とうとう明晩、私たちは初仕事を迎える。山の麓の樹海の果てにある、あの途轍もなく大きくて重たい我が家の門を開ける日が来たのかと思っていたが、向かった先は前回と同じ飛行場だった。今度は母さんだけでなく、その腕に抱かれたミルキもお見送りしてくれたので、二人にいってきますの挨拶をしてから飛行船に乗り込んだ。父は別件の仕事で一足先に現地へ到着しているようで、私たちが仕事の詳細を聞けるのは当日朝ということになった。相変わらず執事は何も教えてくれず、唯一の情報は今日の晩だという到着時間のみで行き先は聞かされることはなかったが、この機体は空港へ向かっているという執事の会話をこっそりと盗み聞きしたのだ。前回は着陸もしないまま上空から地上へと降り立ったが、今回はちゃんと空港に着陸するようでホッとした。向かう先はリンゴーン空港というところらしい。確かヨルビアン大陸の西側にある都市、ヨークシンシティ付近にある空港だった気がする。早速その情報をイルミに伝えれば、窓の外を見るように促される。時間的にもうすでにヨークシンシティ周辺を飛んでいるのだろう。私たちが住んでいるパドキア共和国よりも随分と都会らしく、飛行船から見える景色は一面煌びやかな夜景で埋め尽くされていて、その美しい光景に私は思わず嘆息したのだった。


▽▼▽

輝かしい朝日に照らされて、私たち二人と引率の執事が横並びに電車に座る光景は、なんともシュールなものだ。この人生では初の電車体験になるが、以前から私がよく知ってる電車となんら変わりなく懐かしいきもちになる。今日の服装はこの前より幾分かラフなセミフォーマルだった。スタンドカラーの白いシャツは2人ともお揃いで、イルミはそれにすっきりした薄手の黒のベストを重ね、同色のハーフパンツを身につけており、そこからすらりと伸びる華奢だが筋肉質な脚に目を惹かれる。男の子から少年へと変わりつつあるイルミの身体によく似合っていると思った。私はシャツの上から細身の黒いリボンを結んで、下は夜によく馴染む色をしたハイウエストスカートだ。最初はもっと華美なものを母親に提案されたが、奮闘の結果なんとか大人しめのものを着せてもらえてよかった。本当なら汚れるし訓練で着ているような服が良いと主張したけれど「なら汚さなくちゃいいじゃない、返り血を浴びるのは未熟な証拠よ」なんてにこやかに、かの有名な王妃を思わせるような口振りで言われてしまった私は閉口するしかなかったと思う。先日の母の楽しそうな高笑いが今も脳裏を過ぎった。そんな電車にミスマッチな格好で乗っているからか、まあ二人ともおめかしして可愛らしいわね、なんて周囲の微笑ましい視線がくすぐったい。電車に乗る練習をするのならせめて周りに馴染む格好で居させてくれと心底思った。早く目的地に着けと念じていれば早々に降りる予定の駅に着き、そこから執事に連れられてまもなく父さんが滞在しているホテルに到着する。辿り着いた先は一人で滞在するにしてはあまりにも大きすぎる、最上階全てが一室のスイートルームだった。もうこれくらいじゃ驚かない私の金銭感覚はとうに麻痺している。

「さあ、お父様がいらっしゃるまでこちらでお待ちください」

そう執事に言われ、応接間のソファーに腰を下ろす。肝心の父はまだ外出中らしいが、淹れたてのお茶を飲みながら時間を潰していればすぐに部屋の主が帰って来た。久しぶりの父との再会の挨拶と会話を交わした後、早速だが、と父が革張りのソファーに腰掛け話を始める。父の一声で仕事モードに切り替わった雰囲気に思わず背筋を伸ばした。

「ヨークシン……ドリームオークション?」
「そうだ。ここでは9月から10日間、ヨークシンドリームオークションと呼ばれる世界最大の競売が行われる。つまりこの期間は街一帯、オークションが至る所で開催されるんだ。一般向けの競売も多くあるが、俺たちが関わる仕事は専ら地下競売市、非合法のアンダーグラウンドオークションだな」
「それで、どういう仕事なの?」
「二人で出来るようなお仕事?」

説明を聞きながら、イルミが待ちきれないといった様子で仕事内容の説明を急かしたので、私もそれに続く。緊張か興奮か、心臓がバクバクと煩かったけれど、声だけは震えないように、上擦らないようにと腹に力を入れた。

「ああ。一人なら暗殺の方がいいと思ったが、今回タイミングよくお前たちにも出来そうな仕事が来た」

本来俺たちの仕事の割合を多く占めるのは暗殺だが、初仕事ならばお前たちが前回見たような殲滅の方がイメージがしやすくていいだろう、と父は続ける。確かにある特定の一人を探し出して暗殺のタイミングを計り、命を奪ったうえで誰からも見つかることなく姿を消すことよりも、閉じ込めた多数の人間を見境なく殺めた方が実は簡単なのかもしれないと思った。

「今回の仕事はあるオークションハウスの殲滅だ。もちろんアンダーグラウンドのな。運営、客、護衛全ての人間の抹殺。他に条件は一つだけ、オークションに出品された商品に傷ひとつ付けないことだ。時間は20時から開催される。仕事を始めるタイミングは任意だが、出来れば24時までに全てのけりをつけたい。そうだな、23時までにこの無線機の合図を鳴らすことができればベストだ。侵入経路は何通りかこちらで選んでおいた。どれにするかはお前たちで好きに選べ」

質問はあるか?と聞かれても、つらつらと並びたてられた情報を処理することに精一杯で何も返せなかった。そんな私たちの様子を見てか、父がふ、と息を吐くように笑う。

「そう緊張するな。難しい仕事じゃないんだ、経験することが大事だと思えばいい。……だが、仕事に生半可な気持ちで取り組むなよ。この家の名を背負っていることを忘れるな」

飲み込んだ唾液の音が、乾いた部屋に嫌に響いた。暖色系の照明に照らされた父の双眸が鋭く光る。少し気が紛れたような、寧ろ緊張が増したような。仄かにピリつく空気に居住まいを正していると、ふと父が何か思い出したように立ち上がり、ここから少し離れた位置のデスクへ向かった。こちらへ戻ってくる父の手に握られていたのは二枚の紙だ。ちらりと紙の向こうを除けば、父の鋭い視線が紙面をなぞっているのが見えた。

「こいつを渡しておこう」
「これは……?」

渡された上質な紙に刻まれた預金残高の文字。名義人はクルミ=ゾルディック。そこに記されていたのは紛れもなく私の名前だった。

「最初の入金は前回のアシスト料金だ。二人で半分ずつ入れてある。その下が今回の前払い金、と言ったところだな。今回は紙面で出したが、次回は自宅の端末からも残高が確認できるようにしておこう」
「今回はともかく、前回は貰えないよ」
「何故だ?」
「だって……あれはお仕事じゃなかったし、あの時はパパのお仕事について行っただけだから、こんな大金貰えない……」
「報酬は労働の対価だ。幾らだろうが労働に見合った対価の受け取りを遠慮する必要はない。貰っておけ」
「……はい」

父の強気な口調に押し黙るしかなくなった。私と父が会話している間、一切口を開かなかったイルミが手に持った紙を折り畳み仕舞ったので、私もそれに習って折り畳む。それを確認した父が一呼吸置いたのち、言葉を続けた。

「暫く時間が空くが、どうする?」

仕事の時間である今夜までには、まだたっぷり時間がある。早めに見積もって夕方には目的地に行くつもりだが、それでもまだまだ日が高い。でも私たちだけで外に出るわけには行かないだろうし、忙しい父の邪魔は出来ないので大人しく部屋で待機するしかないだろうなあとぼんやりと思っていた。そんな空気を察してか、父がやや言葉を探すような素振りを見せたあと、少し外に出てみるかという提案をしてくれる。予想だにしていなかった嬉しい提案に、私たち二人は即座に返事を返す。なんせ私たちにとってはこれが初めての巷のお出かけなのだ。テンションが上がらないわけがない。

9月になったとはいえまだまだ残暑が厳しい季節、普段涼しい山頂で過ごしている私にはやっぱり蒸し暑く感じる。父さんもイルミも涼しい顔をしてるから顔にも言葉にも意地でも出さないけど。耐熱訓練なんてのも受けてはいるけれど、暑くないのかと言われればそれはまた別の話だ。飲み込まれそうな人混みに揉まれながら、大賑わいの競売市をぶらりと見て回り、目的もなく歩みを進めていた。大勢の他人の中に紛れることには少し慣れてきたが、相変わらずこの服装といったら浮きまくって仕方がない。ファーストフード店にドレスコードで来ているようなものだと肩身の狭い思いをする。TPOって大事だなと改めて実感した。いつもの仕事着の父さんに手を繋がれぶらぶらと三人で歩いていれば、道端にいくつかのテーブルパラソルとチェーン店のアイスクリームショップが見える。販売促進する女性店員の高い声が耳に入り、思わず視線を向けてしまった。するとバッチリと店員のお姉さんと目が合ってしまう。

「こんにちは!よかったら試食どうぞ!」

まさか話しかけられるとは思わなくて、突然のことに言葉を失う。家族と執事以外の人間に初めて話しかけられてしまった私は、咄嗟にどういう返しをすればいいのかわからなくなってしまっていて。固まる私に向けられるお姉さんの溢れんばかりの笑顔が眩しくて、思わずイルミに助けを求めるような視線を送ってしまった。

「食べたいの?」
「……えっと、」
「父さん、クルがアレ食べたいって」
「ああ、アイスか。時間はあるな、折角だから寄っていくか」
「あ、ありがとうパパ……」

あれよあれよという間にアイスを食べることになってしまった。子供みたいなおねだりをイルミを通して頼んでしまったみたいで、少し頬が熱くなるのを感じ俯いてしまう。別にアイスが食べたかったわけじゃないけれど、イルミと父さんのせっかくの好意を無下にするわけにもいかないし。というか実際嬉しいし。ちょうど暑さも感じていたし、家で食べられないようなものも食べてみたかったという気持ちも実はあったのだ。どれがいいか聞かれたけど、決めきれずに浮かれていた私は安直におススメを選んでしまう。結果三人一緒の味になったがそれも楽しかった。お姉さんに渡されたコーンの上に乗っけられた、カラフルなアイスに目を輝かせる。嬉しくてアイスを持つ手に思わず力が入ってしまったのか、コーンにヒビの入る音がする。コーンが割れてしまわないように、力を入れすぎないようにしなければ。コーンの上のアイスはピンク色のマーブル模様で、上にカラフルなチョコレートがトッピングされていて、そんな些細なことでテンションが上がった。我が家で出るデザートは全て一級品の高級品、原材料全て厳選されてるのでチープな甘味料一切使用しておりません的なノリなので、こういうお手頃アイスが懐かしい。パラソル付きのテーブルに腰掛け、いただきますと小さく呟く。ペロリと舐めるとひんやり甘く、思わず口角が上がった。じんわりと熱を持っていた身体を、甘くて冷たいアイスが冷やしてくれる。味で言えば我が家のデザートに敵うはずがないけれど、それでもとても美味しく感じたのだった。

「いい笑顔だね〜!パパとお買い物かな?写真撮ってもいいかい?」
「ハイポーズ!」

パシャリ。突如二人組の男性に話しかけられたと思ったら、不躾なシャッター音が響く。言葉は許可を得るような形にはなっているものの、こちらが承諾を出す前に写真を撮られてしまった。なんて強引な手口なんだ!と思ったけど、ちゃっかり笑顔を作ってしまったので何も言えない。日頃執事に写真を撮られすぎて染み付いた行動になっていたのだと言い訳をさせてほしい。

「お、良く撮れてるよ!」
「一枚サービスするから1000ジェニーでどうだい?」

商魂たくましすぎる二人の写真屋はニコニコ笑顔のまま父に畳み掛ける。あの父さんにこんな口を聞く人間がいるなんて。家族の私が言うのもなんだけど、泣く子も黙る天下のゾルディック家当主に写真を売りつける人間、という構図にヒヤヒヤしてしまう。隣のイルミはどこ吹く風でアイスを食べ続けている。せめてちょっとは関わってくれ。どこまでも我関せずなその神経が心底羨ましかった。変な汗をかきながら父と写真屋を交互に眺めていれば、父がポケットから1000ジェニーを取り出して男たちに渡す。まいどあり、楽しんでいってね!と二枚の写真を1000ジェニーと引き換えに父に渡し、また別のターゲットを探しに人混みに消え去る二人を見送った。何事もなかったことに安堵して、暫くポカンと呆気にとられていたら、冷たい液体が手に垂れてきて我に帰る。溶け出したアイスクリームのピンク色が白いシャツを汚してしまう前に、紙ナプキンを手に当ててコーンから溢れた部分を舐めとった。

「たしかに、良く撮れているな」

写真を一目見た後に小さく笑う父さんが、私とイルミに一枚ずつ写真を渡してくれた。観光地とか遊園地でよくあるような折りたたみフレームが付いていて可愛らしい。忘れずに父さんにありがとうを言ってから写真を眺める。咄嗟にしては上手く笑顔を作った私に、口元にアイスをつけたままのイルミ、大きな手でアイスクリームを持っている姿がなんだか可愛らしく写る父さんの姿だった。そういえば仕事で家を空けがちな父さんとの写真はあまりなかったような気がする。たぶんこれが、初めての三人の写真だ。失くさないように、念のためにと持ってきたポシェットを開き、預金残高の紙と一緒に大切に仕舞う。

「ね、パパ」
「どうした」
「アイス、ママに買って帰れないかな?せっかくだから、初めて貰ったお給料をお土産に使いたいの」
「それはいいが、家に帰る頃には溶けるだろうな」
「そうだよね……」
「他に持ち帰れるものを探せばいい。仕事終わりにまた来れるさ」

父の言葉に頷いて、母さんと出来ればミルキへのお土産について思案を巡らしていると、イルミがちょんちょんと私の肩を小突く。おもわず首を傾げれば私の耳元へと近づくイルミの顔。母さんが羨ましがるだろうから、今日のことは内緒にしたほうがいいのかもしれないね。そんな耳打ちをするイルミにそうだねと返事を返す。今度アイスを食べるときは、家族全員で食べられたらいいなと思いながら、最後のコーンを口に放り込んだのだった。


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