色彩
■ 32.自嘲

「それは違うな。」
その言葉に豪紀が口を開く。


「こいつ等は、朽木家の者たちは、決して恵まれてなどいない。確かに高い教育を受け、高価な着物を着て、高価な装飾品を付ける。家族の仲も決して悪くない。傍から見れば、幸せな家族だろう。だが、実際は俺たちが思うほど、生温いものじゃない。」
静かにそう言った豪紀に、柳内は信じられないと言った顔をした。


「・・・貴方が、それを、言うのですか?」
「そうだな。俺も院生時代はそれが理解できなかった。だが、こいつ等に接して、解ったことが山ほどある。解っていないのはこちらの方だった。お蔭で俺は加賀美家の当主なんかをやっている。昔は、あんなにやりたくなかったのにな。」


『お蔭で、院生時代、僕らは絡まれてまぁ大変。』
「五月蝿いぞ。茶化すな。」
『事実でしょ。知っているかい?彼はこの僕に刃を向けたんだよ?』
青藍の言葉に柳内は目を見開く。


『まぁ、昔の話さ。でも、君にその度胸があるかな。当主になることから逃れるために、僕に刃を向けられる?僕を傷付けられる?出来るというのなら、やってみるといい。柳内家次期当主、柳内惇。この朽木青藍に、刃を向ける覚悟がおありか。』
朽木家当主の顔となった青藍に、柳内は気圧されたようだった。


『・・・なぁんてね。君はそんなこと出来やしないだろうね。その様子では立っているだけで精一杯だ。』
小さく震える柳内に、青藍は詰まらなそうに言う。


『一つ言っておくけれど、自らの定めから逃げることは、生半可な気持ちでは出来ないよ。その定めを受け入れることも、そう簡単なことじゃない。僕が朽木家の当主になるまでにどれほど悩み、迷って、覚悟をしたのか、君には解らないのだろうね。同じ当主でも、僕が背負うべきものと、君が背負うべきものは、大きさも重さも違う。』


「そうね。青藍が背負うべきものは、誰よりも重いわ。この人はね、何でもないような顔で当主なんてやっているけれど、ここに来るまで長かったんだから。その間、誰もがこの人が当主になることを待っていたのよ。」


『あはは。そうだね。本当に、父上には長い間待って頂いた。母上は、僕を思ってずっと心を痛めていた。茶羅もルキア姉さまも銀嶺お爺様も、何も言わずにそばに居てくれた。それで・・・橙晴は、当主になるための稽古を欠かしたことがない。きっと、今の橙晴は、僕なんかより朽木家当主に相応しいと思うよ。』
青藍は困ったように言う。


『僕が全てを背負って一人で逃げるのではないかと、思っているんだよ。そうなってもいいように、橙晴は稽古を欠かさない。僕に当主になれと言ったのは、橙晴なのにね。橙晴は、僕の逃げ道を必死で作ろうとしてくれているんだ。本当に、凄い奴だよ。だからね、だから、僕は橙晴を苦しめる者を許さないよ。あの子は僕の誇りなのだから。自分の誇りを傷付けられて黙っていられるほど、僕は優しくない。』


「私だって大切な夫を傷付けられて黙っているほどお人好しじゃないわよ。」
「お前は既に手を上げているだろう・・・。」
豪紀は呆れたように言う。
「いいのよ。別に。この程度で死にはしないわよ。いつもの青藍へのげんこつの方がよっぽど痛いはずよ。」


『あはは・・・。あれは本当に痛いからやめて欲しいなぁ。何で柳内君にはビンタで僕にはげんこつなのか・・・。』
青藍は苦笑する。
「貴方の方が馬鹿だからに決まっているでしょ。今まで自分がどんな無茶をしたのか、振り返ってみるといいわよ。」


「そうだな。これの無茶は死ぬ無茶だからな。」
「そうですわね。消耗した体で虚に突っ込んでいく人ですもの。その身がどれほど重いか、自覚がないはずはないのに。それとも、自分が消えればすべてが丸く収まるとでも思っているのかしら。青藍様が全てを背負って一人で消えれば、皆が幸せになりますものね。苦しむのは青藍様だけで、他の皆は笑っていられますもの。」
実花に厳しく言われて青藍は目を伏せる。


『・・・手厳しいなぁ。まぁ、否定はしないよ。僕が全てを背負って消えれば、これ以上皆が苦しむことはない。僕の存在が消えたことで悲しむ人もあるだろうけれど、それでも、僕が居なくなることでなくなる苦しみの方が大きい。それを思うと、逃げ出したくなる。一人になると、良くそう思う。皆を苦しめることが怖くて、自分など居なくなればと思う。』
青藍は自嘲する。


『情けないことに、怖くて眠れない夜がある。僕は自分が一番怖くてね。世界を知れば知るほど、己の無力さと、己の存在の疎ましさを知る。己が生まれたことを呪いそうになることだってある。それでもこれを引き受けると覚悟を決めた。決めた覚悟はすぐに揺らぎそうになるけれど、でも、僕は、朽木家の当主だ。容易く逃げることは許されない。一人になることなど許されない。世の理に沿って、掟に従い、様々なものに絡め取られながらも、己の道を歩く。・・・それは、とても、難しい。』


本当に、難しいのだ。
何度も何度も躓いて、挫けそうになって。
それでも目指すものを諦めずに前に進むのは、本当に難しい。
言いながら青藍は内心で呟く。

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