってなかったけれど、これからずっと個別の訓練しか行われないんじゃないかというくらい断絶されている。私にだけ秘匿されてるということは、大方例の念に関することなのだろうけど。ほんの少しの情報すらも遮断されているのは納得がいかない。おかしいのはそれだけじゃない。イルミもだ。私とイルミの間に隠し事なんて生まれてからひとつもなかったのに、訓練において秘密にされることが増えた。口止めされてるんだろうけど、私になら少しくらい教えてくれるんじゃないかなんて甘えを裏切られたのは割と、いやかなりショックだった。しかも一緒に訓練できない状況に不満を漏らすのは私ばかり。なんなんだ一体。この前はずっと一緒だよなんて甘い言葉を吐いてたくせに!……それはちょっと盛りすぎたかもしれないけど。約束したはずのお花見もできずに桜は散ってしまったし、川で水浴びなんかする暇もなくククルーマウンテンの木々は赤く色づいて、風が吹く度に落ち葉が増えていった。
荒んだ気持ちで廊下を突き進んでいると、壁の向こうの小部屋からひそひそと話し声が聞こえる。常日頃から気配を絶つよう心がけていたのも幸いしたのか、どうやら気づかれてはいないようだった。息を潜めて耳を澄ませば、その声はよく私を担当する執事のものだとすぐにわかった。

「週末ですか?」
「ええ、なんでもイルミ様とクルミ様、ご兄妹同士で戦わせるんですって。旦那様が仰っていたわ」

その話を聞いた瞬間、私の頭にある一つの考えが浮かんだ。盗み聞き、いや立ち聞きした話はいつもなら不公平になるからと兄にも伝えていたけど、今回ばかりは知らせる必要はない。弾かれたようにその場を去り、とある部屋に走る。イルミがそのつもりなら私にだって考えがあるのだと、溢れそうになる不気味な笑みを抑えながら廊下を駆け抜けた。

「ツボネ!」
「あらクルミ様、いかがなさいました?」

目的の部屋に行く前に執事室に向かわなければと人気のない廊下を走っていると、ちょうど探していたツボネの気配がしたのでこれ幸いと声をかける。にっこりと優しげな笑みを浮かべたツボネが振り返り、こちらの目線に合わせるためにしゃがんでくれた。

「書物保管庫の鍵が欲しいんだけど、いい?」
「ええ、構いませんことよ」
「ありがとう。あとで返すね」
「お嬢様、勉強熱心なのは良いことですが健康管理もお仕事のうちですよ」

ツボネのお説教がまた始まったと、危うく漏れかけた溜息を呑み込んだ。ツボネの指が私の目の下をやさしく撫でる。あとで温かいタオルをお持ちしますね、という声にありがとうと一言笑顔で返せば、ツボネもニッコリ笑顔のまま小言が続く。さっさと書庫に向かいたいけど、鍵を渡してくれないものだからそうにもいかない。

「少しの不調が死を招きかねません。耐性のある毒だって、お身体が弱っていれば命に関わりますのよ」
「はーい」

耳にタコができるほど聞いた言葉を遠い目をしながらうけ流す。これ以上言っても無駄だと判断したのか、たっぷりの溜息と共に鍵を渡してもらえた。

「その表情、イルミ様によーく似てらっしゃいますわ」

いつもは嬉しい一言も、今の私には逆効果だった。鍵を受け取りツボネの元を去る。書庫に向かいながら、モヤモヤする気持ちを落ち着かせるように大きな息をひとつ吐いた。我ながら子供じみた思考だって分かってはいるけど、それでも下降する気分は止められない。環境の変化に、イルミの変化に、訓練の変化。加えてここのところ寝不足が続いている。安眠ができない日が続けば、ただでさえ落ち込み気味の気分も回復するわけがない。安眠できない理由だってストレスのひとつだった。眠ろうと瞼を閉じるたび、私が殺した人間が眼裏に浮かぶのだ。断末魔と肉片と内臓と、濃密な死の香りのする夢。死んでいった者たちの怨嗟の声。慣れてきたとはいえ気分が悪いものは悪い。けれど、これらは別に問題視していない。仕事だからと身勝手にも数多の人間を殺め、それを後ろめたく思うどころか喜ぶ私の姿。問題は、それを"前の私"が拒絶することだ。初めて人を殺した時だって、なんとも思わない……とまでは行かなかったけど、こんな素人みたいに魘されることはなかったのに。この間の一件で長いこと閉じ込められていた"前の私"に触れ、記憶の奥底に眠っていた余計なものが掘り返されてしまったのだろう。混在する意識、相反する価値観がひとつの身体に渦巻いているというのはやはり疲れてしまう。この世界で、この家で、"前の私"の倫理観は不要なものだ。殺人に対して罪悪感を抱くなどゾルディック家の人間としてあるまじきこと。そういう風に育てられたのだから、そもそも罪悪感を抱くという思考回路が存在してはならないのだ。前の私と今の私が混ざり合っているこの状況が、いかに中途半端で、不純で、不自然で、不完全かということを思い知る。前世云々を隠したとしてもそんな思考を知られてしまうのが嫌で、誰にも相談できずにいるけれど、これは私の中身の問題だからと相談する気も起きないでいる。慣れればこんな風に思うこともなくなるだろうけれど、と重い息を吐いたところで書物保管庫の扉の前まで来たことに気がついた。"わたし"の薄っぺらな倫理観が早く擦り減って仕舞えばいいのに、なんて思いながら鍵を差し込み回す。ガチャリ、小気味良い音が湿っぽい廊下に木霊した。



▽▼▽

「なにしてるの?」
「ん……弱点、を、……えっ、待っていつから居たの?」
「俺の記録見てておもしろい?」
「まあ……それなりに?」

背後から聞こえた突然の声に、息を呑み我に帰る。咄嗟のことに内心ドキドキしながらも、平静を装って当たり障りない言葉を返す。どうやら熱中しすぎていたようだと気付いた頃には時すでに遅し、一番気づかれたくなかったイルミに気づかれてしまっていた。気づかれてることに気づけなかっただけでなく、私が見ていたものも、そしてその目的すら漏らしてしまう始末。こんな失態をするなんて一体どれだけ鈍っているんだと自らの不甲斐なさに腹を立てながらも、夢中で読み耽っていたファイルを、謎の後ろめたさからそっと閉じる。中身はイルミの言った通り、イルミの記録簿だった。私たちの成長過程や体調、行った訓練は日々詳細に記録され、そしてこの書物保管庫のファイルに保存されている。この部屋に来た目的はこのファイルだ。来たる勝負の日に向けて、イルミの弱点探しに勤しんでいたのだった。

「弱点くらいいつでも教えてあげるよ」
「……別に、いい」
「ふーん。ま、なに企んでるのか知らないけどさ」

ぎょろりと大きな瞳が私を射抜く。知らないけど、がえらくトゲトゲしく感じたのは気のせいじゃないはずだ。なんで私が悪いみたいになってるの?いつもよりちょっと冷たい態度になったのは、まあ少しだけ悪いと思うけど、先に隠し事をしてきたのはそっちなのに!兄の言葉がひどく身勝手に感じられて思わず言い返そうと振り向いた。口を僅かに開けたまま、続きの言葉が失われた様子の、怪訝なイルミの顔がそこにあった。

「クル、なにその顔」
「は?」
「酷い顔してる」
「喧嘩売ってんの?」
「不眠訓練でもしてるの?すごいクマ出来てるけど」
「……あのさあ、イルは久々に私の顔見たんだろうけど、結構前からこんな調子だからね」

あからさまに不機嫌を露わにした声だった。だというのに、イルミの表情は何ひとつ変化がない。言い返すつもりもないのだろうか、一向に口を開く気配すらない。眉間の皺がどんどん深く刻まれていくのがわかる。「もういい」と溜息混じりの一言を置き去りにして、逃げるようにその場を後にする。予想通り、イルミが追いかけてくるなんてことはなかった。


19/28

back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -