それは、中学二年の時のこと。放課後、お茶の入ったペットボトルを持った千夜は急ぎ足に教室へ向かっていた。キャップがしっかり締まっていないことには気付かない。オレンジ色の光が差し込む廊下の曲がり角。曲がった瞬間、ある男と正面衝突した。周りをよく確認しなかった千夜にも非はあるが、なにぶん、ぶつかった相手が悪かった。悪すぎた。その男は学校でもあまり良い噂を聞かない男。バスケ部、だった男。 ――灰崎祥吾。 履きなれたバッシュを履き、ジャージに着替え、黄瀬と勝負してみたりして、体育館にいるはずの彼が。何故部活にも行かずこんなところをふらついているかなんて。残念ながら彼は昨日でバスケ部を辞めていた。自分から望んで辞めたわけではなく、赤司の命令により強制退部。虫の居所が悪いに決まっている。そんな最高に機嫌の悪い灰崎とぶつかっただけでも運が無いと言うのにお茶をかけてしまった。千夜も何度かは彼の悪い噂を耳にしていた。 (死んだな、これ) 確信するや否や謝る間もなく機嫌の悪い灰崎に胸倉をつかまれる。千夜と身長差があるために軽く持ち上げられ足が宙に浮いてしまった。そのまま壁に強く押し付けられ背中の痛みに顔を歪めると灰崎は荒々しく声を上げた。だらしなく着ている制服は、びっしょりと濡れている。 「テメェ…何しやがんだ。濡れちゃったじゃねーかよ」 「っ! す、すみま、すみません。ちょっと、急いでて…」 ぎりぎりと首を絞められているような感覚に息が苦しくなっていく。自分を睨む視線の鋭さに千夜は俯くことも、目を逸らすこともできずにただ恐怖を感じていた。途切れ途切れにも言葉を紡ぐと振り上げられる灰崎の腕。拳を握り、これから自分は何をされるのかなんて言う必要もなく理解した。 (殴られる…!) きっと目を閉じると痛みはなく代わりに聞こえた低く、落ち着きのある声。それと同時に緩められた力。 「何があったかは知らないが、女子に暴力とは感心しないな」 ゆっくり目を開くと燃えるような赤い髪の男子生徒が灰崎を止めてくれたようだ。赤い髪の男子は千夜を一瞥すると灰崎に向き直った。その眼はカラーコンタクトでもいれているような、髪と同じ赤色だった。 盛大な舌打ちをかました灰崎はポケットに手を突っ込みドスドスと歩いて行った。残された二人の間に沈黙が流れる。呆然としていた千夜がハッと我に返りお礼を述べるとその男子は目を細めた。 「君も災難だったな」 「あ…いえ。お構いなく」 そうは言ったものの千夜の言葉には説得力がまるでなかった。カタカタと震える手に加え腰が抜けて立ち上がることができない。見かねた男子が「大丈夫か」と手を貸したが「大丈夫です!」と手を振り払い無理矢理にも立ちあがってパタパタと走り去った。 振り払われた手と小さくなってく彼女の背中を見ながら溜息をつき男子は足を進めた。自分が所属している男子バスケ部へと行くために。 |