陶器の食器と純銀のカトラリーがぶつかる音、食物を食み咀嚼する音、合間に談笑する家族の声がダイニングルームに響く。家族全員が席につける大きな長方形のテーブルに、赤いベルベットで覆われたクッションを曲線的なダークブラウンで囲ったデザインのアンティークチェアがずらりと並ぶ。ジャポン風のご飯、いわゆる日本食のメニューの時は雰囲気に合わせ座敷で食べることもあるが、特に個別での食事を希望しない限り、基本的に夕食はこの食堂で食べるようになっている。イルミのおかげで家族揃っての晩餐に遅れることなく参加できた私は、この世界に生を受けてから随分と使い慣れたナイフとフォークを手際良く扱い、肉を切り分けては口に運ぶ。長方形のテーブルの一番端っこ、いわゆるお誕生日席はいつも空席だったのだが、今日は全ての席が満席、たとえ会話が弾むということはなくとも家族全員が揃っているということが単純に嬉しくて、いつもの何倍も食事が美味しく感じる。対面に座るイルミも例外ではないようで、ちらりちらりと父親の方を見遣ってはパッと視線を元に戻す様が可愛らしい。ソワソワして落ち着かない私たち二人を微笑ましそうに見る母親が、あらあらと笑う。

「今日はちゃんとお留守番できた?」
「うん」
「勉強も全部終わったよ!」
「あら!凄いわ、流石私達の子ね!」
「クル、今日の訓練は調子が良かったそうだな」
「えっ、ああ、うん!た、たまたまかもしれないけど……」

穏やかな親子の会話を楽しむ中、突然の父の発言に動揺を隠せない私。それを見て訝しむ父。もっと上手くやれと言いたげな兄と、ほお?と目を光らせてニヒルに笑う祖父。相変わらずなにを考えているかわからない高祖父に、和やかに笑う祖母。ああこれはめちゃくちゃ怪しまれている。じいちゃんに至っては入れ替わりを知られているので替え玉訓練がバレた。もっと上手く返せれば良かったけれど、とっさの罪悪感が邪魔をする。しどろもどろになって続きの言葉を探す。助けを求める気持ちを込めてイルミを見れば目を逸らされた。薄情者め!と思ったが私の言動が庇いようのない酷さだったから責められない。逐一報告する執事が恨めしいなどと八つ当たりに近い感情を抱く。そんな居た堪れない空気を打ち壊してくれたのは上機嫌な母の一声だった。

「まあまあまあ!さすがクルミちゃんだわ!強くて頼もしいお姉ちゃんになれるわね」
「……お姉ちゃん?」
「ええ、もう少ししたらイルミもクルミも、お兄ちゃんとお姉ちゃんになるのよ」
「それって……」
「弟ができるの?」
「そうよ、まだ性別はわからないけれどね」
「イル!お姉ちゃんだって!」
「オレはもともとお兄ちゃんだけどね」

新しい家族が増えるなんて!母さんの突然の妊娠発表に驚きと嬉しさと興奮が堪えきれず、飛び上がりそうな身体を理性で抑える。私とイルミだけだった空間に一人増えるのだ。なんだか不思議な感覚だけど、嬉しいという感情に違いなかった。弟ができても妹ができても精一杯可愛がって、イルミと一緒にいろんなことを教えて、たくさん遊んであげよう。さっきの居心地の悪さから一変、幸福感に私の頬は緩みっぱなしだった。そんな私を見ていたイルミの顔がすこしだけ綻んで、「クルミ、お姉ちゃんになるんなら訓練も頑張らないとね?」なんて悪戯っぽく言うものだから、わかってるよと嬉しさの滲み出る声で返すことしかできなかった。

「ああ、そのことだがイルミ、クルミ、今度オレの仕事に付いて来てみるか?」
「父さんの仕事に?」
「付いていってもいいの?」
「そろそろ見せてやってもいい頃だと思ってな。いずれお前たちにも仕事を任せることになる。この家から遠隔映像で見てもいいが、実際に見て体験したほうが良いだろう。明日の昼にはここを発つが、どうする?」
「もちろんオレはついていくよ」
「わ、わたしも!」
「そうか。お前もいいな?」
「ええ、2人をお願いね。」

勢いで返事してしまったものの何の心構えもできてない。けど即答したイルミに置いていかれる方が嫌だ。生まれてから樹海と言う名の庭から出たことない私の初めての外出が社会見学になるなんて。というより裏社会見学である。敷地内でもゴロゴロ死体は見かけたが、生きた人間を殺すところは映像でしか見ていないなと思い返す。明日、父親が働くところを見ると言うことはそういうことだ。そんなことを意識してみれば、急に胃のあたりのなにかが下がっていくような、足元が宙ぶらりんになったみたいな、計り知れない不安が迫ってきた。暗殺者として育てられてることは理解しているつもりだったが、実際に暗殺者へと一歩ずつ近づいていき、いずれは命を奪う瞬間が迫り来るのだと思うと、えも言われぬ恐怖感に襲われる。張り詰めた息を吐くと、自嘲するような笑みが溢れた。このために毎日訓練してるのに、一体何が怖いのだろう。怖いと、そう思うのはなぜだろう。暗殺とは無縁だった"私"の倫理観からか、それとも別の何かか。随分と前から、自分は家族や自分が死ぬくらいならば他者を殺してでも生きたいと思うような人間だという自覚があるからきっとこの家でもやっていける、そう思っていたのに。父がもたらす名も知らぬ人間の死を、いざ垣間見るとなるとこんなにも落ち着かない気分になるなんて。この家に、この家族にふさわしくない人間になりたくなくて、こんなもの一時の気の迷いにすぎないと言い聞かせ、この情けない感覚もただの緊張なのだと誤魔化すように、味のしないデザートを押し込めていく。いまだ浮遊感のある内臓に冷たいアイスクリームが入っていく感覚が気持ち悪かった。



▽▼▽

「ママ?入るよ」

小さな手で大きな扉を3回ノックすれば、母親が入室を許可する声が聞こえてきた。それを確認した私は、母親のために設けられた部屋の扉を開ける。開けてすぐに母親と4名の執事が待ち構えているのが見えた。それもとびきりの笑顔で。一体何が始まるんです?こんなに逃げ出したい笑顔は初めてだよ。思わず片足だけ引き下がるといつのまにか背後にいたイルミにぶつかる。心臓に悪いので気配を消すのはやめてほしい。早く入ってよなんて声が聞こえるまえに、重たい足を運んで部屋の中に入った。

「イルミ、クルミ、こっちへいらっしゃい。ふふ、明日は大切な日だからお洋服決めなくちゃね。ママは一緒に行けないから、せめて服だけでも選ばせてちょうだい。ああ、この日のために色々揃えておいたの!どれにしましょうか?」

晩餐後にこの部屋に来るよう言われていた私たちが呼ばれた理由は、勝負服探しだった。母親の部屋に運び込まれたハンガーラックにはいつも着ないような余所行きの子供服が所狭しと並んでいる。それも二つ。イルミ用と私用の服ってこんなにあったの?と思うくらい、見たことない服で埋め尽くされている。誕生日などのイベントがない限りお洒落着を着ることはないので、女子として若干テンション上がる部分もあるものの、これ全部試着する気なのかと思うと気が遠くなる。さあまずはこの服からよ!なんて非常に楽しそうな母親と執事に、私たち2人は着せ替え人形にされるのだった。

「やっぱりこっちかしら、着物も捨てがたいけれど……うん、決定!こっちだわ!」
「ええ、イルミ坊っちゃまもクルミお嬢様もよくお似合いですよ」
「2人ともよく似合ってるわ。さすがパパとママの子ね」

着せ替えられること1時間とちょっと。基本的に執事が着せてくれるとはいえ気疲れがすごい。喪服のような黒い服がほとんどなせいで、後半何を着ても同じように見えてしまった。結局決まった服装は、黒いAラインワンピースだった。膝上丈のシャツワンピのような形でシンプルながらも、胸元の黒リボンがフェミニンで可愛らしい。母親はパニエたっぷりのスカートと迷っていたがおとなしめの方になってよかったと胸を撫で下ろす。イルミは黒いジャケットに同色の膝丈のズボン、ダークグレーのシャツに、やっぱり黒のネクタイが締められていて決まっている。母親の遺伝子が強い私達は髪の毛も瞳も闇に溶け込むように黒く、反対に肌はビスクドールのように色味がないため、黒の服装が似合わないわけがなかった。あと顔。顔がいい。スタイルだって長身の遺伝子の恩恵があり、鍛えられている身体には余分な脂肪がなく均整のとれた筋肉がついている。思わず自画自賛してしまうほどには様になっていた。イルミのいる鏡の前まで歩き、似合ってるねと声をかけると鏡越しに視線が合う。

「オレたちってやっぱり双子だね」
「なに突然」
「オレがスカート履いてるみたい」

独特のテンポの兄に褒め言葉は端から期待していない。というか散々入れ替わったりしたろ、というツッコミは飲み込んだ。私が髪の毛でも伸ばせばいいのだろうが、あいにくショートから変える気はない。イルミが髪を伸ばすんなら伸ばしてもいいかなとおもう今日この頃。鏡を見ながらくるりと回転してみせる。しかしこの服と靴、すごく動きやすい。少し歩いただけだけど、衣擦れの音なんて全然立たないし、ローファーだって音がするどころか衝撃と音を吸い込むように吸収するし、フィット感は裸足に近い感覚だってある。さすがはゾルディック家、多分すごく高いんだろうなと、選ばれなかった服の山を眺めた。ふと、今着ている服の他にもいいなと思っていた服がちょうど目に入る。少し前までの母さんがよく着ているような黒の着物だった。黒が広がる着物の裾のあたりに白の彼岸花があしらわれたそれは、高品質な生地とデザインのおかげで質素な印象にならず上品で洗練された印象を受ける。母さんが出産してまた着物を着始めたら一緒に着たいなと、近頃ワンピースばかり着ている母親を見て思った。私の視線に気づいたのか母がこちらに歩み寄りしゃがみこむ。どうしたのだろう、口を開こうとした私と隣にいたイルミを母さんの腕が包み込んだ。ぎゅう、と母親に抱き締められたのはいつぶりだろうか。私もイルミも身動ぎひとつせず、されるがままに抱き締められていた。

「明日は頑張ってきなさい。明日の二人の成長は直接見れないけれど、ママはちゃんと見てますからね」

二人ともパパの姿を見てきちんと勉強して、ゾルディック家の名に恥じない立派な暗殺者になるのよ。幾度となく聞いた願いにも似た母の言葉は、一見縛るような呪いにも似た言葉に聞こえるけれど、私たちへの期待と慈愛に満ちたものだと知っている。頑張ってくるね、と返せば微笑む母の顔。相変わらず目元は機械に覆われて見えないが、嗚呼愛されているのだなと分かる母の視線はひどく暖かいものだった。


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