時刻は午後2時を過ぎた頃。ほぼ定刻通りに目的地付近に到着した飛行船は地上に降り立つことはなく、空中に留まり続けている。既に準備が完了した私とイルミは、トランプやダーツといった娯楽も手につかず、執事とともにロビーで父さんが来るのを待っていた。ソワソワと緊張が隠せず、喃語のような言葉にならない声を発しながら足をバタバタ動かす私に、いつもと変わらない様子のイルミからちょっとは大人しくできないのかと苦情が来る。大人しくしてると心臓の音が煩くて落ち着かないので許してほしい。太ももの上に置いてある手がスカートの生地を握りしめてしまっていることに気づき、皺になってはいけないと慌てて布を叩く。母さんセレクトの勝負服に身を包んだ私たちのポケットの中には、子供の手にはまだ大きい無線機が入っている。五等分にされた円形に星を重ねたマークが描かれた卵型のそれは、主に仕事中家族間の通信に使われるゾルディック家専用無線機らしい。なんでも通信以外にも、近辺の監視カメラに自らの姿が写らないような妨害電波も放出されているのだとか。今朝私とイルミに一つずつ渡された家族専用の無線機の重さを感じ、なんだか少しだけ大人になったような誇らしい気分になった。

「早いな、もう行けるか?」
「父さん!」
「待ちくたびれたよ」

やる気十分といった様子の私たち二人を見て、父は笑みを浮かべながらロビーに来た。いつもより神経を尖らせた私たちが、声をかけられるまで父さんの気配に気づけなかったということは、父の身体は既に仕事用へと切り替わっている事を意味する。とうとう始まるのだ。緊張や興奮が震えとなって現れる。これはきっと武者震いだ。行くぞ、と腹の底に響くような低い父の声に覚悟を決める。次の瞬間、この空間に飛び込んで来たのはとてつもない強風だった。

「先に行くぞ。下で待っている」
「え!?」

轟々と風の音が渦巻く中で聞こえた、先に行くという父の言葉。通常陸地についてから開くはずの搭乗口が全開になっている。飛行時に比べ幾らか高度は落ちてるとはいえ、空と呼ばれる高さには変わりない。昨夜じいちゃんが飛び降りた時と同じように、何の躊躇いもなく父さんは飛び降りた。この家はこれが普通なの?確かに着陸して降りるより早いけど。崖から突き落とされたことはあれど、未経験のパラシュートなしスカイダイビングはできれば遠慮したい。せめて心の準備期間がほしい。

「オレ先に行くから」
「置いてかないで!」
「じゃあ先に行く?」
「い、一緒に行こ?」
「だめ。着地しづらい」

ですよね。繋ごうと差し伸ばした手は素通りされて私の背中へと伸びる。イルミの手により私の身体はあっと言う間もなく無慈悲に突き落とされ、暴力的なまでの風の抵抗と内臓が浮き出るような浮遊感に包まれる。物凄い速度で落下する私の目が捉えたのは、相変わらずの無表情でひらひらと手を振るイルミだった。無表情だけどちょっと楽しんでるのが分かって腹が立つ。どうせならもうちょっと面白そうな顔をしてほしい。少し間を空けてイルミが余裕綽々に飛び降りる姿を見て、やっぱり先に行ってもらうべきだったと後悔する。スカートが捲れて無様な姿にならないように必死に抑えつけながら、風のせいで涙の滲む視界で迫り来る地上を眺めた。森の中の少し拓けた場所を目掛けて着地を試みる。視界の端に父がこちらを見ている姿を認識した私は、習った通り最小限の音での着地に成功した。チラリと父を見て、特に何も言われなかったことにホッと息を吐き、乱れた髪を手櫛で整える。イルミが音もなく着地したのはその直後だった。

「今日の任務は昨日言ったように殲滅だ。この森の中央に製薬会社の皮を被った建物がある。通常殲滅であれば重要度の高い人間から先に殺るのが基本だが……」

父の言葉を一言一句漏らさないように聞きながら、森の中にできた轍を足早に進む。父の仕事に同行する人間は私とイルミ、私たち一人一人に付く護衛も兼ねた執事ふたりと、それから執事長の大柄な女性の執事がひとり。こそり、イルミが私にだけ聞こえるように耳打ちをした。

「ツボネだけ、オーラが出てるね」
「なんでわかるの?」
「身体の表面、父さんみたいになってる」

そう言われてさりげなくツボネと呼ばれた執事を見る。一見何も変わらないように見えた身体の表面を注視すれば、先日見た父のように身体中にオーラと呼ばれるものがうっすらと纏わり付いていた。先を行く父を見れば、身体に纏うオーラを濃く感じることができる。視線を外し、護衛につく二人の執事を見ても何かを感じることはできなかった。こちらを見るイルミの視線に僅かな頷きで返す。ツボネはおそらく護衛二人では対処できなかった時の保険、あるいは監督なのだろうと思いながら木漏れ日の差す穏やかな森の中を進んだ。

「パパ」
「どうした」
「建物に着いたらすぐ仕事を始めるの?」
「その予定だが、どうかしたのか?」
「なんていうか、昼間に仕事するんだなって」

闇夜に紛れ、陰を糧に動く。暗殺といえば十人中十人がそんなイメージを抱くだろう。思わず口に出した疑問に対し、夜は警備くらいしかいないからなと少し可笑しそうに笑う父。なるほど、確かにそれもそうだ。暗殺イコール真夜中の安直な先入観が露わになって頬が熱くなるのを感じた。

「この先だ」

瞬間、父の気配が断たれる。そこにいるはずなのに限りなく存在感が消え、注視しなければ消えてしまいそうな父の姿を見失わないよう目を凝らした。父の気配の消し方を真似て、同行する私たちも気配を途絶えさせる。気を張り詰めながら進んだ先に見えたのは、建物の半分を隠すような大きな塀と門だった。門の両側には警備であろう銃器を持つスーツ姿の人間がふたり。気配から感じて門から外にいる人間はこの二人だけだろうということがわかる。木々に身を隠しながら息を潜める。これから行われるであろう事を想像し、痛いほどに心臓が暴れ始める。乾燥する唇を湿らすように舐めた。何一つ見逃すまいと見開いた眼球が、極限まで薄められた父の気配を追いかける。目の前に屈強な男が迫り来ているというのに、警備の男達はそれに気づくことはできない。ああ、いま現在そこにある命がこれから刈り取られようとしている。私はそれを学ぶために見ている。これから先、無数の命を刈り取るために。とうとうこの瞬間が、訪れるのである。私はこの出来事を、一生忘れることができないであろう。

ーーー瞬間、それは始まった。

ほんの一瞬であった。父さんと男達が一瞬にして擦れ違う。男達は何も感じず、ただいつもと変わらぬ日常の中に倒れるのだ。表情もすれ違う前のまま、何一つ変わらない。違うのはただ、その身体に心臓が存在しないという点だけ。父の肉体操作による手によって盗まれてしまった心臓は、体内から出されたことにも気づかないまま今も健気に脈打っている。一瞬にして気づかれることなく生きたまま心臓を取り出したうえ、露わになった心臓の太い血管からも胸に開いた穴からも、血の一滴も溢れない父の技術。それを見た私の胸中に占める思いは、ただひたすらに、美しいと感じる心だった。熟練の職人技とでもいうのだろうか。卓越した技術によって心臓を奪われたことにすら気づかず、痛みすら感じず倒れて行く無数の人間。男。女。あるいは初老の男性。あるいはまだ若い女性。皆平等に命が消える。返り血すら浴びず、光を反射して煌めく銀髪を揺らし、ただ静かに死をもたらす父の姿。その姿に、私は心を奪われる。一心不乱に、父の姿を追いかける。息苦しいほどに心臓が高鳴っているのは、その姿に魅了されてしまったから。それほどまでに初めて見た殺し屋としての父の姿は、あまりにも美しかった。『暗殺とは、美しい技術の集合体だ』という言葉は、以前何かの漫画で読んだ台詞だっただろうか。

浅はかにも私は最初、殲滅するのならば出口を固めた方が良いのではないかなんて的外れな事を考えていたけれど。皆この建物を襲う異変になんて気づきもせずに絶命するし、気づくものがいたとしても応戦する隙すらなくやっぱり絶命する。絶え間なく命を奪う父は、訓練の時の父がお遊びだと感じるほどに比にならない速度だった。私とイルミはひたすら追いかけ続けて、一体どれほどの時間が経っただろうか。一度最上階まで上がり元のエントランスに戻ってきた頃には夥しい量の屍が積まれていた。私たち以外生きている生物のいなくなった空間は、温度を持たない静寂に包まれていた。

「……まだ気配があるな」

そう呟いた父は、足元に目をやる。地下へと降る階段を探すまでもなく、父が足に力を込めコンクリートの床を踏みつければ、おもちゃのブロックが壊れるかのように容易く床に穴が開いた。強制的に開けた地下室の穴へ父が降りていき、それに私たちも続く。地下室といってもそこは地上階と変わらない清潔な白い壁に床、それから蛍光灯の明かりが眩しい空間だった。窓も何もない四角いだけのそこはどうやら廊下のようで、進んだ先の突き当たりを曲がれば壁沿いに一つ、扉が見つかる。機械によって厳重にロックがかけられているであろう扉を御構い無しに破壊し、室内へと侵入する父に突如、大きな白い塊が襲いかかった。

「!?」

大きな白い塊に見えた無数のそれは、よく見れば私と変わらないくらいの子供だった。全身の体毛が一切なく、病的なまでに青白い肌にオフホワイトの簡素な衣類に身を包んだ子供達が、虚ろな表情のまま父に襲いかかる様はあまりにも異様な光景で。今までとは違い、血を、肉片を、内臓を撒き散らし痙攣しながら絶命していく様を見て父の余裕の無さを感じるも、その表情はいつもと変わらぬものだった。群がる障害物を煩わしそうに薙ぎ払う父の向こう、部屋の奥を見ればガラスのような透明な何かで仕切られた向こう側にも広大な部屋があり、無数に集まる子供たちはそこから来ているらしかった。まだガラスの向こうにいる子供が虚ろな目でこちらを見ている。きっと父の周りにいる子供が死ねば、あの子供もまた襲いかかるのだろう。この気味の悪い部屋と子供達を見れば、ここでなにが行われていたかは想像に難くない。製薬会社の皮を被った、という父の言葉を思い返して、背筋を気味の悪いなにかが駆け抜けた。

そんな事を考えていたからだろうか、父に群がる子供の一人がぐるんと首を回し、あろう事かこちらを向く。ゾッと心の襞を逆撫でするような恐怖感に襲われる。こちらに来る。そう直感した直後、武器もなにも持たないはずの子供が明確な殺意を持ち、私たちの方へと飛びかかって来る。小柄なはずの子供に、イルミについていた護衛の執事が飛ばされた。子供が狙ったのは、私ではなくイルミだ。それを悟った私の頭が考えるより、身体が先に動いている。その動きは、今日血眼になって心酔するように見つめ続けた動きであり、今日までに何度も何度も繰り返した動きだった。

「……ぁ、ぅ」

断末魔はなく、小さく呻き声を上げる子供。背中から肋骨の隙間を縫うように、生暖かい体内に押し込んだ私の手。私の眼前、眼球に触れるギリギリに飛び込んできた血に塗れた鋭い爪。

「そっちは肺しかないよ」

子供を介した向こう側、イルミがいつもと変わらない声色で言う。不思議と極めて冷静な私もいつもと変わらない声色で言葉を返す。

「咄嗟だったから右手が出たんだよ」

イルミが体内から手を抜いた。遅れて私も手を引けば、栓を失った身体から途端に噴水のように鮮血が溢れ出し、全身に生温い液体を浴びる。咽ぶほどの死の香りが鼻にまとわりついた。視界を遮る物体が足元に崩れ落ちて、イルミの大きな目と視線が合う。幼い頬に返り血をつけるイルミの姿を見て、自分でもよくわからない感情にこころを震わせた。仄暗い、よろこびのような何かだった。

「よかったね」
「え?」
「肉体操作。綺麗にできてる」
「ほ、本当だ……」
「クルは本番に強いタイプなのかもね」

鮮血と赤黒い血が混ざり合った液体が滴る自らの手を眺めれば、父さんやイルミのように血管が浮き立ち爪が鋭く伸びていた。数ヶ月私を悩ませていた課題がこうもあっさり解決するとは。爪の間に入り込んだ肉の残骸の感触も気にせず、観察するように暫く眺めていれば、全ての仕事を終えた父さんがこちらへと来る。

「随分と汚れたな。だが、よくやった」

無骨な父さんの手が、血に塗れた私たちの頭を撫でる。父に褒められた嬉しさから、頬の緩みをこらえきれなかった。イルミと目を見合わせて笑みを深めれば、いつもの無表情が緩く和らぐのがわかり、たまらない気持ちになったのだった。


▽▼▽

「ねえイルミ」
「なに?」

後始末は仕事ではないため、さあ帰るかという空気の中。最終確認に出かけた父の帰りをエントランスで待ちつつ、返り血を拭っていた兄を小声で呼ぶ。

「手戻らなくなっちゃった」
「は?」
「どうやったら戻るの?」
「クルミは」
「うん」
「馬鹿なの?」
「失礼なやつめ……」

出来たのになんで戻せないの?なんて聞かれても。わからないから聞いたのに。口を尖らせながら手の力を入れたり緩めたりしても、ビキビキと血管が軋む音が聞こえるだけで一向に戻る気配はない。確認から戻ってきた父に聞けば、恐らく筋肉の硬直だろうということだった。私の身体は既に訓練によって筋弛緩剤の類の効果がないため、自然に緩まるのを待つしかないとのこと。その後、汚れた身体を綺麗にしようとお風呂に浸かれば、鋭く尖った私の手は深く息を吐くのと同時に普通の手に戻っていった。念のため集中して力を入れてみれば、再び細胞が蠢き鋭さを持つ手になり、戻るように骨を動かせば元の手に戻る。まぐれじゃなくてよかったと胸を撫で下ろした。その入浴後、イルミに会えば私の手を見た後に「よかったね」とだけ言われる。無事手が戻ったことか、肉体操作ができるようになったことか、はたまた今日の総括か。恐らくその全てが含まれてるのだろうなと思いながら、私は笑顔を返したのだった。


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