落札の拍手が響くホールの時間が止まったのは、会場を警備するガードマンの異変からであった。落札を告げるハンマープライスが鳴り響いた次の瞬間、それは訪れる。断末魔すら上げることなく地に伏すガードマンたち。その左胸には、穴がひとつ空いている。会場の大多数の人間が異変に気が付いた時には、既に片手を超える人数を殺めていた。イルミの分も合わせればほんの数秒で両手を超える人数だ。最初にこの手が人の身体を貫いたときは無我夢中で感覚なんて実感する余裕はなかったけれど、自分でも驚くほどに冷静な頭は過敏なくらいに情報を感じ取る。鋭く伸びた爪の先がぷつりと皮を破り、生温かい肉を割り開きながら侵入し、肋骨の間を縫うようにして脈打つ心臓を貫くのだ。溢れ出す液体の火傷しそうなくらいの熱さは、燃え尽きる命の熱量だと思った。生き物の持つ温度以外は、我が家の訓練用の人形とそれほど変わらない感触。血飛沫をあげることなく、栓を失った胸からごぽりと溢れ出す鮮血。倒れ方も人形と同じようにパタリと倒れるものだから、こんなものかと拍子抜けしてしまう。命を奪うことはこんなにも容易い。命が終わる感触は、こんなにもあっけない。常人には視認できないくらいの速度で絶え間なく動き続けていた私は、警備員を全て仕留め終えたのを確認する。次のターゲットを見定める為に一度立ち止まり辺りを見渡せば、ようやく私を認識した大勢の人間の目が集まる。驚愕、畏怖、恐慌、狼狽、怯懦、呆然。この人生で初めて受ける類の視線を一身に浴びる。胸中を占めるのは、得体の知れぬ興奮とゾクゾクするような高揚感だった。血が騒ぎ、肌が粟立ち、心が踊る。背筋を走る戦慄に身を任せれば、訓練の時とは比じゃないくらいに身体がよく動いた。

「何してる!?さっさとガキを殺せ!!!」

いち早く我に帰った1人の男が唾を飛ばしながら叫べば、ハッとした周囲の人々が懐から銃を取り出す。殺せと叫んだ顔のまま、男が喋ることはもうない。一瞬にして倒れた男を見て恐慌状態に陥った人々が、叫びながら私に向かって銃弾を乱射する。兎の跳躍のように飛び上がって躱せば、轟く発砲音と断末魔、悲鳴、呻き声。こんな人が密集しているところで銃を乱射するなんてと呆れてしまう。ちょっと考えればわかるだろうに、結果仕事量が減って楽にはなったけど。武器を持つ人間を優先的に、わたしに立ち向かう人、逃げ惑う人、隠れて息を潜める人、それらすべてを見境なく、躍るように次々と心臓を貫いていく。中には猛獣の檻に飛び込み死んだ者もいた。この空間で息づく気配が何処に幾つあるのかがわかる。ここから離れた場所で動くイルミの行動も、手に取るようによくわかる。

「ま、待て、待ってくれ!」
「……なに?」

神経質そうな細身の男だった。待ってくれと懇願しておきながら、意思疎通ができるのかとでも言いたげな表情に、少しだけムッとして眉根を寄せる。なんで待っちゃったんだろう。命乞いなんてされたところで聞けるはずがないから時間の無駄なのに。

「俺は違うんだ、学者で、絶滅種の保護の為に……!!!」

やっぱり時間の無駄だったと、閉口しながら彼の胸を貫いた。私が正義のヒーロー面してマフィアを殺してるようにでも見えたのだろうか。正当な理由があれば殺されないとでも思ったのだろうか。私にとって善人も悪人も関係がないのに。ここにいる人間は一人残らず、殺すだけなのだから。
───そんな事を考えてしまうあたり私はまだまだ未熟なのだろう。仕事中思考が逸れること自体、本来あってはならないこと。だから何も聞くべきじゃないし、聞いたとしても感じるべきじゃない。雑念は、いらない。床に散在する屍を避けながら、随分と静かになったホールを歩く。噎ぶような死の香りが身体中に纏わりつくのを肌が感じ取る。密かに聞こえるだれかの浅い呼吸音。まだ残る気配を探してはその灯火を消す、そんなしらみつぶしのような作業をしていた時だった。ざわりと、肌を嫌な感覚が撫ぜる。焦燥感が駆け巡る方へとすぐさま目を向ければ、二階のテラスに一人の男がいた。隠れるようにライフルを構えるその男。鈍く黒光りする銃口の向きは、ここから遠く離れた兄の方へと向いていた。よくも、よくも私の大切なイルミを狙いやがって! 忌々しく口元を歪めながら引き金に手を掛ける男の姿を最後に、わたしの記憶は途絶えている。覚えているのは、燃え上がるように赤い視界だけだった。それが憤怒からくるものなのか、それとも返り血だったのかは、よくわからないまま。


▽▼▽

「クル、もう死んでる」
「こいつが、イルミを狙ってたから」
「うん。でももう死んでるから」
「でも」
「クルミ。オレの方向いて」

むいて、向いて?イルミの方を。くろい両目を見る。視線を合わせる。瞳の中を覗き込む。澄み切った夜の湖畔を思わせる、どこまでも吸い込まれそうな黒いまなこ。その中に私が映り込んでいるのが見える。瞳がきらきらと光っていたは、シャンデリアの輝きが反射していたからだろうか。途端にスッと、頭に上っていた血が下降していくのを感じる。胃の腑が覆るような感覚。靄のような感情に覆われていた思考回路がクリアになると共に、ようやく認識した目の前の光景に叫びだしたくなる衝動に駆られた。イルミを狙っていた男はもはや原型を留めておらず、ただの血だまりの中に存在する肉塊と化していた。最初にいたと記憶していた場所から随分と離れた廊下の端にいる。追い詰めるような形で殺したんだろうか、行き止まりの壁が近づくにつれ汚れが酷くなっているのがよくわかる。すこし前まで人間を構成していたであろう物体が壁や床に飛び散っていて、むわりと噎せるような生臭い血の匂いが充満していた。身に纏っていた白いシャツはその面影がないくらいに汚してしまっていたし、鋭く伸びていた爪の中も人体の残骸が詰まっていて気持ちが悪い。靴の中にまで生ぬるい血が浸っていて気分は最悪だった。血が、というよりも、見知らぬ人間の体液に塗れていることが気持ち悪くてしょうがない。血生臭い肺の中の息を出し切って、乾燥しきったカラカラの喉から声を絞り出す。

「……ごめん、落ち着いた」
「いいよー」

間延びしたイルミの声にすこしだけ安堵する。みっともなく我を失ったことに気恥ずかしさを感じるが、目をそらすことはできなかった。やがて正気を取り戻した私の目を確認したイルミが、何事もなかったかのようにゆっくりと視線を外す。顔についた血を汚れた手で拭い、血液で張り付いた髪の毛を掻き上げた。初仕事で、よりによって我を忘れるだなんて。ああ恥ずかしい。穴があったら埋まりたい。イルミの全身は綺麗なまま、手元をほんのすこし赤に染めているだけだというのに。わたしといったら返り血がついてないところを探す方が大変なくらいに汚してしまっていた。せめて父さんには内緒にしていてほしい、なんて愚かにも思ったけれど、この格好じゃ到底無理な話だ。下手に取り繕うのは諦めようと遠い目をする。

「イルミはすごいね。無駄がないっていうか、的確?」

仕事を終えた後の、自分たち以外に生きてるものが居ない空間を歩き廻る。自分が我を失う前に作り上げた死体と、兄の作り上げた死体は大差がないようでやっぱり全然違うと思わず唸る。そんな感心するような独り言を漏らせば、足音なく軽快な足取りを刻んでいたイルミが突如歩みを止め、踵を返したかと思うと「はい」という一言と共に頭をこちらに差し出してきた。突然のことに呆気にとられる私の視界に、最近ちょっぴり伸びた黒髪が揺れる。最近は減ってきたものの、イルミが頭を差し出すのはよく見慣れた動作だった。いつもみたいにその頭に手を伸ばそうとして、自分の手の汚さに動きが止まる。あらかた乾いてるとはいえ、人の身体に触れるのを躊躇う程度には汚い。行き場をなくした手を彷徨わせていれば、瞬きひとつしないイルミの目が催促するようにこちらを見つめた。

「撫でないの?」
「手汚いから、髪の毛汚れちゃう」
「別にいいよ」

その一言ともに、イルミが一歩近づいてきて私の手に柔らかい髪の毛と頭が触れる。観念した私は、久しぶりの兄の頭の感触を楽しんだ。イルミは凄いね、再びそう呟けば胸の奥底がぐらぐらと煮立つように熱くなった。鼻の奥がつんと痛む。胸が圧迫されるような、締め付けられるような感覚に息がしにくい。視界がぐにゃりと滲みはじめてきて、その情けなさに顔を俯かせるしかなかった。そんな私の頭にぽんと何かが乗せられて、髪の毛を梳くように撫でられる。私の異変に気付いたイルミの手だった。言葉はひとつもないけれど、どこまでもやさしいその感触に、泣くまいと我慢していた最後の砦が崩されてしまう。最初の一滴が溢れてしまうと、堰を切ったようにとめどない涙が溢れてきた。自分でもわけがわからないまま溢れ出した液体がポタポタと床に落ちる。胸を突き上げる張り裂けそうな感覚に呼吸が乱れた。熱を持った眦から頬に伝う涙のあとがヒリヒリする。なんで私泣いてるんだろう、本当に最後まで情けない。

「クルは頑張ってるよ」
「……うん」

ありがとう。嗚咽混じりの消え入りそうな声でそう言えば、撫でるのを止めたイルミが今度はおいでと言わんばかりに手を広げる。それを見た私はイルミに躊躇いなく抱きついた。なんだかこうして抱きつくことも久しぶりな気がする。前よりも成長した背中に腕を回し首筋に顔を埋めれば、イルミの匂いが鼻腔に広がり、心が落ち着くのを感じる。温かい人肌のぬくもりが、私の緊張した身体をほぐしてくれた。

「早く泣き止んでよ」
「うん」
「クルミの泣き顔見てるとオレが泣いてるみたいで嫌なんだよね」
「イルミはもうちょっと泣いた方がいいよ」

感情がちっともわからない鉄面皮、と思われるかもしれないが、実はあれでいて表情豊かだと私は思う。声を出して笑いもするし、不機嫌な時は眉を顰めて、大きな目元を忌々しそうに歪めたりもする。それでも泣き顔は滅多に目にしなかった。昔から我慢強い子だとは思ってはいたが、イルミが物心ついた頃にはもう、生理的な涙を流しているところくらいしか記憶にないんじゃないかと思い返す。
父の気配を近くに感じた時には、私はすっかり泣き止んでいた。とはいえ泣き腫らして腫れぼったくなった目は誤魔化しようもないけれど。気配を察知して父を出迎える私とイルミ。ホール全体を一瞥したあと、父の鋭い目線が私たちに刺さる。ほとんど仕事前の状態のままの兄と、仕事前の面影が消え去っている私。思わず顔を俯かせてしまいそうになるけれど、泣き腫らした目と酷い汚れのまま父さんの顔を見つめた。父の目に私の姿はどう映っているのだろうか、なんて考えると足元が崩れ落ちそうな感覚になる。次に告げられる言葉を待ち構えて、思わず握りしめた拳に爪が食い込んだ。

「初めてにしては上出来だ。よくやったな、次も期待している」

ぽん、といつかの日のように父さんの両手が私たち二人の頭に乗せられた。咎められるどころか私の有様に触れられることすらなくて拍子抜けしてしまう。父がそれ以上口を開くことはなかった。そのまま何事もなくホールを後にした私たちは、我が家の所有する黒くて細長い車に乗り込んだ。車内に入ってすぐに執事に身体を綺麗にしてもらい着替えを済ませてから、同じく着替えを済ませたイルミの隣に吸い込まれるように腰掛ける。やわらかな座席に座ればもう立ち上がれなくなるような気さえした。深く息を吐けば鉛のような疲労感が全身を包む。私とイルミはお互い無言のまま、なんとなく手だけを繋いでいた。眼を瞑れば、今日始末した標的達の最期の姿が瞼の裏に映る。ほんの数時間前の事のはずなのに随分と昔のことのように思えた。映画のように一方的に脳裏に流れるそれをただ見つめていれば、だんだんと意識が遠のいていくのを感じる。移動する車の揺れの中で心地よい疲労感に身を任せれば、泥のような微睡みの中に落ちていった。


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