結局、我が家に帰ってきたのは家を空けてから3日後のことだった。初めての外出といってもほぼ飛行船の中にいたわけで、外に出たのは仕事中のほんの数時間だけ。それでも3日も家を空けることはこれまでなかったため、我が家の空気が随分と久しぶりに感じた。ひんやりした空気を吸い込みながらこれくらいの標高が落ち着くと思ってしまうあたり、随分と世間一般からズレてきてるなと思う。それも凄く今更だけど。着陸した飛行船から降りてすぐに出迎えてくれた身重の母は、既に何処かからか話を聞きつけたようで「イルミとクルミが立派に成長してくれて嬉しい」と感涙に咽び泣いていた。おかえりなさいと抱きしめる母に、ただいまを言う私。「母さんは泣き虫だね」なんてイルミが言えば、そうねと母が笑う。

「だって嬉しいんですもの、本当ならこの目で見たかったわ」

泣き笑いする母の頬をハンカチで拭っていると、今回帯同していた執事が私たちの前に一列に並んだ。先頭に立つツボネ以外が一斉に頭を下げる姿にパフォーマンスじみたものを感じてしまい、言いようのない不快感に眉を顰める。

「奥様。この度は私共の不手際でイルミ様、クルミ様を危険に晒してしまい、大変申し訳ございませんでした」
「次はないと思って頂戴」
「かしこまりました。以後このような事がなきよう、肝に銘じて参ります」

やっぱりだ。覚えた違和感は確信に変わる。執事一同を代表したツボネの言葉は、嘘をついているとまではいかないが、本心で喋っているとは到底思えなかった。最初に違和感を覚えたのは仕事が終わった直後、私たちに向けられた上っ面だけの謝罪の言葉だった。擦り傷一つついていないし別に気にしないで、などと言いながらもチラリと横目でイルミの表情を見れば、私と同じような納得のいってない微妙な表情だったのを思い出した。私たちを抱きしめる腕を解いた母さんに「パパとお話があるから先に着替えてらっしゃい」と、この場を追い出された私とイルミ。下降するエレベーターに乗り込み、周囲の執事の気配が消えたのを確認して、違和感の正体を確かめるべく口を開く。

「ねえイルミ。執事のことなんだけどさ」
「オレの近くの執事が飛ばされたのなら、ワザとだったよ。飛ばされる前にツボネと何かアイコンタクトしてたしねー」
「それって、私たちを試すため?それとも元々殺させるつもりだった?」
「さあ、どっちもじゃない?」

まあどっちにしろ父さんが指示したんだろうけどね、と何処までも淡々に言うイルミ。少なくともあの父が標的を逃すなんてあり得ない、というのは全面的に同意だ。いずれ仕事を控える私たちがどう反応し対処するか。仮に対処できるのなら仕事前に様子見も兼ねて一発殺らせておくかという思惑だったのかもしれない。試す内容の中には肉体操作のできない私がどう動くかも入っていたのだろうなと思いながら、ひんやりした空気の廊下を歩いた。父の思考を推し量ろうだなんて無駄だと思うかもしれないが、どうせ父さん本人に聞いたって答えが返ってくることはないのだ。今回、実質標的の心臓を止めたのはイルミだったが、二人とも殺し屋として最低限使い物になると判断されたのではないかと思う。私たちに仕事が回ってくるのもそう遠くないだろう。

そんな会話をしてからしばらく経った、昼下がりの自由時間。父や母がよく余暇を過ごす和室で、私は一人読書を楽しんでいた。あれから特に仕事が回って来るわけでもなく、いつも通りの訓練を繰り返す毎日を過ごしている。ああでもあの日から変わったことがあるとすれば、私が肉体操作メインの訓練になったことと、あともうひとつだけ。不意にぞわりと背筋に走る感覚に、迫り来る気配を察知する。緊張感に張り詰める身体とは裏腹に、至極冷静な頭は即座に四肢に指令を出す。視線は外さずに迷いなく床の間の太刀を手に取る。跳躍と共に鞘から刀身を抜き出しながら気配の方向へと一閃薙ぎ払えば、金属同士が弾く甲高い音と共に無数の針が地面へと散らばった。この針たちが放たれた元であろう場所を見ても、障子の向こうには気配の一つすらない。またかと息を吐きつつ剥き出しの刀身を障子へと投げつければ、刀が障子を通り越して廊下の壁に突き刺さる音の後に、うわっと小さな声が聞こえる。障子の向こうから音もなく現れたのは案の定イルミだった。あーびっくりした、なんて驚きが一つも感じられない声色で言われるものだから、もう怒る気力も失せてしまう。

「私に得点なんて書かれてないとおもうけど」
「? そんなこと見ればわかるよ」

頭に疑問符を浮かべながらいけしゃあしゃあと言い放つイルミに、今度こそ呆れて言葉を失う。これで憎めないのだからタチが悪い。ジャラジャラと私が叩き斬った針を集めるイルミを尻目に、壁に突き刺した太刀を回収して元の場所に戻す。壁と障子にできた風穴の修理は後でこっそり執事に頼もう。

「クルも使えばいいのに」
「使う?針を?」
「針じゃなくても、何か使ってみれば?」

じゃあオレは調整しに行くから、とだけ言葉を残して立ち去るイルミの後ろ姿を眺める。本当に襲うだけ襲って帰って行った兄は、自由すぎてもはや尊敬するレベルだ。仕事に同行し帰ってきてからというもの、イルミは父の仕事風景を見て何か思ったのか、遠距離かつ一体多数に攻撃可能な暗器である針を武器として使用するようになった。それだけならまだいいが、ほぼ毎日調整と言いながら鋭い針を私に投げつけてくるのである。最初のうちは何をするんだと怒ったが、逃げない的に投げても参考にならないとの事で、飛んでくる針を躱し落とし防ぐ日々が続いている。さらりと武器の使用を勧められたが、正直今欲しいのは攻撃用の武器よりも防御用の盾だと思った。もしくは弾き落とせるような棒状の何か。今度父さんにお願いしてみようかな。本の続きを読む気も失せてそんな事を考えていれば貴重な自由時間も終わりが近づいていて、読みかけで伏せたままの本に栞を挟み和室を後にする。向かう先は訓練室ではなく、この家の当主である父の部屋だった。

「パパ、入るね」

近未来的というか、何かよくわからない機械が沢山ある父の部屋に入るのは久しぶりな気がする。機械的なデザインの家具で統一された部屋の中央にある一際大きなソファーに、父は堂々と腰掛けていた。既にイルミは来ているようで「遅かったね」なんて一人掛けの椅子に座って待っている。金属的な床を小走りで踏み鳴らし、父の前へと足を進めた。イルミが椅子から立ち上がり、私たち二人は父の前に立つ。

「そろそろお前たちに仕事を任せようと思う」
「「!!」」
「模擬訓練も応用も順調に進んでいるな。だが、まだ子供のお前たちに仕事を任せる前に、簡単なテストを行おうと思う。今までの復習のようなものだ。二人とも合格出来れば、数ヶ月後にはなるが任せたい仕事がある。どうだ?」

とうとう仕事を任せられる日が来たのだと、父の言葉に固唾を呑む。二人顔を見合わせ、受けて立つとばかりに威勢良く言葉を返した。満足げに笑った父の次の言葉は、全く予想だにしてなかったものだった。

「最終試験は、執事邸襲撃だ」


▽▼▽

「ブレーカー見つけたよ。そっちはどう?」
「セキュリティルーム近くの扉前で待機してる。オレが合図したら落として」
「OK。10秒くらいで予備電源が入ると思うけど大丈夫?」
「余裕だよ」

草木も眠る午前零時。ベッドを抜け出した私は執事邸屋外にあるブレーカーボックスの鍵を破壊し、中の配電盤を確認する。無線機から聞こえるイルミの合図とともにブレーカーを落とせば、執事邸の中の灯りが一瞬にして消えた。今回侵入するに当たって一番のリスクとなるのは、けたたましく侵入者の存在を知らせる警報である。主電源を落としてから予備電源が入るまでに、セキュリティルームに侵入したイルミが警報機能を切り、さらに行動しやすいように私が予備電源の供給を途絶えさせ暗闇を作り出すといった計画だ。今回の最終試験の合格条件は二つ。まず執事邸の場所を執事を尾行し気づかれずに突き止めること。そして執事邸の中にいる見習いの執事を探し出し胸ポケットにある懐中時計を奪取すること。それを聞いた私は最初、数名の見習いの執事なんてわからないと思ったが、見覚えのない執事が見習いだと言われ、それならなんとかなるかと安堵した。しかし何処に誰が何人いるのかなんてわからないので実は結構ドキドキだったりする。無線機から警報装置クリアの声が聞こえて、闇を纏う空気に溶け込むように屋敷に侵入した。途中予備電源が入ったのか屋敷が眩しい灯りに包まれるも、幸いにして周囲に人はおらずホッと胸を撫で下ろす。屋敷にいる執事の停電で慌てる声や、何かを大声で指示する声を耳にしながら聞き覚えのない声を探し、居場所の検討をつけるのも忘れない。事前に入手した図面通りに電力制御室に走り、まだ誰も来ていないのを確認したうえで、拝借したマスターキーを使い頑丈な扉を開けた。予備電源を落とせば屋敷はまた暗闇に包まれ、一先ず計画通りに事が進んだことに安堵する。電力の復旧を狙って電力制御室や屋外ブレーカー付近に人が集まる前に、この部屋から離れなければ。

「もしもーし。こっちは作戦完了だよ」
「わかった。オレももうすぐ終わるから先に始めてて」

退路を確保しているであろうイルミに成功の合図を送りながら、少しでも時間稼ぎになればと電力制御室の鍵穴を尖らせた爪で潰してみた。なんだか試験というよりも手の込んだ悪戯をしているような感覚で結構楽しい。あとは暗闇の中、灯りを照らす執事を避けつつ、見慣れぬ気配を探すだけだ。できれば一人になっている人物が好ましい。獲物を待つか自ら探しに行くか、廊下で迷う私に近づいてくる見慣れぬ気配が一つ。おそらくこれが見習いだろうと神経を尖らせて壁際に沿って気配の方へと進んだ。ちらちらと暗闇を照らす懐中電灯の光を見ながら、廊下の曲がり角で息を潜めて待つ。コツコツとこちらへ近づいてくる足音を聴きながら、頭の中でイメージする。水中で獲物を待つ鰐が一瞬にして標的を襲うイメージだ。執事が曲がり角を曲がる瞬間、私は全ての気配を絶ちながら、最小限の動きで懐中電灯を持つ手元を蹴り上げる。

「ッ!?」

回転する明かりは私を照らすことなく地面に落ちた。暗闇に慣れている私の目に映ったものは、自分の身に何が起こったか理解できてないであろう驚愕の表情を浮かべる青年執事。メガネを掛ける彼の顔は見覚えがない、おそらく見習いで間違いないだろう。蹴り上げてからそのままの流れで胸ポケットの懐中時計をスるように抜き去り、チェーンの部分を手刀で切る。あとは事前の打ち合わせ通りに逃走するだけと思いきや、あろうことか右手を掴まれ引っ張られた。全く予想だにしていなかった事態に目を見開く。見習いとはいえ流石この家の執事だと舌を巻いた。

「誰だ!?」

なるほど確かに計画はスムーズに行かないものだと、慌てず右手の関節を脱臼させ拘束から抜け出す。私の動きが予想外だったのか、硬直し動作の止まった彼の背後に回り、気絶しますようにと願いを込めた手刀を一発くれてやる。これ以上声を出されて人が集まってしまってはたまらない。叫び声もなく倒れる執事を見届け、床に落ちた懐中電灯の電源を落としその場を後にした。気づかれず奪取するのが一番いいと思ったけど、やっぱり難しいな。最初から気絶させた方がリスクも減るし楽だったと思いながら脱出ルートを辿り屋敷を抜ければ、既に懐中時計を手にしたイルミが待っている。夜の森の中、青白い月光に照らされる兄は腹が立つくらい絵になっていた。同じ顔の筈なのに雰囲気は私とまるで違う。

「や。その様子だと成功したみたいだね」
「もちろん。イルはさすがだね、早いなあ」

もうここには用がないとばかりに、私たちは早足で森を抜け自宅へと戻る。まあ自宅といっても城並の広さの我が家だけれども。いくつかある出入り口のうち、執事邸から一番近い玄関の門を開ければ、この時間に珍しく人の気配を察知する。その気配に敵意はなく、むしろ馴染み深い気配だったことに安堵した。暗闇に慣れた目に、眩しいくらいの明るさの玄関ホールで見たものは、仁王立ちする父さんの姿だった。

「パパ!」
「父さん、ただいま」
「おかえり。二人ともこれで晴れて合格だな」

差し出された屈強な両手の片方に懐中時計を置き渡す。片手で器用に時計を開けた父はまずイルミの時計を見て、それから私の時計を見た。一瞬驚きの混じった目が、なぜか可笑しそうに細められる。愉快そうに喉を鳴らして笑う父の姿に戸惑いを隠せなかった。

「ゴトーか。よく奪えたな」
「ちょっと腕掴まれちゃったけど……」
「だろうな。あいつはまだ日が浅いが、オレたちのように……オーラを出せる人間だ。敵とみなされて攻撃食らったらただじゃ済まなかったかもしれん」

全く気がつかなかった。父さんの威圧するようなオーラやじいちゃんの膨大な熱量を持つオーラじゃない限り、よく目を凝らして見ればうっすら見える程度のオーラなんて、暗闇の一瞬で瞬時に判断できるわけがない。父さんの最後の言葉に少しひやりとする。ただじゃすまない。今までオーラによる攻撃を食らってこなかったのは、ただ単に幸運だったからだと理解する。なんとなく想像はしていたけど、そんなにオーラって凄いのか。

「再来月、ゾルディックの名に恥じない働きを期待している。……お前たちなら大丈夫だ」

普段厳しい父から貰う信頼の言葉に、くすぐったいような、照れと嬉しさが混在した気持ちになり思わず笑みが溢れる。どこか誇らしげな感情が僅かに感じ取れるイルミを横目で見れば、ぱちりと大きな目と視線がぶつかった。少しだけ目を細めて微笑むような表情を形つくれば、頷きで返してくれる兄。イルミとなら大丈夫だ。二人ならなんだってできる。なんたって私たちは世界一の父さんと母さんの子だから。そんな世界一の兄の、片割れだから。


12/28

back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -