「旦那様!お嬢様が目覚められました!」
「クルミちゃん!聞こえる!?」
「お嬢様!」

たくさんの声が私の脳を揺らす。混濁する意識とぼやける視界の中、騒がしい周囲の様子に困惑した。どうにも頭がついていかない。一体何事かと声を出そうにも、からからに乾いた喉では発声すら難しく、唇を僅かに震わせることしかできない。朦朧とした意識の中で現状を把握しようと、目だけをぐるりと動かし周囲を見渡した。天井と蛍光灯の明かり、見慣れない部屋のベッドにいる私、身体から伸びるコードはベッドの側にある医療器具に繋がっている。慌ただしい執事達と、心配そうに私を覗き込む母の姿。私の、クルミの母さん。

「ああ、クルちゃん!大丈夫なの!?」

ぼんやりと母さんを見ていれば、ひどく憔悴しきった様子で問われたので、頷きで返す。心配をかけないように、上手く笑えていたかはわからないけれど。私の受け答えによって、母さんの顔の翳りが少し和らいだように見えた。部屋の奥にいる執事たちが更に騒がしくなったと思えば、バタンと激しい扉の開閉音がしたので音の方向を見た。どこか慌てた様子で駆けつけてくれたのは、張り詰めた雰囲気の父さんだった。起き上がろうと力を入れるも、鉛のように重い身体は思うように動かない。頭を少し動かしただけで割れるような頭痛が襲ってくる。無理をしてはいけないと執事に止められてしまった。

「声はどうだ?出せるか?」

言葉は優しいけれど、鋭く語気の強い父さんの問いかけに言葉を返そうと乾燥してひりつく喉を潤すように唾液を飲み込む。父さん、と一言かさついた声を絞り出せば、父の眉間に皺が深く刻まれた。

「自分の名前を言ってみろ」
「クルミ、ゾルディック……」
「……、何が起きたか覚えているか?」

目を伏せて首を横に振った。父さんの息を吐く音が耳に嫌に響く。まだうまく機能しない脳味噌で、朧げながらあの奇妙な記憶を振り返る。閉じ込められたあのエレベーターの中で世界が途切れてから、私は何も覚えていなかった。それからなにが起きて、どうやってこの部屋に寝かされたのか聞きたかったけれど、鈍く痛む頭と鉛のように重い身体がそれを阻む。もう少し休んでいろと、さっきよりも少しだけ和らいだ父の声を最後に、また私は深い眠りに落ちていった。


その後、わたしは何度も眠りと目覚めを繰り返すことになった。日に日に眠る時間は少なくなってきているけれど、それでも身体の倦怠感は暫く取れそうにない。寝すぎで凝り固まった首をグルリと動かして骨を鳴らす。あれからというもの、なにが起きたのかちっとも話してくれない大人たちに私のストレスは溜まる一方だった。私自身に起きたことなのに何ひとつ説明してもらえず、執事たちの険しい表情やひそひそ話からただ私の身に良くないことが起きたのだろうということしかわからない。寝てばかりで落ちる筋肉も私の焦燥感を増幅させる。そんな私の様子を見かねたのか、はたまた大人同士で話し合った結果なのかはわからないけれど、ある日私のところへじいちゃんと父さんと母さんが来てくれた。ベッドで上体を起こした私に3人の視線が刺さる。どこか気まずいような背筋が伸びるような雰囲気の中、父さんはしばらく逡巡したのちに、その重い口を開いたのだった。

「前に話したオーラは覚えているな?」

父の話はこうだった。生命エネルギーであるオーラは誰もが持ち得るものであるが、殆どの人間はそれに気づく事なく垂れ流しの状態のまま生活していること。ただ父や祖父、一部の執事のようにオーラを使いこなせる人間がいること。そしてそのオーラを使いこなす力を、念と呼ぶこと。どうして突然オーラや念の話が始まったのか怪訝に思っていれば、その答えはすぐに父の口から聞くことになった。

「単刀直入に言えば、クルミの精孔…オーラを出すための器官が酷く痛んでいる」

話は分かるけれど、意味があまりわからない。話を上手く噛み砕けない表情が表に出ていたのか、また別の視点から話が始まる。どうやら私が倒れていたのは、いつか武器庫に行く途中で迷子になったところらしい。あの時は父さんの呼びかけで引き返すことができたけど、今回はあの廊下の奥の奥に存在する部屋の前で倒れていたそうだ。たしかに私の記憶の最後にある閉じ込められたエレベーターは、以前に乗ったエレベーターと同じものだったように思う。

ここで話はまた念の話題になる。死後の念、というものがあるらしい。念を使う念能力者が恨みや未練を持ったまま死ぬと、その念は消滅することなく強く残ることがあるそうだ。それは行き場を求めて憎悪や執着の対象へ自ずと向かうのだ、という言葉を聞いて、そこでようやく大方の事情を察することができた。死後の念が、あの廊下の奥の部屋に存在しているのだ。人に恨まれて当然の稼業を代々受け継いでいる。恨むなら依頼主を恨んでくれと思う気持ちはあるが、実行犯である私達が憎悪の対象になることは当然避けられないだろう。封印されているらしい部屋の前で何故倒れていたのか。誰に聞かれても、私はわからないと首を振るだけだったが、ほんとうのところ何となくはわかっている。いわゆる、波長が合ったというやつだろう。一度死んでいるわたしの中身と、封印されていた未練がましい死後の念とが引き合ったのかもしれない。答え合わせなんて出来ないけど、その答えはすとんと腑に落ちた。どこか地に足がついていないような、ふわふわした気持ちで話の続きを聞く。

傷んでしまった精孔がある程度回復するまでは精孔を休ませること。回復するまで念を一切使うことができないこと。家族と一部の執事以外には口外しないこと。あの部屋に、二度と近づかないこと。全てに承諾し頷いた私の姿を見て、わずかに表情が穏やかになった大人たちを見る。念について気になることだらけだったけど、これ以上追及はしなかった。今はこれでいいのだと、自分に言い聞かせるように頭の中で呟いた。一時的とはいえ念を使えないという事実が、私の人生に大きく影響することになろうとはこの時思いもよらなかったけれど。



▽▼▽

締め切られた部屋に窓はなく太陽の姿は一切見えないが、壁に掛けられた時計が就寝の時間を示している。誰も居なくなった部屋で一人、やわらかなベッドの上で天井を見つめ続けていた。この部屋に閉じ込めれてから一週間ほど経っただろうか。まだ体力は万全とは言い難いものの、明日にはこの部屋を出ることができるらしい。このひどく長引く疲労感も、生命エネルギーが大量に流出したせいだと考えれば合点が行く。日中眠りすぎてしまった私の目はギンギンに冴えていた。寝付くことができずにぼんやりとしていれば、眼裏に浮かぶのはあの日の出来事だった。夕焼けの色と、死んでしまった"わたし"と、お母さんの姿。意識を失っていた間に起きた出来事は、明らかに現実ではないと思った。でも夢にしては出来すぎている。あれはあの部屋が見せた幻覚だったのだろうか。そうなのだとしたら、どういった意図でーーー

「クル」
「ヒェッ!!??」

突然現れた気配と声に驚いた私の口から、上擦った声が漏れる。寝た状態の私を覗き込むようにして現れたのは、平然とした様子の兄、イルミだった。暗闇の中ぼんやりと顔が浮かび上がっててホラー度が増している。気配を断ったまま突然声をかけるのはやめてほしい、というのは一体何度目のお願いになるだろうか。私の頭の上から下までを、確認するように視線を運ぶイルミの瞳が、もう一度私を見る。

「良かったー生きてたんだ、久しぶり」
「なんとか生きてるよ……久しぶりだね」

この部屋に入ってからというもの面会に訪れてくれたのは両親や祖父母のみで、止められていたのか兄弟には一切会えなかった。イルミの相変わらずなテンションも随分と久しぶりな気がする。そういえば私の不在に真っ先に気がついたのはイルミだったと、父から聞いた話を思い出した。

「助けてくれて、ありがとうね」
「うん。……そうだ、今日はオレもここで寝ようかな。今夜くらいずっと居てあげるよ」

嬉しい?なんてイルミが小首を傾げながら聞くものだから。愛おしさに思わず笑みが溢れる。やわらかなベッドが、ひとり分の重さを受け止め沈む。つめたい外気に晒されていたイルミの肌はひんやりとしていた。氷のような肌のつめたさを奪うように素足を絡ませ、ふかふかの布団にくるまる。こうして同じ布団に入るのは、父さんの仕事について行った日以来だったっけ。

「ふふ、うれしい。今夜だけ?」
「クルが寝たいならいつでも寝てあげるよ」
「ほんと?身体が良くなってもベッドに潜りこんじゃおうかな」
「オレたちが離れることの方が少ないんじゃない?」

内緒話のような、ちいさな声が鼓膜を擽る。動かした際に触れた手を握れば、見ない間に逞しくなったのか、イルミの手のひらが少しだけ大きくなっているような気がした。

「寒くない?」
「うん」
「突然冷え込んだよねえ」
「あー、クルが寝てる間に雪がたくさん降ったから」
「え、そうなの?」
「うん。寒冷訓練も始まったし」
「ええ、やだな。雪合戦とかならいいのに」
「動けるようになったらしようか」
「みんなでやりたいなぁ。……ね、暖かくなったらさ、みんなでお花見したいね」

突然始めた春の話だったけれど、イルミはそれを笑うことなく、きょとんと瞳を瞬かせた。広すぎる樹海の一角に、桜の木が生えているのをこの間見つけたのだ。暖かくなれば一角を綺麗なピンク色に染めるだろう。せっかくならお花見のお弁当も作ってみようかな。普段は執事に任せきりだけど、少しのおかずくらいなら私にだって出来るはず。卵焼きはあまくして、ウインナーはタコにしてみよう、だなんて考えていれば、イルミがふ、と息の漏れるような笑みを零す。

「じゃあ暑くなったら水浴びかな」
「うん。アイスもまた食べたいなあ」
「そうだね、今度は母さんとミルキも一緒に」
「そうして夜になったら、また同じ布団で寝るの。ね、完璧じゃない?」

来年も、再来年も、その次も。あてのない約束を交わしながら、ふたりぼっちの夜を過ごす。冷たかったイルミの肌は私と同じ温かさになった。そのうちどちらともなく言葉が少なくなってきて、少しずつ眠りの世界に入ってゆく。その存在を確かめるように握りしめた手は、朝まで解けることはなかった。

いつまでも一緒に、なんて夢見がちなことを言うつもりはないけれど、せめて二人一緒に居ることが許される間だけは。


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