何かが迫り来る気配を感じ、眠りの世界から目を閉じたまま、意識だけ静かに覚醒する。いつもと変わらない自室に蠢く気配を確かに感じた私は、その正体を確かめなくてはと神経を張り巡らせた。標的を捉えるには至近距離まで接近させてから拘束するのが一番確実なため、こちらが覚醒していることを気取られてはならず、神経は張り詰めたまま脈も呼吸も意識も最大限リラックスした状態に近づける。この部屋の異物の正体は何なのだろうか。一番可能性が高いのは、寝ている時も警戒を怠らないようにと試しに来た家族だろう。以前も何度か寝込みを襲われ、教わった通りに対処が出来なければ訓練を増やされたことがあった。今まで一緒に寝ていたイルミとは最近寝室が別室になったため、寝ぼけて入ってきた可能性を除けば部屋に入ってくることは考えにくい。侵入者、これはもっと有り得ない。あれこれ思案しているうちに、気配がベットの前で止まる。急く気持ちを沈め一瞬の好機を息を潜めて待つ。まだだ、ギリギリまで気配を引きつけてから。気配がこちらに向けて手を伸ばした瞬間、その手を絡め取り私が寝ていた布団に押し倒してマウントをとる。習った通りであれば首元を狙うところだったが、違和感がそれを止めた。私の下敷きになった気配が想像より小さかったからである。ちょうど私と同じくらいの大きさの人間だった。この家にいる私と同じサイズの人間は、一人しかいない。暗闇に、おおきなふたつの目玉がぼんやりと浮かぶ。緊張の糸が切れ、詰めていた息を吐き出した。

「イルミ……?何してるの?」
「おはよう。それオレのセリフなんだけど」

ごめんごめんまさかイルミだと思わなくって。軽く謝りながら跨っていたイルミの上から退き、まだ薄暗い部屋の電気をつけてから大きなベッドに座り直す。不意にイルミの手に目をやると、爪こそ鋭くなってはいないものの、指や手に血管が浮き出ているのがわかり、反射的に反撃されなくてよかったと胸を撫で下ろした。いくら鍛えてるとはいえ、どの刃物よりも鋭く人体ですら容易に貫く手で襲われてしまっては流石に命の危険を感じる。

「で?朝からどうしたの?」
「起こしにきてあげたんだよ」
「こんな早くに?」

まだ日すら登っていない時間帯に一体何故。いつもなら大体執事が起こしにくる時間帯に目が醒めるのだから、部屋を分けてからというものそもそもイルミに起こしてもらう事はなかったはず。混乱する私に更に追い打ちをかけるイルミの言葉。

「脱いで」
「は?」
「早く脱いで。それとも脱がせようか?」
「いやいやいやいや待って待って」

全く手のかかる妹だなあ、なんて口元だけで笑いながらパジャマを剥ごうとするイルミに必死の抵抗をする私。何の膨らみもない幼児体型とはいえ流石に女として抵抗してしまう。なぜ朝っぱらから兄に脱がされそうになってるのか訳もわからず、何で脱がせようとするの!?と叫べば、脱がないと着替えられないよという至極当たり前の答えを述べられて脱力した。

「脱げじゃなくて着替えろって言ってくれればよかったのに……」

抵抗をやめた私の言葉に、首を傾げるイルミ。お風呂に入るわけでもあるまいし着替え以外に脱ぐことってある?とでも言いたげな顔だ。こればっかりは頭脳は大人な自分が恨めしい。布団の上で脱いでなんて言われてしまっては勘違いしてもしかたない。そう割り切りイルミが持ってきてくれた衣服に袖を通そうとして、違和感に手が止まった。

「これ、イルのだよね」
「うん」
「私がこれ着るの?」
「そうだよ、いいから早く着て」

基本的に私たちが着る普段着は動きやすいカジュアルなもので、男女問わず着れるような服が多い。双子だからとお揃いをよく着せられるが、決まって色違いや模様違いのものだった。全く同じ服を着ていても近い距離であれば見分けはつくと思うが、遠目からだと判別が難しい。男女の双子とはいえ、顔も背格好もよく似ている私たちを識別しやすくするために、服装は重要な記号としての役割を果たしていると言えよう。寝巻きから私がいつも着ている服に着替えたイルミの物凄い違和感にまじまじと見続けてしまい、執事が起こしに来る前に早く着替えてと怒られる。言われるがまま急いで着替えを終え、ふと部屋にある大きな姿見に目が行った。一瞬、イルミの位置にいるのが私なのではないかと脳が勘違いするほどに、私はイルミになっていた。

「すごいね、一瞬わからなかった」
「喋り方も表情も今日はオレに寄せるんだよ」
「一日ずっとやるの?晩御飯の時も?」
「いや、晩御飯前には戻すつもり」

なるほど、と相槌を打つ。今日は朝から父も母も祖父も家を空けるらしいが、晩御飯は珍しく一家全員が揃うとのことで、当主を継いで多忙な父と晩餐を共にできると知った私は密かにこの日を楽しみにしていたのだ。

「イル、行こう」

この部屋に近づいてくる執事の気配を察し、完璧に私を真似た兄が、私の手を引っ張る。表情にイルミ感は残るものの、やわらかく微笑む顔つきは私によく似ており、まるで鏡を見ているようだった。頷き手を繋いで部屋を出ると、私を起こしに来るはずだった執事の姿が見えた。

「おはようございます、お嬢様。あら、今日は坊っちゃまとご一緒なんですね」
「うん、今日はイルミが起こしてくれたから。ね、イル?」
「うん」

兄の名前を呼ぶ私が目の前にいるのは、やっぱりとても奇妙な感じがする。無表情を意識して、たった二文字の受け応えを兄に寄せた。微笑ましそうな表情の執事は、イルミをお嬢様、私を坊っちゃまと認識した。今月から配属されここ一週間ほど私に付いている執事なのだが、至近距離でも違和感を持たれないことがちょっと意外だった。しかしこのままボロを出さなくても、いずれ何処かでバレてしまうだろう。顔がよく似ているとはいえ、表情も雰囲気も全然違うのだ。どこまで貫き通せるか、バレるまではとことん騙し切ってやろうと悪戯心がむくむくと湧いてきたのだった。


「坊っちゃま、チョコレートケーキとチーズタルトどちらになさいますか?」
「……チョコレートにしようかな」
「かしこまりました」

全っ然バレない。入れ替わってから随分と時間が経ち、時刻は現在たのしいおやつタイム。目の前のイルミ扮するクルミの前にチーズタルトが運ばれる。本来の好みに合わせたものを食べても怪しまれないってどういうことだ。結局入れ替わりを指摘するどころか、少しでも怪しむ執事すらおらずこの時間だ。昼頃に一度ゼノじいちゃんが帰宅した時は、遠目で姿を見ただけでバレたというのに。楽しそうなことしとるのォ、と口元に笑みを浮かべて再び家を出たじいちゃんには敵わないなと思った。

「今日は何も混ざってないね」
「純粋なチョコレートケーキだ……おいしい……」

口の中に広がる、混入物なしのただただ甘いチョコレートケーキに舌鼓を打ちながら、執事のいない部屋でイルミと談笑する長閑な時間。今日の訓練は指導する大人がいないため、座学と自習のみという穏やかな時間を過ごすことができている。そんな楽しい時間に終止符を打つかのように、部屋のドアを三度ノックする音が響いた。返事をして入室を促せば見慣れた燕尾服が目に入る。

「失礼いたします。クルミお嬢様、4時から自主学習のお時間でございます」
「……うん、あとで行くよ」
「お待ちしております」

要件だけ伝えて部屋を後にした執事は、朝と同じく私を担当する女性の執事だった。私の代わりに返事を返したイルミは執事の気配が消えたのを感じ取ったあと、うんざりした様子で口を開く。

「よくあんなのと一緒に居られるね」
「やっぱりそう思う?なんか凄いよね、やる気があるのはいいんだけど……」

まだ半日だけというのに随分と辟易した様子のイルミが珍しくて、つい笑みが漏れる。私の担当の執事にこの一週間で抱いた印象としては、優秀で仕事も卒なくこなす。が、執事に向いているとは言い難い。熱血なのか知らないけれど、肉体操作ができるようになるまで自主学習頑張りましょうね!なんて具体的な解決策もないのに部屋に閉じ込められるのだ。まあこれは数ヶ月経てど習得できない私も悪いのだけれど。こうした執事の行いは最初は熱意の押し付けかとおもったがどうも違うようで、私から見れば自分の評価を上げるための行動にしか見えなくなっていた。伸び悩むお嬢様を気長に支える優秀な執事、といったところだろう。もう一つの原因としては、現在イルミを担当する執事が彼女の同期で、養成所時代に首席争いをしていた所謂ライバルというのも大きいだろう。向こうは次期当主の優秀な兄を担当しているのに、というのは彼女のコンプレックスを充分に刺激しているのではないだろうか。考えすぎと言われてしまえばそれまでだが、執事のこれまでの行いを振り返ると強ち間違いではないとおもっている。生まれてこのかた家の敷地から出たことはないけれど、この家にいる沢山の執事と接していれば、どういう目で私を見ているのかというのがわかるようになってしまったのだ。言葉にできないモヤモヤした感情をミルクたっぷりの紅茶と共に飲み干した。

「ここまでだねイルミ。私そろそろ行かなきゃいけないから。晩御飯までには間に合わないかもしれないけど、早めに戻ってこれるように頑張るよ」
「あてもなくがむしゃらに頑張ることで突然出来るようになるとは思えないけど」
「……それはそうだけど」

図星を突かれて言葉を失ってしまう。頑張るだけじゃどうにもならないことは百も承知だけど、あの執事が家族の団欒を優先させてくれるとは考え難い。

「オレが理由もなく入れ替わるわけないだろ」
「えっ?」
「肉体操作ならクルができるようになるまで教えるから大丈夫だよ 」
「で、でも」
「オレだって楽しみにしてたんだよね」

呆然とする私に、すぐ終わらせるから待っててと部屋を後にするイルミ。もちろん服は入れ替えたままだ。最初からお遊びではなくこのために入れ替わりを考案してくれたことに、罪悪感と嬉しい気持ちとが綯い交ぜになってたまらず机に突っ伏す。それから程なくして、またこの部屋にイルミが戻ってきた。

「お、おかえり!どうだった……?」
「怪しまれないように時間かけて、もう少しで出来そうなところまで行ってから終わったよ。これで問題ないよね?」
「ありがとうイルミ……!」

執事と私のふりをしたイルミのやり取りを想像する。もう少しで出来そうなところまで行けばあの執事のことだ、できるまでやらせたがるとおもったがそうじゃなかったのか。腑に落ちないような表情の私に気づいたのか、イルミの補足が入る。

「今日はもうしたくないって少し強めに言ったらすぐ終わったけど」
「なるほど」

もしかしなくても殺気を込めて言ってくれたんだろうなと容易に想像がついた。執事、ドンマイ。いままでのことから彼女にあまり良い印象を抱いてなかったので、いい気味だと思ってしまう。これに懲りてくれたらいいのになあ、そんな言葉を漏らしてしまうほどには、私も彼女に対し嫌気がさしていたのであった。


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