「お嬢様、クルミお嬢様!おはようございます!」
「おはよう。今日は随分早いんだね」
「ええ、ミルキ様がお生まれになりましたよ!」
「本当!?」

朝の身支度の途中、着替えようとしていた私はパジャマのまま部屋を飛び出した。裸足のまま走って向かう先は母が休んでいる部屋だ。だんだんと部屋に近づくにつれ、部屋から漏れ出す元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえる。はやる気持ちを抑えながら扉をノックするも、応えが返ってくる前に扉を開けてしまった。

「ママ!」
「クルちゃん!来てくれたのね!」

部屋の中央、大きなベッドで休む母さんはいつもより疲れた様子だったけど、産後だとは思えないほど元気があるようで安心した。「ミルキちゃん、お姉ちゃんが来てくれたわよ」と柔らかい声で話しかける母は、隣のベビーベッドで泣き続ける赤ちゃんを抱き抱える。急いで駆け寄って、お行儀の悪さなんて考えずにベッドに腰掛けた。

「さあクルミお姉ちゃん、ミルキちゃんよ」
「ミルキ、おねえちゃんだよ〜っ!」

ミルキと名付けられた弟は、やわらかくて、ぷにぷにで、ふわふわな赤ちゃんだった。まだ薄っすらとしか生えていない髪の毛や、涙の膜が張っている瞳の色は私たちと同じ黒色で。ふわふわの頭をやさしく撫でれば、大声で泣いていたミルキの泣き方が次第に大人しくなっていく。母が微笑ましいものを見るような穏やかな表情で、ミルキはお姉ちゃんが好きなのね、なんて言うものだから愛しさが溢れて止まらない。抱っこしてみる?という誘いに即答で答える。大事な大事な宝物をそっと壊さないように抱き抱えれば、温かな体温に心が暖まる。こんな小さい生き物が生きてるなんて不思議だなあと思う。柔らかい頬とミルクの匂いにしあわせな気持ちになる。自然と口角が上がって、ミルキとやさしく名前を呼べば、さっきまで大粒の涙を溢れさせていたミルキはすでに寝息を立て始めていた。

「えらいね、いい子いい子……」
「ふふ、クルミったら、もうすっかりお姉ちゃんね」
「オレが抱っこしたときは泣き止まなかったのに」
「わ、イルミもう来てたの?」
「クルミが来るの遅いんだよ」

聞けばイルミは産まれたすぐ後に駆けつけたらしい。私も起こしてよと文句を言えば忘れてたと返された。なんだかんだ言ってイルミも弟の誕生を楽しみにしてたんだなあ。わたしの兄も弟も最高にかわいい。既にブラコン全開の思考でいれば、殺しちゃダメだよだなんて爆弾発言が兄の口から飛び出す。ひっくり返りそうになりながらも殺さないよと返せば、家族だからねと小さく呟くイルミ。流石暗殺一家の長男だなと変に感心しながら、すっかり眠り込んだミルキをそっとベビーベッドへ降ろせば、人肌が恋しいのかミルキがまた愚図り始めた。今度は自分の番だとばかりにイルミが抱きかかえれば、再び機嫌を直し眠り始めるミルキ。繰り返すがわたしの兄と弟が最高にかわいい。今度カメラを持ってこなければと思っていたら背後に控えていた執事が母さんの指示で連写していた。あとで焼き増ししてもらおう。そんなことを考えているとふとベビーベッドに目が行く。ベッドの傍に取り付けられた機械を見ればミルキが愚図っていた理由がわかった。産まれたての赤子に通電は辛すぎるでしょ。そりゃベッドに降ろせば泣くはずだと皆の視線が逸れてる隙を見計らって電流を操作した。触って少しピリピリくるくらいに弱まったのを確認する。イルミがミルキを抱えながらジト目でこっちを見ていたので屈託のない笑顔を返せば呆れたような顔をしていた。電源オフにしたわけじゃないんだから別にいいじゃないか。

「そういえばクルミちゃん、パパがお仕事まで時間あるからって呼んでたわよ!武器庫にいらっしゃいですって」
「ありがとうママ!ちょっと行ってくるね」

父からの伝言を聞いた私は、物言いたげなイルミの視線から逃げるように部屋を飛び出す。父を待たせてはいけないと階段ではなくエレベーターに向かい走る。イルミに武器の使用を勧められたあとなんだかんだ気になっていた私は、父に相談するとひとつのノルマを与えられた。大量にある動く人形の心臓を、肉体操作で奪っていくタイムアタック形式のものだった。当時のスコアを大幅に上回るノルマを設定されたが目標があるとやはり燃え上がるもので、設定ノルマを飛び超えて、先日設定されたノルマの上を行くイルミのタイムに僅差で並べるようになってきたのだ。これには執事も母もびっくり大喜びで父にも報告したところ、よくやったなと褒められた私は、めでたく武器庫への入室を認められ今に至る。武器庫と呼ばれる部屋はどうやら地下にあるらしく、下降するエレベーターの中で胃の腑が浮くような浮遊感を感じながら、数字が増えていくモニターをぼんやりと見ていた。地下を指す数字が二桁になったころ、表示されていた数字が突如消えたかと思ったら、ガゴンと僅かな衝撃とともにエレベーターの下降する動きが止まる。やだなあ故障かな。普段エレベーターなんて使わないんだから横着せずに階段で降りれば良かった。階数パネルの一番上、一体誰が出るのかわからない呼び出しコールを押そうとした瞬間、モーターの回るような機械音が聞こえ、固く閉ざされていたエレベーターの扉が開く。

「えっ……?」

そこは我が家によくある、岩肌の壁に囲まれた一直線の廊下だった。最低限の灯りしかなく、奥へと行くにつれ暗くなっている。ぽっかりと口を開けているかのように続く空洞。他の階の大して変わらないはずの空間が酷く薄気味悪く感じた。目指した階ではないどころか、階と階の中間で止まった、存在するはずのない空間。この空間を一言で表すならば、異質。その単語に尽きる。幾ら待てどエレベーターの扉が閉まることなかったが、僅かに震えるエレベーターから一歩足を踏み出せば、狭い箱から吐き出されるように身体が弾き出された。まるで私が降りるのを待っていたかのように即座に閉まるエレベーターの扉に少し腹を立てる。ひんやりとした空気だった。下へと降りるボタンも階段もない不自然な空間に言いようのない不安を感じながら、一歩一歩足を進めた。吸い込まれるように奥へと進むにつれ、空気が徐々に重くなり身体に纏わりつくものへとなっていく。引き返したほうがいいと私の頭が強く警告しているが、何故か呼ばれている気がして、前へと進む足を止めることができなかった。暗闇でもある程度動けるはずの私の目でも、数メートル先は闇しか見えない。常に消音を心がけているが、反響を利用するため硬い石畳を踏み鳴らしながら廊下を歩んでいると、この廊下のような空間の終焉が近づいているのか、音が篭ったものへとなっていく。おそらく階段ではなく行き止まりだ。空気が重くなってゆく。この先には何があるのだろう。何が私を呼ぶんだろう。この先に答えがある気がして、一心不乱に前へと進んでいた、その時。

「クルミ!」
「!!!」

飛び跳ねる心臓。私の名を呼ぶ声は父さんの声だった。ハッと我に返り父との約束を思い出す。私はどこに行こうとしていたのだろう。早足でこちらに近づいてくる父に、踵を返し駆け足で近寄る。

「パパ!吃驚した……!」
「どうやって此処に来た?」
「エレベーターが故障しちゃったみたいで、降りたらエレベーターが行っちゃったから……階段探してたの」
「本当か?」
「本当、だけど……」

真剣な顔の父に、鼓動が早まり冷や汗が出たができるだけ平然とした顔を保てるよう努める。怒られているわけではない、とは思うけど、ここにいることが好ましく思われていないことはわかった。戻るぞ、という言葉に頷き、後ろをついて行こうと思ったけれど何処か心細さを感じて、よくイルミにするように父の手を掴んだ。少し意外そうに父さんは私を見るが、握り返してくれた大きな手を強く握りながら、後ろを振り返らないよう来た道を戻って行った。エレベーターのところへ戻ると、父さんが乗ってきたであろう扉が開かれたままに止まったエレベーターがある。無言で乗り込んで、武器庫がある階のパネルを押す父さんの姿を見ながら口を開いた。

「パパ、あの……ごめんなさい…………」
「あの部屋のことは忘れろ。いいな?」
「うん……」

何か、触れてはいけないことだったんだ。代々続く暗殺家業の我が家には、何があっても不思議ではない。自ら行ったわけではないけれど、後ろめたさを感じて下を向いていれば頭上に父さんの手が乗せられる。少し荒めに頭を撫でられて、ホッとしたようなきもちと、言いようのない不安と、なぜか後ろ髪を引かれるようなきもちがごちゃまぜになってきもちのわるい動悸が止まらなかった。

▽▼▽


目的階の到着を示す機械音に顔を上げる。先にエレベーターを降りる父に遅れないよう、小走りで後をついていく。頑丈な扉の前の前で立ち止まり暗証番号式のセキュリティを解除する父。ガチャンと音がしたと思ったら、解鍵された扉が両サイドに、自動的に開く。

「わあ……!」

部屋一面見渡す限りの武器、凶器、鈍器、兵器、暗器。武器庫の名に相応しく一面に占める武器の数々に感嘆の声が漏れる。壁にかかっているものから台の上に展示されるものまで、拳銃や刀剣など古今東西の武器が無機質な広い部屋を埋め尽くしていた。部屋に一歩踏み入れると、独特な機械の油のような匂いが鼻に付く。軽快な足取りで部屋を見て回っていると不意に父さんと目が合い、子供のようにはしゃいでいた私は(実際子供なのだけれど)、ふと我に返り少しだけ恥ずかしくなった。

「武器、使いたいか?」
「うーん、使うかはわからないけど、イルミが使ってたから……」

そうか、とだけ答えた父の顔を伺うように見る。べつにどうしても武器がほしいというわけではなく、なんとなくイルミが使ってるからわたしも、という実に主体性のない理由だ。己の肉体が最強の武器派の父にとってはあまり良く思われないかもしれない。そんな考えを見透かすかのように父が言葉を続ける。

「そうだな……お前たちの場合、愛用の武器というのを作っておくのも悪くない」

どういう意味だろう。私たちがまだ未熟だから武器を使うのもいいだろう、という意味には取れなかった。どこか保険をかけるような言い方に引っかかるものを感じたが、思案する父の思考を計り兼ね、言葉を返すことが出来なかった。真意を聞いたとしても語ってはくれないだろうと思ったからだ。目線を武器にのみ注ぎ流し見していると、無機質な壁に溶け込むように目立たない扉のような裂け目があり、その隣にはグレーの壁と同色のカバーに覆われた、平面的な数字を入力するためのパネルがある。ここも武器庫なのだろうか。

「ねえパパ、この部屋は?」
「……、ああ、オレのコレクションルームだ」
「えっ!見たい!」
「また今度な」
「今はだめ?」
「今度見せてやる」

これはだめだ。梃子でも動かない。失礼な話、父は仕事人間というイメージが強く勝手に趣味がなさそうだと思っていたので、コレクションルームと聞いて一体何を蒐集しているのか物凄く気になるのだ。武器庫に作るということは武器なのか、それとも人の目を避けるためのカモフラージュなのか。一度気になり始めるともう武器そっちのけで部屋の中身が気になってしまう。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、もう時間だと告げる父。渋々部屋から出た私はたわいもない会話を交わしながら、父と共に居住区である上階へと向かった。母さんやイルミ、ミルキの話をしていると、父さんの顔が柔らぎ優しいものへとなるので、釣られて私も頬が緩む。私と父さん二人きりというのは久しぶりで実のところドキドキしていたが、ほんの些細な時間でも楽しい時間を過ごせてよかった。そんな親子二人の時間もあっという間に終わり、飛行船で出かける父さんはそのままエレベーターに残るようで、頑張ってねと一言告げて扉が閉まるのを見送った。次の瞬間。

「ッ!?」

気配も音もなく背後から迫り来る無数の針。広いエレベーターホールには防げるものも弾き飛ばせるものもない。顔や身体に食うよりはマシだと、仕方なく腕に力を入れ薙ぎ払った。全部の針が同じタイミングで投げ放たれたのが唯一の救いだろう。殆どの針は硬い金属音と共に石の床に叩きつけられたが、3本ほど腕に僅かに刺さる。弾き飛ばせはできなかったが、筋肉の力で受け止められた事は我ながらよくやったと褒めていいと思う。

「お願いだから場所考えてくれない!?」
「弾かなくてもいいよ」
「針まみれになれって言ってんの?」
「父さんと何してたの?」

自由か。もはや一周回って尊敬するレベルだ。イルミの場合表情の乏しさもそれを助長させているような気がする。腕に刺さった針を抜いて傷口を見れば、僅かに血が滲んでいるが、これくらいならすぐに治るから処置はいらないだろう。針を持ち主へと返せば(投げて返せばよかった)、針を弄りながらフライトつけようかな、などと独り言を言うイルミ。フライトって確かダーツの矢の羽根の部分だったか。たしかに持ちやすくなって安定もするし重さによって強度も増すだろうけど、それはもう針じゃなくてダーツの矢になってしまうのでは、なんて考える。まあイルミにとっては名称なんてどうでもいいかもしれないが。

「で?」
「え?」
「何してたのって聞いたんだけど」
「ああ、武器庫で武器見てたんだよ。イルミも行ったんでしょ?」
「行ってないよ」
「じゃあその針は?」
「こういう武器が欲しいって言ったらくれたんだよねー」

くるくると針を回しながら答えるイルミ。まさかの指定式だった。私といえば武器庫の武器を一通り見たけれど特にピンと来るものはなく、また考え直しかと頭を捻る。イルミが針なら糸なんてどうだろうと思ったけど、流石に糸を武器にするのは無理だろう。針なら心臓を狙えば良いんだけど。

「クルもこれ使う?」
「……ありがと、でも大丈夫」
「そう?」

同じ武器だと不都合が多い筈なのに、一緒に使うかと聞いてくれるさりげないイルミの優しさが嬉しい。弟の誕生により基礎練以外の訓練が休みになった私たちは、二人で再び母と弟の元へ向かう。また父さんに武器庫を見せてもらおうと考えていた。その時はイルミに頼んで私に合う武器を選んでもらうのもいいかもしれない。


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