色彩
■ 誓い

「紫庵。まだ、僕の相手が残っているよ。」
咲夜との稽古が終わり息を整えていた紫庵の前に現れた橙晴は、どこか苛立たしげな表情でそう言った。
いつもと違う様子の橙晴に紫庵は無言で木刀を握りなおす。


「行くよ、紫庵。」
すう、と細められた瞳には殺気が映り込んでいる。
ぞわりと紫庵の肌が粟だって、木刀を握る手が微かに震えた。
小さく息をついた紫庵は、それでも橙晴をひたと見つめて木刀を構える。


一瞬の後、橙晴は容赦なく木刀を振るい始めた。
何かを振り払うような、橙晴らしくない荒々しい攻撃。
それでも紫庵は何も言わずにその攻撃を受け止め続ける。
暫くすると、痺れてきた紫庵の手から木刀が弾き飛ばされた。


「・・・は、はぁ、はぁ・・・。」
首元に突き付けられた木刀は、本物の刃を向けられているのではないかと錯覚するほど鋭い。
それでも紫庵がひたと橙晴の瞳を見つめ続けていると、ふいに橙晴の表情が泣きそうなものになる。


「・・・何故君はそうやっていつも僕から逃げないの?」
呟きとともに力なく木刀が下ろされて、そのままするりと橙晴の手から滑り落ちる。
からん、と乾いた音が静かな修練場に響いた。
それで漸く張りつめていた糸が切れて、紫庵はその場に倒れこむ。


「橙晴、が、おれから、逃げないのと、一緒だよ。」
それは院生時代からずっと。
何かと虐められて、それを躱す器用さもなくて、弱くて、いつも何かにおどおどしていて。


それでも橙晴はずっとおれの傍に居てくれた。
自分が傍に居ることでおれを守ると同時に、おれへの反感が大きくなることだってわかったうえで。
それで心を痛めていることだって、紫庵は気付いている。


けれど、それでも橙晴はずっと自分の傍に居てくれた。
素直じゃないから、いつも悪態をついているけれど。
おれが余計なことを考えて橙晴から距離を取った時も、橙晴はずっと待っていてくれたし、すごく怒られたけど、それからも友人でいてくれる。


「・・・どうかした?」
寝ころんだままで問えば、橙晴は無言でうなずいて、隣に寝ころぶ。
「・・・今朝、四十六室から、兄様が死んだと、書簡が届いたって言ったでしょ?」
「うん。それで橙晴は青藍さんを迎えに行くことを決めた。」


「そうだ。兄様は死んでなんかいない。それは確かだ。でも、僕は・・・それが確認できても、ここから動くわけにはいかないんだ。だから僕は、侑李さんも、京さんも、キリトさんも、蓮も、そして君も、危険に晒す。」
腕で目元を覆い隠した橙晴は、青藍さんの身を案じて、そしておれたちの身を案じている。


「行くといったのはおれだよ、橙晴。侑李さんたちだって、自分で行くと決めたんだよ。」
「でも、君たちにだって、大切な人がいる。青藍兄様を助けるために命を懸けろだなんて・・・自分の勝手さに嫌気が差す。当主代理としてやるべき事があるのは本当だけれど、なにより僕は、今の雪乃を置いてはいけない・・・。」


「勝手なのはおれも一緒だよ。おれはね、橙晴。おれは、青藍さんを助けたいよ。だから助けに行くよ。それで、それ以上に、橙晴を助けたい。もし青藍さんが居なくなったら。そうしたら、橙晴も、朝比奈さんのおなかの中にいる子も、朽木家の後継者になってしまう。おれは、橙晴にそんなものになって欲しくない。だってそれは、橙晴を縛るものでしかないから。」


朽木橙晴。
その名が、彼の誇りであることをよく知っている。
それと同時に、その名が彼を縛り付けていることも。
彼がその苦しみも重さもすべて受け止めようとしていることも。


「おれはね、橙晴。青藍さんがどうして君を置いていったか、分かる気がするよ。青藍さんは、全部を守るために一人で行ったんだよ。その全部の中には、橙晴が入っているし、きっと、おれだって、その中に入っているんだよ。だから青藍さんは、戻ってくるよ。自分が戻らないと全部を守ることは出来ないと、分かっているから。」


久世君。
僕が戻るまで、橙晴をよろしくね。
遠征に出かける前日。
ひょっこりと姿を見せた青藍さんはそれだけ言って去っていった。


「だからおれたちは行くんだよ。朽木家みたいな力はないけど、おれたちだって、橙晴や青藍さんが守っているものを守りたい。そしてそれはおれたちが勝手にそう思っているだけのこと。勝手なのはおれたちも同じ。だから橙晴がどう思ったって行くよ。それで必ず連れて帰ってくる。もちろん、全員無事に帰ってくる。」


「・・・そう、か。」
苦笑する気配に、紫庵は笑みを零す。
「それにね、なんか、おれ、青藍さんが戻ってくる以外の道は、もうない気がするんだ。少し前までは世界が不安定な気がしてたんだけど、最近はなんか落ち着いてるんだよね。」


「なにそれ。小動物の勘?」
「小動物!?おれってば、まだ小動物から抜け出せてないの!?」
「五月蠅くて挙動不審だからね。それに、小さい奴ほどよく吠える。」
「器が小さいみたいな言い方やめて!ていうか、そういうこと言うほうが器小さいんだからね!?」


「この僕に歯向かうわけ?紫庵のくせに生意気。・・・ま、今日のところはこのくらいにしておいてあげるよ。君の相手をするほど暇じゃないし。これから君も忙しくなるよ、紫庵。準備が整い次第、すぐに出てもらうことになる。梨花にもちゃんと言っておくように。それから・・・兄様を必ず連れて帰ってくること。いいね?」


「いわれなくてもそのつもりだよ!」
「本当かなぁ?途中で逃げ出したら死ぬほど追い掛け回すから。」
「それは嫌だ!」
「嫌なら全員無事に帰ってくることだよ。出来なかったらお仕置きね。」


素直じゃない言葉を残してすたすたと去っていく橙晴に紫庵は声をあげて笑う。
頼られるのがこれほど嬉しいなんて。
大切な者を預けてくれるほどの信頼があることが誇らしい。
ならばその信頼に必ず応えようと、紫庵は誓うのだった。



2018.05.14
再会編で青藍死亡の書簡が届いたすぐ後のお話。
紫庵は橙晴に引っ張られているようで、実は橙晴が甘えられる貴重な存在です。
青藍はそれを解っているからこそ彼に橙晴を頼んだのでしょう。


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